憧憬

絵空こそら

波上の楼閣

 対岸をみておりました。電飾がきらきら光る、夜の街でございます。賑やかな笑い声が風に乗ってやってきては、背後の海原へ駆けてゆきます。


 あたくしは、波の上にぽつんとはみ出た小島から、住処の扉をそっと開けて、その街を見るのです。波に光を投げてよこす灯りはとても暖かそうで、ふとした時に触れてみるけれど、水は冷たいままなのです。きっと反射した光だからでございましょう。きっと直に触れたら暖かいのだわ、とその温度を想像し、掌に包みながら眠るのです。


 ある日あたくしは一大決心をして、海の中を泳ぎました。ひと月、ふた月、み月、疲れ果ててたどり着いたあの街は、灯りがすべて消えておりました。真っ暗なのです。あたくしは途方もなく悲しくなり、来た道を引き返しました。


 ようやく住処に帰り着いた時、振り返ってみると、なんということでしょう。あの街は輝きを取り戻しておりました。あたくしは悔しくなり、目からほろほろ涙がこぼれました。金色に、銀色に、淡く輪郭を膨れさせるその色は、やはり暖かそうなのです。


 あたくしはたまらず、海の果てに向かって息を吹きかけました。息は夜空にもくもくと形を成し、光らぬ巨大な街となりました。


 対岸の街から歓声が上がります。あたくしが息を吹き終えると、街は脆くも風に溶けてしまいました。どよめいていた対岸は、やがていつもの、楽しげな意味のないざわめきに戻っていきます。あたくしは光の街を眺めます。あの光に、触れてみたいのです。


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憧憬 絵空こそら @hiidurutokorono

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