第64話

「〈百足坑道〉の〈夢の主〉……ロックセンチピードは、あの巨体から繰り出す突進と、自動回復の速度が厄介だと多くの冒険者から恐れられている。いや、よくぞ決定打を持たぬ重騎士と道化師で討伐できたものよ」


「や、やっぱり、普通はそうなんですね……」


 ハレインの言葉に、ルーチェが何ともいえなそうな表情を浮かべていた。


 ……あの少ししょっぱかった、対ロックセンチピード戦を思い返しているのだろう。


 ロックセンチピードは、ボス部屋の岩塊を利用して身体の節に引っ掛けるように動いてやれば、一気に自慢の機動力を奪うことができる。

 あの自動回復が脅威になるのも、遠距離スキルでちまちま攻撃しているときか、こちらが上手く攻撃の機会を作れず長期戦化したときだ。

 どうにか上に乗る手段さえ確保できれば、連撃系のスキルを撃って暴れられる前に降りて仕切り直すを繰り返せば、簡単にHPを削り切ることができる。


 重騎士についても〈死線の暴竜〉と〈不惜身命〉が手に入った今、むしろ決定打しかない状態であり、ハレインの言葉はこちらでも見当外れだといえた。

 人を見透かすのに長けているハレインが口にした言葉だからこそ、ルーチェはロックセンチピードの残念ボスっぷりを思い返し、少し滑稽に思えたのだろう。


「ふむ……?」


 ハレインが訝しげに目を細める。

 俺は思わず、背筋が伸びた。


 ……あまりこの人と世間話をしているのも危ない気がしてきた。

 ハレインはこの世界に詳しすぎる。

 隙を見せていれば、俺がこの世界外の情報を有しているところまで簡単に辿り着いてきそうだ。

 ハウルロッドの家名を持ち、冒険者の都を導いてきただけはある。


 俺の父であるアイザス、そしてエドヴァン伯爵家とは比べ物にならないほどの情報を有している。

 ある程度は差が開いているだろうことは察していたが、ここまでだとは思わなかった。

 分家の人間でこれなのだから、本家の連中……特に当主はどうなっていることか。 


 それに何より、俺にはある危惧があった。

 ロックセンチピードがデスアームドへの存在進化条件を満たしていたのは、ハウルロッド侯爵家の仕業ではないか、ということである。


 ハウルロッド侯爵家は分家筋の人間を冒険者ギルドの頭目に添えており、結び付きが強い。

 冒険者の誘導や〈夢の穴ダンジョン〉の情報規制も容易だろう。

 そして実際、〈夢の穴ダンジョン〉について俺の想定よりも遥かに深く情報を有していたらしいと、今の会話で思い知らされた。

 

 今回のデスアームドへの存在進化……ハウルロッド侯爵家が関与していたとしてもおかしくない。

 いや、そう考えるのが一番腑に落ちるくらいだ。


 一見リスクとリターンが見合っていない〈夢の主〉の存在進化の誘発も、黒幕がハウルロッド侯爵家だとすれば動機が見えてくる。

 この世界の仕組みの確認のためにそれくらいはしていてもおかしくはない。


 現段階で安易に決め付けるべきではないが、今はかなり慎重に動かなければならない場面だ。

 目前のハレイン・ハウルロッドが、俺が警戒していた問題の元凶なのかもしれないのだから。


 もしそうだとすれば、強大過ぎて俺の手出しできる相手ではない。

 正直とっとと逃げ出して下調べしてから仕切り直したいのが本音だ。

 ただ、ここまで来てしまった以上、ハレインが元凶であれば、俺達が何の目的で来たのかは察しているだろう。

 中途半端に黙って逃げても意味はない。


 分家とはいえ、ハウルロッド侯爵家。かなり腹芸もできるはずだ。

 探り探り慎重に反応を窺っていこう。

 もっとも、俺なんかが相手の土俵で太刀打ちできるとは思えないが。


 しかしまさか、こんな形で父アイザスが毛嫌いしていたハウルロッド侯爵家とぶつかることになるなんて考えてもいなかった。


「考え事をしているようだが、どうした? 私に報告しておきたいことがあったのだろう? それとも異常事態というのは真っ赤な嘘で、私の関心を引いて功績を誇示して、取り入ろうというのが魂胆だったか?」


 ハレインがくすりと、艶やかに笑う。


「だとすれば、随分と可愛らしい物の考え方だ。ここは万の冒険者が集まり……そのほんの上澄みだけが成功を積み重ねていく、夢と挫折の都。突出した才人というだけでは、ここではさして珍しくもない。少しは遊びに付き合ってやろうと思える程度には関心は持ったが、小童が私を手玉に取れるとは思わん方がいいぞ」


