雀鈩山日記

hibana

第1話 そこは深い深い山のなか

 ぴいちくぱあちく、あんまり雀が喧しいもんで。昔の人はそこに雀の酒場があるに違いないと噂したのだという。そうしてお山には雀鈩ざくろという名がついた。

 そんな雀鈩山には昔から、不思議な言い伝えがある。

 かつて、お山には神様がいたのだと。







 泣いている弟の手を握り、獣道を行く。ユメノも泣いていた。それは恐らく悔しさと怒りだったろう。弟のユウキは悲しんでいた。「ねえ、ユメノちゃん」とユウキが囁く。「もう家に帰れないのかな」と。ユメノは涙を拭った。

「違うよ、ユウキ。もう帰らなくていいんだ、あんな家」

 息を荒げながら山を登る。汗なのか涙なのか、もうわからなかった。顔を拭く。不意にユウキが手を引っ張った。ユメノちゃん、と上の方を指さす。「晴れたよ」と呟いた。

 驚いたユメノは目を丸くする。「晴れたっていうか……」と動きを止めた。

「今、何時だっけ」

「家を出たときは22時でした」

「明るくない?」

「明るいです。お昼みたい」

 目を白黒させながらも進む。山の中腹辺りに、見知った神社があった。しかし心なしか、いつも見ている神社より綺麗なような。

「……お参り、しようか」

「ユメノちゃん疲れてますか?」

 戸惑うユウキも、仕方なさそうにユメノについてくる。「一晩泊めてもらうんだし、ご挨拶ぐらいしないとね」と言いながら参拝した。


「感心、感心」


 背後から声が聞こえ、ユメノとユウキは飛び上がる。振り向けば狐面をつけた青年が立っていた。白く美しい着物に、袴を履いている。

「そんな狐につままれたような顔しなくても……。しかし、どうして人の子がこちら側に来てしまったんですかねえ。結界が弱かったのかな」

 お兄さん、とユメノは呟く。「神社の関係の人?」と尋ねれば、青年は小さく首をかしげた。

「いや、神社の関係の人というか……神社そのものというか……」

「神社そのもの? とは?」

 ハッとした様子のユウキが「もしかして」と言い出す。

「お兄さんはこの神社の神様なんじゃないですか!?」

 沈黙が辺りを包んだ。ユメノは信じられない思いで弟の顔を見る。青年が空咳をした。

「知られたからには、生かしておけない」

「何だとぉぉぉ」

 逃げ出そうと踏み出した瞬間、突風が吹いた。ユメノは、ユウキを守ろうと前に出る。


「あまり里の子をいじめるな……ノゾム」


 ユメノたちと青年のちょうど真ん中あたりに、男が現れる。結袈裟に天狗の面をつけており、顔は見えないが笑っているようだった。

「なんだ、来たんすか。いいのに」

「俺は人に寄り添う神であるが故に、干渉せざるを得ないのでな」

「……人に寄り添う? 人を弄ぶの間違いっしょ」

「同じことだろう」

 ため息をついた青年が、「というか冗談っすよ。一度言ってみたかっただけっす」と肩をすくめる。「冗談で済むか!」とユメノは半泣きで怒鳴った。

「つうか何! 何なの!? 今、そっちの天狗の人どっから出た!?」

「天狗の人、じゃねえよ。天狗だ。降りてきた」

「いい加減にしろ~~~!!」

 また何か考えている様子だったユウキが、「ユメノちゃん、大変です。そっちの天狗も神様だって言ってましたよ」と囁く。

「ごめん、ユウキは何でそんな冷静なの? お姉ちゃんパニックなんだけど」

 ふっと肩をすくめた天狗面が言う。


「知られたからには、生かしておけないな」

「いやあんたが自分で神だって言ったんだろ。てかそのくだり、オレがさっきやったじゃないすか」

「何度やっても面白いかと思って」

「暇を持て余した神々の遊びは思ったほどウケないんですって」


 警戒しているユメノたちを振り向き、「ほらめっちゃ怯えてるじゃないすか」と指さした。「俺のせいか?」と天狗面が腕を組む。

「てか先輩、この子たち里に帰してきてくれません? なんか迷い込んじゃったみたいなんすよ」

「別に構わないが」

 かまわなくないよ、とユメノはムッとした。ユウキの手を掴んで、「帰りたくないの、あたしたち」と訴える。

「ぼくたち、にげてきたんです」

「何からだ?」

「…………」

 首の後ろをかきながら「困ったな」と天狗は呟いた。「こいつらを里に帰すことは容易いが、迷いたがっているやつは何度だって迷うからな」とため息まじりに話す。


「“こちら側”であればまだいいが、今度はそこらの化生どもに誘われて戻って来られなくなるかもしれないからな」

「それはまずいっすね。何より本部にバレたらオレの評価が下がりそう」

「お前はそればっかりだな」


 狐面の青年が、不満そうに「ぐだぐだ言ってないで何とかしてくださいよ、先輩。腐っても山神でしょ」と腰に手を当てた。「お前だって支店長とはいえ稲荷明神として祀られてんだろ。結界ぐらいはちゃんと張れよ」と天狗が吐き捨てる。

 思わずという風に、ユウキが手を挙げた。

「山神様ですか? 天狗じゃなくて?」

 狐面の青年と天狗面の男が黙ってこちらを見る。いたたまれなくなり、ユメノも手を挙げた。


「自己紹介します。あたし、ユメノ。中道夢野」

「ぼく、ユウキです。人間です」


 ほう、と天狗が顎に手を当てる。「神を相手に堂々と名乗りやがったな。悪くない。悪くない根性だ」と頷いた。

「俺はタイラ。天狗であり、山神だ」

「どゆこと?」

「それはこっちが聞きたいものだが」

 ユメノとユウキが顔を見合わせるのを見て、タイラは面倒そうに「俺も元はただの天狗だった」と話す。

「いつからか、里の人間らが俺を“大天狗様”と呼ぶようになり、そこに信仰は興った。お前たちは天狗をこの山の守護神と定めたんだ。勝手に俺を神にしたのは、お前たち人間だよ」

