第3話 気分は浦島太郎

 異世界から現実に帰還する小説を読んだことがあるだろうか。そういう小説の中には異世界で過ごした時間は元の世界ではカウントされないものもあった。異世界で何年過ごそうとも、元の世界に戻ればその時間はリセットされて、召喚された時点からやり直すのだ。


 俺にもそのパターンがあてはまるのではないかと期待していた。俺は17歳で召喚されて、17年後に帰還した。

 異世界では34歳のおっさんだった訳だが、こっちでは再び17歳の高校生としてやり直しができるのではないかと思った。


 しかし現実は非常だ。

 俺が異世界に召喚されたのは2004年。拾った新聞で日付を確認すると2021年と書かれていた。異世界で17年経てば、こっちでも同じように17年経っている。当然、俺の肉体は世界を移ろうとも同じ時間が流れている。鏡にうつる俺は34歳のおっさんだった。


「はぁ」


 人生にもしもは存在しない。

 もしもあのときああしていればもっと違う人生になったかもしれないとどれだけ思ったところで人生は変わらない。それでも、こうして根無し草のおっさんとなってしまった以上、もしも異世界に召喚されなければ……と考えてしまうのは仕方のないことだろう。


「17年か……」


 河川敷で草の上に座りながら新聞を読む。書かれている内容をまるで理解できない。当たり前に知っているものとして書かれている固有名詞や出来事、考え方が分からない。政治家の名前も知らないものばかりだ。

 気分は浦島太郎だった。浦島太郎ほどに極端な状況ではないけれど。


「あのおじさんなにしてるのー?」

「こらっ、関わっちゃいけません」


 まじか……。まじかぁ……。

 リストラされたことを家族に隠して公園で時間を潰すおっさんにかけられるような言葉じゃないか。

 でもリストラ親父と境遇は変わらない。いや、それ以下だろう。


 平日の夕方。陽は沈み始めて、空は赤く染まっている。買い物帰りの主婦や下校途中の学生、部活でランニングをしている集団、散歩する老夫婦。色んな人たちが河川敷にはいるけれど、その中で俺は浮いていた。


 魔物がはびこる異世界では違和感のない服装は、文化レベルの高いこちらでは不潔感しかあたえないだろう。汚らしい恰好でしわしわの新聞を読む34歳の男。関わってはいけない浮浪者扱いされるのも当然だ。


「ちょっといいか?」


 河川敷でゴールデンレトリバーの散歩をしていた優しそうなお婆さんに声をかける。犬は怯えたような声をあげて飼い主のお婆さんの陰に隠れた。


 おいおい、それでいいのか犬よ。

 俺は犬を飼ったことがないから分からないが、飼い主がピンチに陥ったときには身を挺して守るものではないのか。ゴールデンレトリバーは賢く優しい犬だと聞いたんだが。


「どうなさいました?」


 尋常じゃない怯え方の犬の様子に戸惑いつつもお婆さんが返事をする。不審人物にも丁寧に対応してくれるようだ。


「ここは何県だ?」

「埼玉県ですが……」


 当たり前のことを聞かれたため、お婆さんは困惑している。


「埼玉か……遠いな」


 空を仰いで呟く。

 俺の住んでいた場所からは少し距離がある。召喚されたときにいた場所の近くに帰還する訳でもないようだ。

 どうして埼玉だったのか。偶然か、それとも……。


 脳裏に裸の少女の姿が浮かぶ。

 俺が帰還したときに目の前にいた少女。名前すらも分からないままに逃亡したが、もう少し調べておくべきだろうか。

 一応言っておくが……美少女の裸体に惹かれたからではない。


「ちょっと、どうしたのポチ」


 飼い犬がお婆さんを俺とは反対方向に引っ張っていく。なぜか必死になっている大型犬のパワーをお婆さんでは抑えることはできない。ごめんなさいねと謝りながら、老婆と犬は去っていった。


 周囲の人たちからは怪しいおじさんとして指を刺され、犬からは本能で怯えられた。こんなのあんまりじゃないか!


 高校生カップルが手を繋いで歩いている。仲良く下校とは羨ましいことだ。青春じゃないか。

 もしかしたら俺にもこんな青春が待っていたかもしれない。あっちの世界は殺伐としていたし、人類の危機だったから男女の関係ももっとあけすけだった。甘酸っぱい青春なんて存在しなかった。


 もしも召喚されていなければ、俺だってこんな風に美少女と手を繋いで下校していたはずなんだ。当時の俺には恋人はいなかったけれど!


「そこの高校生カップル!」

「ひっ」


 怯えた少女が少年の腕を組む。腕に胸が押し当てられている。そのドキドキ状態に彼氏はだらしなく鼻の下をのばしながら聞いてきた。


「何のようですか」


 彼女に頼られて気が大きくなっているのか、俺が守ってやると言わんばかりに堂々としている。

 羨ましい。非常に羨ましい!

 甘酸っぱい青春を俺だって送りたかったさ。


「素晴らしい青春だ。励みたまえ若人よ!」

「えっ?」

「……ねぇ、早く行こうよ」

「お、おう」


 あぁ、本当に。

 なんて羨ましく、そして素晴らしい青春なんだ。

 あっちの世界で戦い続けて魔王を倒した。あの世界にようやく希望の光が灯った。その光を少しずつ大きく明るくしていった先には、こんな甘酸っぱい青春が周囲に転がっている世界が待っていたのだろうか。


 高校生カップルが去って行き、一人になった俺は草むらに寝ころんで打ちひしがれた。


「願わくば……あっちの世界の、その先を見たかった」


 草むらに寝ころんでいると、やがて陽は沈んであたりは暗くなった。

 もう夜か……。

 金がないし泊まる場所もない。腹も減った。

 今の季節は春で日中は暖かかったけれど、夜になるとさすがに寒くなってくる。


 どうすればいいのだろう。

 このままでは飢え死にする。何かしなければならないと思うけれど、何もする気にならない。


「ぁ」


 顔に水滴が落ちてくる感触があった。

 そこからぽつぽつといくつも水滴が落ちてきて、やがて雨へと変わる。

 まじかよ。

 慌てて立ち上がり、雨宿りができる場所を探した。


 俺は川を横断する橋の下に逃げ込んだ。

 ここなら雨もしのげるだろう。

 橋の下でぼーっと雨を眺めていると、不意に声をかけられる。


「どこにも行く当てがないのかい?」


 振り向いた先にいたのは、俺以上に汚らしい恰好をした浮浪者だ。

 近くにある段ボールハウスの主……要するにホームレスのお爺さんだった。

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