間抜けな泥棒

天橋文緒

間抜けな泥棒

「よし、やるか」

 男は声を少し震わせながら、呟いた。

 道路の端を歩きながら辺りをゆっくりと窺う。

 古くて小さいながらも立派な家、それがこの家の印象だ。

 男は小さな屋根のついた木造の門を押して、身体を滑り込ませる。

 後ろ手にさっと門を閉めた。

 門から玄関まで伸びる敷石を踏みながら庭を見る。

 庭には、雑草が伸び放題で、手入れをしている様子がない。

 この家には、お婆さんが一人で住んでいる。

 男が下調べをした時に、誰かが家を訪ねることはなく、友人や家族と連絡を取っている様子はなかった。

 雑草の高さは男の腰ほどまである。

 庭の奥には、背の高い栗や蜜柑の木が植えられており、葉が外から家の中を隠している。

 またその奥に、家を囲うようにブロック塀がぐるりと一周している。

 ブロック塀の所々に小窓があるが、雑草と木が目隠しとなっているのを知っていた。

 男は大きく深呼吸をした。

 黒い革手袋を嵌めた指で玄関脇のインターホンを押す。

 しーんとした室内で音だけが響く。

 数瞬、緊張の時が流れる。

 しかし、家の中からは何の反応もない。

 この家に誰もいないことは確認済みだ。

 ここの家主であるお婆さんが、先日救急車で運ばれたからだ。

 男が下調べで付近を歩いていた時、持病を持っていることを近所の主婦たちが大きな声で話しているのを聞いていた。

 縁側に向かって歩いていく。

 縁側の沓脱石の近くには、錆びで朽ちたシャベルと劣化で割れたバケツがセットで置かれている。

 窓に反射した自分自身を見る。

 無造作に伸びた髪に何日も剃っていない髭、皺だらけの上着とくたびれたズボンは何かの染みが点々と広がっている。

 男が背負っていた黒いリュックサックはロゴが擦り切れている。

「何でこうなっちまったかな」

 男が独りごちる。

 精気を失った目で、窓の奥を覗く。

 レースカーテンの奥には、人影がない。

 再度耳を澄ますが、人の話す音やテレビの音もしない。

 男は大きなため息を吐いた。

 辺りを見回して拳ほどの石を拾う。

 窓の鍵に向けて、慎重に石をあてがう。

 窓を割ってしまったらもう後戻りはできない。


「不景気のあおりだ。ウチの会社が利益を上げられなくなって早3ヵ月。君も働いていて分かっていただろ? この会社は潰れるしかないんだよ」

 ロマンスグレーの髪をかき上げながら総務部長が淡々と話す。

「そんなこと言われても……」

「もう打つ手がないんだ。次の仕事先を探してないのは君ぐらいじゃないか? 君以外の社員と面談を終えたが、皆仕事を探してると話していたよ」

 男は情けなさに、ぐっと唇を噛む。

「貯金だってしてないし、中卒の自分が入れる仕事なんて」

「君のことを思って言うが、早く仕事を探したまえ」

 机の上の書類に目を落とし、男になど興味なさそうに総務部長は言った。

 男が会社員の間は、業務後に仕事を探した。

 会社が倒産してからは毎日職安に通った。

 仕事は見つからず、生活費の工面がどんどん苦しくなった。

 男は駄目だと思いつつも、街のサラ金に手を出し、返済に追われるようになった。

 それでも、仕事先が見つかることはなく、精神的に肉体的にも追い詰められた。

 そして、盗みが頭に浮かんだのだった。


 男はお婆さんに向かって心の中で謝罪し、窓ガラスに石を打ち付けた。

 男の心の中に胸を支配するような恐怖心が広がっていく。

 指先から足の先まで氷で固まったように冷えていく。

 割れた窓ガラスに手を入れて鍵を開ける。

 靴のまま部屋の中に男は入っていった。

 部屋の中には西洋東洋問わず様々な物品に溢れている。

 窓の脇には首を伸ばして目を瞑った亀の人形がちょこんと飾られている。

「よくできた人形だな」

 亀の人形の近くに置かれている熊やうさぎの人形は倒れている。

 男はあまり気に留めず、背負っていたリュックサックを置いて、金になりそうなものを探し始めた。

 手前のテーブルには寄せ木細工の箱や赤べこ、福助人形など地方の工芸品が並べられており、壁際には西洋の甲冑や日本の鎧、油絵など統一感なく飾られている。

 特に男が目を引かれたのは、ガラスのショーケースに入れられている火縄銃や刀剣であった。

「変わった家だな、ここは」

 呟きながら、男がショーケースに近づく。

 突然、部屋の奥からガタンと音がした。

 男は音の発生源を確かめることなく、勢いよく踵を返した。

 開け放した窓に向かって一目散に走る。

 途中、テーブルの寄せ木細工の箱や窓の脇に飾られていた亀の人形を無造作に掴み、開けて置いてあったリュックサックにねじ込んだ。

 慌ててリュックサックを担ぎ、門に向かう。

 部屋の奥から男を追いかける音はなかった。

 男は気付かずに門を抜け、自宅へと走った。


 男は自宅のアパートの鍵をポケットから取り出し、鍵穴に当てた。

 震える手が邪魔をして中々入らない。

 苛々しながら革の手袋を外し、鍵を開ける。

 中に入り、扉を乱暴に閉める。

「畜生、最悪だ」

 担いでいたリュックサックを放り投げ、扉を背にして玄関に座り込んだ。

 しばらく座り込んでいたが、立ち上がってのろのろと靴を脱ぎ、リュックサックを拾って部屋に向かう。

 弁当や空き缶が分別されず一つにまとまったゴミ袋がいくつも散らかった部屋の真ん中で、男はリュックサックから盗んだ荷物を出す。

 寄せ木細工の箱を取り出し、どれぐらいの値段になるのかぼんやりと考える。

「痛っ」

 リュックサックに入れた手の指に、急に痛みが生じた。

 指を引っ張ると目の開いた亀の人形が指を咥えている。

「痛たたた。こいつ生きてるのか」

 男が強く指を引くと、亀の口から取り出すことができた。

 亀はじっと男を見つめている。

「クソ、盗みにいっても金になんかなりゃしない。おまけに生きてる亀なんていらねえよ」

 亀はリュックサックの中に落ちていった。

 大きく息を吐いて天井を見上げる。

 それから、背中を倒してゴミ袋の山に埋もれる。

 ふと、手に硬いものが当たる。

 掴んで掲げると、根元が折れて先しかないニンジンだった。

 体を起こし、リュックサックの中の亀を眺める。

 何とはなしに亀の口元にニンジンを近づける。

 亀はゆっくりと口を開け、ニンジンに噛みついた。

「美味いか?」

 男は自然と笑いながら訊いていた。

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間抜けな泥棒 天橋文緒 @amhshmo1995

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