海色
笹木結城
1話
日本人は希望に満ち溢れてキラキラと輝いているものに「青」を付けるのが好きだ。若さを武器にして駆け抜ける季節を青い春と謳い、その年代を青年期と呼ぶ。夏になって元気に伸びた草のことも、これからとびきり甘くなる果物のことも、みんな青で表現する。
その「青」は、彼ら自身から生み出された「青」だ。若い今を楽しんでいるからこそ青く見える、草や果物だって何も人工的に青く塗られたわけではない。
「おはよう、菜緒」
大学生と言えば、自分で自由に履修を組んで好きなように受講するのが一般的だ。友達と固まって後ろの席を占領していようが、アルバイトの疲れを取るために仮眠していようが、1人静かに取り組んでいようが、それは全部個人の自由だ。単位さえ取れるのなら何をしても大方許されるだろう。
だがそれは、常識の範囲内においての話だ。
週に一度同じ講義を取っているだけの、簡単に言えばただの他人を相手に馴れ馴れしく接する。私の知る限り、それは非常識な行為に含まれる。広い講義室でわざわざ私を見つけ、真隣に腰を下ろす彼女は私とは正反対の教育を受けてきたのだろうか。
「今日も早いね!」
「……すぐ近くなので」
「この前の課題っていつ締め切りだっけ?」
「………来週です」
「あ、また敬語使った!同い歳なんだから外してよ!」
例え同い歳であっても、親しい間柄でない以上は敬語を使うのが当たり前だと思う。ただし、この非常識な子には通用しない当たり前だ。
「………桐山さん」
「もう!紗奈って呼んでってば!」
「……講義、始まるから静かに」
「え?……ほんとだ、先生も今日は早いねぇ」
講義室に入ってきた、青い時期をとっくに過ぎた準教授を見ながら口を窄ませている。開始3分前に講義室に入るのは常識的だと思うのだけど、やはり、彼女にとってはそうではないようだ。
桐山紗奈。フットサルサークルのエース格で、周りからは「さっちゃん」と呼ばれる人気者。この講義以外で見かける彼女の周りにはいつも楽しそうな誰かがいる。青い季節を存分に味わっているタイプの人間だ。一方の私は、年齢だけが青くて中身は枯れ果てていると言っていい。自分で自分を枯れ果てていると表すのはどうかとは思うけれど、日頃の楽しみといえば自分の家でのんびりと過ごすこと以外見当たらない。退職後の生活を隠居と呼ぶのであれば、私の生活もさほど変わらず陰に隠れたものだろう。
彼女がなぜ私を下の名前で呼ぶのか、正確な理由は知らないし興味もない。キッカケをあえて挙げるとすれば、昨年の夏に図書館で起きた空調機の故障に偶然居合わせたことだろう。大学の図書館はメジャーな文学作品から一体全体誰が読むのだろうと疑えるほどマイナーな専門書まで、ありとあらゆる文献で溢れかえる宝箱だ。上京したてで遊びに出掛けるような友達もいない、燃えるような暑さの中で肌を焼いて動き回るなど理解し難い。大学の徒歩圏内に部屋を借りていたのもあって、涼しく静かな図書館で本を読むのが夏休みの日課になっていた。電気代の節約にもなると思ってその日も粛々と物語の世界に浸っていた。
いつもよりも暑いと思って冷房のスイッチを見に行ったらエラーの表示になっていた。時刻は14時を過ぎた頃で、この時間に空調が壊れるのは非常にまずい。読みかけの本を借りてさっさと帰ろうと思った矢先のことだった。同じようにスイッチを見にきた誰かに声をかけられて顔を向けた先にいたのが桐山さんだった。
「もしかしてエアコン壊れちゃってる?」
「……そうみたいです」
「大変じゃん!司書さんたち熱中症になっちゃうよ!」
栗色の髪の毛からピアスがチラついた本とは無縁そうな雰囲気の彼女が、いの一番に図書館司書の心配をするのは意外だった。通っている私が自分の心配しかしていなかったのを少しばかり反省したくらいだ。結局その日は休館になって、せっかくだからと近くの喫茶店に行く流れになってしまった。初対面の人と何を話せばいいのだろうと迷う暇もなく次から次へと話題を展開し続ける彼女に頷くだけで3時間は経っていた。コロコロと変わる表情が話を際立たせて飽きることはなかったけど、あんなに喋り続けて疲れないのだろうかと心配にはなった。
