第27話 6月6日(日)本番

 会場内ではあずみんの曲がループしていてそれに合わせてペンライトを振る人が徐々に増えている。

 関係者席に座る僕らは大人しくそれを見守っていた。


「もうすぐだね」


「自分がステージに立つわけじゃないのに緊張してきた」


「ふふ。わかる」


 春原すのはらさんは通路側で僕はその右隣に座っている。幸いなことに僕の右には誰もいない。あずみんのライブに空席があるのはちょっと残念だと思いつつ、知らない関係者の隣では別の緊張でライブどころではなくなってしまう。


 ステージから遠いけど正面という位置もありがたい要素の一つだった。


 

「「「おお!?」」」


 BGMのボリュームが絞られると会場が一気に湧いた。

 チラリと時計を確認すると開演の5分前。でも雰囲気が変わったのは間違いない。

 これから何かが起こるという期待感に胸が高鳴る。


―本日は内田うちだ杏美あずみ武道館ライブにお越しいただきありがとうございます。


「「「うおおおおお!!!」」」


「ねえ、これってあずみんだよね?」


「うん。ライブ直前のあずみんの声!」


 会場のあちこちから怒号のような歓声が沸き上がり、それに感化されるように僕らのテンションも盛り上がっていく。


―公演中の撮影、録音は禁止です。なんだかんだ言って半年後くらいにはブルーレイが出るのでそれを買ってください。ぶっちゃけそれで回収してるみたいなところがあるのでよろしくお願いします。


「「「ははははは」」」


 業界の生々しい部分を開演直前にあっけらかんと話すあずみんに笑いが起こる。

 自然と謎の緊張も解けて体が軽くなっていた。


―それでは開演までもうしばらくお待ちください。あっ! 業界の裏事情を聞いて萎えて帰るのはナシだからね!


 パチパチパチパチパチパチ


「はは。まるで内探を聴いてるみたいだ」


「うん。すごいなあ。こんな大きな会場で一人でライブするのにいつも通りのトークができて」


「僕らには縁のないシチュエーションだけどね。あ、でも春原すのはらさんの声なら本当に声優に」


「「「おおっ!?」」」


 会場の照明や非常灯も消えて一気に暗闇に包まれる。武道館の中という非日常空間がさらに現実離れした場所へと変わった。

 内田うちだ杏美あずみ初の武道館ライブがついに始まる。その期待に満ちた視線がステージに注がれているのがわかる。


 カン、カン、ドュルルルルルルルドン!


