第十五話 リディのご主人さま
ポータルを使って、なんとか夕刻前にロメリア家屋敷に到着することが出来た。
メイドのリディのヴァンプレットは、聖剣の通信リストに登録していない。
すっきりツヤツヤ顔のミフィリアに、どうしたものかと相談した。
「さて、どうしたものか」
「やっぱり、別館に乗り込むしかないかも。メイドの寝室があるの」
「よし、行ってくる」
「ちょっと待ちなさい」
「なに?」
「あんたが行ってもし見つかったら、騒ぎじゃすまないでしょ! わたしが行ってくるから」
「でも潜入なんて出来るのか?」
「舐めないでよね。こんなの傭兵の基礎よ、基礎」
ミフィリアは肩をすくめると、その胸に似合わぬ身軽さで屋敷に入っていった。
衛生機士といえど、訓練を積んだ傭兵だった。
囲われた塀を、猫のように簡単に飛び越えていく。
屋敷付近でずっと待っているわけにもいかないので、少し離れた家屋の天井で座って待つことにした。
何かあればすぐに飛び込めるように、ヴァンプレスを装着しておく。
三十分ほどたった頃、ミフィリアから通信が入った。
『ジェラン、リズィと会えたわ』
「流石だな。見つからなかったか?」
『わたしのこと舐めないでよね。誰にも見つかってないわ』
「それなら一安心だ。リディを出せるか?」
『ええ。事情は簡単に話してあるから』
「ありがとう。リディ、聞こえるかな」
通信が映像付きになり、そこにリディが映った。
彼女は会釈をすると、顔を曇らせて口を開いた。
『まさか、こんなことになるなんて』
「俺が油断したせいだ。信頼してくれていたのに、なんと謝っていいのか分からない。でも、必ずお嬢様を救ってみせる」
『ミフィリアさまにも話しましたが、お嬢様のスケジュールは誰にも話していません』
「あ、ああ。やっぱりそうか」
『お屋敷には私から話します。もともとご一緒にお出かけする計画だったのですから』
「しかし、これは俺の失態だ。すべてを話さなければ」
『平民であるジェランさまが顔を出されては、ご家族の逆鱗に触れるのは必至です。ここはどうか、お任せください』
「そこまでいうなら、君に任せるよ」
『はい、お任せください』
互いの通信アドレスを交換して、通信はおわった。
ミフィリアと屋敷の外にあるポータルで出た後、近くの酒場に入った。
店はもうすぐ夕飯時で、繁忙前で空いていた。
隅のテーブルを選んで座ると、ジェランはおもむろにいった。
「リディは嘘をついていると思う」
「え? そんな素振りなかったわよ。いたって平静で、さすが側近メイドだって」
「そんなわけがあるか。大切な娘がさらわれた上に、魔獣王側に寝返ったんだぞ。家族でない俺ですら取り乱したのに、あんな冷静でいられるなんておかしいだろ」
「それもそうね」
「どこまで話した?」
「魔道具の事以外はね」
「そうか、良かった。きっと、すべて仕組まれていたんだ。初めから分かっていたから、きっと冷静だったんだと思う。だって、俺がそうだからな」
異世界転生して、ゲームの世界の出来事をほとんど把握しているからこそ、冷静に対処できる。
イレギュラーが起きても、大きく取り乱すこともない。
ジェランは、そんな自分とリディを重ねてみていた。
ミフィリアは頬杖を付いて、少しだけなっとくしてくれたようだ。
「ちょっと無理がある推理だけどね。で、仮にそうだったとして、彼女に魔道具が使えるの? おそらくアカデミーの中でも少数の天才でしか無理よ」
「アカデミーじゃなく、魔獣王側ならどうだ?」
「ちょっと、ジェラン。まさか彼女がやつらと通じているっていうの?」
「そう考えるのが自然なんだ。ちなみにこんな出来事は、ゲームにはなかった」
「ゲームって、この世界を正確に模倣しているっていう?」
「ああ。だから、推測でしかないけどね」
「もうそれだと、ほんとわたしたちじゃ手に負えないわよ。正規軍が動かなきゃ」
「そうだよな。……やはり俺は軍に行くべきなんだろうか」
「やめてよ」
「え? でもそうしないとお嬢様を救いに行くことができない」
「わたしは? 女のわたしは軍には入れないのよ。離ればなれになっちゃうじゃない」
「ミフィリア……」
以前話してくれたことがある。
正規軍は女人禁制であること。ジェランは幼い頃、入隊を夢見ていた。でもミフィリアと一緒にいられなくなることを悲しんで、彼女とともに傭兵になる決意をしたのだ。
ミフィリアに頭を下げて、先程のことを取り消した。
