第41話 6月27日(日)フラグ

 会場の照明は落ちたまま時間が過ぎる。

 舞台裏では改めて流れを確認しているんだと思う。


 トラブルと言えばトラブルだけど、生のイベント感があってすごく楽しい。


 初めての公開録音で、しかも憧れの先輩と一緒という緊張からトラブルが生まれるのは新人ならではだ。


 今日この場所にいられたのはあかりんファンとして生涯宝物になるだろう。


 あかりんとあずみんが舞台袖に戻ってからしばらくはざわついていた客席も落ち着きを取り戻してきた。

 そのタイミングを見計らっていたのか、静かになった会場にBGMが響き渡る。


「こんにちは~。まるで二度目みたいに慣れた拍手ありがとうございま~す」


 笑顔で手を振りながらあかりんが登場した。

 失敗をネタにしたことで客席からは笑いも起こりさらに盛り上がる。


「ちょっとだけ、本当にちょっとだけ時間が押してるのでタイトルコールいっちゃいますね。あかりが『魔法少女役の新人声優がラジオをやる』と言ったら、みなさんは大きな声で『フラグ』と言ってください。公開録音自体はここからスタートです。今までのは夢みたいなものです」


 あずみんが登場する前には僕らもやることがあったようだ。

 さっきとは段取りが全然違ってまるで別のイベントみたいで新鮮な気持ちでステージに立つあかりんを見ていられる。


「それでは練習もなしでいきます。みなさん信じてますからね」


 スーッと息を吸う音をマイクが拾った。

 なかなか聞けない春町あかりとしての呼吸音が耳をくすぐる。


「魔法少女役の新人声優がラジオをやる」


「「「フラグ―!!!」」」


 まったく練習していないにも関わらず会場の声は見事に揃っていた。

 短いフレーズとはいえ知らない人同士でこんなにも心を一つにできるのは奇跡だと思う。


 同じアニメやラジオ、声優さんが好きという共通点だけでこんなにも一致団結できるのだからオタクという生き物は不思議だ。


「みなさん素敵なタイトルコールをありがとうございました。春町あかりの初めての公開録音なんですけど、まずはちょっとした小話から」


 『初めて』のところで笑いが起きた理由はきっとここにいる人にしかわからない。

 SNSでは未放送の部分もレポートされるだろうけど、あのトラブルを楽しむ空気は会場にいた僕らだけのものだ。


「この前のラジフラでもお話したんですけど、内田先輩の武道館ライブに……ん? 早くゲストを呼べ? 止める人がいないと困る? えーっとですね、今カンペでゲストを呼ぶように指示されました。なので早速お呼びしちゃいます。武道館ライブを大成功させた内田杏美あずみ先輩でーす!」


