第39話 あたしを見て

「メリックの馬鹿!」


 話を聞き終えた途端、サーラが非難の声を上げた。


「あなたにそんな過去があったなんて……そういうことを、なんでもっと早く話してくれなかったのよ!」

「話して、何か意味があるのかよ?」


 俺はむっつりとたずね返した。


「俺の過去なんざ、お前たちにゃ関係ねえことだろうが」


 なるべく冷たく聞こえるように言って、そっぽを向く。

 これは俺とカリコー・ルカリコン、二人の問題なんだ。無関係なデュラムやサーラに話したところで、なんにもならないじゃねえか。

 そんなことを考えてると――パシン! いきなりサーラに、ほっぺたを引っぱたかれた。


「な、何しやがる無礼者! いてえじゃ、ねえ、か……?」


 一応、抗議はしてみたものの、終わりの部分が途切れ途切れになっちまった。サーラの奴が、いつになく怒った顔をしてたからだ。


「……サーラ?」

「関係ない――ですって?」


 水の精ナイアスが泳ぐ湖底を映したような藍玉アクアマリンの瞳が、じっとこっちを見つめてくる。


「あなたにとって、あたしやデュラム君は何? ただ一緒に旅をして、冒険で手に入れたお金や宝物を山分けする――それだけの存在? 赤の他人と、大して違わないっていうの?」


 サーラの言葉は、切っ先鋭い短剣さながら、俺の胸に深々と突き刺さった。この魔女っ子にこんな厳しいことを言われるのは、これが初めてだ。それだけに、聞き慣れたデュラムの嫌味なんかより、よっぽど胸がずきずき痛む。

 その間にも、サーラの辛辣な言葉は、曲芸師が的役の相方に投げつける小刀ナイフみてえに、次々と飛んできた。


「大体、お父さんを殺されたっていうけど、それって三年も前の話でしょ? そんな昔のことを、いつまで引きずってるのよ? これだから今時の男はうじうじしてて、女々しいっていうのよ!」

「……! そう言うお前は、今まで不幸な目に遭ったことがあるのかよ?」


 俺にとっちゃ、忘れたくても忘れられねえ過去。それを「三年も前の話」とか「そんな昔のこと」なんて言われちゃ、聞き捨てならねえ。淑女レディに対して無礼と知りつつ、つい語気も荒っぽくなっちまう。


「信じてた奴に裏切られたとか、自分にとって大切な人を失ったとか……そんな過去があるのかよ!」


 拳を固く握り締め、重ねて問う。するとサーラは、無言でこっちに背を向け――なぜだか、おもむろに服を脱ぎ出した。


「な……! お、おい……サーラ?」


 待てよ、待て待て! なんでそこで服を脱ぐ? まさか、こんなところで水浴びする気かよ――一瞬そう思ったが、もちろん周囲にゃ泉も小川もねえ。

 なのに、サーラは水着風の革服を腰まで引き下ろし、


「あたしを見て、メリック」


 こっちを肩越しに見やって、そう言った。


「い、いきなりなんだよ?」

「いいからほら、よく見なさい」


 言われるままに、じっと見てみると――魔女っ子のシルクみてえに滑らかな背に、うっすら切り傷の跡らしきもんが見えた。ぱっと見ただけじゃ気づかなかったが、目を凝らせば肩から腰にかけてのいたるところを、蚯蚓みてえにはい回ってるのが見てとれる。元がきれいなだけに、まるでひび割れた陶磁器でも見てるようで、目を背けたくなるほど痛々しい。


「サーラ、お前……!」


 あんな傷跡、鞭で繰り返し打たれるとか、短剣で何度も斬りつけられるとか、そうでもされなきゃ残るもんじゃねえだろう。一体、誰があんなひでえことを……?


「――やったのは、あたしのお父さんよ。と言っても、二番目の――だけど」


 と、サーラ。


「あの人、自分と血のつながらないあたしがよっぽど憎かったんでしょうね。この傷、いくら魔法で消そうとしても、これ以上薄くならないのよ」


 革服を引き上げながら、サーラが淡々と――まるで他人ひと事のように語るのを聞いて、わかっちまった。この魔女っ子が、どんな過去の持ち主かってことが。


「お前、義父おやじさんから……暴力を?」

「まあ、そんなところね。誰だって生きてれば、大なり小なり不幸な目に遭うものよ。地上の種族なら、それは絶対避けられない。あたしもあなたも、デュラム君だって――」


 自分の名前を聞いて、妖精エルフの美青年がぴくりと耳を動かした。かすかに眉をひそめ、居心地悪そうに身じろぎする。

 あいつにも、思い出したくねえ過去があるんだろうか。

 たずねてみようかと思ったが、デュラムは眉間に深々と皺を寄せて、自分の世界に入ってる様子。問いを投げても、答えは返ってきそうにねえ。今はとりあえず、サーラに視線を戻そう。


「……なんで隠してたんだよ? 背中の傷跡」


 もう、魔女っ子の言ってることが正しいってわかっちゃいたが、それでも俺は口を尖らせ、すねた顔をしてみせた。喧嘩した友達ダチと本当は仲直りしてえのに、つまらねえ意地張って素直に謝れない子供ガキみてえに。


「お前だって、その……俺のことは言えないじゃねえか」


 サーラの様子をちらちらうかがいながら、そう言った直後、


「隠してなんかないわ。話しはしなかったけど、あたしはいつもあなたに見せてた。あなたが恥ずかしがって見ようとしなかっただけよ」


 と、即座に言い返されて、愕然とした。

 確かに、こいつが水浴びしようと服脱ぐところなんざ、今まで何度も見せられてきたからな。背中の傷跡に気がつく機会なら、いくらでもあったはずだ。

 なのに、俺は一体、仲間の何を見てたんだよ……?

 呆然としてる俺に、サーラはとどめとばかりに、こんな言葉の刃を突きつけてきた。


「あなたとあたし、どっちが不幸かなんて言うつもりはないけど、これだけは言わせてもらうわ。あなたくらいの不幸な過去を持ってる人なんて、世の中には掃いて捨てるほどいるのよ。そのあたりのこと、何か勘違いしてないかしら?」


 ……もう、一言も言い返せねえ。三年前のあの日から、今日にいたるまでの自分の姿が、脳裏で躍動する。

 この三年間、俺はあの夜を思い出したくねえって一心で、ひたすら冒険に打ち込んできた。自分の他にも不幸な過去を背負ってる奴は大勢いる――なんてことは、考えもせずに。

 まるでこの世でただ一人、自分だけが不幸の味を知ってるような顔して、何様のつもりだったんだ、俺は。

 胸の奥底から、自分自身に対する猛烈な嫌悪感が込み上げてきた。穴があったら、入って膝を抱えてえ。たとえそれが、ドラゴンのねぐらになってる洞穴でも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る