初夏色ブルーノート

無月弟(無月蒼)

第1話

 数メートル先の景色も見えない、濃い霧の中。あたしは木造の駅舎を背に、ホームで列車が来るのを待っていた。


 手にした杖で、すっかり腰の曲がった身体を支えながら、ひたすら待つ。

 出発時刻はとっくに過ぎているのに、列車はまだ来ない。まあ、別に待つのは嫌いじゃないけどね。


 若い頃のあたしはせっかちで、5分遅れただけでイライラしていたもんだけど、歳をとるにつれてすっかりのんびり屋になっちまったよ。


 辺りを見回すと、ホームにはたくさんの人がいて。あたしとどっこいどっこいのじいさんばあさんが多いね。

 みんなそう急ぐこともない、のんびりいこうじゃないか。


 そうして待っていると、スピーカーからアナウンスが聞こえてくる。


『お急ぎのところ申し訳ございません。ただいま列車の到着が遅れています。どうか今しばらくお待ちください』


 とたんに、ホームにいた人達がざわめき出す。

 あたしは少し遅れるくらい構わないけど、このままここでじっと待っているのも暇だねえ。


 近くにいた駅員さんをつかまえて、尋ねてみる。


「あとどれくらいかかるんだい?」

「おそらく一、二時間くらいかと。少し前に大きな事故が起きまして、その関係でちょっと」

「それはお気の毒様。ところでさ、どこかこの辺で、時間を潰せる所はないかい? 待つのは良いけど、やることがなくてねえ」

「それでしたら駅を出たすぐ横に、カフェがあります。切符を見せれば、またここに戻ってこれますから、ご安心を」


 カフェなんてあるのかい?

 ココに来たのは初めてだけど、何だか想像していた場所とはだいぶ違うみたいだねえ。


「今日みたいに列車が遅れることが度々あるので、その間ゆっくり待ってもらうために作られたんですよ。コーヒーを飲みながら落ち着いて、生前の思い出を振り返ることができるって、好評なんです」


 生前の思い出を振り返る。何だか不思議な言い回しだねえ。

 まあ、その通りなんだけどね。あたしたちはみんなもう、亡くなっているんだから。


 ここはあの世へと続く、三途の川の畔にある駅。

 てっきり船で渡るものだと思っていたのに、川には橋がかかっていて。その上を列車が通っているって聞いた時は驚いたよ。

 その列車に乗って、あの世に行くんだってさ。


 けどよくよく考えてみたら一日に何人もの人が亡くなっているんだ。小さな船じゃあ運びきれないから、列車で連れて行くってのも納得だよ。

 生きてた時はそんなこと考えもしなかったけど、死んでから分かることってあるもんだねえ。


 あたしの名前は岩瀬明子。享年92歳。

 昭和に産まれて、平成を駆け抜けて、令和が終わろうという頃に、家族に見守られながら息を引き取って。今はあの世に向かっている最中。


 だけど列車が到着するまで、しばらく立ち往生。

 どれ、せっかく紹介してもらったんだし、そのカフェにでも行ってみるかね。




 駅員さんの言っていた通り、駅舎を出たすぐ隣に、そのカフェはあった。

 ベージュ色の壁に木の色をした窓が可愛く並んでいて、オシャレな外観をしている。店の作りだけを見たらオープン席を作っても良さそうだけど、この辺りは霧が濃いから、外でお茶をするのには向いていない。席は店内にしか無いみたいだねえ。


 ドアを開けて中に入ると、そこには広い空間が広がっていて。一定の間隔を空けて真っ白い丸形のテーブルが並んでいた。

 あたしと同じで、列車が来るまでここで時間を潰そうと考えた人が多かったんだろうねえ。席は8割くらいが埋まっていて、あたしはやって来た男性店員に案内されて、店の真ん中辺りにある席に腰を下ろした。


「注文は……そうだねえ、コーヒーをもらえるかい」

「かしこまりました。しばらくお待ちください」


 オーダーを取った店員さんは席を離れて。コーヒーが届くまで、のんびり待つとしよう。


 店の中には、ピアノで奏でられたクラシックのBGMが流れている。タイトルは知らないけど、聴いたことのある有名な曲だ。

 あたしはその曲を聴きながら、最期を看取ってくれた娘や孫、ひ孫たちの事を思い出す。


 みんな本当にいい子達で、あたしにはもったいないくらいの素敵な家族だった。

 体が言うことをきかなくなっていったあたしの事を、最後まで支えてくれて。あの子達、あたしが死んで悲しんでいなければいいけど。

 いや、きっと大丈夫。だって自慢の家族なんだから。


 ほどなくしてさっきの店員さんがコーヒーを運んできてくれて。あたしはそれに口をつけながら、まったりとした時間を過ごす。

 そうしていると、店内を流れていたピアノの音が止まって、別の曲が流れ始める。


 新たに響いてきたのは、ギターの音。ゆったりとしたどこか悲しげな雰囲気の漂うこれは――ああそうだ、ブルーノートだ。


 憂鬱を意味する『ブルー』の名の通り、決して明るい感じの曲ではないけれど、不思議と人を惹き付けるものがある。

 そういえば、これはブルーノートって言うんですよって教えてくれたのは、智昭さんだったねえ。


 遠い昔に見た懐かしい顔が、頭の中に浮かぶ。

 音楽が好きでたくさんの曲を聴いては、いつか僕もこんな素敵な曲を作れるようになりたいって言っていた智昭さん。


 弾けるようになりたいではなく、作れるようになりたい。プロの作曲家になることを夢見ていたあの人。

 ギターや譜面と格闘している姿は、いったい何回見たかわからない。


 結局その夢は叶うことはなかったけど、あたしは好きだったよ、智昭さんの作る曲。

 そういえば今流れているこの曲も、あの人の曲にそっくり……んんっ!?


 よくよく耳を傾けてみると、そっくりなんてもんじゃない。まさにあの人の曲だ。

 よーく聴くと細部に違う箇所もあるけど、間違いないよ。けど、どうして智昭さんの曲が、この世でもあの世でもないこんな所で流れているんだろうねえ? 

 そもそもこの曲は、未完成だったはずなのに。


 あたしはコーヒーを飲むのも忘れて、昔の記憶を呼び戻す。

 かつての恋人、智昭さんと過ごした、遠い日のことを……。

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