第13話 海へ

 それから、およそ一年四ヵ月後、美鈴は涼を海に誘っていた。二人で、海に来ていた。


「おばさ~ん、来ましたよ~」

「お~、みすずちゃん、悪いわね手伝い頼んじゃって」


 もっとも、美鈴の親戚のおばさんが営む海の家で急に欠員が出たので、代打の人足として来ただけであったが。

 

「ありがとね、手伝いに来てくれて」

「いやいや、お安い御用でさぁ。バイト代も出るっていうし、むしろありがたいよ」


 仕事の準備をしながら、軽く言葉を交わす二人。美鈴が頼みを引き受けてくれたことへの礼を簡単に述べると、気を遣わせまいと振舞う涼。その様子に、美鈴は思わず、くすっと笑みを漏らす。彼のこういった思いやりは、好感が持てる部分の一つだった。

 この海の家は、前日に風邪で二人欠員を出しており、人手が足りなくなっていた。そのため、猫の手でも借りようと美鈴にヘルプコールを出したのだ。

 叔母のピンチとなれば、人の良い美鈴は見過ごせない。バイト代は出すからもう一人働き手を連れてきてくれ、と頼まれ、涼に声を掛けていた。

 美鈴の頼みとなれば断れない涼。二つ返事でその臨時の日雇い労働に同意した。

 そして、二人は支給された、その海の家の名前『しおかぜヒルズ』というロゴがプリントされたダサいTシャツに着替えて、労働を始めた。


 なかなかに素敵な職場だった。ウッドデッキ調のお洒落な意匠の外観に内装。大きな切り株を輪切りにしたような、年輪の面の上に皿を置くデザインのテーブルが並んでおり、若い女性にもウケそうな趣となっていた。

 もっとも、出しているメニューはラーメンや焼きそばなど、普通の海の家と同じような、オッサンが好みそうなラインナップとなっていたが。もっとオサレなもん出せよおばさん、と美鈴と涼は内心で思っていた。

 だが、それでも店は大繁盛。一番下っ端の涼は雑用に片付けに下膳、皿洗いに配膳にドリンク作りにと、あちこちへ走り回り、目が回りそうな忙しさだった。なお、ミスするのでオーダーは取らせてもらえなかった。

 だが、涼はあくせく働く中でも、美鈴の様子を時々チラチラとチェックすることは忘れなかった。ヘンに逞しい。煩悩ともいう。

 美鈴も美鈴で、殺到するオーダーをなんとか捌くべく焼きそばを焼きまくり、ラーメン用の麺を茹でまくり、厨房の熱気と格闘し歯を食い縛っていた。

 盛り付けるだけで比較的楽そうなカレーの注文を増やしてあげて、とお客さんに念を送ってあげたい気持ちに駆られる一方、一生懸命頑張る姿も素敵だな、と惚れ直す涼なのであった。脳内お花畑。……いや、ところが、美鈴もまた、額に汗し働く涼の姿を見て、ひそかに感心の頷きを繰り返していたのであった。


 そして、午後三時半。あくまで急なオファーの臨時助っ人である美鈴と涼は、「忙しいピークは越えたし、あなた達はもう終わりでいいわよ」とおばさんに告げられ、晴れて退勤となった。地獄の戦場から解放されたぞ~! と思わず欣喜雀躍な二人。


「せっかくだから私、海で泳いでいくけど、涼は水着持ってきた?」

「はいっ!」

「なんで敬語? 敬礼?」


 そうして退勤後、一日を締めるにはまだ少々早い時刻であったゆえ、せっかく海に来たのだからついでにとばかりに、美鈴が涼にそう言った。それを聞いた涼、すかさず改まって、敬礼しながらもちろんのイエッサー。内心で二度目の欣喜雀躍を行っていた。


