第12話 天文台への約束
さらに三日後、またしても前触れもなくヘンリックがイトワール伯爵家を訪れた。
「天文台に行く日取りが決まった」
「はあ……わざわざそれを口頭で伝えにいらっしゃったのですか?」
ステラは応接室にヘンリックを迎え入れながら、首をかしげた。
「その程度なら手紙で済ましてくださってよろしいのに……王太子殿下はお忙しいでしょう?」
「……オルティス公爵令孫がこちらに来たと聞いた」
「ああ、ソル様」
ステラはうなずく。ユッタに報告は任せた。あえて何も付け加えることはない。
「…………」
ヘンリックは不機嫌そうにステラの顔を見た。
「何か?」
「……いや、お前が何もないと思っているのならそれでいい……プレゼントは何だった?」
「緑色の宝石のついた耳飾りでしたが……まあ、さすがに田舎娘とはいえ、婚約者以外からもらったアクセサリーをつけるほど無粋ではありません。あとあと実家に送って、いざというときの資産にでもしてもらいます」
「ああ……」
ヘンリックは紅茶の表面を眺めた。さすがに昼間からワインをあおるほどの酒道楽ではないらしい。
「……俺が婚約者に何かを贈るには国庫も動くし、儀式的な意味合いが生まれるので簡単には渡せない」
ボソリとそう言った。
「ああ、はい。別に構いませんが……?」
ステラはきょとんとした後に思い至る。
「あら、でも、それでしたら以前にお借りしたお金は……」
「ああ、あの金は軍人として勤めたときに形式的に支払われた分から出しているから、気にするな……結局出所は税金だがな」
「なるほど」
ステラはうなずいた。
どうやら贈り物を先越されたことを気にしているようだ。
体面の問題もあるだろう。
「……ソル様と殿下は、その、仲がよろしいのですか……?」
「知り合い、だな。血縁上はハトコだが……。あいつはいまいち何を考えているのかわからなくてあまり好きではない」
「そ、そうですか……」
きっぱりと言い切ったヘンリックに少し不穏なものを感じて、ステラは小さく身をすくめる。
「お前も……同郷だからといってそう気を許すな」
「はあ……」
「そもそもあいつはいくら妹のためとはいえ、王太子を利用しろと言い出す男だぞ?」
「ああ、そうでしたね……」
元々ルナがヘンリックに頼ったのはソルの入れ知恵だったか。
結果的になんだか丸く収まっている感じもするが、利用されたとなってはヘンリックの気分は良くないのだろう。
思えばステラがこうなった元凶とも言えるし、恩人とも言えるわけである。
「……あれはくせ者だ。……あいつの話は、まあこの辺でいいだろう」
ヘンリックは明らかに面倒そうに話を切り上げた。
ステラもヘンリックが話すことがないのなら、ことさら話題に挙げることもない。おとなしくうなずいた。
「ところで天文台に行く日取りだが、ちょうど二週間後と決まった」
「そうですか。私のワガママのためにご尽力ありがとうございます。晴れると嬉しいです」
ステラはそう言って頭を下げた。
「いや、別に大したことはしていない。そうだな、晴れると良いな……天気は星見ではどうにかならんのか」
「さすがに明日の天気くらいしか、わかりません」
「そういうものか」
ヘンリックが紅茶を飲み干す。ユッタがお代わりを注ぐ。
「当日のスケジュールだ」
「はい」
ヘンリックから差し出された紙に目を通す。ずいぶんと行が多い。
「……朝から予定が入っていますが?」
紙をざっと眺めて、ステラは思わずそう指摘した。
「王都を案内する」
「…………」
ヘンリックの断定口調には、申し出の拒絶を許す要素が一切なかった。
思えば、この男はずっとそうである。
こうと決めたら、ステラに反論の時間どころか、意思の表現する隙すら与えない。
「……ありがとうございます」
断れるわけもなく、断る理由もなく、かと言って喜べもせず、ステラは複雑な気持ちで礼を述べた。
「うん」
なんだか満足そうにヘンリックはうなずいた。噛み合わない。
「ああ、そうだ、あとアンネが君に会いたがっている」
「あの……それを真っ先に言ってください……」
どれだけこちらが気を揉んでいたと思っているのだ。
「礼と謝罪をしたいそうだ」
「そうですか。それでしたら、私からも謝罪を……」
「するな」
ヘンリックはきっぱりとそう言った。
「あのことを謝られても、アンネが惨めになるだけだろう。礼だけでいい。ついでに俺の分も言っておいてくれ。アダムにアンネに会うのを拒否されているんだ。アイツはキレるとわりと長引くからな」
「……わかりました。……殿下は、その、ずいぶんと……アンネ様を気遣っているのですね」
意外だった。
自分の受けた雑な扱いと比して考えるとずいぶんと様子が違う。
「…………?」
ヘンリックはなんだかきょとんとした顔になる。
「そうか?」
「…………」
(自覚がない……!?)
