第6話 紫陽花、梅雨入り
最近は雨や曇りの日が多い。梅雨入りが宣言されて数日が経ったこの頃は昼間でも日が沈んだ後のような暗さがある。
空一面に薄灰色の雲が詰まっているのを見ると、世界がここだけに閉じ込められたような錯覚がして良い気分になる。傘を肩に掛けてくるっと回すのも好きだ。防ぎきれなかった雨が肌の上を流れて、生ぬるい風が体温を奪っていくのも良い。ひとつ歌でも歌いたくなるような季節だ。
野暮ったい防水ブーツを履いて水溜りに駆けて行き、ばしゃあっとそれを蹴り上げる。車にやられるのは気に食わないが、自分がやるとなると途端に楽しいことになるのだ。生憎とタップダンスはできないためワルツを真似たような足取りでふらふらと歩き、ふふふっと笑って傘と踊る。
「
「すみゃあはホント、雨が好きだよね」
雨の中で出かける人は少なく、いくらはしゃいでも人目に触れることはない。元々人の多い場所に住んでいるわけでもないので、尚のこと雨の日は人目を気にしないでいられる。
今日は浮田とお出かけだ。休日の朝、どしゃぶりの雨を見た私が家を飛び出して、ひとしきり楽しんだ後に浮田の家まで行って連れ出してきた。いつもは浮田が押し掛けてくるからたまには私も押し掛けて良いだろうという論理だ。
浮田は小学生が着るような黄色い
浮田も私もこんな変なことを出来るのは今のうちだと知っている。だからこうしている。雨の中はしゃぐのも、とんちんかんな格好をするのも今のうち。
「すみゃあ、もう帰ろう。風邪ひいちゃうよ」
「もうちょっと。もうちょっとだけ」
一応傘を差してはいるものの私はずぶ濡れになっていた。少ない私服から選んだ白いTシャツは肌にべたべたとはりつき、ジーンズパンツはすっかり色を変えてしまっている。
「……寒く、ないの?」
「全然。生ぬるいサウナに入ってる気分」
結局私は粘りに粘って、昼過ぎにお腹が空いたという理由で帰ることにした。これで今日は終いだと思っていたが、浮田に「ゲームしよ」と提案され、昼食をとって着替えてからまた会うことになった。集合場所は浮田の家だ。
びしょぬれの状態を家族に見られるのは気が引けたのでシャワーを浴びて着替えた。タオルで髪を拭きながら昼食になりそうなものを冷蔵庫からあさると、案の定ほぼ空のそこには本当に簡単な物しかなかった。私は髪から滴る水を拭い取って、適当に取り出してきた昼食を味も気にせず胃に詰め込んだ。そして、ゲームとは具体的に何なのかと考えながら歯を磨き、長い髪を十五分ほどかけてドライヤーで乾かすと、出かけることを家族に伝えた。
お土産になるものを家族が探し始めたのを気にも留めず、私はまともに見えるような服を探した。唯一のズボンは先ほど濡れてもう穿けなくなっていた。仕方なくカーキ色の膝丈のスカートを選び、上は黒一色のTシャツに灰色のカーディガンを羽織った。正直に言うとダサいが、姿勢さえよくしておけば案外問題ないことを私は知っていた。
「これ、つまらないものだけれど持って行って」
家族の一人がそう言って紙袋を渡してきた。紙袋はどこぞの和菓子屋のものだったが、中身は市販のチョコレート菓子とクッキーのようなものだ。
「ちぐはぐ」
「いいから持ってって」
面倒な慣習に嫌々対応しています、という様子を隠しもせずに言う。嫌だからやめるというわけにもいかないのはわかるが、せめてその苛立ちをこちらに伝播させないように振舞えないものか。
しかし、彼らには何を言っても理解されないことが多いのだということを私は薄々理解し始めていた。外面はいいくせして、身内にはバレなければ問題ない、気に入らないから受け入れないを地で行くのだ。
仕方がない。私はまだ子供で、そしてずっと彼らの子供だから。一人の人間として扱っているつもりだろうとその感覚が拭えないことはわかる。そして彼らはそれがわからない。ならば、理解している私が耐えるべきだというのは道理だろう。
共有された苛立ちを抱えながらリュックサックに小物を詰め込み、リュックサックを背負って紙袋を手に提げながら家を出る。まだ雨が強く降っていた。私は曇天に向かってお気に入りの真っ赤な傘を差すと、今回は水が跳ねないように注意して歩き始めた。
嫌な気分も雨の中を歩くうちに晴れていった。紙袋は風雨にさらされてくたびれたように見えるがさしたる問題は無い。