 ひらりと扇子を広げ、口許を隠す。

 それは果たして、言葉通りの意味なのか、こちらの考えを見越した上での遠回しな警告なのか。

 ハレインのポーカーフェイスからは、そのどちらかはとても探れそうになかった。

 あまりに彼女の底が見えない。


 何にせよ、デスアームドの一件の簡単な報告だけに留め、下手な探りは入れずに引いた方がよさそうだ。

 もしかしたら、今後俺達に侯爵家の手先の見張りがつくかもしれない。

 ここまで厄介なことになるとは思っていなかった。


「実は〈百足坑道〉の主……ロックセンチピードが、存在進化を引き起こしました。危うく俺達は、巻き込まれて命を落とすところでした」


「ほほう、存在進化」


「〈夢の主〉の存在進化は凶悪な魔物災害の一つです。通常、長く放置され過ぎた〈夢の穴ダンジョン〉が偶発的に条件を満たすようなことはありますが、ギルドの記録ではまだ出現してから日の浅い〈夢の穴ダンジョン〉であったはず。何かおかしなことの予兆ではないかと、直接相談させていただきたく……」


「む、存在進化……?」


 ハレインが顔を顰める。


「ええ、はい。俺はこれを重く見ていて……」


「ひゃっ、〈百足坑道〉で、〈夢の主〉の存在進化だと!? あ、あそこはまだ、出現して半月程度であろう! なぜそのような事態が!? ラコリナの都市からも近いというのに、一つ対応を誤れば恐ろしいことになるぞ! そ、その話、本当なのか!」


 ハレインが目を剥き、声を震わせる。


「いえ、俺も重く見ていたからこそ、すぐにギルド長殿に報告したいと……」


 先程までのポーカーフェイスっぷりは影も形も残っていない。

 俺もルーチェも、彼女の変わりように呆気に取られていた。


 演技か……?

 いや、演技でこんな顔ができるか……?

 ハ、ハウルロッド侯爵家ならできるのか……?


 ハレインが俺達を連れてきた受付嬢、マルチダへと目を向ける。


「な、なぜ、そのことを先に伝えなかった、マルチダ!?」


「い、いえ、私も今初めて聞いたので……。し、しかし、存在進化については把握していますが、そこまで警戒する程のことなのですか? 少しばかりレベルが上がるだけなのでしょう? もっと高レベルの〈夢の穴ダンジョン〉も……」


「少しレベルが上がるだけだと!? 【Lv:60】のロックセンチピードが存在進化すれば、【Lv:80】近い化け物になるぞ! おまけに〈夢の主〉の存在進化は前例がほとんどないために、どのようなスキルを有しているのかも全くわからん状態だ! 〈夢の穴ダンジョン〉奥地に辿り着いた疲弊しきった状態で、【Lv:80】近くの、ほとんど前情報のない〈夢の主〉を相手に討伐できると断言できるようなパーティーが、都市ラコリナに本当に存在すると思っているのか? 無策で挑めば、都市の財産であるA級冒険者でも命を落としかねん事態であるぞ!」


「そ、そそ、そうですね、認識が甘かったです……」


 マルチダはハレインの猛攻にたじたじな様子であった。


「だいたい、出現からまだ日が浅いのに〈夢の主〉が存在進化するような〈夢の穴ダンジョン〉、何が起きるかわかったものではないぞ……。いや、実際、何が起こってそのような事態が引き起こされたというのか。大規模依頼レイドクエストを出してB級冒険者を大量に動かすか、本家に泣きつくかせねばならん」


 ハレインは相当動揺しているらしく、眉間に深く皺を寄せて、自身の指をがしがしと噛んでいる。


 有り得るのか……?

 この慌てっぷりが、ただの演技の可能性が。


 ハレインは落ち着こうとしてか、机の上の紅茶へと手を伸ばす。

 だが、手が震えていたせいで、盛大にカップを弾き飛ばして机から叩き落とす結果に終わった。

 マルチダが「あっ」と声を上げる。


「な、何にせよ、よく生き残って報告に戻ってきてくれたものだ。〈王の彷徨ワンダリング〉は発生したのか? 死人は? 責めるつもりはないから正直に答えてもらいたい。ギルドで活動しにくくならぬように、名前は伏せると約束しよう」


 ハレインは落ちたカップには目を向けず、何事もなかったかのように話を再開した。


「いえ、だからその……俺達は〈百足坑道〉を既に攻略したと、そう伝えてもらったばかりですが」


「むぅ?」


 ハレインが狐につままれたような顔で、ぽかんと口を開ける。

 その様子からは、先程までにあった威厳や威圧感を全く感じない。


 どうやらハレインは、〈夢の主〉が存在進化を引き起こしたと聞いて、俺達が逃げてきたものだと決めつけてしまっているようだ。

 それくらい彼女の中で、〈夢の主〉の存在進化が脅威だったのだろう。


 俺も大分事態を重く見ていたつもりなのだが、〈マジックワールド〉の情報や仕様が徹底解明されて共有されていたゲーム時代とこちらの世界では、〈夢の主〉の脅威が全く異なっているようだった。

 いや、実害もあるので、間違いなくその要素も大きく関与しているのだろうが。


 と、とりあえず、ハレインは白いと見てもいいのかもしれない。

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