第82話 生まれた場所

 瑞樹が海外へと旅立った翌日。

 くるみとウラシマはとある場所を訪れる。


 彼女は自分がもうすぐ消滅すると思っている。

 だからずっと気にはなっていたけれど勇気が出なくて行けなかった場所――くるみが生まれた場所を訪れることにした。


「もうすぐここを開放するらしいな」


 かつて越山ドームだったエリアを歩きながら、ウラシマが呟く。

 『魔女』は魔法によって、越山ドームの存在を人々が認識できないようにしていた。

 だが特異級ヴェノムを討伐したことで、ヴェノムを隔離するドームは不要となった。いつまでも認識を阻害しておく必要はない。

 だが何年も放置された建物をそのまま使うことはできない。

 古井財閥の資産をじゃぶじゃぶとつぎ込み、スクラップアンドビルドで何もかもが一新された場所になるだろう。


「なくなる前に、見に来たかったの」


 くるみがここに来た本当の理由は、自分が消えてしまう前に見ておきたかったからだ。

 そのことにウラシマは気づいていないはず。

 ただ妙に鋭いところがあるから油断はできない。

 絶対にバレる訳にはいかないのだ。

 くるみが求めるかけがえのない日常が失われてしまう。


(あっ……)


 ウラシマがくるみの手をとる。

 くるみが不安になっていると勘違いしたのかもしれない。

 何か喋るでもなく、静かに手を繋いで2人で歩く。


(まずいかも)


 ドキドキと心拍数があがっている。

 身体が熱い。

 手から汗が出てくる。


(汗っかきだと思われちゃう)


 意識すればするほど手汗が酷くなっていく気がした。

 でも折角繋いでくれた手をほどきたくはない。

 汗よ収まれと自分の手に言い聞かせている内に、あっという間に目的地へとたどり着く。

 半壊した家の前で呟いた。


「ここが、私の生まれた場所」


 くるみの元になった少女が育った家でもあり、くるみの意識が芽生えたとき、つまりザ・ファーストに助けられたときにいた場所でもある。

 二重の意味で、くるみが生まれた場所だ。


「何も感じない……」


 特別な場所だ。何か感じるものがあると思っていたものの、いざ来てみれば、特に何も思わない。


「だって、何の思い出もないから」


 くるみの元となった少女の部屋の壁が崩れて、外に露出している。

 その部屋を見ただけで、彼女がどのように生きていたのか、どんなものが好きだったのか、なんとなく把握できた。

 アニメ調の男性が描かれたポスターが、まだ残っている壁に貼られている。男性のフィギュアが本棚にいくつも飾られている。

 いわゆるオタクと呼ばれるタイプの人であったらしい。

 くるみの趣向とは似ていない。


「何の関係も、ないから」


 少女が生きていた証の数々を見たところで何かを思い出すこともない。

 ここにくるみの過去はないのだ。

 お前はヴェノムと混ざって生まれた得体の知れない存在だと改めて指摘されているように思えた。

 手に圧迫感がある。

 ウラシマと手を繋いでいる方の手だ。

 彼が手に力を込めたようだ。


(私は……一人じゃない)


 ウラシマがいる。

 今は遠くに行っているが瑞樹もいる。

 何もない化け物ではない。

 好きな人も親友もいる。

 きっとちゃんとした女の子であるはずだ。


「ザ・ファーストに助けてもらったと言っていたな」


 この場所でくるみが唯一所持している過去だ。

 くるみは頷いた。


「その、ザ・ファーストは……どんな人なんだ?」

「ザ・ファーストのことが気になるの?」

「気になるというか、なんというか」


 ウラシマにしては妙に歯切れが悪い。


「会いたいの?」

「会いたいような会いたくないような……」


 ウラシマが遠くを眺めている。

 それは彼が過去に想いを馳せるときの仕草だ。


(どうして?)


 2人に関係はないはずだ。

 少なくともくるみがウラシマと出会ってから、彼はザ・ファーストと一度も接触していない。

 あるいは最強の魔法少女と呼ばれることもある彼女に感じ入るものがあるのかもしれない。

 くるみは当時のことを思い返す。

 何も分からないくるみにザ・ファーストが手を差し伸べて、


「――あっ」


 不意に気がついた。


「ウラシマさんはザ・ファーストに、亜里沙さんに似ているのかも」


 ウラシマと出会ったとき、どこかで見たような気がしていた。

 その理由にようやく思い至った。


「……そうか」


(でも、なんでそう思うんだろう?)