「ま、いいわ。ふふっ、水泳部の血が騒ぐわ。せっかく海に来たからには、一泳ぎしなきゃ水泳部の名がすたるというものよ」

「水泳部ってそういうものなの?」


 だが、本来の女子高生としての海の楽しみ方から外れて泳ぎまくる気満々な様子の美鈴に、少々頭の上にクエスチョンマークな涼なのであった。



〝すずよぉ、あんたってば小悪魔? ていうかアクマ? あるいはズルい女?〟

「なんでよ」


 その後、海の家の更衣スペースにて、美鈴が水着に着替えていると、なにやらレイがあれやこれやとブーブー言ってきた。


〝だってよぉ、涼ちゃんだったら、すずの頼みを絶対に断らないってわかってて、涼ちゃんに声掛けてコキ使ってるわけだろぉ? まぁバイト代は出るらしいけどさぁ、でもさぁ、惚れた弱みに付け込むみたいでどうかと思うなぁ~。それとも、完全に天然でやってるの? だとしたら、そこまで行ったらもう天才……いや人災だね〟

「人聞きの悪いこと言わないでよまったく。誰が災害よ。……いやね、私だって何も考えてないわけじゃないのよ」

〝ほうほう、と言いますと?〟

「うっさい。あんたは黙って寝てなさい」

〝えー! なんでだよぅケチぃ!〟


 そう、美鈴はある考えの下、涼を海に連れてきていた。美鈴にはずっと引っ掛かっていることがあった。一年の時、涼が友達を探してきてくれた時に、レイに言われた言葉。「今回の件に対する礼は口で述べるだけじゃ不足。ボディで支払うのが妥当」という言葉が、美鈴の中で引っ掛かっていたのだ。

 美鈴はヘンに真面目すぎるところがあり、その言葉を微妙に真に受けていたのである。律儀に、それを実行しようとしていたのだ。

 とはいえ、百パーセントその言の通りにするわけにはいかない。なので、ハードルを大幅に下方修正し、水着姿を見せる、というのを落とし所として、今回、涼を海に誘っていたのである。

 当時はまだ一年の春だったゆえ、涼の気持ちに気付いていなかった美鈴だが、今は二年の夏である。さすがの美鈴でも、もう気付いている。ゆえに、あの時、レイが言った言葉には一抹の理があったのだと、今では理解していたのだ。「水泳部ゆえ、せっかく海に来たからには一泳ぎする」という言葉は、その真意の隠れ蓑、建前だったのである。


〝ふ~ん、ま、なに考えてんだか知らないけど、すずラブな涼ちゃんと海デートするってことは、イエスってこと? 涼ちゃんのテンション爆アゲさせといて、その後お付き合いはノーですってのは、なんとも思わせぶりすぎるというかさ、罪作りなアクマじゃね? やっぱり〟

「え? そうなの? そこまで深く考えてなかった」

〝おい〟

「……なんていうかさ、私、正直、恋愛っていうものがなんなのかよくわからなくてさ、はっきりと人を好きになったこともなくて、だから、涼に告白されたら、なんて答えたらいいのかわかんないっていうかさ」

〝はぁ? ……まったく、高二にもなって、木石女め〟

「……悪かったわね」

〝よーし、一言、言っておいてやる。すずがそんな感じでいるなら、涼ちゃんは私がいただくっ!〟

「も~、なによそれ……」

〝ふふふふふ……〟


 実体を持たない彼女には不可能に思える言葉を口にして、不敵な笑い声を上げるレイ。焦れた彼女が、そういう冗談を言って自分に発破をかけようとしているのだということが、美鈴にはわかった。



 一方、涼は先に水着への着替えを終え、砂浜でお城を作りながら美鈴のことを待っていた。緊張のあまりじっとしていられないので、砂浜でお城を作りながら美鈴のことを待っていた。


「なにやってんの? お城作ってんの?」


 と、着替えを終えて出てきた美鈴が、そんな彼の背に声を掛けた。

 その声にビクッと身をこわばらせながら、涼はおそるおそる振り向いた。

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