わざわざ歩いていくには少し遠いかと思われる道のりを行き、本日二度目の浮田家に到着した。浮田の家は大きく空き部屋もいくつかある。これはこの辺りでは特別珍しいことではないが、浮田の家はリビング以外にもソファーとテレビがある部屋があって、遊びに来てもあまり気まずくないのが良かった。
チャイムを押すとドタドタと足音を立てながら浮田が出てきた。
「入って入って」
「邪魔はしないよ」
「良い心がけだね」
私は傘の雫を振り払って傘立てに置き、靴をそろえて家に上がった。リビングから出てきた浮田の母親に対して「お邪魔します」と言うと、「ごゆっくり」と微笑まれた。
「はい。これお土産の何か」
「やったー何かだ」
目的の部屋は二階にあった。どすどすと音を立てて上る浮田の後ろをついていきながら、足の裏全体で地面を踏むからこんなに大きな音が出るのかと感心した。意識しても私には出せない音だ。決して太りすぎているわけではないけれど、浮田はそのがさつさ故に大きな物音を立てがちで、何回か注意してもなかなか直らない。癖が原因なら口頭での注意も役に立たないのかもしれないと私は考えを改めた。
どうぞと言って開けられたドアをくぐる。八畳ほどの部屋には大きなテレビが一つあり、その前にはローテーブルや二人掛けのソファー、一人用のラウンジチェアが置かれている。ソファーの後ろの壁には大きな本棚が二つあって、漫画や小説などが詰め込まれていた。
「ホラゲーとかどう?」
「いいよ。下手だけど」
「そこはフォローするからさ」
浮田は紙袋から菓子を取り出し、「お茶取ってくる」と言って部屋から出て行った。私は隣にスペースを空けてソファーに座った。座ると溜まっていた疲れが出た。
うとうとしていると浮田がペットボトルを持って帰ってきた。
「コークオランゲウーロン」
「100パー?」
「濃縮還元」
「それで」
浮田がオレンジジュースを私に手渡して隣に座った。彼女は炭酸を飲めないのでウーロン茶を選んだ。
私はペットボトルの蓋を開けるのが苦手だ。握力はあるが、手が滑ってしまって上手く開けられない。指先の力が弱いので缶はもっと開けられない。浮田がゲームのための準備をしている間、私はペットボトルを開けようと奮闘し、手のひらが痛くなってやめた。
浮田が選んだのは有名タイトルのシリーズ五本目だった。敵に銃弾をぶっ放すタイプのホラーゲームだ。1Pであるため浮田がプレイし、私は隣でクッションを抱えながらそれを見ていた。そして私は、クッションにこぼれないようにチョコレート菓子を食べながらゲーム内の集落を見て呟いた。
「こういう雰囲気好き。おいしそう」
「んー、おいし……おいし? いやわかんねえわ」
「ほら集中しないと。殺されちゃうよ」
「すみゃあが変なこと言ったんじゃん!」
ハードモードでプレイし始めて何度目かの死亡で、とうとう浮田はノーマルモードに変えた。それからもゲームの感想を言ったり、プレイ方法についてぐだぐだ言ったりして一時間半が経った。チャプター1-2までを終え、一区切りついたところで私たちはゲームをやめた。
雨は勢いを弱めていた。曇り空と霧雨だけが朝のどしゃぶりの余韻だった。
緊張が取れた私はいよいよ本格的に眠くなった。そのことに気付いた浮田は「寝る?」と声を掛けてきた。
「三十分だけ」
「わかった。ここで寝ていいよ。ブランケット持ってくる」
脚を折り曲げてソファを枕にし、私はすやすやと眠りについた。
約束通り三十分経って浮田は私を起こした。雨はやみ、空の裂け目から薄明光線が漏れていた。
私は自宅に帰ることにした。浮田は夕食の時刻まではまだ時間があるからと引き留めようとしたが、一度寝てそんな気分ではなくなっていた。私は浮田の家族に一つ声を掛けてから浮田家を出た。
玄関まで見送りに来た浮田は私の袖を引きながら言った。
「すみゃあ。また、遊びに来てね」
私は浮田を振り返った。返事を言わないで見つめれば、浮田は「またね」と言って一歩下がり袖を離した。
真っ赤な傘を持ち玄関を出て、空を見上げた。空は晴れ間が広がってきていた。名残惜しく地面にある水溜りに移った水色を見ながら私は帰路についた。
あの子が私の誕生日を祝わなかった話 カネヨシ @kaneyoshi_book
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