剣劇文庫 ~永遠のピーターパン~

飯沼孝行 ペンネーム 篁石碁

第1話 レグルス=セランヌ



 冷たい風が吹き荒ぶ。

 白銀の世界にダイヤモンドダストが舞い、全ての存在の分子活動を凍てつかせるような、絶対零度の空間、おどろに投げかけられた裂帛の掛け声が、静寂をかき乱す。

 此処は北海道、大雪山の山麓。

だが、『現実世界リアルワールド』の、ではない。『想像世界イマジンワールド』の、である。

 『想像世界』。それは、小説家、いや、全ての生物が頭の中に描いた想像物、物語が、『想像世界』に投射されて誕生した『想像国家イマジンネーション』群を包括する異次元の世界。

 即ち、聖書や仏典で描かれた天国や極楽浄土が、異次元に於いて現実化した世界なのだ。天国や浄土といった『想像国家』は、最初から存在していたのではない。ある人間が、想像で創造した世界を、物語、書物で書き記し、それを多くの読者(信者)が読み、信じる事によって、平行宇宙パラレルワールドに於ける多岐的選択の過程の、読者(信者)の複合意志の重合構造による投射物が、天国、浄土といった『想像国家』として、神の心の中に形成されたのである。

 そう、天国とは、悲劇の世の中出生きている皆の悲しみが救われる事により、幸せになりたいという意志の複合体だ。

 そしてその『想像国家』形成の過程は現代まで続いている。多くの小説家が創造した小説は、『想像世界』に投射され、『想像国家』として存在しているのだ。

 この物語の主人公、『剣撃文庫けんげきぶんこ』の所持者である作家、明王あきお 乃白瑠のべると、その編集者萩尾小桜、編集長のベルサトリ=ウィズダム、『威羅主闘霊陀イラストレーター』の龍氏りゅうじ 我王ガオの四人は、今や老齢の身となった小説家、優城やさしぎ美町みまちが書いた犯罪小説、『誘拐犯』から誕生した『想像国家』にダイブしていた。

 即ち、人工的に臨死体験をさせる装置、『オシリスキャップ』を被り、変成意識状態となり、所謂幽体離脱をして、この『想像国家』に意識だけでやって来たのだ。

 今回の仕事の依頼は、実際に起きた連続幼女誘拐事件をモチーフとした小説『誘拐犯』で、誘拐された幼女のモデルとなった女の子の両親からのものだった。


「せめて、娘を『想像世界』の中では助けてやって下さい!」


 両親の悲痛な願いに応えて、乃白瑠達は、幼女を人質に取った凶悪な誘拐犯、梶瓦 麗人と対峙していた。


「若! はやく御指示を!」


 『剣撃文庫』の聖霊、『剣撃大王』が、マスターである明王 乃白瑠に指示を求める。『剣撃文庫』。それに、不動明王の幻力を宿す、不動の明皇である明王 乃白瑠が、剣型の万年筆で文章を綴り、それを編集者の萩尾小桜が校閲、編集長のベルサトリ=ウィズダムがGOサインを出す。すると、その言語が直ちに具象化するのである。その過程に於いて、登場人物のイラストを担当するのが、『威羅主闘霊陀イラストレーター』の龍氏りゅうじ我王ガオだ。

 

 龍氏 我王。闘姫倭荘ときわそうの主で、伝説の漫画家、龍乃守たつのもり聖陀郎しょうたろうの弟子の六龍氏の一人である。沈着冷静、いたってニヒル。描く絵もまたクールである。

 乃白瑠が書く文章に命を与えたその我王が描いたのが『剣撃大王』だ。

 『剣撃大王』。『剣撃文庫』に宿っている聖霊である。

 夫れ夫れの文庫には個性がある。ジャンルと言ってもいい。『悲撃文庫』は、恋愛小説。即ち言語ロゴス方向量ベクトルが悲劇方向に傾き、『悲撃大王』が宿っており、『剣撃文庫』は、ファンタジー小説。言語方向量が剣劇方向に傾き、『剣撃大王』が宿っている。

 その『剣撃大王』とはあらゆる時代小説の中に登場する剣豪の集合体である。

 表象化、即ち、ビジュアライズされているのは、本体である二刀流の使い手である宮本武蔵。武蔵が持つ二本の刀の柄から、右に、大型伝奇作家の隆 慶一郎先生が書いた『一夢庵風流記』の主人公、あの傾奇者、前田慶次郎。左に、柳生新陰流屈指の剣術使いの、柳生十兵衛の上半身が生えているのだ。合計三人による、三位一体攻撃! これで、『象魔大戦』を勝ち抜いたのだ。


 意識を凍らせる程の厳寒。


罵倒ばとう大王よ! 我が願いを聞け! ヒャァハッハーッ! 食らえ!」


 罵詈雑言を乃白瑠達に浴びせかける。梶瓦の口から出た、「ブス!」「チビ!」「ヒゲ面!」等の悪意のある言霊ことだまを持った悪口を依代として、言魔ゲンマが誕生し、乃白瑠達に襲いかかる。人の悪口しか発しない、言霊である。毒を吐く、毒舌の魔王サタンの眷属だ。

