嫌われ者の少女ティア ~この血の記憶が求めるモノは~

@nikuzyaga2

#1 プロローグ:“誰も、彼も、そして彼女も”

 ――――誰も受け入れてくれなかった。



 穢らしい浴室。今にも消えてしまいそうな照明は、水面を漂う色を朧げに映し出す。


 嗅ぎ慣れない臭いに包み込まれ嘔吐いてしまうが、思うように体がついていかず深い水の中へ落ちていく。


 空の青さに混ざり切れていない色が手首から流れている血だと気づくも、不思議と時に逆らう気持ちは湧いてこないが、最後の最後まで刃物で刻まれた言葉から目が離せなかった。



[ユルサナイ]



 差し込む光が小さくなっていく中で、言葉の意味を探そうとする。


 自殺なら動機は何だろう…家庭、健康、経済、勤務……凡て当てはまっているとも思うし、そうでないとも感じる。


 他殺……という単語が頭をよぎるが、こちらではないと直感がいう。


 彼は思う。



(せめて理由を記憶していたかった)



 この何物にも代えがたい痛みの理由を何度も己に問う。


 深い闇の中、悲哀さを抱きながら彼は、眠りについた。






 ◇






 二度と開けることのないように閉じた瞼はあっさりと幕を開けたが、それは生還したとは言い難い惨憺たる景色が広がっていた。


 半球状に広漠とした洞窟の壁には空間を覆うように灯が均一に並び、中央部に佇む異形の存在と周囲の3人の影を現す。


 異形は、全長4メートルほどの筋肉質な黒豹で、左右の耳下からは体長と同程度の長さの触角のようなものが奇怪に浮いていた。その雪のように白い瞳はこちら側の動向を伺うように覗いていた。


 一方人間側は、異形と対峙しているのか、両手で振るうことさえ困難であろう剣を片手で持つ男性を先頭に、少し後ろに果物ナイフを逆手持ちする軽装な女性、最後尾に宝石をあしらった杖を地面と平行に持つ女性は独り言を話し出す。



「緋よ凛冽たる日々を分かつ。神の燎火が齎す衣紋を着せ、災いを祓いし槍となれ!! 

【ファイヤーランス!】」



 綴られる言葉と共に宝石は閃かし、彼女の真上には灯とは異なり精彩を放ち、名は体を表す。無から生まれた“それ”は、風切り音を立て異形を的確に撃ち抜く。


 よろめく異形に対して、立続けに前衛が距離を詰め、武器を止め処無く振う。すると不気味なほど容易に顔を地面につけていた。


 息を呑む状況から一転、3人の表情が緩み歓喜して躍り上がっているのを見ていると、一人がこちらに気づき皆で近づいてくる。咄嗟に警戒したが彼らには敵意というものを感じられなかった。



「生き延びていたか! ティア!! さすが小さく勇敢な救世主だな!」



 剣を携えた男性が気さくに声をかけ、その後ろから心配そうな顔が二つこちらを覗いている。どうやら俺のことを指して呼んでいるが、ハーフみたいな名前だった覚えはない。それに小さいという言葉を聞き改めて自信を観察してみる。



「わたくしったら亡くなってしまったのかと…。ご無地で何よりです!」



 続けて女性が杖を地面に置き神妙な面持ちで確認をしてくる。言葉が見つからない出来事の連続にすっかり忘れていたが、手首に文字はなく見慣れぬ手のひらを自らの意思で動かしていることを理解した。


 無節操に伸びきった赤髪は肩を優に超え、色を引立てるように使い古されたワンピースに腕を通している。この未成熟な体と記憶している体との齟齬に困惑していると、胸部と下腹部の違和感で小さな確信を得る。



「…おいティア、さっき負った怪我はどうした……??」



 岩に腰掛ける軽装の女性は、鞘に納められたナイフに手を添えていた。



「おい待て、ティアは俺たちの命の恩人だ! 無礼だぞ!!」


「…………確かに、悪かったよ」


「わたくしからも謝ります。きっと《守護者》のせいで神経質になっているんです…」



 今出てきた守護者という単語、なら彼らが討伐したであろう異形が守護者であろう。それに武器と服装、ゲームの世界みたいだ。何よりも明らかに死んだ記憶があるのに五体満足にここにはいる事実。全てに理解が追い付いてはいないが、一つだけ確かにわかること。



(――――この体は俺の物ではない)



 理由を思い出せないが自ら命を絶った俺は、誰かを救い死の淵にいた人に成り代わった。


 罪悪感に苛まれそうになるが、そう感じなくてもよいとも感じる。まるでもう一人の自分がいるみたいに。それが死ぬ前の自分の身体なのか、体の持ち主なのかは分からない。


 彼女は生きることを望み、俺は自殺の理由を思い出すことを望んだ。


 一先ず彼らに記憶がないことを告げると、一驚しつつも簡単に且つ分かりやすく状況を説明してくれた。



---



 俺の……彼女の名前はティア、このダンジョンの経験者なのか、もしくはただ強いだけなのかは定かでないそうだ。というのも出会って一時間も経っていないらしい。それでも自分のことを説明したがらなかったので、深く追求もしなかったようだ。


