おまけ 続・恋愛マスターの敗北
歩き疲れたのか、瑞樹は公園のベンチに座っている。
両手にドリンクを持ったウラシマが近づいていく。近くの売店で購入したアイスコーヒーだ。
普通であれば瑞樹がその一つを受け取って、2人でベンチで一休みしながら談笑するはずだ。
でも残念なことに瑞樹は普通ではなかった。
アイスコーヒーを受け取ろうとせず拒絶している。
「素直に受け取ればいいものを」
愛梨は呆れてしまう。
「男の人に快く奢らせるのも、女の度量だってあれだけ言ってるのに」
以前に、頑なに男からの施しを拒否する瑞樹を説得しようとしたこともある。だが瑞樹は決して譲らなかった。
「あはは。でも瑞樹ちゃんはそこが可愛いでしょ?」
「そりゃそうだけどさぁ」
瑞樹は自分のことを常識人だと思っているくせに、妙なところでズレている。愛梨はそんな瑞樹のことを好んでいた。
「えぇ……」
ウラシマが瑞樹に強引にコーヒーを飲ませて、瑞樹がそれをやり返し、互いにコーヒーを無理やり飲ませ合う展開になっている。
「あの2人って付き合ってないんだよね?」
「うん」
カップルがイチャイチャしているようにしか見えない。
あれで男嫌いだと主張しているのだから呆れるほかなかった。
「あっ」
加減を知らない瑞樹が勢いよくコーヒーを流し込んだ結果、ウラシマの口からコーヒーが零れた。
ウラシマのTシャツにコーヒーの液体が零れて、がっつりと広範囲に黒いシミができてしまう。
「あちゃあ」
身体の前側が黒く汚れている。
白いシャツを着ているせいで、その汚れは誰から見ても明らかだ。
公園デートを続行するより、家に帰って着替えるべきだろう。
瑞樹もあからさまに落ち込んでいる。
「今日のデートは終了かもね」
「そうかも……あっ」
くるみが何かに驚いて目を丸くしていた。
彼女の視線の先はウラシマだ。服の広範囲にあったはずのコーヒーの汚れが綺麗さっぱり消え去っている。
「いったい何が――って、うわっ!?」
不可思議な現象について考える暇はなかった。
瑞樹たちの状況に大きな変化があったからだ。
――瑞樹がウラシマに抱き着いた。
「ごめんなさいの抱き着きだよね? 絶対そうだよね!?」
恋愛好きな愛梨は、目の前で繰り広げられるロマンスに大喜びだ。
だが一方でくるみは困惑の表情だった。
「えっと、あれは……」
くるみは事情を把握しているようだ。そして愛梨が期待しているようなものではないらしい。
実際、2人には甘酸っぱい様子はなく、瑞樹はウラシマに対して何らかの文句を言いながら、焦ったように周囲を見回している。
(瑞樹は突然コーヒーのシミが消えたことを隠したがっている……?)
本来なら消えるはずのないタイミングで消えたシミ。周囲に隠す必要がある現象。
愛梨には一つ思い当たることがあった。
「まさか……魔法?」
「えっ!? いや、そんな訳ないと思うよ、あはは」
くるみが否定する。
普通はそう思うだろう。
でも、愛梨の脳裏にはこびりついて離れない記憶があった。
――真帆川女子高校で、化け物と戦っていた人たち。
彼女たちが何者だったかは分からない。
でも、この世界の裏側には魔法という不可思議な現象が存在していることを愛梨の記憶が証明している。
「考えすぎか」
「うん、そうだよ!」
この世界には魔法が存在することは間違いない。
ただ、なんでもかんでも魔法に繋げることは愚かだろう。
コーヒーの汚れも単純に愛梨の見間違いで、そもそも汚れてなどいなかったという可能性もある。
「あっ」
瑞樹と目が合った。
「ごめん、見つかったかもしれない」
「……うん」
瑞樹がウラシマに抱き着いたまま耳元で何かを話している。
ウラシマはとくに驚いた様子も見せずに頷いて、愛梨たちに向かって「おいで」と手招きした。
「あー……ウラシマさんは最初から気がついていたのかも」
「さっきこそ不注意で見られたけど、それまではうまく隠れてたはず」
「ウラシマさんは気配に敏感だから」
「野生動物か何かかよ……」
「ある意味そうかもね」
何がツボに入ったのかは分からないが、くるみがクスクスと笑っている。
