シルビアの逃亡 (本編64話までのネタバレあり
中村 天人
1 失恋
「今日から、シルビアの護衛を外れることになった」
ふわふわと可愛らしくも儚い、カスミソウのようなシルビアが、恐ろしいものを見るように固まった。
シルビアに告げたのは、24歳の若さにしてエルディグタール国の騎士団長、そして世界最強の鬼神と呼ばれるアイザック。
シルビアの顔が、豊かに曲線を描く真珠色の髪の毛と同じくらい蒼白になった。
「それは……、もうあなたに会えないと言うことですか?」
か細く悲痛な声でつぶやくシルビア。
その顔を見ることができず、アイザックが背を向けながら言う。
「すぐに後継者がくるはずだから、これからはそいつを頼ってくれ」
坦々とそれだけ言うと、アイザックは無慈悲にも振り返ることなくシルビアの部屋を出た。
幼いころから一番近くで守ってくれた人の背中を、ただ見つめることしかできないシルビア。
こんなことになるのであれば、一度でいいから抱きしめてもらえば良かった。胸に秘めた想いを伝えておけばよかった。
後悔するには遅く、虚しく扉が閉められていく。
パタンと二人の関係が幕を閉じると、その場に崩れすすり泣くシルビアの声が、扉に寄りかかるアイザックの心に突き刺さった。
シルビアは、この国で最も魔力の高いガーネットと言う人種に属する。しかし、アイザックはそれよりも魔力の劣るシルバーと言う人種。
この国では、より魔力の高い子どもを残すため異人種同士の婚姻は重罪であり、ルールを犯すものには死が与えられる。
人類の頂点に立つガーネットは、どの人間よりも尊重される存在なのだ。
アイザックは、考えもなく護衛を外れたわけではない。
まだシルビア本人には知らされていないが、昨日両親の元へ舞い込んだ次期国王とシルビアの婚約話。国の重役を務めるアイザックの耳にその情報が届くまで、さほど時間はかからなかった。
16歳になり女性として美しく成長したシルビアの好意を薄々感じていたアイザック。
幼いころから国の厳しい教えを忠実に守り、実直すぎる青年に育った彼は、彼女の名に余計な傷をつけないよう自ら護衛の任を離れることにしたのだった。
しかし、シルビアにとって滅多に会うことのない両親よりも、いつも側で守ってくれるアイザックは唯一のよりどころ。侍女とも良い関係を築いてはいたが、気安く話すことも許されない下働きの彼らは、本音を言い合える相手ではなかった。
何にも代えがたいアイザックを失ったシルビアが、すぐに憔悴していくのはごく自然のことだった。
ほとんど何も口にできなくなり、みるみるうちに痩せ細っていく。
そんなシルビアを心配した侍女が、ある日「夕暮れが綺麗だから」と気分転換に散歩へ誘った。
侍女に言われるまま、オレンジ色に染まる城の周りを歩くシルビア。
ベンチに腰を掛けたところで、侍女が「すぐに戻ります」お茶を取りに戻ったが、その声もどこか遠くの世界の様に聞こえていた。
白黒の世界に一人残されたシルビアが、何の気なしに空を見上げる。虚な目に、ぷかぷかと自由に形を変えて通り過ぎていく、真珠のように白い雲が映る。
……私も、あの雲みたいに自由ならよかったのに。
異人種であるアイザックと恋に落ちれば、二人を待ち受けているものは死。そんなことは分かり切っている。
だからこそ、両想いになれずとも、せめて側にいて自分を見てくれているだけでよかった。それで満足していたし、幸せだった。
ささやかな願いも打ち砕かれたシルビアが、夢物語に思いをはせ、悲しみに打ちひしがれている時。
「どうしてそんなに悲しい顔をしているの?」
誰かがシルビアに話しかけてきた。
……と思って見渡すが、周りには誰もいない。
ボーっとしていたし、きっと空耳だったんだろう。
そう思ってシルビアは再び空を見上げた。
「僕が話を聞いてあげようか?」
再び声が聞こえた。
今度こそ空耳ではないと確信したシルビアが、もう一度キョロキョロ周りを見渡す。
すると、城を取り囲む城壁にウサギの影が見えた。
ぴょこぴょこ耳を動かしたり手を動かしたり、可愛らしいしぐさでシルビアの目を引く。
突然あらわれた奇妙な影絵に、思わずシルビアが話しかけた。
「……私に話しかけてくれたのですか?」
「そうだよ。なんだかとっても悲しそうな顔をしていたからね。きれいな顔が台無しだよ。僕にもっと笑って見せて」
片足で立ったりひっくり返ったりしながら話しかけてくるウサギに、シルビアの心が少しだけ和み、クスクスと笑いが漏れた。
「ほら、その方がとってもきれいだよ。何があったか知らないけど、元気を出して」
ウサギとの出会いで感じたささやかな驚きが、一瞬だけシルビアの悲しみを忘れさせる。そして久しぶりに自分の声を聞いたシルビアが、僅かに我を取り戻した。
「ありがとうございます、ウサギさん。おかげで気分が紛れました。良かったらあなたのお名前を伺っても……」
「シルビア様、お待たせしました」
風変わりなウサギと会話を楽しもうとしていると、タイミング悪く侍女が紅茶を持って戻ってきた。
「あ、ありがとうございます」
侍女にお礼を言ってからもう一度城壁を見るが、そこにウサギの影は無かった。
表情には出さないが、心の中でガッカリうなだれる。
……あれは、誰だったのかしら。
差し出された紅茶を一口飲むと、シルビアは数日ぶりに香りと風味を感じた。
アイザックと別れて訪れた無味無臭の世界に戻ってきた、豊かな味と匂い。
シルビアはカップの中身で揺れている、琥珀色の紅茶を見つめた。
その日から、シルビアの頭の中からウサギのことが離れなくなった。
謎めいているから余計に気になる。
誰の仕業か、真相を確かめたい。
シルビアは自分から侍女を誘い、再び同じ場所へ散歩に出かけた。
元気を取り戻しつつあるシルビアに、侍女は快くお供をする。
そして、あの日と同じように、侍女がお茶を入れに退席した。
「ウサギさん、また来てくれないでしょうか」
「やあ、また会ったね。少しは元気がでたかな?」
期待を込めて呟くと、待っていたかのようにウサギがあらわれた。
シルビアの心に、太陽のような温かい光が差し込む。
「おかげさまで! あなたのことが気になってちょっぴり元気が出たみたいです」
「それは良かった。僕の魔法が効いたのかな?」
「あなた、魔法使いだったのですか?」
さりげなくウサギに話しかけながら、そっと影の正体を探すシルビア。
影が城壁に伸びているということは、ここから沈みかけの太陽の方向に誰かがいるはず。シルビアは抜き足差し足で近寄った。
そうとも知らず、一生懸命に話しかけてくるウサギ。
シルビアはすぐに物陰に隠れている人物を見つけた。
「こんにちは、ウサギさん」
シルビアの目の前でしゃがんでいるのは、つぎはぎだらけのぼろをまとった男性だった。やや乱れた茶色い髪が、襟足で適当にくくられている。
一目見て、シルビアは彼が何者なのか理解した。
普通であれば、ガーネットに声をかけることすら許されない人間。
シルビアよりもアイザクよりももっと身分が低く、魔力を持たないライオットの下働きだ。
ボロボロのウサギの人形を持つ男が、ギョッとした顔でシルビアを見上げる。
「シ……シルビア様!」
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