その座席を譲るんだ、メロ!

ひなた

第1話 救いの手は断ち切られた!

この物語を嗜む紳士淑女の皆様、ごきげんよう。少々お下品な単語が頻発するので、ご飯を食べる時には読まないでいただきたい。




 がたんごとんと赤子をふんわりと包むゆりかごのように、心地の良いリズムで揺れ続けるJR普通電車のとある車両。穏やかな一日の始まりを告げる暖かな光が窓辺に座る乗客達を優しく照らしている。時刻は午前7時、朝も早いので、多くの者が快適なゆりかごに身を任せ、うつらうつらと夢現を彷徨っていた。

 その中の1人である猪狩メロは夏用のセーラー服を着用して、鳴門海峡の渦潮を想起させるくるくると巻いた茶髪を指でちょいちょいと弄んでいた。ここ数日はあまり眠れないのか彼女の目下にはブラックホールの如く大きなクマを携えている。伏し目がちな彼女の視線がしきりに隣の座席にチロチロと向けられるたびに、彼女の頬に睫毛の影が落ちる。

 そんな彼女の隣には黒鉛の如く艶を放つストレートヘアーをさらさらとなびかせたる女、渚セリナが不機嫌そうに左右の眉を中央に寄せ、太ももに片肘を突いている。

 窓の外に映る長閑な田園風景とは対照的に2人の間には得体の知れない黒雲の如く空気が漂っていた。

 

 

⚾️



 事の発端はメロがセリナの家で遊んでいるときだった。セリナは2人で大富豪をしようとばかり勧めるメロと遊ぶのに飽きて、メロをほったらかしにして漫画を描いていた。漫画は彼女の大切な趣味であった。

 そんなセリナの態度に拗ねたメロは振り向いてもらうために軽い悪戯を計画した。メロは彼女がトイレに行った隙に、セリナが使用していたシャープペンシルを、芯を出そうとノックボタンを押すと電流が流れるビリビリペンと入れ替えたのだ。 

 効果は劇的だった。トイレから戻ってきたセリナが再び漫画を描こうとシャープペンのノックボタンを押した刹那、ビリリと電流が流れ、彼女はきゃあと可愛らしい声で飛び上がった。

 それだけなら良かったのだが、セリナが飛び上がったはずみでテーブルが揺れ、花柄のお洒落なコップになみなみと注がれたアッサムティーが溢れ、描きかけの漫画を褐色に染めた。

 これだけでも十分ショッキングな出来事なのだが、セリナはまだ怒らなかった。親友のメロがごめんなさいと謝れば良いと思ったからだ。

 だがメロは笑った。涙をこぼしながら腹を抱えて笑った。床をガンガンと拳で叩きつけながら笑った。メロはセリナの漫画が台無しになったことを、深刻なことだとはつゆにも思わなかったからだ。

 こうしてセリナの堪忍袋の尾はあっさり切断された。


⚾️



 重苦しい空気を打ち破ったのは車掌の舞子、舞子という呑気な発着音であった。電車のドアがガタンと音を立てて開き、ピシッっとスーツを着込んだサラリーマンや和気藹々とした学生の集団が車内になだれ込んでくる。

 空気の緩みを敏感に読み取ったメロはチャンスだと思い、セリナに一声かけようと胸鎖乳突筋をエキセントリック収縮させ、首をセリナの方に曲げようとした。

 だが彼女の顔が完全にセリナの方を向く前に、彼女の目はある1人の男に釘付けになった。彼女の甘栗色の円らな瞳がハートマークへと変わる。

 その男の名はディオといった。肩口まで伸びた燦然と輝く黄金の髪と鍛え抜かれた恰幅の良い図体はまさに百獣の王であるライオンを想起させる。そんな彼の特徴を一言で言い表すとすればまさに王子である、いや王子というにはあまりにも泰然としている。適切な表現は、そうだまさに一国の主たる国王である。

そんな彼が何の因果か、他の乗客を分け入って、メロの正面に屹然と存在していた。

 

メロは彼の体に穴が開くんじゃないかと思うくらい具に彼の凛々しい佇まいを眺めた。そしてメロはすぐに異変に気付いた。目の前のディオ様は明らかにいつものディオ様ではない。

傍目にはお美しい御姿で何事もなく佇んでいるかのように見えるがメロにはそうは見えなかった。


・・・瞬きの回数60回/minute、いつもの約3倍の回数。呼吸数100回/minute、いつもの約5倍の回数。姿勢はいつもより約3度猫背気味。顔面はいつもより若干青ざめているし、頬を冷や汗が伝っている。足はガニ股気味でお尻の筋肉がいつもよりも硬直している。先程からしきりに右手の親指で左手の親指と人差し指の間にある骨の付け根部分をぐりぐりと揉んでいる。

 

 メロは四六時中ディオ様を眺めているのでこれくらいの情報を集めるのは

イッツァピースオブケイクである。そしてメロは推理する。


 猫背、がに股、お尻の筋肉の硬直、ディオ様は明らかに何かを我慢している。そして親指と人差し指の間のあそこは確か・・・合谷と呼ばれるツボだったはず。そして効能は・・・腹痛の改善ッッ!!!。

全てが一本の線に繋がった。


 ディオ様は急性の腹痛を必死に我慢している!それを他の人を心配させないために、隠し通そうとしている。なんて健気なディオ様ッ。


メロは彼の痛みを思い、顔を歪めた。

そして彼女はすぐに名案を思いついた!


