休校トースト

わたのはく

休校トースト

 トーストを焼こう。普通のトーストじゃない、卵とマヨネーズが乗ったあの美味しいやつ。

 コロナウイルスの感染拡大防止とやらで学校が休みになった火曜日の午前十一時、リビングのソファーでわたしは思い立った。

 最近流れている某マヨネーズのCMで、元特撮ヒーローのイケメン俳優が作っているあのトースト。なんて美味しそうなあのカロリーのかたまり。購買意欲をかき立てる企業の戦略だとはわかっているものの、飯テロとも呼べるあのトーストにはそれに乗らざるを得ない魅力、いや、魔力があるのだ。それは時としてカロリーに怯える女子高生の不安も打ち破るのである。

 確か一昨日余った食パンが二枚くらい残っているはずだ。ええいままよと冷凍庫を開けると、ジップロックに包まれた食パンが肉や魚に紛れて置かれていた。

「あれ」

 二枚ある食パンのうち、どちらも真ん中に切れ目が入っていた。もしかすると母が分けて食べられるように切ってしまったのかもしれない。まあいいや、と手に取る。

 さて、次は具材だ。

 とりあえずマヨネーズと卵一個。あとはやっぱりチーズ。本当はとろけるチーズがよかったのだけれど、なかったのでスライスチーズで妥協することにする。

 まず食パン。ジップロックから取り出し、ぺりぺりとラップを剥がす。剥がしたラップを広げ、その上に凍ったままの食パンを置けば準備は完了だ。凍ったまま焼いてもいいのかはわからないけれど、焼く前に一度温めるのは面倒くさい。味が良ければ全てよしである。

 次に食パンの上にチーズを乗せ、それを縁取るようにマヨネーズを四角い形にしぼり出す。もちろんマヨネーズがヒョロヒョロ出てくるあの細いしぼり口ではなく、赤いキャップを取った星形のしぼり口だ。この際カロリーは気にしない。

 パンの耳にかかるくらいめいいっぱい大きな四角を描いたところで、卵を割り入れる。これが意外と難しく、卵白がマヨネーズの堤防を越えるか越えないかのギリギリの高さで揺れている。

「うひゃ、こぼれそう」

 マヨネーズ堤防が決壊して卵がこぼれないよう、そうっとパンをトースターに入れる。あとは焼くだけ、と言いたいところだけれど。

「なんか物足りない……」

 うーんと頭をひねり、冷蔵庫を覗いて使っても良さそうな食材を探す。ケチャップ、オーロラソースになってしまうので却下。クリームチーズ、勝手に食べたら弟に怒られるので却下。明太子、は今朝食べてしまってもうないので却下。パセリ、なんとなく違う気がするので却下。

 パセリで思い出したけれど、そういえばイタリアンソルトがあった気がする。あのハーブの香りとちょうどいい塩気、今足りないのはこれである。そう思いながら調味料の棚を漁ると、イタリアンソルトの小瓶は上から二つ目の棚に置かれていた。

 さ、さっ、パラ。

 トースターに入れたままの食パンに二回振りかける。深緑色の葉と小さな塩の立方体がはらはらと黄身の上に散らばった。

 これでよし。

 とりあえずタイマーを三分にセットし、トースターのダイヤルを回す。ブゥンという鈍い音とともにトースターの中が明るくなった。

 ふつふつとマヨネーズが炙られ、卵の白身が半透明になっていく。

 チーン。

 トースターが鳴った。どれどれと開けてみると、その瞬間ふわりと香ばしいパンの香りが立ちのぼる。トーストとともに出てきた熱気が顔の表面を優しく撫でる。具を潰さないようにゆっくりと皿に移すと、トーストは大きめの皿の上にちょこんと鎮座するかのように収まった。茶色の耳はこんがりと焼け、クリーム色のマヨネーズには軽く焦げ目がついている。イタリアンソルトの緑に彩られたオレンジ色の半熟卵は、窓から差し込む日光を受けてつやつやと光っていた。

 私特製、休校トーストの完成だ。

 ごくり。

「いただきます」

 カリっ。

 じゅわぁ。

 パンの耳をかじった瞬間、マヨネーズの香りが口いっぱいに広がった。じんわりと舌に染み込んでいくような酸味が心地いい。

 はぐり。

 二口目は卵めがけて大きくかぶりついた。

 とろり。

 ふわふわとした感触の下から、とろとろの卵が滲み出してくる。半熟ゆえの濃厚な旨味がパンに絡み、マヨネーズの酸味と優しく溶け合っている。軽く振ったイタリアンソルトのおかげか、噛むたびにほのかにハーブの香りが広がる。

「む」

 これはチーズだな。溶けないかと思っていたけれど、ちょうどいいくらいに柔らかくなっている。チーズ独特の塩気がパンの甘さと柔らかに絡み合い、ふんわりと舌を包み込んでいるようだ。

「おっと」

 夢中で食べていたら、食パンが分裂してしまった。パンの白い割れ目から卵の黄身がとろりとこぼれ出す。うーんもったいない。さっき「まぁいいや」なんて言ったのはどこのどいつだ。

 しょうがない、と食パンを半分にたたむ。卵やマヨネーズは見えなくなってしまうけれど、皿の上にぽとぽとと落ちてしまうよりはマシだろう。

 カリッ、サクサク、はむ。

 はむ、もぐもぐ。

 たたんで二重になったことでボリューミーになったからか、マヨネーズと卵、そしてチーズがさっきよりも口いっぱいに広がる。

 ああ、なんという背徳感、そしてなんという多幸感。間違いようのない美味しさと幸せが体全体に満ちる。

 それからあっという間にトーストはわたしのお腹に収まり、皿は元の真っ白な皿に戻ってしまった。美味しいものは一瞬だ。もっと食べたかったなと思いながら、指先についたマヨネーズをぺろりと舐める。

「ごちそうさまでした」

 ふう、と息を吐く。

 よし、明日から筋トレしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

休校トースト わたのはく @haku_watano_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