 大きな拍手に迎えられてあずみんがさっきよりも眩しい笑顔で登場した。

 トラブルがあったなんて微塵も感じさせない堂々した振る舞いは、さすが武道館ライブを成功させただけのことはある。


「みなさん、こんにちは。サマーメイプル役の内田杏美あずみです。あかりんの武道館ライブトークを止めるべくやってきました」


 半分は冗談、半分は本当っぽい自己紹介に会場はさらに湧いた。


「にひひ。誰にも止められなかったらあかりんがいつまで話すかも見たかったかも」


「僕は無限に付き合う覚悟だ。真実まみにそれができるのかな?」


「あずみんトークならアタシだって無限に聴けるわ。むしろ音弥の方が先にダウンするんじゃないかしら」


 同じあずみんファンとしてあかりんを見る真実まみと、運命の人として見る僕。

 ステージに立つのは同じ声優さんのはずなのに、通すフィルターが全然違う。


 いつか真実まみも、春町あかりを僕の運命の人として認めてもらいたい。いや、認めさせてみせる。


 今日の公開録音で少しでもあかりんの魅力があずみんファンに伝わってほしい。


 ただの先輩後輩ではなく、内田杏美あずみファンのオタクな面を出していけばきっと興味を持ってもらえる。

 ファンとして、未来の伴侶として、僕はこの公開録音を見守っていた。


「楽屋ではちゃんと今日の段取りについて確認してたのに、ステージに立つと暴走するから私ビックリしちゃった」


「きっとここには先輩のファンもたくさんいらしてるじゃないですか。同志がいると思ったら熱くなっちゃったんです」


「お・し・ご・と。ここはオフ会じゃなくてお仕事だからね?」


「わかってますよ。本人降臨のオフ会なんて夢のまた夢ですもん」


「どうも、私が本人です」


 ボケなのか本気で言ってるのかわらかない発言にしっかり乗って収集を付けるあずみん。そのトークスキルとアドリブ力の高さはさすがの一言に尽きる。


 あかりんもラジフラで初めての一人喋りをこなしているけど、今日はあずみんがいる影響かだいぶ自由な雰囲気が漂っている。

 何を言っても先輩がどうにかしかしてくれる。お姉ちゃんに甘える妹のようだ。


「ほらほら、あかりん。いつまでもオフ会気分になってないで進行して。進行」


「えー、武道館ライブのお話したい~」


「今度の内探でもするからそれを聴いて」


「本当ですか!? 絶対聴きます!」


 あかりんだけでなく、あずみんファンと思しき人達も『おおっ』と小さく歓声を上げた。あれだけ壮大なライブだったんだ。2週連続の生放送でも語り切れないと思う。しかも1週目に関しては物販の話だったし。


「あ、でも会場にいるみなさんにとっては次の内探でも、配信で聴く人達にとってはいつの内探になるんだろ」


「すみませーん。今の部分カットでお願いしまーす」


「編集の力って偉大ですね。ディレクターさんありがとうございます」


 客席の後方、僕が座る位置からは見えないけど、きっと奥に関係者席みたいなところがあるんだろう。


 そこに向かって深々と頭を下げる二人。ここで二人のステージ経験の差が現れた。

 右手で胸元をさりげなく抑えるあずみんに対し、あかりんはお行儀よく両手をピンと下に伸ばしている。


 結果、布が重力に従い若干垂れてしまった。

 僕の位置からでは中を伺うことはできないけれど、その奥にある未知の空間に視線が釘付けになる。


 もし最前列だったら中を見れていたかもしれない……あかりんの目の前に座るやつがあずみんファンで、その瞬間を見逃したことを願う。


 あかりんの秘密の場所は運命の相手である僕だけが見ていいんだ。


「……はい! 今の部分は無事にカットされるでしょうから、何事もなかったかのようにお便りの紹介をしましょう」


「あかりん、編集点を作るなんてさては普段の収録で苦労してるね?」


「してません! 今の技だって先輩が教えてくれたんじゃないですか」


「あはは。私は爆弾発言が多いからね。生放送は超緊張した。みんな、私が変なことを言っても絶対にSNSに書かないでね。エゴサで発見したらブロックするから」


「そういうことを言うと逆効果ですよ?」


「大丈夫大丈夫。さすがにアンチはイベントに来ないから」


 今のもわりと爆弾だと思うけど、その危なさがおもしろさを引き立てる。

 お金を払ってまでイベントに来るようなファンしかいないこの空間ではあずみんの爆弾はむしろお宝だ。


 仕切り直したり露骨な編集をお願いしたとは思えないくらい会場は盛り上がっていた。


「ひとまず座りましょうか。アフレコでも立ちっぱなしはないですし」


「せっかく席も用意してくれてるしね。こういうのってどこで買うんですか?」


「ちょっとマニアックですよね」


「あかりんは現役だからいいよ? 私なんて十年くらい前……」


「先輩! あかり達は声で何歳にもでもなれるんです」


「……うん。励ましの言葉をありがとう」


 あずみんが言った通り、僕や真実まみと同じ高校二年生であるあかりんはとてもサマになっている。できることなら制服姿で拝みたい光景だ。

 でも、私服通学が可能な高校に通っていると脳内補正すれば女子高生として生活する普段の春町あかりが目の前にいる。


「どう……かな?」


 椅子に座ったあずみんが客席に問い掛けると歓声が上がった。

 なんていうかコスプレ感はぬぐえない。ただ、それがむしろ良い。


 ニセモノだからこそ発せられる色気、僕はまだその年齢に達していないので詳しくは言わないけど、つまりそういうことだ。


「まさか学校の机と椅子が用意されるなんて思いませんでした」


「いつもは普通にスタジオの椅子なんでしょ?」


「はい。だからリハの時にこれがステージに置いてあって、なにが起きたのかなって」


「スタッフさんがこういうのを売ってるお店を知ってるってことだよね? あかりんは大丈夫なの?」


「今のところは……」


「そこで意味深なフェードアウトはやめて。みんなが心配するから!」


 笑っている人が多いけど僕の心はざわついていた。

 あかりんは新人で高校生で、周りは何年かの経験を積んだ大人だかりだ。


 もし僕があかりんの立場でそんな大人達に無理難題を求められたら断り切れるだろうか……。


 もちろん、僕はラジフラをおもしろく仕上げてくれるスタッフのみなさんを信じているし、この机と椅子だって公開録音を盛り上げるために用意してくれたもので、趣味のものではないと思う。


 それでも、あかりんの身に魔の手が伸びるところを想像すると嫌な汗が垂れた。


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