15

ウェ

 この試合で最初に嘔吐してしまったのは私だった。

 相手は私よりも背が四センチくらい高いくらいだったが、細身ではなく体格はがっしりしていて、腹筋も脂肪も程よい具合についているお腹だった。

 それだから、中々に耐久性があり、打撃も威力がありそうな骨のある選手だということは戦う前から予想はできた。

 それゆえに相手も殴り合いには自信があったとみて、初めから打ち合いの展開に持ってこさせられた。

 打ち合いの末、相手にパンチを繰り出そうとしたころに上手く前蹴りが胃袋にヒットしてそのまま吐いてしまった感じになった。

 吐いてしまうと試合終了ではないが、吐いているということはかなりお腹にダメージがあるということで、負け同然、ここから挽回するのはかなり不利な状態ではある。

 だが、ここであきらめたくなかった私は、お腹を抑えて少し逃げ回りながら自分の体力の回復と相手の隙を伺った。

 呼吸が苦しい。胃が気持ち悪い。喉が焼けるようにヒリヒリする。

 胃が痙攣して今にもまた嘔吐しそうだ。でもせっかく掴んだ昇格戦。流石に相手はやはり今までよりも格段に強い。格闘技は足技も使った空手経験者の様だが蹴りもパンチも強い。

 その後、相手もトドメと言わんばかりに猛攻してくると思いきや、相手も打ち合いで疲れて息が上がり、攻撃はされるものの大振りやらキレがないやらでダメージのある一発を食らわされることもなかった。

 相手も疲れている。勝てる。

 私は、守りに入っていたのを意を決して相手の腹部に向かってパンチを繰り出す。

 当然、攻撃が弱まったとは言え、がら空きになったお腹を相手にピンポイントで狙われて痙攣している胃袋をさらに殴られダメージが蓄積させられる。

 ウウウ

 倒れそうになるが負けてたまるもんかと、相手もがら空きになっている鳩尾に向かって膝蹴りを繰り出す。

 オエ

 今度は相手が嘔吐した。吐しゃ物が相手のビキニを濡らす。

 負けるもんか。

 必死で畳みかける。顔以外のあらゆるところを手当たり次第に無茶苦茶に殴る蹴るを繰り返す。

 ゴングが鳴る。

 気が付くと相手が仰向けになって白目を剥いていた。

 

「大丈夫?」

 リングを降りた後もトイレで便器に覆いかぶさりながら嘔吐しているとコトさんがドアをノックして様子を見に来てくれる。

「はい。ウ、、、」

 もう嘔吐物がなく涎だけが垂れていた。

「頑張った頑張った」

 コトさんが汗だらけの背中を後ろから摩ってくれる。

「今回はヤバかったね。正直ダメかと思ったわ」

 気持ち悪くて頷くことしかできない。

「でも強くなったね。数カ月前だと見違えるほど。これでCランクからBランクへ昇格ね。次も期待しているからね」

 変わらず摩ってくれるコトさんの手が暖かい。

 そう、私は期待されている。もっと期待されたい。

「もっともっと勝って、たくさんお金を稼いでね」

 お金はどうでもいい。

 どうでもいいわけではないけど、違うんだよコトさん。

「そうそう。スポンサーから伝言なんだけど、ヒカルちゃんも強くなったから、勝ち方にもこだわってほしいだってさ」

「勝ち方?」

「うん。相手の倒し方。おしっこ漏らしているところを見たいんだってさ」

「おしっこ?」

「失禁だよ。気は進まないかもしれないけど」

 聞きながらあの背の高いスーツ姿の男性を思い出す。どうして、そんなものを観たがるんだろう。

「もちろん、これまで通り試合に勝つだけでもカンパは跳ね上がるよ。それに漏らさせたらさらに上乗せしてくれるということ」

 もっとくれるのか。あの男性は一体いくらお金を持っているんだろう。世の中には自分の想像を超えた金持ちがいる。

「あの、喜んでくれますか?」

 嘔吐が収まり、トイレットペーパーで口を拭く。

「そりゃあ、まあ、そうね。それよりもほら、タオル」

 対して曖昧なコトさんは曖昧な答え方をする。

「ありがとうございます。あまり喜んでくれないんですか?」

 タオルを受け取り口を拭きながらコトさんに顔を向ける。

「そんな目で見つけないでよ。お金をくれるってことはそういうことだよ」

 それにスポンサーの人も喜んでくれるということに安心した。

 お金をもらえるということは誰かが喜んでくれること。

「コトさんも私がそういう勝ち方すると喜んでくれますか?」

「だから、そんな子犬のような目で観ないでよ。可愛いなあ。もう」

  可愛いとまた言ってくれた。

  嬉しい。

「私やります!! どんなことでもやります」

「でも、今後も勝つだけでも大変だと思うから余裕があったらだけどね」

「はい」

 勝ちたい。

 別に人の失禁には興味がなかったが、それで喜んでくれる人がいるなら何でもやる。やってやる。

「あの、コトさん。今度またトレーニング一緒にさせてください」

「うん。いいよ。やろうか」

 コトさんが肩をポンと叩いた。

 勝つためにはもっと強くならないと。

 ここは頑張って頑張って自分が変わり、戦えば戦うほど周りもどんどん変わっていく世界。

 もっともっと強くなって、もっともっと勝って、たくさん褒められたい。

 

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