 お前らは本当に雑だからなぁ、とタイラは呟いた。「なんかごめんね」とユメノは謝っておく。


「雑ついでにちょっと文句言っていいですか」と狐面の青年が口を挟んだ。

「あ、オレはノゾムって言います。名前というか、支店名みたいなもんなんですけど。ちなみに稲荷大明神の子機みたいなもんです」

「おいなりさん(子機)??? すでによくわかんないんだけど」

「まあそんなに気にしないでください」

「雑じゃんそっちだって」


 そんなことどうでもいいんですよ、と妙に力の抜けた様子でノゾムは言う。狐面が少し翳った。

「人間は何で、元々天狗信仰があったこの山に稲荷神社を建てたんすかねえ? オレ、要ります?」

 まあそれは別に構わないんだけどな、とタイラも言う。「神仏習合思想に異を唱えるわけじゃねえし」と伸びをした。構わなくないんですよ、とノゾムは語気を強める。

「挙句の果てに、ここが稲荷神社だってことも忘れたのか『これは大天狗様を祀っている神社だ』とか言い出す始末で」

「それな。それは俺もさすがにびっくりした」

「なんかまずいの?」

「まずいというか、何というか」

「今のところ害はないんだが、そうだな……俺たちはとても困惑している」

「こんわくしている……」

「ですです。なんか、実家のトイレが突然隣の家と共用になった――――っていうぐらい困惑してるんすよ」

 それは確かに困っちゃうかも、とユメノは思った。「里に帰ったら大人の人たちに言っといてください」とノゾムが大真面目に頼んでくる。


「そもそも天狗なんてのは仏教由来の妖怪ですし、神社で祀ってやる義理はないんだって」

「言い方は気に入らないが、こればっかりは頼む」


 言ってみるねとユメノは答えた。「別にどっちでもいいんじゃ」と言いかけたユウキに、タイラとノゾムが大人げなく(神様げなく?)どっちでもよくないと迫っていた。

「と、いうわけでですね。この山には位もそこそこの神格が2体も存在することとなってしまい」

「まあ、そこそこのな。ローカル信仰の域を出ねえからな」

「そこそこの神の……そこそこの信仰が……ちょっとこの山に渦巻いてまして」

「パワースポット的なものになって人間たちは押し寄せるし、行き場のない物の怪どもが俺たちの傘下に入ろうとやってくるし、だいぶ駆け込み寺のようになってきたわけだ」

「神社っすよ、間違えないでください。次に寺って言ったらその鼻へし折りますからね」

 自分だって荼枳尼天と習合したくせに厳しいんだよなこいつ、とタイラはため息をつく。空咳をしたノゾムが「とにかく言いたいのはですね」と指をさした。

「結構その……妖怪とかそこら辺にいるんで、この山は危ないですよーってことなんですけど」

「どうだ、帰りたくなったか」

 ユメノとユウキは顔を見合わせて「全然帰りたくなってないよね」「面白そうです」と言い合う。いよいよ困った、という様子のタイラとノゾムも顔を見合わせる。


「そこまで帰りたがらないとは、何があったのか気になるな。言ってみろ、神様が聞いてやるぞ」

