2人でお出かけ
彼のレッスンを受けるようになってしばらくたって、前任の池内先生が選んだ教本が終わってしまった。
「君は趣味で弾いているのだから、自分の弾きたい曲を選んでくれたら、それが弾けるように教えるよ」
彼にそう言われたものの、パッとは思いつかず考えてしまう。
そして、思い切って言ってみた。
「もし先生の都合が合えば、お店で一緒に選んでほしいなぁ……なんて」
断られるかと思ったが、彼はあっさり了解し、次の休日に街の楽器店に行くこととなった。
その日は夏の暑い日だった。
私は袖のない黄色い花柄のワンピースに涼しげに透ける白いカーディガンを羽織って、待ち合わせの駅前に行った。
張り切っておしゃれしすぎたかとも思ったが、久しぶりに街に出るのだから、と誰にともなく言い訳をする。
彼はすでに駅前広場で待っていた。私は小走りで近寄る。
「ごめんなさい。待たせちゃった」
「いや、僕も今着いたところだから」
彼は白いTシャツに淡いブルーのシャツを羽織り紺の細身のパンツで、いつもよりもラフな感じの格好だった。
彼の家の最寄り駅はここだと言っていた。つまり、家が近いのだろう。
プライベートに近い感じがして、なんだか嬉しかった。
そんな私を見つつ、彼は何か言おうとして止めた。
「何ですか?」
「いや、いつもと違った格好をしてるから」
やっぱり張り切り過ぎたか。けど、人の格好に無頓着そうな彼が気にしてくれたのに気分が乗り、クルッとその場で一回りしてみる。
「似合います?」
私の様子に彼は恥しそうにしながらも、似合うと言ってくれた。
楽器屋に入り、私の希望を聞きつつ、難易度などを見て、彼が楽譜をいくつか選び、その中から話し合って練習する曲を決めた。そして、ついでにテクニックの教本も購入した。
楽譜はすんなりと決まって、すぐに用事が終わってしまった。せっかく街まで出てきたのにもう電車に乗って帰るのはつまらないなぁと思っていると、それを感じ取ったのか、お茶でもしようかと彼の方から誘ってくれた。
彼は店をあまり知らないと言うので、駅からは少し離れているが、私の知っている中で1番落ち着いた店に彼を連れて行く。
席について、彼はアイスコーヒーを私はケーキとアイスティーを注文する。
「先生はこの辺に住んでるのに、カフェとかには行かないんだ?」
「君みたいな若い子が行くような店にはあまり。家の前の昔ながらの喫茶店か、仕事で弾いてる店に行くぐらい」
そう言えば以前、飲食店で演奏したり、結婚式で弾いたりしていると話していた。
「どこのお店で弾いてるんですか? 行ってみたい!」
「演奏のある夜は酒が出る店だから、君みたいな女の子が来る店じゃないよ」
「え〜。先生の演奏聴きたいのに。先生レッスンの時、全然弾いてくれないし」
私は不満を口にする。
「そりゃあ、君のレッスンだから」
「たまには弾いてほしいな」
「たまにならね」
そんなことを話しながら時間はあっという間に過ぎていった。
店を出ると夕立か結構激しい雨が降っていた。閉め切られた店の中にいたので全然気づかなかった。
駅まで行くまでにビチャビチャになってしまいそうだ。
彼は少し考えてから言う。
「うちで雨宿りしていく? 駅に行くよりは近いし、なんなら車で送っていくよ」
私が頷くと、彼は羽織っていたシャツを脱いで私に被せた。
「じゃあ。行こうか」
彼に手を引かれて、私は雨の中を走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます