やるせなき脱力神番外編 死闘など華麗なるまい

伊達サクット

番外編 死闘など華麗なるまい

 幾重にも剣を打ち合い、火花が散る度に実力の差を思い知らされる。


 相手の美しい剣さばきを直で味わう度、戦闘継続の気力が削ぎ落とされていく。


 今、ラグルスが対峙しているのは、女騎士・エルザベルナ。


 マントのようになびく桃色の長髪を滝のように滴らせ、涼しげな表情を堅持したまま、流麗かつ力強い剣技を絶え間なく叩き込んでくる。


 彼女の着用する金色の煌びやかな刺繍が所々に走る、黒地の軍服風の衣装は、大胆に腹部を露出させ、引き締まった腹筋とくびれた腰つきを存分に晒している。反面、豊満な胸を包み込む様は、はち切れんばかりの圧迫感を発していた。


 ロングブーツは細く高いヒールで、その口から覗く太ももは、ぴっちりとフィットした、股下が非常に浅い白地のスキニーパンツに覆われている。


 この出で立ちから、自分の実力に絶対の自信があることが窺えた。


「だあああっ!」


 苦し紛れにラグルスはつばぜり合いから力任せに相手を突き飛ばし、無理やり間合いをこじ開けるが、エルザベルナはいとも簡単に体制を立て直し、刺すような視線でラグルスを睨む。


「……エルザ、腕を上げたな!」


 苦々しい思いで、ラグルスは恨み言のように賛辞をぶつけた。


 ラグルスもエルザベルナも、元は冥王軍の近衛騎士団にいた身だった。


 しかし、二人とも軍の腐敗に失望し、軍を辞した。


 その後、エルザベルナは悪霊退治を主な生業とするワルキュリア・カンパニーという組織に入り、そこである程度の地位に就いたようだ。


 一方、ラグルスは、自らの志を立てる場所を見つけられず、迷走を続けた。元近衛騎士団のプライドと誇りは将来の焦りと不安によって傲慢へと変化していき、どの組織にも周囲との軋轢を生じさせ、居着くことができなかった。


 結果、その日食うにも困るほどに生活は困窮した。故郷であるキニバットの郷の家族への見栄で、借金を重ねて送金を続けた。


 貧すれば鈍する。その言葉を地で行くかのように、今、こうして野盗の助っ人を引き受けるまでに落ちぶれてしまった。


 どこで道を違えたのか?


 エルザベルナと共に、自らの信念の下に剣を振るうことを誓い、腐り切った軍と決別した。近衛騎士団を自分から飛び出したのに、なぜあの頃の栄光への未練と、肩書を捨てた後悔ばかりが増幅していく?


 なぜ自分はこんな野盗風情の助っ人などして食い繋いでいる?


 ラグルスは思い出した。


 エルザベルナに続いたのは彼女への見栄と対抗心。そしてその類まれなる剣の才への嫉妬。


 ラグルスは物心ついた頃から、剣だけに全てを注ぎ、十八歳で近衛騎士団に抜擢されるまでに至った。剣に関しては誰にも後れを取らぬ自負があった。自負も何も、事実そうだった。


 だが、エルザベルナは女性で、しかもラグルスより三つも年下にも関わらず、彼を優に凌ぐ実力を持ち、更にはラグルスが見向きもしなかった魔法に関しても、そつのないレベルで使いこなしていた。


 ラグルスの持つ彼女への対抗心と劣等感は、次第に男性が女性に向ける好意へと変わっていった。


 ラグルスとエルザベルナ、男女の騎士が交わした志は、あくまでも剣士としてお互いを認め合う誓いであった。


 ラグルスが心の底に秘めたエルザベルナへの恋愛感情は、その実を結ぶ前に、エルザベルナに置いていかれる形で潰えてしまった。


 彼女は遥か先をしかと見据えており、そこにラグルスが入り込める余地などなかった。


 そのことを思い知ったとき、ラグルスはなぜ近衛騎士団を辞めたのか分からなくなった。


 ただ一つ、自分がエルザベルナに対し、そのような、下心とも言っていい期待を持っていたなど、彼女に知られることは騎士だったラグルスのプライドが許さなかった。


 エルザベルナには、純粋な志によって近衛騎士団を離れたのだと思われていること。それが自分の騎士の誇りを保つ最後の砦だった。


 彼はエルザベルナの前から逃げるように疎遠になり、ぱったり会うことはなくなった。そこから彼の人生は狂いっぱなしだった。


「……あなたが弱くなったのよ。そんな姿、見たくなかったわ」


 エルザベルナが失望の言葉を漏らす。


 周囲では、野盗達がエルザベルナの率いる女剣士達に次々と斬られ、いつの間にかラグルスはただ一人、敵に囲まれていた。


 彼女らはエルザベルナとほぼ同じ服装だった。エルザベルナのものより若干金の装飾が少なく、首回りの生地の色を自分の髪の色に合わせた、腹筋とヘソを露出した衣装の女剣士が三人。


