第26話 6月6日(日)入場

 元々は17時に武道館で合流するはずだった真実まみ達とコラボカフェで遭遇したため、それから行動を共にすることになった。

今にも雨が降りそうなどんよりとした雲が空を覆っていたのに開演時間が近付くに連れて少しずつ晴れていく。


「さすがあずみんね。天気も味方しているわ」


「降水確率80%だったぞ。晴れ女って本当にいるんだな」


「SSRの幼馴染と同じようにね」


「自分でSSR言うな」


 あ~んしてコーヒーゼリーを食べさせるという羞恥プレイをしたにも関わらず


 ダブルデートなんて色気のあるものではなくアニメやラジオの感想など教室で話すことと特別内容は変わらない。

 それなのにライブ前という初めての空気感が僕らの感情を高ぶらせた。


「それにしてもすごい人。ここで待ち合わせは難しかったかも」


「たしかに朝よりも増えてるわね。物販の時ですら岸田きしだくんとはぐれかけたし」


天海あまみさんは一人で走っていくからなあ。あれは米倉よねくらじゃないとコントロールできないって痛感したよ」


「僕はその役目を岸田きしだに譲ろうと思う。これからよろしくな」


「いやいや、どうぞどうぞ」


「僕は手を挙げてないぞ?」


 開場時間が迫っている武道館周辺はライブTシャツを着たたくさんのファンで溢れていた。中には僕や春原すのはらさんみたいにイメージカラーであるオレンジの服を着ていたり、特攻服みたいに内田杏美推しと刺繍の入った法被を着ている人もいる。


 とにかく自由な空間で、街中なら浮いて仕方のない恰好もここなら許さる不思議な雰囲気だ。


「これだけ人が多いと入場にも時間が掛かりそうね。ちょっと早いけど入り口に行きましょうか?」


「まあさすがに入場が終わってないのに始まることはないと思うけど」


「そうだとしたら尚更遅れるなんてできないわ! アタシのせいであずみんを待たせるなんてあり得ない」


 普段は平気で僕を待たせるくせにこういう時だけは時間に余裕を持って動こうとする。つまり僕があずみんになれれば真実まみに待たされずに済むわけか。そんなことは不可能だけども。


「わたし達はこっちなんだ。ライブ楽しもうね」


 真実まみ達の2階席は階段を登った先にある入場口から入るらしい。岸田きしだも隣の席のチケットを持っていて特に何も言わないからたぶん間違いないはずだ。


「うん! あぁ、早く生あずみんに会いたい」


岸田きしだ真実まみのお守よろしくな」


「んふふ。やっぱり幼馴染が心配なんだな」


「僕は岸田きしだの苦労を心配してるんだ」


 真実まみが何かやらかして岸田きしだに迷惑が掛かったらちょっと申し訳ない。幼馴染として教育してこなかった僕の怠慢になってしまう。


 二人が付き合いだしたらその役目は岸田きしだに一任されることになるから頑張れと心の中で応援した。


 階段を登っていく真実まみ岸田きしだを見送ると数時間ぶりに春原すのはらさんと二人きりになる。今日で少し仲良くはなったと思うけどやっぱりまだ真実まみ以外の女子に対しては緊張してしまう。


