第71話 いつ俺がそんなことを言った?

 サンダーアサシンは実姉を殺された憎しみに染まっている。

 憎しみ自体が悪いことだとは思わない。

 生きる原動力になる。

 実際、俺も魔王に手痛い敗北を喫した後、憎しみによって再起することができた。

 だがそれもこれも、憎しみの使い方を誤らなければ――の話だ。


「死ね!」


 突き刺した刀を介して雪女の内部に電撃が送り込まれる。

 相手が人間であったなら、あるいは普通のヴェノムであったなら、その内部からの破壊は効果抜群だっただろう。


「お前、この前戦った雷使いと似ているな」


 だが特異級ヴェノムである雪女には通じていない。


「くっ、何故効かないでござるか!」

「この前の奴より弱いな」


 サンダーアサシンは『魔女』でも有数の実力者だ。だが雪女が言うように、『初代組』でもあるサンダーファントムには一歩劣る。

 そんなサンダーファントムですら雪女の前に敗れたのだ。サンダーアサシンが敵う道理はない。


 彼女は憎しみで思考を曇らせて現在進行形で判断を誤っている。

 相手との力量差を読めていない。やるべきことを弁えていない。


「その程度で、なぜ我に勝てると思った?」


 雪女から魔力が漏れ出て空間全体に圧がかかる。


「我を愚弄するつもりか?」

「ぐ、ッ」


 雪女の圧によってサンダーアサシンの顔が苦痛に歪む。


「チッ!」


 舌打ちをしながら彼女の元にかけよって、そのまま抱きかかえた。

 サンダーアサシンが立っていた場所に無数の氷塊が着弾する。

 あのまま放っておけば彼女は死んでいただろう。


「なッ!?」

「今は黙ってろ」


 サンダーアサシンは高い身体能力を持つ。

 だが――判断が遅い。

 身体能力に見合った反射と思考がなければ、雪女の相手をするには分が悪い。


「その女は邪魔だ」


 雪女の足元が凍ったかと思えば、彼女を中心にして床が一気に凍っていく。

 地面に置かれたもの――椅子や机、商品、そして店頭販売用ののぼり旗といったあらゆるものが凍っていった。

 あれはマズい。

 触れた時点で凍らされてしまう。


 その場から2階の廊下へと跳んで移動した。

 だが凍った床は瞬く間に広がって1階の壁や天井、エスカレーターを通じて2階に迫りくる。


「くそッ」


 同じようにして3階に避難するが、すぐに3階も凍りついた。

 逃げ場を失って、俺はサンダーアサシンを抱えながら、メインホールの真ん中に退避した。

 空中に浮かびながら、1階で1歩も動かずにこちらを見上げている雪女に声をかける。


「ずいぶんと歓迎してくれるじゃないか」


 雪女は何も答えずに手をあげた。

 メインホールの吹き抜けの床や壁、天井は1階から3階までほぼ凍っている。

 凍った面のいたるところから氷の塊が生成された。

 それらは全てウラシマたちに向かって射出される。

 ホールの中心で浮かんでいたウラシマたちを360度、全方向から襲い掛かった。


「そんなのありか!」


 飛行魔法で飛行したりシールド魔法で足場を作って跳びながら、3次元に縦横無尽に動いて回避する。

 まずいな……。

 このままだと限界が来る。

 俺のことではない。抱えたまま回避することになった、サンダーアサシンのことだ。


「うッ、ぐ……」


 俺は今、彼女の全力以上に動いている。瞬時に止まったり方向を変えたりしているため、移動に伴う加速度の影響は多大だ。

 自分の意図した動きならともかく、彼女は俺の動きに無理やり合わせられている。次にどう移動するか。そんな予測もできぬままに急な方向転換だ。

 きっと彼女の三半規管はボロボロだ。


「くッ……」


 それだけでも辛いだろうが追い打ちをかけるのは周囲の気温だ。

 正確な数値は分からないが、おそらくマイナス50度以下のはずだ。

 身体の内部は魔法で保護しているので問題ないが、俺の吐く息が外部の冷気にさらされると瞬時にサラサラと音を立てて凍りつく。

 今ならきっとバナナで釘を打てるに違いない。


 魔法少女は耐寒性を持つと聞いてはいるが、それもこの極寒の中では厳しいだろう。

 サンダーアサシンの顔――鼻や口は布で覆われているが――はどんどん青白くなっていき血色も失われている。


 分が悪いと言わざるを得ない。

 彼女の身体を考慮するとこれ以上に素早く動くことはできない。

 そんな中で無数の氷塊を避けるのには限界がある。


「いったん逃げるか」


 メインホールは完全に雪女の制御化にある。このままここで戦うべきではない。

 ホールから3階の通路に移動して奥へと逃げる。


 凍った床が俺たちを追いかけてくる。

 このままではすぐに端までたどり着いて逃げ場を失うだろう。

 それでも俺が何の対策もせず走って逃げているのは、1つ思い当たる場所があったからだ。

 その場所は――ボギヨーだ。

 ボギヨーの店内へと逃げ込む。


「思ったとおり、だな」


 凍った床は、ボギヨーの店内までは迫ってこなかった。

 どうやら雪女は本気でボギヨーのことを気に入っているようだ。

 そんな彼女の無邪気な好意を利用するようで気が引けるが、利用できるものはなんでも利用するのが俺だ。そうしてこなければ俺は今ごろ生きてはいない。

 体温を失って冷え切ったサンダーアサシンに回復魔法をかけて身体を温めた。


「あったかい」


 サンダーアサシンが赤ん坊になったみたいに抱き着いてくる。

 平時であれば心身ともに消耗している彼女の面倒を見てもいいのだが、今は戦闘状態だ。

 ボギヨーのソファに彼女を寝かせる。


「ふぁぁぁ」


 ……サンダーアサシンがダメになった。

 さっきまで苦しそうで死にかけの病人みたいだったのに、今はまるで天国にいるみたいに安らかな顔を浮かべている。

 人をダメにするソファ、恐るべし!