 ドラムの音と共にステージに掛かっていた幕が下りるとイメージカラーであるオレンジ色のまるでウエディングドレスのようなフリフリの衣装をまとったあずみんが立っていた。


 通路を挟んで春原すのはらさんの左隣に座る人は勢いよく立ち上がる。反対に僕の右側、関係者エリアは座ったまま見守る人が多い。


 なんとなくここでは立ってはいけないような気がして大人しくしていると、春原すのはらさんが恐る恐る立ち上がった。


 控えな友達の大胆な行動に驚いていると目が合う。

 大きな音で声は届かない。視線でコミュニケーションを取って僕は頷き、春原すのはらさんと同じように立ち上がった。


 あずみんの衣装は清楚で、それでいて太陽のような活発さも伝わってくる。内田うちだ杏美あずみという声優の人柄がこの衣装にギュッと詰まっているようだ。


 動きの一つ一つがダイナミックで美して瞬きをするのも躊躇われる。

 ステージで輝くあずみんをずっと見ていたい。


 春町はるまちあかりがイチオシでガチ恋している僕ですらそんな気持ちになってしまった。ずっと応援している幼馴染や隣の席に座る友達はどんな表情をしているんだろう。


 チラリと横を見れば確認できるのに、あずみんの魅力がそれを許さない。


 周りにはたくさんのあずみんファンがいるのに、まるで一対一で会話しているような、そんな錯覚すらしてしまうくらいに夢中になってパフォーマンスに見入ってしまった。


「すごい……」


 感嘆の声が春原すのはらさんから漏れる。僕も無意識のうちに同じような言葉をつぶやいているかもしれない。


 アップテンポの3曲を歌い終えるとステージが暗転してあずみんの姿が見えなくなった。


 30秒ほうどの静寂。一度席に座る人もいれば立ったままステージを見守る人もいる。僕らは関係者席ということもありなんとなく自然と席に着いた。


「みんなー! 今日は来てくれてありがとう!」


「「「うおおおおお!!!」」」


 再び会場が照らされるとキラキラと輝くあずみんが現れた。一度座った人も勢いよく立ち上がる。


「さすがに今は立てないよね?」


「うん。さっきは勢いで立っちゃったけど」


「また歌が始まるまでは座ってようか?」


 考えは一致していたようで春原すのはらさんはこくりと頷いた。


「武道館広いね。大きいね! 私一人でこのステージに立っているのが今この瞬間も夢みたいです」


 1万人近い人間に囲まれて一人で歌う。あまりに自分の人生とかけ離れたシチュエーションで想像すらできない。たぶん夢に見ることもない。


 でも、あかりんが武道館に立つ姿は夢に見ることができる。

 勝手に夢を託すのはどうかと思うけどそのポテンシャルをあかりんは持っている。


「今日はステージから遠い席のみんなにも会いに行くから心の準備しておいてね。どの席でも来て良かったと思ってもらえるのが目標だからよろしく!」


 そう言ってあずみんは再び暗転したステージの向こうへと消えていった。


「この辺りにもあずみんが来てくれるのかな?」


「どうしよう。緊張してきた」


 もし関係者席の近くにあずみんが登場したら最前列よりも近い距離で対面することになる。もはやお渡し会とかのレベルだ。


 さすがに防犯の関係でそれはないと頭ではわかっていても、あずみんの言葉に期待を持ってしまうのも事実。


 あとでがっかりしない程度にワクワクしていたその時、辺りがザワついた。


 爆音で次の曲のイントロが流れると、僕らが入ってきた扉からあずみんが現れた。

 髪型を似せたそっくりさんではない。


 オレンジ色のドレスは初お披露目だから誰もマネはできないし、何より放っているオーラが違う。


 今目の前にいる女性は間違いなく内田うちだ杏美あずみ本人だ。


 座ってトークを聞いていた僕と春原すのはらさんは自然と立ち上がり、ただ茫然とあずみんの姿に見惚れている。


「やっほー! まずは1階の奥に来たよー!」


「「「おおおおおお!!!!」」」


 歓喜の叫びで会場が揺れる。落ち着いて座って鑑賞していた関係者のみなさんも体をよじらせて後方に注目している。


 普段仕事で会っているであろう関係者ですら魅了するのがあずみんのすごいところだと思う。


 もはや一般客と関係者の垣根を超えて1階の後方は内田うちだ杏美あずみの虜になっていた。


「こんな近くに……!」


 ペンライトを振るのも忘れて春原すのはらさんは祈るようにあずみんを見つめていた。

 マイクを通した声だけでなく生の声も聞こえる距離。


 さっきまでは感じなった柑橘系の良い匂いも漂ってくる。

 もしかして真実まみよりも先にあずみんの匂いを嗅いじゃった?

 自慢したいけど自慢したらあとで面倒だから思い出の中にしまっておこう。


「ライブはまだまだこれから。楽しんでいってねー!」


「「「わああああ!!!!あずみいいいいん!!!!」」」


 みんなに手を振り、スタッフさんにガードされながら元来た扉へと戻っていくあずみん。

 ものすごい至近距離にも関わらず変な気を起こす輩はいない。


 とにかく笑顔に溢れた空間になっていて、あずみんが声優人生で積み上げてきたもののをすごさを実感した。


「みんなありがとー!」


 あずみんもこの辺りが関係者席だとわかっているのかなかなかこちらを向いてくれない。

 一般席の方に手を振り続けていよいと扉をくぐるその時、一瞬だけ目があった。


「あ……あずみんのウインクッ!?」


「だよね。僕らにしてくれた?」


「絶対そうだよ。えへへ」


 匂い以上に真実まみに嫉妬されそうな思い出ができてしまった。

 僕の口からは絶対に言わない。

 でも春原すのはらさんはどうだろう。ついポロっと、自慢するつもりはなくても思い出を語ってしまうかもしれない。


 口止めするのもなんか違うし、真実まみに嫉妬されようとも内田うちだ杏美あずみのウインクの価値はそれ以上のものだ。


 一つだけ問題があるとすればあかりんに顔向けできないことかな。

 他の声優さんに浮気しているみたいでちょっと胸が痛む。


 僕のイチオシはあかりんであって、あずみんが春原すのはらさんにサービスしてくれたおこぼれを拾っただけなんだ。


 心の中で釈明をしながら僕は最後までライブを楽しんだ。


 いつかこのステージに春町はるまちあかりが立って、同じように僕が応援する姿を夢見ながら。

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