 そう話してくれたのが彼らのリーダーで影にも負けない金髪の剣士ルイス。俺の身長と同じぐらいの剣を試しに持たせてもらったが持ち上げるのが関の山、武器に負けまいと音を鳴らす防具の重さも考えるだけでも恐ろしい。彼の度量の大きさは類稀な努力の賜物だろう。


 心配性だが確実に止めを刺した、貞淑な緑色の眼と朗らかな笑顔が似合う魔法使いロリエ。彼女が扱っていたものは《魔法》で間違いないようで、ここが自分の知っている世界とは違うことを明白にした。魔法は呪文を詠唱することで使用でき難易度によって階級があり、杖についている宝石は力を増幅してくれる。加えてティアが魔法を使え、更に宝石を使わず且つ直ぐに魔法を使えていたので、凄腕の魔法使いかもしれないと嬉しそうに話してくれた。


 警戒を怠らず仲間を守る、青を帯びたショートヘアから覗く妙に顔立ちの良いシーフのレイブン。先ほどのことを礼儀正しく再度謝り顔を上げなかったので、こちらも説明がつかないのでお互い様ということで折れてもらった。無理やり崩れた言葉を使っていたり何故か立ち居振る舞いが妙に綺麗だったりするが、報酬部屋へ早くいきたくそわそわしているのを見ると、何が何だか分からなくなってくる。


 3人はそれぞれ少し離れた土地からやってきたらしく、ここに来る道中の《ギルド》で仲間になったそうだ。


 彼らとはこの《ダンジョン》と呼ばれる場所で出会ったらしい。ここは3層に分かれており、今いる場所が最下層の部屋。守護者の《魔物》を討伐するとクリア報酬の部屋が開かれる。5層以内のダンジョンは星一と呼ばれる難易度にあたり、冒険者4人でクリアするのを推奨されている。そこへ3人で入り2層で苦戦していると、ティアが現れ手伝ってくれたので、流れで共にクリアしようと3層に。守護者は目にも留まらぬ速さで動き攻撃を仕掛けてきたが、ティアはたった一人で守護者を瀕死に持って行ったところで、彼らへ向けられた攻撃を代わり受け、壁まで飛ばされたようだ。


 そこからは自分の目で見た通りだった。そもそも3人はまだ冒険者なりたてらしく、ティアのおかげでクリアできたことを喜んでいた。


 飽く迄でティアが記憶をなくしたとして、一度死んだことなどは口には出さなかった。



「俺たちもまだ出会ったばかりだが、一緒に戦ったなら仲間だ!!その仲間が困っているなら支えるのが当たり前だな!」


「そうですね! 町に戻ってみればティアさんのことを知っている人がいるかもしれませんね!」


「まーずーは! 初クリア報酬を頂かないとー!!」



 加勢したのはティアだが、彼らの笑顔を見ていると一旦自分の置かれている状況を忘れることができた。



「あれー?クリア報酬って守護者の素材じゃないよね??」


「報酬への扉が開かれるのではないか?」


「……今開いているのは、2層から降りてきたときに開けた扉だけですね…」



 確かに辺りを見回しても後方に開いている扉のみで、こちらは報酬部屋への扉ではないようだ。灯が壁を照らしているので見逃すとも思えない。ただ地面にできるとなれば話は別…だがそんな様子もない。



「とりあえず、守護者の素材でも貰うとするか!!」


「やってんだけど…、まだちょっと温かいんだよねー」

 


 先に守護者の周辺にいるルイスとレイブンの後を追うように、俺と共に歩くロリエがふと呟く。



「死んでしばらくしたのに温かいなんて。何だか不気味ですね…」


「俺……私も同じことをさっき思って……」



 ティアが一人で守護者を追い詰めたときは素早い動きをしていたという話なのに、3人が攻撃を仕掛けた時には動こうとする意思が見えなかった。


 ただ単にティアが瀕死までもっていっていただけなのか。恐らくただの気のせいに過ぎない。俺より知識のある彼らが討伐したと――――。



(――いや、違う)



 俺たちは皆、初見(・・)かもしない。


 かもしれないというのは、ティアとしての記憶がない今、仮にこのダンジョンの経験者だったとしても関係ない。ここにいる者の中で守護者を討伐した際、どの様に報酬部屋の扉が開くのかを誰も経験したことがない。


 立ち止まり思いを巡らしていると、ロリエが満面の笑みで手を差し伸べてくる。



「記憶がなくてお辛いことでしょう…。でも“死んでしまったわけじゃないんです!” これからわたくしたちと一緒に思い出しましょう!!」



 穏やかな緑色の眼に映るティアの姿…新たな自分自身の外見を視認し、改めて死んだことを自覚した瞬間、先ほどまでの問いの解答欄が埋まる。


 状況を飲み込むのに必死で、新たな扉が開かれないことが表す事実に漸く気が付く。


 明確な意図を持ち倒れたふりをしていた守護者の触角が、静かに二人の背中を撫でようとする。



「二人とも守護者から離れて!!!!!!!!!!!!!!」



 二つの視線がこちらを捉えたまま、見覚えのある飛沫が飛び散る。


 一人は灯が照らし出す凄愴たる光景に緑色は輝くことを拒み、立ち崩れる。


 もう一人は己の拙劣さを恨み、決して瞼を閉じずにいた。

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