    ◆




「さて」


 ボギヨーの店内は安全圏だ。

 サンダーアサシンはこのままここに放置すれば問題ないだろう。


「我のお気に入りを利用するとは酷い男だな」


 ボギヨーの店の前に、雪女が悠然と立っている。

 彼女には恐れの感情は見えない。

 自分が敗北することはあり得ないと思っているのだろう。

 いや、あるいは恐れの感情自体が存在しないのかもしれない。


「今から本番だ」


 脳内でスイッチを入れる。

 異世界にいた頃に、ひたすら魔族や魔物を殺し続けていた頃に近づける。

 こっちの世界に戻って来てから初めての、気合を入れた戦闘だ。


 床を蹴る。

 敵に近づく。

 殴り飛ばす。

 雪女が認識するよりも早く、その工程を終えた。


「ぐッ」


 雪女は吹き飛ぶ。

 ボギヨーの向かい側にあった楽器屋に突っ込み、そのまま壁をぶち破った。

 雪女はショッピングモールの外へと放り出される。


 俺も楽器屋の壁にできた穴から外へと飛び出す。勢いよく吹き飛んでいく彼女を追う。

 目の前にピアノやギターといった楽器が集まって氷の壁ができた。


 吹き飛ばされながらも、これ以上の追撃を避けようとしたのだろう。

 殴って粉砕した。


 何年もその中に引きこもっていたのだ。ショッピングモールは雪女の支配下にある。その内部にあるものは自由に操れるようだ。

 だがショッピングモールから出てしまった以上、その地の利は意味をなさない。

 ほんの少し遅れて、数多の商品がモール内から飛び出て集まり、俺を阻もうとしている。

 ざっと一瞥して、呟いた。


「甘いな」


 無数の商品たち。その中にボギヨーのソファを一つでも紛れ込ませていれば、俺の意識をわずかに逸らすことができたはずだ。

 だがボギヨーの商品は一切見当たらない。


 サンダーアサシンを人質にとる程度の脳がないのか。まだ余裕があると思っているのか。それとも正々堂々と戦いたいのか。

 いずれにせよ悪手だ。

 まぁ仮にそういう手段をとられたとしても、サンダーアサシンがどうにかされるよりも先に雪女を殺していただろうが。


 国内でも最大級の規模を誇るショッピングモール。

 その内部にある無数の商品が集まって壁を作ろうとしている。

 完成してしまえば、俺であっても、壊すのにほんのちょっと時間を要するかもしれない。

 だが――。


「遅い!」


 サンダーアサシンを抱えているならいざ知らず、その程度のスピードでは今の俺にとって話にならない。

 氷の壁が完成するよりも先に、その密度が薄い場所を突っ切る。


「なんだとッ!?」


 雪女が驚いている。

 焦って氷塊を飛ばしてきた。


「無意味だ」


 シールドで簡易的な足場を作って跳びながら避ける。

 特異級ヴェノム・雪女。

 この世界の人類の敵。

 ポテンシャルで言えば、魔王の直属の部下である四魔将に匹敵していたかもしれない。

 だがそれはあくまでポテンシャルだけの話だ。


 特異級ヴェノムは所詮、猿山の大将だった。

 実力を持つ相手と切磋琢磨していない。同じ特異級ヴェノムで実力を高め合うことすらしていない。

 ドームという人間が作り出した箱庭に満足して引きこもっている。