キャンパス内で見かける彼女も飽きずに談笑している。講義中は話さないタイプなのかはさておき、この時間に講義と関係ない会話をされた記憶はない。話すのが好きなのだろうとは思うしそう言った点では常識人なのもわかる。でもなぜ、気の合うサークル仲間や仲のいい友人ではない私の隣で受講しているのだろうか。常識人な部分そうでない部分の差があまりにも激しい。
「ん?なんかついてる?」
「……桐山さんは」
「紗奈って呼んでってば」
「…紗奈は、どうしてここにいるの?」
「え、履修しちゃったから?」
「……しちゃったんだ」
「うん。あ、変な意味はないよ!?」
履修しちゃった、の言葉にどうやったら変な意味を持たせることができるのだろうか。品育めいた意味を含ませることは可能だろうけれど、彼女はそういう部類には所属していない。醸し出す雰囲気やこれまでの話し方からそれを理解できるくらいにはなっていた。
「もしかして、アレ?どうして菜緒の隣で受けているんだろうって疑問に思った〜みたいな感じ?」
「うん。」
「なんでよ〜、仲良いと思ってるの私だけなの?」
悲しいなあとぼやきながらも顔は笑っている。なんなら声色も明るいから本当の意味で悲しいわけではないのだろう。
「菜緒はいつも私の話をちゃんと聞いてくれるじゃん。うんうんって、そう頷いてくれるのって心地いいもんだよ?」
彼女の話を特別否定する必要も腰を折ろうとも思わないから相槌を打つ以外の選択肢がない。だからいつも聴く側に徹底しているだけなんだけどな…。
「菜緒と一緒にいると、ああ〜青春だな〜って思うんだよね」
「…………は?」
「は?って何さ!イジワル言わないでよ!」
声が大きいと思った瞬間、教壇から咳払いが飛んできた。肩を窄めて謝罪の意を表した彼女を見てから講義を再開させているのを横目に、事の真相を聞き出そうとしたら先に言葉が飛んできた。
「青春ってさ、誰かと心が通じたり自分の居場所を見つけることだったり……そういうものだと思うんだよね」
「……サークルの子たちは?」
「うーん、嫌いとかじゃないよ?むしろ好き。でもなんだろうなあ、結局その場だけというか、自分のことを曝け出すとかは無理というか」
彼女の持つ非常識さというのは、もしかして、その曝け出された自分というものなのだろうか。仮にそうだとすると、こちらとしては余計真意がわからなくなる。なぜ私に曝け出す必要があるのだろうか。
「今までいなかったんだよね、菜緒みたいに受け入れてくれる人。だから菜緒の前で繕う必要なんてない気がする。隣に座るだけで落ち着くなぁ、って思う。だから私はここにいるんだよ」
微笑んでそう告げた彼女は、言い終えて満足したのか講義に参加し始めていた。同じようにスクリーンを眺めたら空と海の画像が映し出されて、教壇では青さの違いを解き始めていた。水には寒色系を反射させるような作用があって、空の青色を反射させていることで海は青く見えるのだという。一方で空が青いのは太陽の光や大気の性質から、青色の物質がより長く見えるから。紗奈が青く見えるのもまた、同じような理由かもしれない。例えその場のノリだとしてもそこでは彼女の明るさが際立っている。楽しそうに見えるのが錯覚だとしても、そこにいるのは眩しいくらいの笑顔を浮かべた紗奈だ。
私が年相応の「青さ」を得ようとするとして、きっと無理矢理に色を付ける必要はないのだろう。非常識を織り交ぜた紗奈の隣で静かに話を聞きながら彼女の青さを写せばいい。
海の青も空の青も、どちらも鮮やかなのだから。
海色 笹木結城 @Ms531
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