 できるならば私がその痛みを代わって・・・そうだ、私の座席をディオ様に譲れば良い。ディオ様は腹痛を我慢しやすくなるし、私はディオ様に恩を売れる。まさに一石二鳥。

 そうと決まれば善は急げ。メロはすぐさま腰を浮かし、立ち上がろうとした。

だが唐突に頭に一本の記憶が蘇り、空中で一時停止した。

 それはディオ様が友人とお昼ご飯を食べている様子を斜め後ろの席からガン見している時の出来事だった。


⚾️


 昼休み、教室は和やかな空気が流れていた、ある教室の1番前の窓側の席を除いて。そこにはオタク君と呼ばれるいかにも貧弱そうな眼鏡ボーイが座っているのだが、彼の周りを制服を着崩したガラの悪い男子生徒が数人取り囲んでいた。

 彼らはどうやら金欠のようで「おい金出せよ。」と言い、オタク君から有金を巻き上げようとしていた。だがオタク君は漫画を買うから無理だと主張した。無情にも彼らはキレた。オタク君の胸ぐらを掴み、手を振り上げた。オタク君は迫り来る痛みへの恐怖で眼を瞑った。クラス中の視線がオタク君に集中した。

 オタク君の顔に拳の型ができようとしたその時に、凛とした一声が割って入った。

「あなた達やめなさい!」

 黒鉛のごとく艶やかな髪の毛を逆立たせて現れたのは渚セリナ。クラス中の視線が彼女に集中する。彼女は不良生徒たちに人差し指を突きつけて、屹然と言い放った。「いじめ、ダメ、絶対。」

 クラス中が一瞬静寂に包まれ、やがて不良生徒たちは彼女の浅はかさを笑った。だが奇跡が起こった。1人また1人と「いじめ、ダメ、絶対。」と呟き始め、やがてそれはクラス全体の大合唱となったのだ。

いじめ、ダメ、絶対!いじめ、ダメ、絶対!いじめ、ダメ、絶対!

不良生徒たちは何が起こっているのかと呆然とした。

そんな不良生徒たちに、クラスの真ん中で輝きを放つセリナはトドメとばかりに「去りなさい!」と大声で叫んだ。

 不良生徒たちは「覚えていろよ。」と負け犬の遠吠えをして、一心不乱に教室から逃げ出した。

 彼らの後ろ姿を見送ったセリナが拳を高々と宙に上げて「これにて一件落着!」と宣言すると、クラス中が大歓声に包まれた。

 

 麗しのディオ様は自分で握られたという寿司(きゃあ、素敵!byメロ)を食べながら、この一部始終を見ていたのだが、やがて吐き気がすると笑った。

「今の計算された寸劇を見たか、我が友よ。黒髪の乙女たる彼女はクラスの視線がオタク君に一番集中するあの時を待っていたぞ。すなわち彼女は自分が一番輝ける時を待っていたのだよ。きっと誰も見ていない時には、彼女は何もしなかっただろう。彼女こそ欺瞞であり、偽善者。私が一番憎むものだ。ああ吐き気がする。」

 ディオ様はそう言って、生牡蠣の握りをパクリと口に運んだ。

いかにも腹を壊しそうである。


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 メロは乗客シートから上げかけていた腰をストンと下ろした。

メロが彼に席を譲るという行為はまさにディオ様に好かれたいがための偽善であると思ったからだ。メロはディオ様を愛していたので彼の信条は守らなければなるない。

 メロが腰を浮かした瞬間、心の中でガッツポーズを決めたディオ様だが、再び腰を下ろしたメロを見て、一気に20歳くらい老けた顔になる。

 

 だが神は彼を見捨ててはいなかった。

メロの隣に座っていた筋骨隆々な半袖半ズボンの男がディオ様の異変に気付き、席を変わろうと立ち上がろうとしたのだ。

逸早く気づいたディオ様の顔に生気が戻る。


 メロの心は揺らいだ。このままでは良いところを筋肉バカに奪われてしまう。

メロは懐から素早くビリビリペンを取り出し、ノックボタンを彼の太腿に押し当てた。

電流が自慢の筋肉をビクッと震わせ、一瞬の間ができる。

今しかない!

メロはその隙に立ち上がった!!!








おめでとう!に続く





 

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