「わたし達はあっちだよ。関係者入り口」


「うん」


 4人でいる時はペラペラとオタク特有の早口で語れたのに急に口数が減る。それを自覚するくらい何を話していいのかわからない。


 関係者入り口からのライブ参加の緊張も相まって体はギチギチに固くなっていた。


「あのね。言い忘れてた……ううん。あえて言わなかったんだけど」


「うん」


米倉よねくらくん、わたしと米倉よねくらくんは仲の良い姉弟きょうだいということになっているので」


「きょ、兄妹きょうだい!?」


 双子なら同い年でも兄妹きょうだいということはありえる。趣味は同じでも顔は全然似ていない。だけど幼馴染が手のかかる妹みたいなものなのでお兄ちゃんぶるのは得意だ。


「うん。わたしがお姉ちゃんで米倉よねくらくんが弟」


姉弟きょうだいなんだ」


「だからね。あの……あくまでフリだから」


 春原すのはらさんが僕の右腕に絡みつく。

 真実まみからも同じようなことをされた経験はあるし、本人には言えないけど胸のサイズはさほど変わらない。


 それなのに幼馴染とは違う柔らかさやぬくもりが伝わってきて心拍数が一気に上がる。


「す、春原すのはらさん!?」


「仲の良い姉弟きょうだいならこれくらい普通だから……」


「仮に普通だとしてもここまでしなくていいんじゃないかな!?」


「いいから。お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」


 耳元でささやくように春町あかりそっくりのお姉ちゃんボイスを聞かされたら心と体は完全に支配されてしまう。


 あかりんも同じ高校2年生だから姉弟きょうだい設定は完全にそういうプレイになるけども、声優さんならではという感じで可能ならお願いしたい。


「受け付けわたしがするから弟くんは大人しくしてるんだよ?」


「完全に弟扱いなんだね」


 右腕をギュッと抱きしめられて身動きが取れない。二次元の甘々な姉と三次元の有無を言わさぬ姉のハイブリッドみたいだ。

 どうせ姉弟きょうだいのフリなら二次元的な姉に寄ってくれていいのに……やっぱり姉は二次元に限る。


「すみません。春原すのはらなんですが」


 僕の腕を掴んだまま、春原すのはらさんは僕の分のチケットも一緒に受付のお姉さんに差し出した。

 たぶん関係者席だから招待された本人でないと入れないんだと思う。席の場所は予め教えてもらっていたし、春原すのはらさんだから安心して任せられる。


「ああ、はい。春原すのはら様。二名様ですね。そちらの方は」


「お……弟です」


「へえ、弟さんがいらしたんですね」


「仕事に家庭のことは持ち込まない的な……だと思います」


「そうでしたか。お席は扉からすぐのところになります」


「はい。ありがとうございます」


 お姉さんとのやりとりを弟である僕は黙って聞いていた。どうやら春原すのはらさんのお父さんは仕事にストイックな人らしい。

 一人で黙々と本を読む春原すのはらさんはお父さんのストイックさが遺伝したのかも。


「ふぅ、無事に入場できてよかった」


「あのお姉さんは春原すのはら家の弟の存在を知らなかったみたいだし、普通に友達じゃダメだったの?」


「念のためだよ? それとも、か……彼氏の方がよかった?」


「余計深い関係になってる!?」


 僕が言いたかったのは弟設定で入場して、後日それがお父さんの耳に入った時に春原すのはらさんはどう弁明するのかって話なんだけど。

 

 ライブに誘ってくれたのも弟設定を提案したのも春原すのはらさんだからその辺はどうにかする自信があるんだと信じるしかない。


 同じことを真実まみがやったら不安でいっぱいだけど、きっと春原すのはらさんだから大丈夫と信頼できるのは彼女の強みだ。


「それでさ、もうこうしてなくてもいいんじゃないかな」


「ダメだよ。わたしは弟が迷子にならないか心配で仕方がないお姉ちゃんなんだから。それとも」


 春原すのはらさんがスゥッと一呼吸すると、体が反射的に身構えてしまう。

 彼女が息を整えると次の瞬間には春町あかりボイスが飛んでくる。


 もちろんただのそっくりボイスであって本人ではない。

 でも、あまりのクオリティの高さに僕のガチ恋魂は反応してしまう。ガチ恋なら本物だけに反応しろって話だけど、それくらい似ているんだから仕方ない。


「お姉ちゃんのことキライ?」


 耳から全身に広がっていく過程で春原すのはらさんの吐息があかりんに変換される。あかりんの吐息なんて夢のまた夢のはずなのに、なぜか本物だと錯覚してしまう。


 もはや僕は声を出すこともできずフルフルと首を横に振った。


 僕があかりんを嫌いになるなんてありえない。

 でも、今僕の隣にいるのはあかりんではなく春原すのはらさんだ。


 ちょっとした浮気みたいな気持ちになりつつも、僕はこの幻影とも言える春町あかりを思う存分堪能した。


「ん? あの激しく動く光の辺りって……」


 扉をくぐり自分達の座席を探していると2階席で未確認飛行物体のごとく動く光を発見した。

 ステージに近いあの辺りは我が幼馴染が座っているはずだ。


真実まみちゃん……かな?」


「まだ開演まで時間があるのに元気だな。っていうかスタッフさんにつまみ出されないかな」


「それは大丈夫だと思う。他にも同じような動きの人がいるし」


 全体を見渡してみればたしかに激しく動く光が散見される。もはやその動きは一種のパフォーマンスと呼べるくらい洗練された動きに思わず見惚れてしまう。


「すごいんだね声優さんのライブって」


「うん。わたし達は関係者席だからさすがにあそこまで激しい動きはできないけど」


「これって」


「ペンライトだよ。内緒にしてたけどチケットを一緒にもらってたんだ」


「はは。準備がいいね」


 手渡されたペンライトの電源を入れるとまばゆいくらいのオレンジ色が放たれた。

 その光を見るとさらにテンションが上がる。


「ライブ楽しもうね」


「うん!」


 あずみんのライブを楽しみに待つ僕らの関係は偽りの姉弟きょうだいからすっかり友達に戻っているように思えた。


 ちょっとドキッとさせられる場面はあったけど、やっぱり僕はあかりんが好きだしこれは浮気ではない。

 友達同士でのちょっとした悪ふざけ。じゃれ合いみたいなものなんだ。

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