◆
愛梨たちは尾行がバレてしまい、大人しく瑞樹たちの前に姿を現すことにした。
ベンチに近づけば瑞樹が尋ねた。
「くるみたちは何をしているの?」
「その台詞、そっくりそのまま返すけど」
愛梨が問い返せば、瑞樹は首を傾げる。
何かおかしなところでもあるのかと言いたげだ。
おかしなところしかないと愛梨は思った。
「こんな真昼間から緑地公園のベンチで抱き着くなんて……いやらしいねぇ」
「ッ!?」
指摘されて初めて気がついたのか、急に顔を真っ赤に染めて、慌てて立ち上がってウラシマから距離をとった。
「おや~、図星だったのかな?」
「ちがっ!? これは……その、違うから!」
瑞樹は否定しようとして、しかし上手く言葉にできないようだ。
もっとからかってやろうと次の言葉を口に出そうとして、
「愛梨ちゃん」
くるみが愛梨の名前を呼んだ。
瑞樹をからかって愉悦にひたった心のままくるみの方に振り返り――愛梨の背筋が凍った。
くるみはニコニコと笑っている。
だが機嫌がいい訳ではないようだ。むしろその逆だった。
無言の圧を感じる。
これ以上からかえば許さないと彼女の笑っていない目が語っていた。
「君が田中愛梨ちゃんか」
「えっ、あっ、はい」
静かなるくるみに意識が割かれていたため、ウラシマからの問いかけにまともな返事を返せなかった。
「くるみちゃんと瑞樹から良く話は聞いているよ」
彼はよろしくねと穏やかに微笑んでいる。
(余裕のある男って感じ)
くるみの話では確か34歳だったはずだが、単なる見た目だけで言えば、年齢よりも若く見えるかもしれない。
何かスポーツでもやっているのか身体は引き締まっているし、顔つきは精悍で若々しく感じる。20代の男性と言われても信じてしまうだろう。
だが同時に彼が醸し出す雰囲気が、単なる若い青年だとは思わせない。
いったいどれほどの経験を積んできたのか。ウラシマからはなにごとにも動じることのない余裕を感じるのだ。
目の前でどんなハプニングが起きたとしても、落ち着いて対処するだろう。そう思わせるだけの貫禄が彼にはあった。
(この人はあたしの手には負えないかな)
愛梨は男に会ったとき、その人物が自分の手で転がせるかどうかがなんとなく分かる。
そして、目の前の男は転がせない人物だ。
恋愛とは求め合いだと愛梨は思う。
性欲を満たすこと、心を潤わせること、周囲に自慢できること。様々なことを求め、求められて関係を築いていく。
でもウラシマが愛梨に求めるものはなにもない。
だから手玉にとりようがない男なのだ。
そんな相手に本気になるのも面白そうではあるが、友人たちの邪魔をするつもりはない。
「あぁ、そういえば」
傍にいた瑞樹が何かを思い出したかのようにくるみを呼んだ。
そして瑞樹は先ほど購入したウラシマとお揃いのストラップをくるみに手渡した。
どうやらもう一つ買っていたらしい。
これでくるみが望んだとおり、3人お揃いだ。
「ありがとう瑞樹ちゃん!」
くるみは無邪気に喜んで瑞樹に抱き着いた。
瑞樹は興奮してあられもない顔をさらしている。
愛梨はそんな2人の様子を見ながら、疎外感を抱いていた。
あのお揃いストラップは愛梨の分がない。
愛梨は瑞樹やくるみと親友だ。だが、それ以上ではない。
瑞樹とくるみとウラシマ。彼女たち3人には何か特別な繋がりを感じる。愛梨では決して入り込めないものだ。
寂しくはある。でも、不満はない。そこに割り込むためには、きっと彼女たちの人生を丸ごと背負い込み覚悟がなければ駄目だと思うからだ。
(ただ、あたしがいないところで渡す気づかいが欲しかったなぁ)
空気が読めないところも瑞樹の魅力である。
ときに暴走する瑞樹のことを愛梨は好んでいた。
ただ、今回はもうちょっと空気を読んでほしかったなぁと思った。
(やれやれ……)
呆れながら瑞樹たちを眺めていると、ウラシマと目が合った。
彼も愛梨と同じように苦笑している。
少し、仲良くなれたような気がした。
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