「ぬるすぎる」


 最も許せないのはその程度の実力で、俺の大事なものに――くるみちゃんに手を出したことだ。

 俺のものを奪うやつは許さない。

 雪女に追いつき、蹴り落とした。


「た、大した力だな……」


 地面には雪が積もっている。

 そのお陰で衝撃が多少吸収されたらしく、よろよろと雪女が立ち上がった。


「だが知ってのとおり、我らは魔法でしか倒せぬ。そして我に雷魔法は効かぬ」

「……そんなことか」


 雪女はくるみちゃんを通して人間たちの情報を得ていたと思われる。

 だから俺のことを知っている。

 しかもドーム・ゼロの主とやらにも、俺のことを聞いていたらしい。

 こっちの世界で本気を出したことはなかったが、俺の実力はある程度知っていたはずだ。

 なのにどうして俺に勝てると思っていたのか不思議でならなかった。

 その理由は酷くしょうもないものだった。


 雪女は雷魔法に強い耐性があるらしい。

 だから雷魔法を使っている俺にも勝てると思ったようだ。

 相手の許容限界を超えた雷魔法をぶち込んでやって、雷魔法も効くじゃないかと煽ってもよかったが、まぁそんな無駄なことをする意味はない。


「お前は雷魔法しか使えないのだろう? だからお前が我を倒すことはできない」

「はぁ……」


 呆れてため息をついてしまう。


「いつ俺がそんなことを言った?」


 一度も覚えがない。


「あ、あの娘を使ってお前の戦いをずっと見てきた! お前は全て雷魔法でヴェノムを葬っていたはずだ」

「俺は雷魔法以外も使うことができるぞ」

「だったらなぜ雷魔法ばかり――」

「カッコいいからだ」


 カッコよくてテンションが上がる。

 それ以上の理由など、ない。


「は、はぁ? そんな理由で雷魔法しか使ってこなかったというのか!? いや、待て。ただ使えるというだけで、雷魔法ほどの威力は出せないのだろう? そうに決まっている」


 特異級ヴェノム・雪女。

 彼女は人間に興味を持っていたのだろう。それが彼女だけの性質なのか、他の特異級ヴェノムにも適用されるものなのかは分からない。

 だが、彼女はくるみちゃんを通して多くのことを知ってしまった。


「余計な知識に惑わされずに、本能を研ぎ澄ませれば無様な結果にならずにすんだかもしれないものを」


 俺は魔法を唱えた。


「『フレア』」


 手のひらに白い炎が発生する。


「これはあっちの世界で、極炎魔法と呼ばれていたものだ」


 白い炎はあらゆるものを焼き尽くすとされている。

 実際、俺が魔力を込めたものであれば、大概のものは焼き尽くせる。

 それは目の前の特異級ヴェノムとて例外ではない。


「ま、待て! それをくらえば我は――」


 雪女が後ずさる。

 無表情な顔が僅かに歪む。

 彼女の顔に宿った表情――それは恐怖だ。


「安心したよ。特異級ヴェノムにも自己の消滅を恐れる感情が存在するんだな」

「わ、我が悪かった。降参だ。お前たちに屈しよう」

「黙れ」


 これ以上、会話をする気はない。


「俺は怒っているんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る