第88話

 全員HP、MPにあまり余裕はなかったが、合流地点へと進むことにした。

 引き返すよりも遥かに近いからだ。


 それに目的地まで辿り着きさえすれば、ここの〈夢の主〉のナイトボーンとの戦いは、他の冒険者達に任せることができる。

 ナイトボーンは、カロス一人でお釣りが来る程度の相手だ。


 それに魔物の群れは思ったよりも多くない。

 カロスが手を付けられなかった程だからもっと大変かと思っていたが、一気に上位冒険者が入り込んだことで魔物の方もかなり分散されているようだ。

 ……そんな中で、パッチワーク二体にぶつかったのは不運だったとしか言いようがないが。


 通路先まで先行していたケルトが、引き返して戻って来た。


「この先を右だな。左は群れがいるから、足音立てるんじゃねえぞ」


「ケルト、先に進み過ぎじゃないか?」


「俺には〈聴覚強化〉と〈第六感〉がある。〈忍び足〉もあるから、斥候ならむしろお前らと距離を置いておいた方が安全だ。気付いた魔物が接近してくるリスクも低い。馬鹿な地図のせいで袋小路にさえなってなきゃ、あんな無様な真似は晒さなかったんだよ」


 俺の問いに、先行するケルトがそう答える。


 〈聴覚強化〉は遠くにいる魔物の大まかな位置を探るスキル、〈第六感〉は危険な魔物やアイテムの位置を稀に教えてくれるスキルだ。


「……地図強引に握りたがってた理由もわかったんよ。そういうのあるんなら、先に言って欲しかったんよ」


 メアベルが呆れたように零す。


「喋るわけねぇだろ。それを理由に一生先陣に送り込まれてたら、俺は今頃生きてねぇ。HPも低いし、狭い〈夢の穴ダンジョン〉じゃ、位置を掴んでも通路次第じゃ逃げ切れねぇ。狩人の本分は、広い〈夢の穴ダンジョン〉の外なんだよ」


 ケルトがメアベルを睨む。


「それは……まぁ、軽々しく言って悪かったんよ」


 メアベルは僧侶クラスだが、思うところがあったのだろう。

 ラコリナの冒険者達を見ていて思うことだが、魔剣士にしろ、狩人にしろ、僧侶にしろ、皆、自分の有利不利を隠して、どうにか立ち回っている。


「今のMPじゃ、雑魚相手に囲まれても厳しいからな。どうせ総崩れになったら、下手したら次は全滅だ。だから、今回は俺がババを引いておいてやる。デカい借りも作っちまったし……本気で命を預けてやってもいいって思えた奴と組めたのは、お前らが久々だからな」


 ケルトはそう口にして、居心地悪そうに鼻の頭を掻く。


「それに……エルマ、お前みたいな凄い奴がいるのに、俺一人セコセコ立ち回ってちゃ格好が付かないからよ。一人でアレをあっさり倒しちまうとは思わなかったぜ」


「楽々ってわけでもなかったんだがな」


 パッチワークの手の内と弱点、攻撃の動作、安定した勝法がわかっていて、その上でようやく辛勝だったのだ。


「羨ましいぜ、お前みたいに堂々と戦える、気持ちのいい奴はよ。正直……嫉妬するくらいだ」


 ケルトが溜め息を吐き、苦笑する。

 ルーチェはその様子を見て、さっと顔を蒼褪めさせて俺の腕に抱き着いてきた。


「ケ、ケルトさんに、エルマさんは渡しませんからね!」


「お前は何をどう捉えやがったんだ?」


 ケルトが目を細め、ルーチェを睨む。

 ふとそのとき……ケルトの左目の瞼が、びくんと痙攣した。

 さっとケルトが、別の通路を振り返る。


「どうした?」


「〈第六感〉が反応した。近くにレアアイテムがあるみてぇだ。〈夢の穴ダンジョン〉の異常は、魔物の大量発生だけじゃなくて、思わぬレアアイテムを生み落としてくれることもあるからな。ただよ、今は余力も少ねぇから、判断はエルマに投げるぜ。俺としては道中に魔物の気配もねぇし、向かった方が美味いと見るが」


