フェルナース神話―冒険者フランメリックの物語―
諸葛亮
第一章
プロローグ 三年前の、あの日の夢
真夏みてえに暑くて、夜中に目が覚めちまった。
「ったく……なんだよ、この暑さは?」
高級木材として珍重されるレヴァン杉でつくられた
春の夜にしちゃ、異常な猛暑だ。それに……なんだ? 外がずいぶん騒がしいじゃねえか。
こんな夜更けに、一体何事だ?
羽毛が詰まった
部屋を横切りながら、二つばかりおかしなことに気づいた。一つは、窓の外に広がる夜空が夕暮れみてえに赤く染まって見えること。もう一つは、窓から吹き込んでくる熱気を帯びた風――猛暑の原因はこれみてえだ――が、心なしかきな臭いってこと。
……なんだか、嫌な予感がするぜ。
胸騒ぎを覚えながら窓までたどり着き、顔を外に出した途端、強烈な光が目を焼いた。夕日のように、真っ赤な光が。
「ぶわっぷ!」
ほとんど同時に、勢いを増して吹き込んできた熱風が、俺の顔面を直撃する。思わず両手をかざして、光と風から顔をかばった。
熱い空気の奔流にあおられ、石壁にかけられた
それから恐る恐る、外の景色を見下ろしてみると……おい、嘘だろ?
城が――俺の城が燃えてるじゃねえか!
いや、正確には俺の城じゃなくて、俺の親父の城なんだけどさ。この際、細かいことはさておき、とにかく城が燃えてるんだ。
「な、なんだよこれ……!」
夜中に起きたら外が火の海、しかも怪物だらけだなんて、そんなのありかよ。俺はまだ十五だぞ? こんなところで死にたくねえ。この先、やりてえことがたくさんあるんだからさ!
……そうだ。俺はこのフェルナース大陸を旅して、いろんな国へ行ってみてえんだ。それに、得意の剣術を活かして冒険するとか、そんなこともしてみてえよ……!
「フランメリック、無事か?」
後ろの戦士二人が鎖かたびらを着込んでるのに対して、親父は板金鎧を身にまとい、幅広の剣を手にしてた。鎧や刀身にべったりとついてるのは、人間のもんとは思えねえ、どす黒い血。右手の人差し指には、ご先祖様から代々受け継がれてきた金の指輪――燃え盛る炎の輪をかたどったもんで、〈
格好もすごいが、顔はもっと凄まじい。いかつい髭面は、汗と煤にまみれてひでえ有様だ。
「親父! 一体何が――」
「父上と呼ばんか、馬鹿息子が。まったく、お前という奴は……いくら礼儀について教えても、その言葉遣いだけは直らんな」
と、渋面つくって溜め息をつく親父。その背後で、二人の戦士が顔を見合わせ、ひそひそと言葉を交わす。
「殿下が城下の町へ遊びにいかれるのを、陛下がお咎めにならないからだ」
「ああ……そうだな。町の子供らと親しくつき合っておられるうちに、庶民の言葉遣いが染みついてしまわれたんだろうよ――殿下の舌に」
二人の話が聞こえたらしく、親父がぐっと眉根を寄せる。いつもならこの後、礼儀に関する長ったらしい説教を始めるところだが、さすがに今はそれどころじゃなさそうだ。
「それより、怪我はないかと聞いている。どうなのだ?」
「お、俺は大丈夫だけどさ。こりゃ一体……一体なんの騒ぎだよ?」
今になって、声が震えてきやがった。いや、声だけじゃなくて、手も、足もだ。
俺がおびえてることに気づいたのか、親父は剣を鞘に収め、俺の肩に手を置いて、
「フランメリック。落ち着いて、よく聞け」
一言一言、ゆっくりと言った。
「魔法使いカリコー・ルカリコンが私を裏切り、反乱を起こした」
その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、いつも親父の傍らに控えてる男の姿だった。
ぎょろっとした目に鋭い鉤鼻、頬骨が浮き出てみえるくらい痩せこけたほっぺた。毎朝俺と会う度に「これは殿下、今日もご機嫌うるわしゅう」とか言って、慇懃に頭を下げる猫背の男。