 青い髪、金髪のヒューマンタイプ。緑のショートヘアである、頭部にウサギの耳を生やし、尻から丸い尻尾を出した亜人タイプ。


 エルザベルナと合わせて、合計四人の剣が向けられる。美しくも威圧的な、女剣士達の顔々かおがおが並んだ――。







「……あなたが弱くなったのよ。そんな姿、見たくなかったわ」


 エルザベルナは、目の前で震える手で剣を構える、かつての同僚の落ちぶれた姿を見て言った。


 そのとき、部下である三人の中核従者ら(青い髪のライラ、金髪のエイリア、緑髪でウサギの耳を有するエレーナ)も、手際よく雑魚の野盗達を片付け、最後に残ったラグルスを囲んだ。


 これで終わりである。


 ラグルスは青白い肌を脂汗で光らせ、剣を構えた姿勢を崩さない。


 近衛騎士団にいた頃の、サラリとした髪質が見る影もない真っ赤でボサボサな前髪。その合間から、血走った鋭い眼光をエルザベルナに向けている。


 ラグルスという男は、鮫の面影を宿す魚人タイプの種族だ。


 怒りで滲ませる口元から、ふと、黄ばんだ鋭い牙が見えた。


 剣も鎧も、駆け出しの冒険者が装備しているような、使い古した安物かつ低性能の物。近衛騎士団を抜けたばかりのときに持っていた名剣や鎧は、とっくに売ってしまったのだろう。


 エルザベルナは彼の身の上話を聞く気にもなれなかった。


「ふふ……、愚かね。エルザ殿の剣に敵う奴なんていないのよ」


 エレーナが不敵な笑みを浮かべてラグルスに言った。


「いや、普通にいるから。恥ずかしいこと言わないで」


 エルザベルナはエレーナをたしなめた。


「もう観念しなさい!」


 エイリアが勇ましく凛として言い、倒した野盗の血が滴る剣を構え、一歩前に踏みしめるが、エルザベルナは腕を突き出して彼女を制止した。


 周りに転がっている野盗如きと、このラグルスとでは格が違う。エイリアの腕では返り討ちに遭うのは目に見えていた。


「だああああーっ!」


 そのとき、ラグルスがエルザベルナに突撃してきた。


 エルザベルナは苦もなく構えて迎え討つ。


 両者の剣が交錯した。


 直後、ライラ、エイリア、エレーナの目に映ったのは、エルザベルナが地に膝をつくラグルスの首筋に剣を突き付けている光景だった。


「なぜ、あなた程の男が、こんな連中の用心棒なんて――」


 エルザベルナが剣を突き付けたまま、失意の表情を地面に向ける男に問うた。


「……一宿一飯の恩があった」


 ラグルスはか細い声を漏らした。


「そう」


 ラグルスの動機はエルザベルナの興味を惹くものではなかった。


 一人の女がものにならなかっただけでここまで見る影もなく落ちぶれてしまうとは。エルザベルナは内心で溜息した。


 彼の自分に向けられる好意にはある段階からは分かっていた。迷惑だった。


 そんな理由でエルザベルナに付き合って騎士団を抜けたことに気付いたときは、この男に心底失望した。


 それが分かってエルザベルナがラグルスと距離を置いた後は、全く会わなくなってしまった。今まで、平民出身にも関わらず高潔な騎士道精神の持ち主だと思っていたラグルスが、自分をあわよくば彼女にできればと狙っていると思うと、急速に彼のことが汚らしい、気持ち悪い存在に映るようになっていった。端的に言えば、『生理的に無理』というやつだ。


 エルザベルナにとってラグルスを評価できるという点と言えば、疎遠になってからエルザベルナを未練がましくつけ回したり、自分の堕落に彼女を巻き込もうとしなかったことぐらいしかない。


 何より、ラグルスの思いをエルザベルナが気付いていないと思っている。その鈍感さと独りよがりな部分が、本当に浅ましく感じられた。


 もっとも、自身の下心をエルザベルナに悟られないというのは、この男がプライドを保つ最後の牙城なのだろう。


 さすがにそれを指摘するのは哀れ過ぎるし、面倒そうだから、気付かない振りをしてやってはいたが。


「……見逃してくれ、と言っても、駄目だよな?」


 ラグルスが絞り出すように言った。


 助けてやりたいが、旧知の仲だからといって情けをかけるわけにはいかない。これは任務だ。


 中途半端な情けによって禍根を残し、それで仲間が死ぬこともある。


 レミファやエンダカなど、同じジョブゼ隊の仲間達の死や、多くの修羅場を経験することで、エルザベルナは非情に徹することを覚えていた。


「ごめんなさい。助ける理由が見つからない」


 吐き捨てるように言う。知人を斬るなど嫌な気分だが、仕方がない。このような、弱い者を平気で殺して略奪を繰り返す野盗団と手を組んだラグルスの自業自得だ。さすがに助けられない。


