第68話 銀世界
決死の覚悟で越山ドームへと突入し、アイスソード――瑞樹は思わず呟いた。
「綺麗……」
彼女たちの目に映ったのは見渡す限りの銀世界だ。
壁で覆われて日光を遮られてにもかかわらず、ドームの中は昼のように明るい。
魔法で作られた天井が淡く発光しているためだ。
あたり一面に積もった雪が、上部から照らされた光に照らされて輝いている。
「忌々しい光景だぜ」
レッドソードが美しい景色を前に苦々しく吐き捨てる。
彼女は以前に実施されたこのドームの奪還作戦に参加した者の一人だ。
目の前に広がる幻想的な景色は、彼女にとっては嫌な記憶なのだろう。
「随分と豪華な檻だよな」
「檻な訳ないでしょう。これはヴェノムに与えられた箱庭です。特異級ヴェノム・雪女はこの箱庭で満足していたはずなのだけれど……」
「雪女さんは欲求不満になっちまったってことか」
「そうみたいねぇ」
アイスシールドがチラッと思わせぶりな視線をウラシマに向ける。
瑞樹の母親であるアイスシールドは、よく思わせぶりな態度をとる。
明確な言葉にはせず、それでも何らかの意図を含んた行動。瑞樹はいつも彼女の意図するところを正確に読みとることができず、から回った対応をしてしまい、いつも彼女に笑われてしまう。
「ウラシマを責めるのは筋違いだぜ」
「あら、そう見えたかしら、ごめんなさいね」
(ざまぁみろ)
アイスシールドがレッドソードにたしなめられている。
その様を見て、瑞樹はほくそ笑んだ。
「気にしていないさ。雪女とやらが俺に何らかの目的を持っていることは事実だしな」
雪女と呼ばれる越山ドームの特異級ヴェノム。その目的は不明だ。
もしかしたらウラシマの存在が切っ掛けとなって今回の誘拐が発生したのかもしれない。
だからと言って瑞樹はウラシマを責めようとは思わない。
悪いのはあくまでヴェノムであるし、ウラシマがくるみのことを大事に想っていることも分かっているからだ。
だから瑞樹にできることはただ一つ。
瑞樹とくるみ、ウラシマの3人の生活を――瑞樹にとって何よりも幸せな時間を――取り戻すために全力を尽くすことだ。
◆
瑞樹たちは目的地であるドームの中心――大規模なショッピングモールに向かって、周囲を警戒しながら進む。
前回の奪還作戦時に特異級ヴェノムと遭遇したザ・ファーストの情報によれば、そのときはショッピングモールを拠点としていたらしい。
同じ場所にいるとは断言できないが、あえて移動する理由もないので恐らくそこにいる可能性が高い。
「ふ、っ」
瑞樹の息は荒くなっていた。
吐く息は白い。中に近づくほどに、その白さは濃くなっていくように感じる。
(寒い……)
ドームの外の気温は30度を超えている。
だがドームの中は真冬のそれだ。性格な温度は不明だが、間違いなく氷点下になっているだろう
魔法少女に変身することで、ある程度の悪天候には耐性ができる。この雪の世界の中であっても体感としては肌寒い程度なはずだ。しかも瑞樹はアイスソードとして氷の魔法を使っており、普通の魔法少女よりも寒さには強い。
にもかかわらず彼女は顔を青くしながら身体を震わせている。
それは身体的な理由ではなく精神的な理由によるものだ。
ドームに足を踏み入れた瞬間から感じる圧力が、特異級ヴェノムの濃厚な気配が、瑞樹の心を消耗させていく。
「冷えるでござるなぁ」
前を進むサンダーファントムが呟いた。
「随分と身体が震えているわねぇ」
「怖気づいたのか?」
「武者震いでござるよ」
歴戦の魔法少女たちも当然、特異級ヴェノムのプレッシャーを感じているはずだが、彼女たちには笑い飛ばすだけの精神的強さがある。
(足手まといになる訳には……!)