「ごめん、そうだった。俺は近くの大事なものを見失うところだった」
「ジェラン、分かってくれたのね」
「そうなると、ギルド経由で動かなきゃならないのかも」
「そうね。まあ、マユはけっこう信用できるしいい人そうだし、それでいいと思うわ」
「ありがとう。さあ、食事も来たし食べよう」
「うん」
§§§§
自分で叩いたノックの音に、まだ少しだけ戦慄を覚える。
この感覚だけは未だに慣れない。
部屋の主が入室を許可すると、リディはうやうやしくドアノブを開けた。
スカートをつまみ上げて頭を深く下げると、先程のいきさつを報告した。
「ご命令通り、彼らに言っておきました」
「ご苦労。で、怪しんでいた?」
「いえ、疑われた素振りはなにもありませんでした」
「そう」
身長は十センチほど高い。それだけなのに、同じ空間にいるだけで息をするのも意思が必要になる。
考えるのをやめると、心臓が止まりそうになる。
本当の主は、命を握っている御主人様は、この御方なんだと思い知らされる。
御主人様は視線を流すように、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「アルスは予定通り、我が魔獣王様の手に落ちたわ。さぞお喜びでしょう」
「お嬢様なら、当然のことでございます」
「あんた、なんて言った?」
部屋の窓際にいたはずの御主人様の手が、リディ首を絞めあげていた。
一瞬の出来事で、何も出来ず、ただもがくしかなかった。
「お、お許しください。女帝アビゲイラ様……」
「よろしい。二人きりのときは幹部の証である女帝の名で呼びなさい。こんな落ち目の家の長女としてではなくね」
「かはっ……」
リディは咳き込み、息を整えるのに必至だった。
あと一秒締められていたら、本当に死んでいた。
女帝を名乗ったアビゲイラは、まだまだ足りないとばかりに蹴り転がした。
「いつまで這いつくばっているの。さっさと出ていきなさい」
「申し訳ございませんでした。失礼します」
はしたないと思う余裕すらなく、腰を引き釣りながら廊下に転がり込んだ。
――これがうまくいかなければ、私の命がない。
§§§§
翌日。
朝一番に冒険者ギルドに行き、いきさつを受付嬢のマユに説明した。
すぐに分かってくれると思ったが、マユの顔が曇ってしまった。
「申し訳ありません。その申請を受けることはできません」
「どうして? アルスお嬢様を救えるかもしれないのに」
「魔獣王に関係する依頼は、すべて軍の管轄になるんです。ギルドが受ければ違法になって、処罰がくだされます」
「そんな。じゃあ、駐屯所に行けばいいのか」
マユはゆっくりと首を振った。
「軍の関係者以外の訴えは、まず聞いてくれません。たとえ証拠映像を提出しても、一ヶ月はかかります」
「どうなっているんだ!」
ジェランが声を荒げると、ミフィリアが落ち着いてと肩を下げられてしまう。
ビクついてしまったマユに気がついたジェランは、ひとつ深呼吸をして頭を下げた。
「ごめん。君にはどうすることも出来ない規則なのに、こんな言い方してしまって」
「いいえ。そうしてすぐに謝っていただけるだけでも、嬉しいものです」
日頃から理不尽なことを客から言われているマユが、少しだけ吐露したセリフだった。
今一度頭を冷やして考えてみた。
軍は皇帝直轄とは言え、やはり国だ。
役所だの何だので手続きが必要なのだろう。
日本の官僚も似たようなものだし、もしかしたら世界中の軍がそうなのかもしれない。
こうなると、答えは一つだ。
「俺が独自で動くしかない」
「本気ですか? 魔獣王に単独で挑むなんて、無茶です!」
「それしかないんだ。もう時間もない」
聖剣機士お披露目まで時間がない。
聖神教会のイベントもその後にやってくる。
これらがどれかひとつでも起きてしまったら、アルス処刑イベントは回避できないのだ。
ジェランはマユに無理を言ったことをあらためて謝罪し、ギルドを出た。
ミフィリアは、腕を絡めてジェランを見つめた。
「わたしも行くからね!」
「おい、いくらなんでも。これは俺のわがままだぞ」
「あなたは、そのためにこの世界にやってきたんでしょ? 確かに私が好きだったのはジェランだけど、わたしをあんなに抱いたのはあなたでしょ? 責任取らないつもり?」
「もしかして、子供が?」
「魔法で避妊しているから出来てないけど、欲しいの?」
――ミフィリアが俺の子を孕む。