「だよな」


 がっくりとうなだれ、ラグルスは諦めるように言った。


「キニバットの郷のお母さんに何か伝えとく?」


 エルザベルナが言う。せめてもの手向けだ。


「……いや、いい……。お袋はまだ俺が騎士団にいると思ってる。何も言えねえよ……」


 嘘を塗り固めた結果、嘘に縛られ、遺言も残せない。エルザベルナは言いようの知れぬ徒労感を感じた。


「親不孝者。プライドを捨てて周囲と調和すれば、いくらでも他の道があったでしょ? あなた程の腕がありながら、何でそんな勿体ないことしちゃったの?」


 エルザベルナは、代々騎士を輩出している名門貴族であるグランハルド家に生まれた。これ以上ない程に整った豊かな環境の中、自らの才を無駄なく効率的に伸ばすことができた。


 それに比べ、ラグルスはそれより遥かに恵まれぬ環境で、良き師に出会うこともなく、武芸と学問の研鑽を重ねてきた。その結果、平民の出であるにも関わらず、その剣の腕が軍の目にとまり、貴族階級が大部分を占める近衛騎士団に大抜擢された。それに関してはエルザベルナも、彼に感じる生理的嫌悪感とは別に、掛け値なしに大したものだと認めていた。今となっては思い返しても詮無いことだが。ただただ、勿体ない。


「これから死ぬ人間に説教かよ」


 ラグルスがエルザベルナから弱々しく目を背ける。


「こっちはかつての騎士仲間の落ちぶれた姿を見せられて、おまけに斬らないといけないのよ? それぐらい言わせてもらうわ」


 エルザベルナは手に持つ剣の刀身を、ラグルスの首筋にそっと当てた。


「すまん」


「ううん。もう、いいのよ」


 一抹の思いも振り払い、ただ無情でレグルスを切り捨てようと剣を振り上げたそのとき。


「エルザ殿!」


 ライラが声を上げた。


 エルザベルナは咄嗟に振り上げた剣を止める。見ると、エレーナはライラに同調するような、そしてエイリアは若干の迷いを含ませたような表情でエルザベルナを見つめていた。


「私達、何も見なかったことにします」


 ライラが力強い口調で言った。弱々しくうなずくエイリアと、力強くうなずくエレーナ。


「ライラ……」


 エルザベルナはライラの名だけつぶやくと、固く唇を結び、三人の部下とレグルスの顔を交互に見遣った。







 それから数ヶ月後。


 エイリアはエルザベルナと共に、王都の街路を歩いていた。


 歩いている途中、王都の三大道場の一つに数えられる由緒正しき名門、コンバート道場の前を通りかかった。


 どんな身分の者でも広く門下生を受け入れるその道場の、垣根の奥の訓練場。


 エイリアは、あのときライラの進言によってエルザベルナが見逃した(名前は聞いていないので知らないが)鮫型の魚人タイプの剣士の姿を見た。


 あの背中から生える傷だらけの鮫の尾ヒレは見間違えることはない。


 その男は木刀を持つ大勢の子供達に、一生懸命剣の基礎を教えているようだった。


 あのとき、ライラがエルザベルナを思い留まらせたのは果たして正しかったのだろうか? 


 甘過ぎたのではなかろうか?


 エイリアはその回答を持ち合わせていなかった。


 あの男の今の姿を見れば、見逃したのは正しかったとも思えるが、それも結果論でしかないような気がした。


「エルザ殿」


 上司であるエルザベルナなら、その答えを持ち合わせているような気がし、エイリアは彼女にあの鮫型の剣士の姿を見るよう促した。


 しかし、エルザベルナはその男の存在を知ってか知らずか、一瞥もせず、ぐいぐいと何かを振り払うかのように前へ歩みを進めるだけだった。


 エイリアは悟った。


 おそらく、エルザベルナはあの男がコンバート道場に身を寄せたことぐらい、とっくに知っているのだろう。彼女の徹なる態度は、あの男のことを話題に出すなと無言で語っていた。


 結局、エイリアはエルザベルナの胸の内を知ることはできなかった。


 ただ一つ確かなのは、エルザベルナはかつて騎士として志を同じくした男を殺さずに済んだという事実のみである。


 あのとき、隊長のジョブゼが居合わせておらず本当に運がよかった。


 所詮、殺し合いなど、綺麗であろうはずがない。旧知の男女の斬り合いなど、なおさら生々しく。残るのはほろ苦い気まずさだけ。


 ラグルスのような男を突き放し、高みを見据え歩みを進めるエルザベルナの後ろ姿を見て、エイリアはそう思った。



<終> 

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