 乃白瑠ノベルはかじかむ指に力を込め、『剣撃文庫』の216頁18行目に、剣型万年筆で文章を綴る。


 筆記『剣撃大王は、言魔粉砕を最優先』


 文章が虚空に立体映像で浮かび上がる。赤ペンを持った編集者の萩尾小桜が目を通す。


 校閲「ゴホッ、ゴホッ! 承認する、わ。ゴホッ!」


 校閲と校正は違う。

 校閲は誤字脱字チェックだが、校正とは記述内容が常識や一般的な事実と齟齬しないかどうかのチェックであって、内容如何の問題。


 そして、編集長のベルサトリ=ウィズダムも、


 承認「追承認する」


 こちらも、作家、編集者、編集長という三位一体で、防御体制に入る。


「了解、マスター!」


 『剣撃大王』を構成する三人の剣豪は、揃って返事をする。

 最初に『剣撃大王』のイラストを虚空に描いた後、一人、後方で戦闘を見学していた我王が、


「乃白瑠。俺はもう帰るぞ。『剣龍童子』に変身する必要はないしな。あんなザコごとき、お前一人で何とかしろ」  


 そう言うと、我王はトリップ・アウトした。


「え~ッ! そんなぁ!」


 『剣龍童子』。『剣撃文庫』の作家と龍氏の筆名を持つ《威羅主闘霊陀》が合身して、森羅万象、全てを紡いだ言葉に絵を与える事が出来る、万画家マンガカの形態の一つである。

 『象魔大戦』に於ける、甲乙こうおつ龍之介との最終決戦で、乃白瑠と我王は初めてこの姿に変身して、『善化想像国家ゴッドイマジンネーション』連合側に勝利を齎したのだ。

 『剣撃大王』は、梶瓦の解き放った言魔を悉く粉砕する。


「ゴホッ! 乃白瑠君。我王君の云う通りよ。此処は私達だけで何とかしましょう」 


「大丈夫か、小桜君?!」と、編集長のベルサトリ=ウィズダムが駆け寄る。


「ええ、単なる風邪ですから、ゴホッ! 大丈夫……」


 そう言ったところで、小桜の姿がかき消える。精神集中が切れて、トリップ・アウトしたのだ。


「マスター! 次の御指示を!」


「ああ! えっ?! 小桜さんがいなくなった?! 編集長どうすればいいんですか?!」


「止むをえん! 俺が校閲を引き受ける! 乃白瑠君! 次の文章を書くんだ!」


「はい!」


 乃白瑠はまず様子を窺う。敵は筆記攻撃ではなく、契約を交わした罵倒大王による口述攻撃だ。敵側の方が圧倒的に時間が短い。少女を盾にした梶瓦は次々と悪口を言い、矢継ぎ早に言魔を生み出し攻撃してくる。 

 そこで乃白瑠はパッと閃く。


 筆記 『梶瓦麗人の足元に底無し沼が出現』

 校閲 『成る程! 承認する!』

 承認 『追承認する!』


 たちまち、梶瓦麗人の足元に底無し沼が出現。その体がズブズブと沈み始めた。


「うわっ! なんじゃこりゃ!」


 梶瓦は抱えていた幼女を離す。それは乃白瑠の読みの通りだった。

 すかさず駆け寄った編集長が幼女を救い出す。そして、尚も沈んでいく梶瓦。


「助けてくれ!」


 命乞いをするのを凝視していた乃白瑠が、『剣撃文庫』に文字を綴る。


 筆記 『剣撃大王は救出せよ』


 罪を憎んで人を憎まず。乃白瑠は、幼い少女を誘拐した凶悪犯人をも救い出そうというのだ。だが、ベルサトリ=ウィズダム編集長は、


 校閲『訂正。救出の必要なし!』


「ど、どうしてですか?! 編集長!」


「彼女を始めとする被害者のご家族の願いは、梶瓦の完全なる消滅だ!」


 尚も命乞いをし続ける梶瓦に目を遣り、


「でも、歎異抄で親鸞も悪人こそ救う必要があると言っているでしょう? 悪人だって成仏する権利はある筈です!」


 そう言うと乃白瑠は駆け出し、底無し沼の淵に立ち、手を差し出し梶瓦を助けた。


「ハァ! ハァ! ハァ! す、すまねぇ……、



 とでも言うと思ったか! この馬鹿!」



 と、言うなり飛びすさる梶瓦は、


「俺が今まであのお方に差し出した子供で、十分あのお方は復活出来る! 出でよ! このアホウ鳥!」


 梶瓦が契約を交わした罵倒大王の幻力マーヤーで出現した巨大な怪鳥に乗り、梶瓦は飛び去ってしまった。


「また、会おう! ベルサトリ!」


「えっ?!」 


 手で挨拶し、そして、名乗りもしなかった自分の事を呼ぶ梶瓦の姿に、ベルサトリはある人物の姿を重ねる。


(レグルス=セランヌだと?! ま、まさか……)


 泣き喚く幼女を抱えるベルサトリ=ウィズダム編集長と、明王 乃白瑠の視線を浴びながら、哄笑を響かせ、梶瓦かじがわら麗人れいとは消えた。


 準主役が消え、物語が成立しなくなった、犯罪小説『誘拐犯』から生まれた、この『想像国家』は、乃白瑠達が他の登場人物を無事保護し、他の小説から生まれた『想像国家』へと移住させるのを待って、超新星爆発を起こし、消滅した。


 犯罪者、梶瓦麗人が残した言葉、『あのお方は復活する!』と言った、あのお方とは一体誰なのか。


 乃白瑠達が知る事になるのは、一週間後の事だった……。





第一話 了

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