第12話 コーヒー美味しい

 最初こそ難色を示していたが、適当に理由を挙げてやれば、くるみちゃんは俺を部屋に入れることに同意した。

 マンションに到着し、玄関扉の鍵を開けるころには躊躇う様子は見受けられなかった。


「お邪魔しまーす」


 案内されて部屋に入る。

 横着をしていたのか部屋の戸が開いていて部屋の構造が分かる。どうやら彼女の家は2LDKらしい。

 リビングは比較的整頓されているが、奥の2つの部屋は衣服や物が散らばっていてお世辞にも綺麗とは言い難い。


「あわわ」


 くるみちゃんは慌ててドアを閉めて、何もなかったかのように装っている。

 別に高校生の部屋が散らかっているぐらいで気にはならないが、むしろ別のことが気になった。

 彼女以外の人物が住んでいる気配がない。一人でこの2LDKの部屋を使っているように見えた。


「一人暮らしなのか?」

「うん」


 くるみちゃんはためらう様子もなくうなずく。

 そのあっさり具合に逆にこっちが戸惑ってしまう。


「不用心すぎないか?」


 くるみちゃんが首を傾げた。

 俺の質問の意図すら分かっていないらしい。一人暮らしの女の家に男をあげるなんて、まるで危機感がない。

 彼女自身に危機感がなければ、折角のオートロックを始めとした防犯機能も無意味だ。

 高校2年と言っていたが、どうすればここまでの純粋培養の子に育つのだろうか。

 彼女が着ている制服は真帆川女子高校のものだ。職探し中にその学校から、同じ制服を着た生徒が出てくるのを見たことがある。


 女子高だから危機感がないのだろうか。いや、少なくとも俺が高校生だったときにはそんなことはなかった。

 くるみちゃんはまるで同性の友人を招いたときのような気安さで、俺をダイニングテーブルに座るように促した。


「ウラシマさんはコーヒーでいい?」

「あぁ」


 るんるんと呑気に鼻歌を歌いながらキッチンの棚を漁っている。

 無邪気な少女だ。

 今の彼女を見ていると、とてもじゃないが魔法少女として日々化け物と戦っているとは思えない。


「どうぞ」

「ありがとう」


 コーヒーを受け取り、口元に近づけて匂いを嗅ぐ。

 ――いい香りだ。

 あっちの世界にコーヒーは存在しなかった。いや、もしかしたら過去には存在していたのかもしれないが、嗜好品の類はほとんどが消えていた。


 俺が高校生だったとき、コーヒーはあまり好きじゃなかった。カフェオレは好きだったが、コーヒーはほとんど飲まなかった。その苦さが口には合わなかったのだ。


「美味しい」


 しかし、今こうして飲んでみると、不思議とその苦みを心地よく感じる。気持ちが安らいでホッとした。


 ――俺はおっさんになったんだなぁ。


 いつの間にかコーヒーが美味いと感じるおっさんになっている。


「よく遊びにくる友だちがコーヒー好きだから常備してるんだ」


 くるみちゃん自身はコーヒーはそこまで得意ではないようだ。コーヒーに大量の牛乳と砂糖を混ぜている。


「その友だちも高校生だろ? 若いのにコーヒーが好きだなんて渋いなぁ」


 ほとんど牛乳なコーヒーを飲みながら、くるみちゃんはふふと笑う。

 どうやらその友だちとはかなり仲がいい間柄らしい。


「その子も――魔法少女なのか?」


 突然の問いに驚いたのか、くるみちゃんがむせた。

 涙目になりながら咳き込んでいる。


「いきなり聞かないでよぉ」

「いやー、悪い」


 気になったから聞いてみただけなのだが、申し訳ないことをしたと思う。


「瑞樹ちゃんも魔法少女だよ」

「……簡単に俺に教えていいのか?」

「認識阻害が効かないなら、調べればすぐに分かることだし」


 そういうものなのか。

 コーヒーの香りを楽しみながら、あっちの世界とこっちの魔法の違いについて考えを巡らせる。


 あっちの世界では魔法とはすなわち力だった。余計な小細工をするよりも、より鋭く強い魔法を叩きこめばいい。そういう世界だった。

 だから認識を阻害するような魔法技術はあまり発展していない。現代日本の裏側で戦っている以上、魔法少女たちの魔法は、そういう点では俺のものよりもかなり洗練されているのだろう。


「ウラシマさんのことを教えてよ」

「教えるのはやぶさかじゃないが……何を話したものか」

「どうやって魔法おっさんになったの?」


 さて、ここからは――賭けだ。

 俺は異世界のことをくるみちゃんに打ち明けることにした。


「くるみちゃんは異世界って存在すると思うか?」




    ◆




 くるみちゃんに異世界で体験したことを話した。

 概要を話すだけでもかなりの長時間になってしまい、気がつけばカップに残ったコーヒーはすっかり冷めきっていた。


「異世界、勇者、魔王……」


 くるみちゃんは突拍子もない話に困惑している。

 無理もない。俺が同じ話をされたら、相手の頭を疑うだろう。


「想像もしてない話だったから驚いちゃって……」

「信じられないのは当然だ」


 くるみちゃんは首をふる。


「私はウラシマさんを信じるよ。嘘を言っているようには見えないから」


 ――なるほど。


 話を合わせている様子はない。どうやら彼女は俺の荒唐無稽な話を本気で信じてくれているらしい。

 魔法という証拠があるからとはいえ、随分と簡単に信じることだ。いささか拍子抜けしてしまう。


「それで、だ。大事なのはここからだ」

「なに?」

「俺はこっちに戻ってきたばかりだ。昔の俺は死んだことになっているだろう。今の俺には、戸籍もないし、職もない、金もない、そして、住む家もない」


 源さんの段ボールハウスはヴェノムによって壊されている。

 風雨をしのぐ場所を新たに見つける必要があった。


「それは……大変だね」


 今の俺は底辺のおっさんだ。守るべきプライドなど存在しない。

 だからこそ、女子高生に情けのない頼み事をすることに一切の躊躇はなかった。

 机に頭をうちつけるように、思いっきり頭を下げて頼み込んだ。


「俺をこの家に居候させてくれ!」

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