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 彼女が居なくなった世界は、僕にとってはなんの面白みもなくて、無味無臭。朝起きて、朝ご飯を食べる。学校に行って、授業を流し聞きして、昼御飯を食べて、授業を流し聞きして、家に帰って、晩御飯を食べて、お風呂に入って、寝る。惰性で最低限の生命維持のための生活、最低限の社会活動を繰り返すだけ。ただ、死んでいないだけの存在。


 そんな人間に話をする内容なんてあるはずがない。だから僕は生前と同じように、彼女に心配をかけないための嘘をつく。彼女は僕より口数多く、大袈裟じゃないかと思うような相槌を打ってくれる。


 嘘をついている事がバレているのかは分からない。


「こんばんは」


 不意に声を掛けられて、ミイは「こんばんは」と咄嗟に返答していた。僕は驚いて、返答のタイミングを逃していた。


 声の主はこんな夜中だというのに、犬の散歩をしているらしいおばさんだった。手に持ったリードの先には、種類は詳しくないので分からないが、茶色の日本犬が繋がれている。犬は高齢なのか体毛は潤いなく乱れている。動きも緩慢で、ミイが「よーしよしよし」と首の下をワシワシと撫でていても、唸りも威嚇もせずに、ただ目を細めている。


 おばさんの服装は長袖ではあるものの、薄手の物で、こんな寒い夜には似つかわしくない物だ。


 特に会話に発展するでもなく、すれ違うおばさんの後ろ姿を僕は見ていた。


 昨日もこのおばさんは同じ服装で、同じ場所で、同じ様に挨拶をした気がしてくる。


 もしかしたら、この人もミイと同じで繰り返してるのかもしれない。


 遠くで聞こえる意味もなく大きな音を立てている原付バイクのエンジン音も。こんな時間に何がそんなに腹立たしかったのか、どこかの家から聞こえる怒鳴り声も。誰とどんな話をしているのか、向こう岸で泣きながらスマートフォンで電話をかけている女性も。もしかしたら、ミイと同じで繰り返している人達なのかもしれない。


 ――僕も。僕も?


 自嘲気味な気分になり、僕は自分自身のことを鼻で笑った。


「キレイだねえ。何て花なのかな?」


 ミイは河川敷に等間隔に植えられた木に咲いた花を見上げていた。


「さあ。僕は花には詳しくないから」


「んー。絶対聞いたことはあるんだけどなあ」


 言いながら彼女は腕を組んで考えているような、難しい顔をしている。

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