 ウラシマもザ・ファーストも歴戦の戦士だ。

 だから似たような雰囲気になるのだろうか。


「――あれ?」


 ザ・ファーストの本名は壱牧亜里沙だ。

 そして以前にウラシマから聞いた、彼の妹の名前も亜里沙だ。


「もしかして……兄妹?」

「まだ会ってないから断言はできないが、そうらしい」


 世界は意外と狭いらしい。


「亜里沙さんとはときどき連絡してるし、一緒に会いに行く?」


 忙しい人であるため、あまり一緒にいられる訳ではないが、一応彼女はくるみの保護者である。普段から連絡は取り合っている。

 くるみの提案にしばらく黙り込んだ後、ウラシマは答えた。


「いや、今は止めておこう。どんな顔をして会えばいいのか分からない」


 ウラシマは17年前に異世界に召喚された。

 妹である亜里沙にとって、兄は既に死んだ存在のはずだ。

 ずっと行方をくらましていた理由を、彼女が納得してくれるかどうかは分からない。いや、普通に考えれば、異世界に召喚されたなど信じられるはずもないだろう。

 家族であるからこそ、余計に受け入れられないはずだ。


「ただ、いずれ会う必要はある」


 ドーム・ゼロに入ってヴェノムの間引きを行い、ドームの決壊を防いでいる最強の魔法少女。

 越山ドームの主を倒して奪還してみせ、異次元の強さを示す魔法おっさん。

 2人が手を組めばドーム・ゼロの主とて恐れるものではないはずだ。ヴェノムの消滅が現実のものとなるはずだ。


「そのときは、傍にいてくれないか?」


 ウラシマが不安そうに尋ねた。

 珍しいと思った。

 いつものウラシマには自信と余裕がある。

 自分の力や経験があれば大概のことはなんとかできるという自負なのだろう。

 でも今は、様子が違った。


「もちろんだよ」

「ありがとう。くるみちゃんが傍にいてくれたら、俺もきっと勇気を出せる」


 ウラシマが見せた弱い一面。

 くるみにとってはマイナスにはならず、むしろ大きく好感度が上昇していた。

 しかもただ弱さを見せただけではなく、くるみのことを頼りにするというオマケ付き。

 天井知らずで好きが溢れていき、くるみは自分の感情を抑えられなかった。


「好き」

「……ん?」

「ウラシマさんが好きっ!」

「きゅ、急にどうした?」


 繋いだ手をほどいて離れる。

 ウラシマと向かい合って改めて告げた。


「私はウラシマさんのことが、異性として好き」


 ウラシマが自分のことをどう思っているのか。

 くるみには分からなかった。

 でも残された時間はあと僅かだ。

 後悔しないようにやれるだけのことはやりたい。

 だから、くるみはウラシマに手を差し出した。


「私とお付き合いしてください!」


 頭を下げているため視界には地面しか映らない。

 ウラシマがどんな顔をしているのか分からない。

 永遠にも思えるわずかな時間が過ぎた後、ウラシマはくるみの頭を撫でた。

 ――くるみの手はとらなかった。


(私、フラれたんだ)


 ウラシマが自分に向ける好意は、家族や友人に向けるタイプのもので、恋愛対象に向けるものではなかったのだろう。

 予測できていたことだ。

 分かっていたことだ。

 それでも胸の奥は苦しくなった。

 くるみの頭を撫でながら、ウラシマは言う。


「ヴェノムの脅威をなくすまで、誰に対してもそういう目で見る気はない」


(……あれ?)


 ウラシマの言葉は想定していたものではなかった。

 彼の言葉はむしろ可能性を感じさせるものだ。


「ヴェノムの脅威がなくなったら?」

「俺たちは今、一緒の吊り橋にのっているようなものだ。ヴェノムが消滅すれば吊り橋から降りられるさ」

「全部終わった後も私がウラシマさんのことを好きだったら?」

「それは……」


 くるみは小指を立てて、ウラシマに手を伸ばす。


「約束して。私のことを恋愛対象として見るって」


 ウラシマは困った顔を浮かべながらも、小指をくるみの小指と絡めた。

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