なんだろう、そう考えるだけで胸が熱くなってくる。
面倒だとかそんなこと一切なくて、きっと幸せなんだろうなと思ってしまう。
何より男の本能が、妊娠させることに興奮していた。
「欲しいけれど、今はまだ。それに俺たちまだ十七歳だろ」
「うれしい! わたしのこと、ちゃんと考えてくれてたのね。でも今はアルス嬢のことが先ね」
「わたしのことも考えてくれていますか?」
「そりゃもちろん……、え!?」
ジェランは振り向いて驚いた。
マユが普段着ではない、ヴァンプレスに装備した姿でいるからだ。ミフィリアを超える爆乳がまるで鎧の胸当てのように主張し、細いウエストとのギャップがすごい。なによりも魔女であるから、ハイレグに似つかわしくない股間の膨らみがすごかった。ちなみに、これでも勃起していない普通の大きさである。
「わたしも、アルス嬢救出のお手伝いをさせてください」
「でも、規則違反なんじゃ」
「わたし個人のことなので関係ありません。それに、さっき長期休暇を申請しました」
「分かったよ。マユ、ミフィリア。一緒に来てくれ」
「「はい!」」
こうして、三人でアルスを救出することになった。
行き先はアルスが逃亡した方角、北東以外なにも手がかりがない。
しかしジェランは一つだけ思い当たる場所があった。
プレイヤーがアルスを処断する屋敷だ。
そこは魔法結界かなにかで隠されていて、ポータルでしか行くことが出来ない。
幸い、今でも鮮明にその場所を覚えている。
作戦会議のためどこか落ち着ける店に行こうとしたら、マユの家に招待された。
さっぱりしたアイスティーを出された後、これからの行動をジェランなりに話した。
「ポータルを使って、アルスお嬢様のいる隠れ家に向かう」
「知ってるの?」
「正確には可能性が高いだけだ。もぬけの殻かもしれないし、厳重な警備がしかれているかもしれないし、そもそもお嬢様がいないかもしれない」
昨日はまさか魔獣に乗って現れるなんて、夢にも思わなかった。頭はいっぱいになっていて、正常な判断が出来てなかった。
もしもミフィリアとの約束がなかったら、一目散にポータルを使っていたかもしれない。
そうなっていたら、処断イベントの前にジェランが殺されていた。
「ミフィリア、ありがとう。君のおかげだよ」
「なに、あらたまって」
「わたしだってお役に立てますから」
マユが胸に手をあてて主張してきた。
もちろん、とジェランは返した。
「魔女は魔法が生まれつき才能があるって聞いたよ。どこまで使えるのかな」
「第六階位までは到達してます。とはいっても、そこで使えるものは《
「十分すごいよ。第五階位は?」
「《
魔女は体内の魔素濃度が濃い。
そのせいなのか、男女の特徴を持つ身体になって生まれてくる。
これはもうもう一つの種族だと言ってもいい。
そんな魔女だからこそ、第六階位に至れたのだ。魔法を専門にしている人間が、かなりの鍛錬を経てやっと至れる。五十代で至れたら天才扱いされるのだ。
マユはまだ二十歳なのだから、種族の差というのは超えられないものがある。
そして遠距離攻撃は、後方支援を得意とするミフィリアとも相性がいい。
ジェランは近づいて戦うスタイルで、魔法は防御面に特化した第五階位までとなっている。簡単な攻撃魔法は撃てるものの、魔獣には蚊ほども効かない。
もうひとつ聞いてみた。
「ロードは? 魔獣王との戦いは避けられないだろうから、あればいいんだけど」
「傭兵のみなさんが持っている汎用タイプなら。でも、ほとんど使ったことがなくて」
「そうか。ならやっぱり、一度
「ですが、フリー機巧技師の整備費は高額ですよ?」
「いくらくらいかな」
「わたしの場合は、調整と整備込みで……だいたい一万ドルガですね。修理まで入ると、一機三万ドルガはみないと」
「やっぱ高いな」
なんとか安定して稼げているとは言え、かなり痛い出費だ。
日本円に換算すれば、一千万から三千万円になる。
それでも転生時に成し遂げた遠征報酬を切り崩して、なんとか払える額ではある。
ミフィリアも仕方がないと、肩をすくめていた。
「ロードの整備はするとして、次は敵地に潜入したときのことか」
作戦会議はかなり長く続き、気がつくと日が落ちかけていた。
あまり猶予はない。
先にフリーの機巧技師に連絡をとってみることにした。
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