 レアアイテム……か。


「ただでさえ何が起きるかわからないって触れ込みだったんよ。ウチは合流を急いだ方がいいと思うけど」


 通常であれば、メアベルの言葉の方が正しい。

 ただ、ケルトの判断もまた、その辺りを考慮した上での発言だろう。

 俺もメアベルの意見に近いが……。


「ケルト、案内してくれ」


「意外だな。お前は安全な方を選ぶと思ってたが」


「高価なアイテムなら、先に入った冒険者の遺品かもしれない。回収しておいてやりたい。それに……いや、すぐに確かめられることだ」


 元々、〈嘆きの墓所〉の探索は、〈夢の穴ダンジョン〉の異常発生率上昇の原因調査である。

 もしかしたら何らかのアイテムによって齎されたものである可能性もある。


 ただ……本当にそうだとすれば、それはものによっては、人間の手が入っているということの証明にもなる。


 ケルトに付いて、俺達はしばらく移動した。


 目的のアイテムはすぐに見つかった。

 床に、半ば埋めるように置かれていた。


「なんだ、この宝石……? 魔石……とは、ちょっと違うみたいだな。こんなのがレアアイテムとはね」


 ケルトが拾い上げたのは、黒い歪な多面体の宝石だった。

 握り拳程度の大きさがある。

 ここが薄暗いこともあって、〈第六感〉がなければ、上を通っても気付かなかったかもしれない。


「使い道はわからないアイテムですが、かなりの値になるみたいですよエルマさん!」


 ルーチェが嬉しそうに言う。

 だが、俺はそれどころではなかった。


「ケルト! それを渡してくれ!」


「あ、ああ? どうしたんだよ」


 俺はケルトから受け取ったアイテム……〈哀哭するトラペゾヘドロン〉を勢いよく壁へと投げつけ、剣の刃で砕いた。

 破片は黒い瘴気を発して、小さくなっていく。


「お、おいエルマ! 何してんだよ! 高価なアイテムだったんだぞ!」


「……これは、残してはいけないものだ。わかってくれ、ケルト」


――――――――――――――――――――

〈哀哭するトラペゾヘドロン〉

【市場価値:二千五百万ゴルド】

 高純度の闇属性のマナと魔物の魂を合成し、ネクロマンシーによって結晶化させたもの。

 強い怨念を秘めており、剥き出しにしていれば災厄を寄せ付けることもある。

 保管が非常に難しい。

――――――――――――――――――――


 要するに、強力な魔石である。

 〈夢の穴ダンジョン〉の異変は、強いマナを秘めた物質が内部に積み上げられていき、それが〈夢の穴ダンジョン〉の許容量を超えたときに発生するのだ。

 主に力を持った高レベル冒険者の死体と、魔物の亡骸から現れる魔石である。


 〈哀哭するトラペゾヘドロン〉は、強引に純度を高められた魔石である。

 もし〈夢の穴ダンジョン〉内部にこんなものを悪意的にばら撒いている人間がいるとすれば、異常発生率の急上昇の説明が付く。


 ただ、一つや二つではこうはならない。

 最低でも十個以上はばら撒かれている。

 犯人はこの異変を引き起こすためだけに、二億ゴルド相当のアイテムを用いたことになる。


「こんなものが出てきた以上、大分話が変わって来る……」


 ここまでやった犯人が、大規模依頼レイドクエストで〈夢の穴ダンジョン〉を攻略されるのを易々と受け入れるわけがない。

 冒険者の動向だって探っていたはずだ。

 何かしらの手を打っているに決まっている。

 〈夢の主〉の討伐は危険すぎる。


「……おい、遠くから悲鳴と……とんでもない速さで、何かが駆けてくる足音が聞こえる」


 ケルトは青い顔をしていた。

 恐らく〈聴覚強化〉だけではなく、〈第六感〉も現状の異常を訴えているのだろう。


「や、やっぱり集合場所に向かった方がよかったんよ……!」


 メアベルの言葉に、ケルトはぎこちない動きで首を振った。


「その集合場所の方からだ。こうなった以上、合流は無理だ」


 その言葉に、俺は背筋がぞっとするのを感じた。

 〈哀哭するトラペゾヘドロン〉が出てきただけで最悪だと思っていたが、それを上回る最悪が訪れようとしていた。


 合流場所は〈夢の主〉のいる場所の近くなのだ。


「〈王の彷徨ワンダリング〉だ……」


「なっ、そんな馬鹿なことが有り得て堪るか! 〈王の彷徨ワンダリング〉なんて……そんなもんがこのタイミングで起きたら、とんでもないことになるぞ!」


 ケルトが目を剥いて、そう叫ぶ。


 〈王の彷徨ワンダリング〉は、〈夢の主〉が奥のボス部屋から脱走し、一時的に〈夢の穴ダンジョン〉内を徘徊する現象である。


 分散した冒険者が集合する前に叩けば、大規模依頼レイドクエストの強みはなくなる。

 〈夢の主〉は回復量が高いため、覚悟のできていない冒険者が個別に撃破されていくことになる。


 そして〈王の彷徨ワンダリング〉は、〈夢の主〉に手出しをしてから逃げれば容易に引き起こせる。

 通常〈王の彷徨ワンダリング〉はそう長引くものではないが、冒険者の突入タイミングさえ知っていれば、直前に仕掛けることも可能だ。

 警戒情報を出されることもない。

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