「別に……聞いてもらうようなことじゃないよ」


 あくまで強情にそう言い張るユメノに、タイラは「ふむ」と天狗面の鼻を撫でながら明後日の方向を見た。

「こういう時は、あいつを呼ぶか。待ってろ、今連れてくるからな」

「だ、だれを?」

「これ以上何が増えるの?」

 それには答えずに、タイラが背中の黒い羽根を広げる。嘘でしょ、と思いながら見ていると、そのままロケットのような勢いで大空に飛んで行ってしまった。


「と、飛んでっちゃった……」

「あのひとだけ飛行能力持ちなのズルいと思いません?」

「天狗は飛ぶものですもんね」


 少年は妖怪とか詳しいんですか、とノゾムが尋ねる。ユウキは頷いて、背負っていたリュックサックから図鑑のようなものを出した。どうやら妖怪や幻想の生き物などについて描かれたもののようだ。

 ユメノも、ユウキがそういったものにこれほど興味があるのだとは知らなかった。「天狗はですね、羽団扇を持っていて、風を起こしたりするんですよ」

「ユウキくん、天狗とか好きなんすか? 趣味悪いっすね」

「なっ……別に好きじゃないです! ただ、」

「ただ?」

「……もっと小さいころに、会ったことがあるような気がしたから。それだけです」

 そうなの!? とユメノは思わず声を大きくしてしまう。ムッとしたユウキが「ユメノちゃんにも言いました。信じてくれなかっただけです」とそっぽを向いた。そうだっただろうか、とユメノは考える。


「何だ? 俺の話してるのか」

「うわビビった。突然現れんな」


 不意に背後に降り立ったタイラが、小首をかしげていた。先輩、とノゾムが呼びかける。

「この少年のこと、実は知ってたりします?」

「んー? いや、見た覚えはないな。お前は俺のことを知っているのか」

「! 知りません」

 そんなことよりさ、とユメノはタイラに抱えられている男性(?)を指さした。男性は全力でもがきながら「離しなさいよぉ、このカラス!」と叫んでいる。褐色の肌に藍染めの着流しがよく似合う男だ。長い髪を結び、目には黒い布を巻いている。


「なあ、カツトシ。俺は鴉じゃないんだと何度言えばわかるんだ」

「うるさいわね! いきなり何なのよ。僕、ミユちゃんと遊んでたんだけど!」


 見かねたノゾムが「あーすみません、アイちゃんさん」と口を挟んだ。「ちょっと、視てほしい子たちがいまして」と。

「はぁ? 別にそれはいいけど、空飛んで連れてくのやめてくんない?」

「俺も、もうお前を連れて飛ばないと決めた。重いからな」

「殺すわよ」

「やってみろ」

「ハイハイ、無駄な争いはやめましょうね。いくらアイちゃんさんでも神殺しは無理っすよ」

「神って傲慢で悪趣味で大っ嫌い。今度は誰を覗いてほしいって?」

 ノゾムがユメノとユウキを前に押し出す。緊張しながら、ユメノたちは「こんにちは」と挨拶した。男はじっとユメノたちを見る。もちろん目の辺りは隠れていて見えないので、実際のところはわからないけれど、たぶんじっと見ている。