「嘘だろ? あいつは、親父が信頼してた宮廷魔法使いじゃねえか。奴は頼りになる男だって、あんたいつも言ってなかったか?」
「詳しく話している時間はない」
親父がぴしゃりと告げた。
「この城は今、奴が魔法で呼び寄せた魔物どもの攻撃を受けている。戦士たちが迎え撃ってはいるが、あれだけの数が相手では押し切られるのも時間の問題だ。だから、お前は一刻も早くここを出て、逃げのびろ」
親父の後ろに控えてた二人の戦士が前に進み出る。俺の両肩をむんずとつかみ、なかば引っ張るようにして、部屋から連れ出そうとする。
「ま、待てよ、待てって! ちくしょう放せ、無礼者!」
俺はどうにか踏みとどまって、親父に問いただした。
「兄貴と妹は? メリオンとメリルはどうなったんだよ?」
「無事だ。地下の抜け道を使って逃がした。残るはお前だけだ」
「親父は? あんたはどうするんだよ?」
「私は、ここに残る」
「な――? 何言ってんだ、あんたも逃げろよ!」
「いや、私は囮となって時間を稼がねばならん。お前たちが逃げ延びるための時間をな」
それを聞いて、やっと気づいた。親父の奴、ここで死ぬつもりなんだって。
「そんなこと、させられるかよ!」
二人の戦士を振り払い、親父に向かって叫んだ。
「あんたが残るなら俺も残る! 自分だけ逃げるなんざ、まっぴらだぜ!」
相変わらず手足は震えてたし、声も裏返ってた。けど……空元気を出してでも、そう言わずにゃいられなかったんだ。
「神々の王、太陽神リュファトにかけて、言うことを聞け」
親父が辛抱強く、諭すように言う。
「私が死ぬのも、お前たちが逃げ延びるのも、すべては神々によって定められた運命なのだ。神意に逆らうことは、誰にもできん。地上の種族である限りはな」
……神々。フェルナース大陸を創造した全知全能の種族。天空の都ソランスカイアに住み、大地に恵みと災いをもたらす絶対者たち。人間や
「神意なんざ、知ったことかよ!」
生まれて初めて、俺は神々を冒涜した。罰当たりなせりふが、口をついて出ちまったんだ。
「親父、あんたも逃げろ! 囮なんかいなくたって、俺たちは逃げ延びられる! そうだろ? そうだって言ってくれよ、なあ!」
「フランメリック……」
俺の聞き分けのなさに業を煮やしたらしく、親父が右手をぎゅっと握り締めた。ああ、こりゃ殴られるな――って思った、次の瞬間。
「この馬鹿息子があぁ!」
予想通り、俺のほっぺためがけて親父の鉄拳が飛ぶ。その人差し指の根元で、血にまみれた先祖伝来の指輪が、かすかにきらめいた。
「――っ!」
手加減なしの一撃をまともにくらって、俺は派手に吹っ飛んだ。戦士その一とその二が二人がかりで受け止めてくれなきゃ、そのまま壁に激突して伸びてただろう。
「早く行け! 息子を……頼む」
親父に促され、二人の戦士が今度こそ俺を、否応なしに部屋から連れ出そうとする。
「ちょっ、親父――待てよ!」
ずるずるとかかとを引きずられながら、俺はわめいた。
「親父……!」
このままじゃ、親父が死んじまう。そんなの絶対に嫌だ! 礼儀にうるさいばかりで、父親らしいことなんざ滅多にしてくれねえ奴だけど……それでも、俺の親父にゃ違いねえんだ!
とにかく、俺は親父を呼び続けた。二人の戦士に、部屋から引きずり出されてからも。
廊下の曲がり角に近づいたとき、親父が部屋から出てくるのが見えた。俺の泣きそうな表情を見て、ふっと疲れた笑顔を見せる。「まったく、仕方のない奴だ」とでもいうように。
「――私の息子が、そんなみっともない顔をするな。背筋を伸ばして、胸を張れ。男らしく、堂々と生きていけ」
そう言って、くるりときびすを返し、俺から遠ざかっていく。
親父の姿を見たのは、それが最後だった。
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