ステラは戸惑い、続ける言葉に迷う。
(アンネ様が特別なのか、私がことさら雑に扱われているのか……どっちかしら……いや、そもそも……)
これまでのことを思い出す。
そもそもステラを婚約者と言い出したのは、ルナとの婚約を回避するため。そしてそれはルナの希望だった。
更には星見伯家に来たときは、弟にお茶菓子を分け与えていた。
(……この方、もしかして私以外には優しいのでは……?)
ステラは途端にどんよりとした気持ちに襲われる。
それと同時にふつふつと怒りが湧き上がる。
(……偽りとは言え婚約者なんだから、もう少し気を遣ってくださっても……)
いや、偽りだからこそ、利害の一致で繋がっているからこそ、粗雑に扱えるのかもしれない。
(……だとしたら、私ももう少し雑に……というのはなんだけれども、気を遣わなくてもいいのかもしれない)
うつむいて黙り込んでしまったステラの表情をヘンリックはじっと見る。
目を見開いて何かに驚いたかと思えば、一気に落ち込んだ顔になり、そこにさっと怒りが湧き上がった。そして今はよくわからないが思案にくれた顔をしている。
「…………腹でも痛いのか」
「な、何故……?」
ヘンリックの言葉にステラは困惑しながら、顔を上げた。
「……いや、痛くないのなら構わないが」
「そうですか……」
沈黙。お互いにこれ以上続ける言葉をなくして、沈黙が場を支配する。
「……ええと、アンネ嬢との日程は、こちらで勝手に決めてよろしいでしょうか?」
「ああ。万事、任せる。自分たちに好意的な令嬢一人どうにもできんようでは、王太子妃など務まらん」
「……わたくしを試していらっしゃる?」
「試すというほどのことでもない。この程度、難なくこなして見せろ」
「……はい」
あまり自信はなかったが、アンネとの関係修復をしたいのはやまやまである。
ステラはうなずいた。
「ところで、天文台と日程表に書いた場所以外で行きたい場所はどこかないのか? どこへでも案内するぞ」
「……え、ええと……」
先程の日程の紙を取り出し、再読する。
王宮図書館、植物園、中央神殿、街の散策、そして適宜店での休憩が入っている。
「んん……」
思い付かない。
そもそも王都にどのような建物があるのかステラはよく知らない。
「……ええと、殿下は普段、余暇にはどのような場所でお過ごしで?」
「酒場などでワインを探し歩いている」
「なるほど」
ステラは酒は飲まない。それでは参考にならない。
「……でも、あの、殿下が望めばワインくらい、いくらでも集まってくるでしょう?」
「それではつまらない」
ヘンリックはフンと鼻を鳴らした。
「俺のワイン好きを知っている連中は、領地や近辺で造られたその年一番のワインばかりを贈ってくるが、そればかりではつまらない。ふと立ち寄った小さな店にある古びたラベルも読めないような安酒が、時にずいぶんと口に合うこともある」
「そうですか……でも、それお腹壊しませんか……?」
「たまに壊す」
「あ、壊すんですね……」
この国の王太子がそんなことでいいのだろうか。ステラはいささか心配になる。ヘンリックは一人っ子だ。倒れでもしたら、次期王位継承を巡って争いが起きかねない。
「……休憩に使う店のひとつは、そんな小さな店だ。ああ、腹を壊すようなものは出さないところを、さすがに選んでいる」
「そうですか」
「……もう少し、きらびやかな場所を選んだ方が良かったか?」
「……いえ」
ステラは首を横に振る。
「そのような場所には興味はありません……なんでしたら、私、昼間は寝ていたいくらい」
ステラはそう言って少し笑った。
「本当は星を……星を何時間でも見上げていたいのです。夏が近付いてまいりましたから、夜通し外にいても風邪を引かないでしょう?」
「……ふむ」
ヘンリックは空を見上げた。
もちろん屋敷の中からは天井しか見えない。
「……野営の経験はある。近くの高原にキャンプでも張るか」
「……え」
「ん? 野営が意外か?」
「い、いえ、軍で訓練されていたのですから、野営の経験があることには驚きませんが……殿下は、その、星になんて……興味がないのでは……」
「……お前一人を夜の外に置いておくわけにもいかないだろう」
「あ、ああ……。それは……どうも……」
「平和な星見伯領のつもりで言っていただろう。王都は兵も多いが、人も多く、ならずものもいる。気軽に夜の外などうろつくなよ?」
「ご安心ください。王都の空に、星は大して見えませんから」
ステラは苦笑した。
「……そうか、そういうものか」
ヘンリックは肩をすくめた。
結局、話は大して弾まず、ヘンリックは王宮へ帰っていった。
「ユッタ、アンネ様にお目にかかる日程を早めにまとめてもらえる? ……そうね、二週間後の天文台に行くより前にできればお話ししたいわ」
「かしこまりました」
「二週間後、殿下にいい報告ができるようにしなくてはね」
そう言ってステラはため息をついた。
自信はなかった。
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