初夏色ブルーノート
万之葉 文郁
喫茶&Barブルーノート
長かった梅雨が明け、いよいよ夏の到来を感じる晴れた昼間。私は日差しの強くなった駅前広場を歩いていた。
だいぶ早く着いてしまったと、スマホで時間を確認する。家にいてもすることがないと、予定より早くに家を出て、電車に乗ってきたが、待ち合わせの時間までかなり余裕があった。
どこかお茶でも飲めるところを探そうと私は商店街の方へと足を向ける。
アーケードがある商店街は日差しを遮り、気温が低くなったように感じた。
なんとなく人で賑わう商業施設の方とは反対にしばらく歩くと、人が途端にまばらになる。漢方薬局やミセス向けの服屋など、この辺りの年輩者が来るような店が目立ちだした。
気まぐれにこちらに歩いてきてしまったけれど、この辺りにはカフェなんてなさそう。そう思い引き返そうとした時に、「喫茶」の文字が私の目を掠めた。
通りの隅に青い看板がひっそりと置かれている。その看板に、白地で「喫茶&Barブルーノート」と書いてあった。
建物の方を見やると、少し奧まった所にガラス製の扉が見えた。
思い切ってその通路に足を向けてみると、壁にステージの案内やミニコンサートなどの案内が雑然と貼ってあり、どこか時代に取り残された印象を受けた。
普段ならこういう店は選ばない。しかし、私は何かに導かれるようにその店の扉を開けた。
重いガラス扉の中に入ると、冷房の効いた冷たい空気が体を包みこんだ。私は店内を見渡す。落ち着いた雰囲気だ。思ったより広いフロアにテーブル席が並び、片隅にカウンターがある。そして、奥にはグランドピアノが置いてあった。客は一人もいない。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
カウンターの内側から、張りのある声が聞こえた。白髪交じりの初老の店主らしき人物が柔らかい表情でこちらを見ていた。
少し迷って壁際の二人席に座る。
店主がやってきて、水とおしぼりを私の前に置いた。私はテーブルに置いてあったプレートの一番上に書いてあるブレンドコーヒーを頼む。
店内には程よいボリュームでピアノの音が流れていた。
初めて聴く曲なのだが、その音色はどこか懐かしさを感じさせ、脳内に過去の映像がよぎる。いや、そんなはずはない。自分の中の疑いを心の底に押しやるように、私は周りを見渡した。
店内は年代は感じるが、きちんと手入れがなされているのが見て取れ、店主の細やかな人柄が表れているようだった。
ピアノの置いてある店の奥は段差がついており、小さなステージになっていた。店の外の貼り紙に生演奏の案内が書いてあったのを思い出す。
しばらくして店主がコーヒーを持って近づいてきた。
今流れている曲が誰の曲なのか聞こうかと口を開きかけたとき、曲が終わり、次の曲が流れ出した。その途端私は動きを止めた。
この聞き覚えのある曲は、まさか……先程頭の奥に押し込めた情景がどっとに流れてきた。今度は押し込めることができず、脳内に鮮やかに映し出される。
遠き日の恋の記憶。私はその渦に飲まれていった。
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