ただでさえ戦闘能力は劣っているのだ。
こんなところで無様をさらすことは許されない。
「この件が終わったら、3人でどこかに行こうか」
「何を呑気な――」
ウラシマが大事な戦いを前に油断していた。
彼に注意をしようとして止める。
瑞樹をリラックスさせようとしていることに思い至ったからだ。
「あたりは冬景色だが今は夏だ。なんか夏っぽいことでもしようぜ」
「海……は今年はもうこりごりね」
夏らしいこと。海の他になにがあるだろうかと考えを巡らせると、一つ思い当たることがあった。
「お祭り。うん、3人でお祭りに行きたい」
「夏祭りか……いいねぇ。瑞樹とくるみちゃんの浴衣姿が楽しみだな」
「ウラシマの欲をかなえるつもりはないから」
「着てくれないのか? それは残念だ」
「そうまでして見たいものなの?」
妙に浴衣にこだわるウラシマに呆れてしまう。
瑞樹とてくるみの浴衣姿は楽しみではあるが。
「そりゃあ瑞樹やくるみちゃんみたいな可愛い女の子の浴衣姿は見たいだろう?」
可愛いという言葉を口にされてドキッとしていまう。
ウラシマには気負った様子はなく、瑞樹が一方的に動揺していた。
(相変わらず余裕ぶって)
これだからウラシマは嫌いなのだと心の中で罵倒した。
「それに――夏祭りと浴衣には特別の憧れがあるのかもしれん」
「どういうこと?」
「召喚されてなければ体験できたかもしれない青春は、俺にとって眩しいものなんだ」
ウラシマは17歳のときに異世界に召喚された。
その後34歳になって帰還するまでの17年間。こっちで体験できたはずのありふれた日常は、彼にとって決して手に入らない宝物なのだろう。
「召喚されなくても体験できなかったのでは?」
「それを言ったらおしまいだろうが」
ウラシマは苦い顔だ。
否定できるだけの根拠を示せないらしい。
「まぁ……浴衣の一つや二つ、着てあげる」
「本当か!?」
「哀れなおじさんに施しを与えてあげるの」
「ぐはっ」
ウラシマがよろけてショックを受けている。
瑞樹は心にダメージを負ったウラシマを見ながらほくそ笑み、夏祭りに思いを馳せる。
きっと楽しいだろう。3人で回る夏祭りは、きっと一生の思い出になるはずだ。
(だからこそ――絶対にくるみを取り戻す)
瑞樹は幸福な明日を手に入れるべく気合を入れなおし、特異級ヴェノムによるプレッシャーを跳ねのけて前へと進んだ。
◆
「凄い……」
サンダーアサシンは先頭を行くウラシマの戦う姿を見て、いつものござる口調を保つことも忘れて呟いた。
サンダーアサシンであれば、いや、初代組であるレッドソードやアイスシールドであっても手こずるであろう上級ヴェノムが道中で出現しても、あたかも下級の雑魚ヴェノムが出現したかのように簡単に一撃で倒してのける。
息があがっている様子もない。埃を払いのける程度の障害でしかないのだろう。
(きっとウラシマなら特異級ヴェノムを倒すことができる)
圧倒的な力だ。
特異級ヴェノムを倒せるに違いない。
その力は『魔女』の希望だ。人類の希望だ。
だがウラシマの強さを知っても――いや、知ったからこそ、サンダーアサシンは素直に喜べなかった。
(それだけ強いなら、どうして……)
ウラシマがスノーラビットたちに付き添っていれば、彼女の姉であるサンダーファントムが死ぬことはなかった。スノーラビットを守ろうとして命を落とすことはなかった。姉の死因がマスコミやネットで騒がれて、あらぬ誹謗中傷を受けることもなかった。両親が心身ともに衰弱してしまうこともなかった。
ウラシマが傍にいれば――
(……筋違いね)
サンダーアサシンは心のモヤモヤを消そうと首を振った。
男性が参加するべきではないと夏の合宿にウラシマの参加を認めなかったのは『魔女』の方だ。そして、その間のスノーラビットたちの保護を請け負ったのは『魔女』であり、保護役の代表者がサンダーファントムだ。
責任は『魔女』やサンダーファントムにあり、むしろウラシマは余計なことに巻き込まれている被害者なのだ。
サンダーアサシンも事情は把握している。でも、それでも彼の強さを目の当たりにしてしまえば、あり得たかもしれない世界を思い描かずにはいられない。
「あの……大丈夫、ですか?」
声をかけてきたのはアイスソードだ。
最もプレッシャーを感じて疲労しているはずの後輩に心配されている。
「大丈夫でござる。拙者はこれでも結構強いでござるから」
せめて先輩らしく後輩の前では余裕の態度でいようと、サンダーアサシンは笑いながら両手を組んで忍者のポーズをした。
――ニンニン。
◆
雪原をしばらく進むと、ショッピングモールの建物が瑞樹たちの目に入ってきた。
ヴェノムの気配はどんどん濃くなっていく。
敵の本拠地を睨みつけながらレッドソードが言う。
「もうすぐだぜ」
その声は心なしか震えているように感じた。
あのレッドソードですら敵の強大さに恐怖している。
瑞樹たちは重たくなった足を気合で動かしながら前と進んだ。
「待て」
ウラシマが呼び止める。
「あっちに何かいる。この気配はヴェノム――いや、人間か?」
「つまり……壱牧くるみでござるか?」
「恐らくな」
目標の一つであるくるみの居場所が判明した。
ショッピングモールに向かう道からは逸れた場所から気配があるのだという。
この場合どうするべきか。
くるみの元に向かうか、特異級ヴェノムの元に向かうか。『魔女』としては後者なのだろうが、この場で決定権を持つのはウラシマだ。
「まずはくるみちゃんのところへ向かう」
ウラシマの決定に誰も異は唱えなかった。というより今回の作戦がウラシマの力頼りな以上、誰にも反対する権利はない。もっとも、サンダーアサシンは特異級ヴェノムを優先すべきだと不満そうな顔をしているが。
しばらく進んだ後、開けた場所でウラシマが立ち止る。
「このあたりだ」
「誰もいないみたいだぜ?」
皆が周囲を見回す。
大きな建物がある訳でもなく、身を隠せそうな場所はない。
(くるみはどこに……?)
「上だ!」
レッドソードの声に慌てて上を見る。
空から何かの影が――
「――えっ?」
大きな衝撃音に思わず目をつぶる。
身体に痛みはない。
誰かに抱きかかえられている。このゴツゴツした腕の感触はウラシマだ。
(いったい何が……)
瑞樹は目を開ける。
周辺には白い煙が待っている。
空から何かが落ちてきた場所には人影があった。
徐々に煙は薄くなっていき、その姿が明らかになる。
「くるみ――えっ?」
最初はくるみだと思った。でもすぐに分からなくなる。
くるみに似た――しかし瑞樹が知るくるみとは決定的に違う何かがそこにはいた。
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