 そうして、ふと男は泣き出した。布の下から大粒の涙がどんどん流れてくる。「な、なんで泣いてるのこの人(?)」とユメノは後ずさりした。

「うっ、うっ……あんたたち、苦労してきたのねえ。よしよし、この子たちこの山で面倒見ましょう」

 いや待て、とタイラが突っ込む。「それじゃ困るんですけど」とノゾムも難色を示した。色めき立ったユメノが「褐色のお兄さん、話わかるじゃん!」と笑顔になる。

「でも、どうしていきなりぼくたちの味方をしてくれたんです?」

「そのひと、心が読めるんすよ」

 ユメノとユウキは同時に言葉を失った。それを察した褐色の男は、「知られたくないなら話さないわよ」と言う。うん、と呟いてユメノは自分の腕をさすった。


「僕は愛染勝利。アイちゃんって呼んでねー」

「アイちゃんさんは覚という妖怪で、不可視を“視る”力があります」

「! サトリ、ぼく知ってます。思ってたより……キレイ、ですね」

「あら、いい子じゃなーい。よろしくね」


 何仲良くなってんだよ、とタイラがカツトシの背中を叩く。「あんた乱暴なのよ」とカツトシが眉をひそめた。

「そいつらは里へ帰さなきゃならん」

「いいじゃない、そんなの。人の子が2人ぐらい山にいたって、あんたら神様がちゃんと面倒見ればいいわけでしょ」

「何でそうなるんだよ……」

「人の住む場所なんてないんですが」


「ありますよ」


 急な寒気に、ユメノは「ひゃああっ」と飛び上がってしまう。ユウキも「今度はだれですか? つめたいっ」と叫ぶ。

 ぴょこっと顔をのぞかせた女の子が「ミユはミユだよー」と笑った。その隣の女性が「カツトシが連れていかれてしまったと聞いて、来てみたんです」と微笑む。

「こんにちは、人間のお嬢さんとおぼっちゃん」

「こ、こんにちは……」

「文脈的にお姉さんたちも人間じゃないんだね……?」

 わざとらしく咳をしたタイラが口を挟んだ。

「彼女は、雪女のゆきえちゃんだ」

「ゆきおんなのゆきえちゃん……」

「都幸枝です、よろしくね。こちらは娘の実結といいます。雨女なの」

「ミユです!」

 穏やかな彼女は表情を変えずに、言った。


「よければ2人とも、私の家に来ませんか? 大きな家ではないけれど」

「! いいの?」

「何か困っているのでしょう。家族は多い方がいいもの」

「ミユ、おねえちゃんとおにいちゃんがほしかったのよ」

「本当にいいんですか? ぼくたち、お金も持ってないですよ」


 いいのよ、と都が目を細める。その様子を見て、タイラが苦い顔をした。

「……あれ、彼女たちの悪い癖だぞ」

「すぐ家族を増やしたがるんですよねえ。確かに人間を誘い込んだりする妖怪の類ではありますけど」

 いいでしょう? と都が少女のような顔で振り向く。思わずといった様子でタイラが「いいよ」と答えた。

「前から思ってたんすけど、あんたあの母娘に甘すぎません?」

「うるせえな、俺の山で為されることを俺が許可したんだ。もういいだろう」

「何かあったら責任取ってくださいね」

「ハイハイ」

 腕を組んで聞いていたカツトシが、「神様なら、あの子たちを幸せにしてあげたいって思わないの?」と顔をしかめる。タイラとノゾムは顔を見合わせて肩をすくめた。


「神が人を救うとでも?」

「いつだってギブアンドテイクが理なので」


 呆れた様子のカツトシがため息をついて、それからユメノたちの元へ走っていく。「僕も遊びに行っていい?」と黄色い声を上げていた。

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