第54話 プロローグ

 壱牧くるみの朝は――遅い。

 ウラシマという34歳の男と蒼城瑞樹という同級生の少女と3人で同棲しているが、いつもその中で一番最後に起きる。


「もうすぐ朝飯できるぞ~」

「あと五分……」


 同居人の一人、ウラシマがリビングからくるみを呼んでいる。

 起きなきゃいけないと頭では分かっていても、布団の魔力に逆らうことができず身体が言うことをきかない。


「起きて」


 瑞樹がくるみの身体を優しく揺する。

 ゆさゆさと揺すられると心地よい。大事にされているように思えて充足感がある。


「えへへ」


 少しだけ寝坊することで、くるみは生を実感できる。

 ウラシマや瑞樹が自分のことを意識してくれていると分かるからだ。


「しっかりして」


 瑞樹が呆れたようにため息をつく。


「もう起きてるよ」


 重たい身体を動かして、暖かい掛け布団を身体の上からどかした。


「ッ!」


 瑞樹が息をのむ。彼女の目はくるみのお腹あたりに向いていた。

 どうやらパジャマがはだけておへそが見えていたらしい。

 だらしない格好が気に障ったというよりも、むしろその視線から感じるものは男が彼女の胸に向けてくる性的な視線に似ている気がした。


(うーん……。瑞樹ちゃんって女の子が好きなのかなぁ……?)


 瑞樹と一緒に暮らすようになり、さすがのくるみも気がつき始めていた。

 思い返せば今までも変な反応をすることは多かったし、同棲生活が始まってからはそれが顕著になっている。


(でもウラシマさんのことが好きみたいだし……)


 男が嫌いと発言している割にウラシマには自分から頻繁に構いに行っている。

 ウラシマと話しているときは可愛らしい反応をしているし、どこからどう見てもウラシマに好意を抱いていると思う。

 だからこそ、瑞樹が自分に性的な目を向けるというのは不思議に思えた。


(もしかしたら瑞樹ちゃんはどっちもいけるのかも……?)


「瑞樹ちゃんはハーレムだね」

「はぁ……?」

「何でもないよ。それより早く朝ごはん食べよう」


 まだ朝食の用意しているのか、台所にいるウラシマにあいさつをしながらリビングに向かう。

 テーブルの上には朝食が美味しそうに並べられている。


「今日はブレックファーストって感じだね」


 ご飯のメニューはウラシマ次第だ。今日の朝食は洋風のものだった。

 パンと目玉焼きとベーコンの焼けた香ばしい匂いが食欲をそそる。

 思いっきりその匂いを吸い込めば、少しずつ寝ぼけた意識が覚醒していく。


「う~ん、いい匂い!」


 瑞樹は自分の席に座り、ドラマでよく見る家族のお父さんみたいにリビングの椅子に座りながら、コーヒー片手に新聞を読み始めた。

 難しそうな顔をしながら得意げに「今日の日経平均株価は……」と呟いているが、実はそんなに理解していないことをくるみは知っている。


(カッコつけたがりな瑞樹ちゃん可愛い)


「ふふっ」

「どうしたの?」

「なんでもないよ。」


 早く朝ごはんを食べようとして椅子に手をかける。


「顔を洗ってきて」

「えぇ~」


 瑞樹は時折、小姑のようになる。

 面倒くさがりなくるみはよく彼女に怒られていた。


「ウラシマに寝起きの顔を見られるけど?」

「ッ!」


 くるみは慌てて洗面所へと向かう。

 彼女たち3人が同棲を始めてもう2か月が経っている。

 寝ぼけたまま、だらしない顔をさらしたことは何度もあった。

 今さら恥ずかしがるものでもないかもしれないが、それでもウラシマに寝起きの顔を見せずにすむならそうしたい。


 顔を洗い、うがいをする。タオルで顔を拭いながら鏡を見た。

 そこには壱牧くるみという名の少女が映っている。

 可愛い顔だと思う。子どもっぽさが抜けないところは玉に瑕ではあるものの、それでも万人を魅了する整った顔立ちであることは間違いない。

 くるみは自分の顔をどこか他人事のように評価していた。


(これが私)


 くるみはいつも鏡を前にして自分にこれが私なのだと言い聞かせている。

 曖昧な自己を少しでも強固なものにするためだ。

 にっこりと笑えば鏡の中のくるみも笑顔を浮かべた。




    ◆




 くるみには14歳より前の記憶がない。

 一番最初の記憶は壱牧亜里沙に肩を揺すられていたことだ。

 視界に彼女が映ったとき、恐いと思った。

 それは彼女が必死の形相だったからでもあり、その身体がボロボロに傷ついていたからでもある。


「もう大丈夫だから」


 くるみの意識が覚醒したことに気がつくと、彼女はくるみを抱きしめた。

 目覚めたばかりのくるみには状況が掴めていなかったけれど、自分はもう大丈夫なのだと安心できたことを覚えている。

 彼女に抱えられながら移動すると周囲には化け物が無数に存在していた。


「あぁ……」


 くるみは絶望した。

 記憶もなく、自分が何者かすら分かっていなかったけれど、きっとあの化け物たちに殺されてしまうのだということだけは分かったからだ。


「諦めないで」

「えっ……?」

「私たちは生きている。どれだけ無様を晒そうと、生ある限り生き足掻くの」


 後で知ったことだが、くるみが救出されたのは越山ドームの攻略に失敗した直後だったらしい。

 最前線で戦っていた亜里沙、つまりザ・ファーストも特異級ヴェノムに手痛い敗北を喫した後だったとか。

 もしかしたら彼女は諦めるなという言葉を自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。


 そして彼女はその言葉を見事体現する。

 どれだけ化け物たちに囲まれても、己が負傷していても、くるみというお荷物を背負っていても、彼女は決して諦めることなく、泥臭く足掻きながらその包囲網を脱したのだった。


 壱牧亜里沙はくるみの命の恩人である。

 彼女にはどれだけ感謝してもしたりない。

 いつも忙しいらしく、その後は余り関わることがないけれど、くるみにとって尊敬する魔法少女だ。




    ◆




 顔を洗ってリビングに戻る。

 瑞樹がウラシマにからかわれて顔を赤くしていた。

 相変わらずだ。


「早く食べないと」


 くるみに気がついた瑞樹が何もない風を装っている。

 ウラシマに便乗して瑞樹をからかうべきか悩んだが、テーブルに並ぶ朝食が目に入った。


「パイナップルだ!」


 テーブルにはデザートのパイナップルが追加されていた。

 くるみは甘いものが好きだ。果物もその大半が大好物である。

 急いで席に座った。


「いただきます!」


 2人はくるみのことを待っていてくれたらしい。

 みんなで一緒に食前の挨拶をした。

 待ちきれないとばかりにカリカリのベーコンを口にする。


「んん~、美味しい!」


 2人の優しい視線を感じた。

 彼らがくるみのことを視てくれている。

 それだけで心が満たされていく。


「ねぇ瑞樹ちゃん、ウラシマさん。私は幸せだよ」


 何気なく、それでいて幸せな日々の積み重ね。

 壱牧くるみは今日も生きている。

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