9
在れから毎日の様に、俺達はクリスの元を訪れていた。彼がヴァイオリンを弾き、百合が歌を歌う。俺はビートボックスを刻んで、異色のトリオを奏でるのだ。
不思議と心が弾み、楽しくなる。時がゆっくりと静かに満ちて、日が落ちていく頃に、訪問者は現れた。
「エコー、いつ帰って来たんだ?」
佇むエコーの様子が、おかしかった。
「二人共、そいつから離れるんや!!」
エコーが唐突に叫んだ。
彼からは、憎しみの匂いが満ちている。息も荒れ、憎しみと怒りに顔を歪ませている。一体、エコーに何が起きたのだろう。
「どうしたんだ、エコー。一体、何が在った!?」
「香元、お前が誰と付き合おうと構わんが、そいつだけは止めといた方が良い」
「貴方は何を言ってるの? クリスは、とても良い人よ」
流石に百合も、友人を悪く言われて黙っていられなかった様だ。
「そいつはなぁ、人殺しなんや!!」
「――ッ!?」
「そんなの、嘘よ!!」
「嘘とちゃう。探したで、クリストファー・レイ。女房と娘の仇、討たさして貰う!!」
有り得ない程の殺意と共に、腰からナイフを抜き放つ。鋭利に研ぎ澄まされたナイフと憎しみを携え、エコーはゆっくりとクリスへと歩み寄る。
しかし、クリスは動かない。全く、動じていない。此の状況が当たり前で在るかの様に、悠然とした態度でエコーを見据えている。
そうしている間にも、エコーは距離を詰めている。
「止めるんだ、エコー!!」
しかし、止まらぬ。
クリスは動かぬ儘。
エコーがナイフを振り翳す。
「止めてぇ!!」
百合の悲鳴と共に一瞬、脳裏に鮮血が浮かんだ。しかし、地に伏していたのはエコーの方だった。一体、何が起こったのか解らなかった。エコーも同じなのか、驚いた様な表情をしていた。
「私と賭けをしないか?」
「賭けやと!?」
「そうだ。私が負ければ、此の命を差し出そう。但し、君が負けた時は、私の事を忘れて貰いたい」
「どう言う事や!?」
「無益な殺生は好まない」
「じゃあ、俺の嫁と娘は有益やっちゅうんか!?」
「君達には、済まないと思っている。確かに、私はドルフィンの依頼で、君の大切な人の命を奪った。だけど、殺し屋はもう、廃業したんだ。出来る事なら、平穏に暮らしたいんだ」
「ふざけるな!!」
エコーは怒りで我を忘れていた。其の気持ちも痛い程に解る。
だけど、クリスがドルフィンに雇われた殺し屋だっただなんて、信じたくなかった。百合も同じ気持ちなのか、悲しみと困惑が混ざった様な表情をしていた。
エコーは興奮する息を必死で抑えている様だった。眼を血走らせながら、クリスを睨み付けている。
「解った。其の勝負、受けたる」
静かに。しかし、匂いを荒振らせながら、エコーが答える。
クリスが殺し屋だったなんて、どうしても信じられなかった。
「聞いても良いかい、クリス?」
「あぁ、良いとも」
「どうしてアンタは、殺し屋なんかをやっていたんだ?」
何か訳が在ったとしか思えない。クリスの音楽は、とても澄んでいた。あんなに素晴らしい音楽を奏でる人間が、悪人だなんて俺にはどうしても思えない。
「金が必要だった。娘の命を救う為には、どうしても金が必要だったんだ」
クリスは表情一つ変えずに、淡々とした口調で言った。まるで、感情が込もっていない様に思えたが違った。
クリスの内側から、強い怒りの匂いがした。後悔も感じられた。悲しみも在った。
「だけど、私は彼の大切な家族の命を奪ったのだ。だから、逃げる訳にはいかない」
「当たり前や。お前は絶対に、俺が殺したるからな!!」
エコーの気持ちも痛い程に解る。俺がドルフィンを憎んでいる様に、エコーもクリスを憎んでいる。もしも、俺もエコーの様な状況に立たされたならば、恐らくエコーと同じ行動を取っていたに違いない。
だけど、俺は其れでもクリスに死んで欲しくない。クリスがいなかったら、俺は百合の心を繋ぎ止める事が出来なかっただろう。クリスの音楽が、俺達に力をくれたのだ。
そして何より、クリスは俺や百合に取って大切な友人なのだ。
「取り敢えず、場所を移そうや。此処やったら勝負にならん」
エコーの提案を皆が承諾する。俺はクリスが勝つ事を願っていた。
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