第11話:幸福な薬害

【魔王三十一日目】


 村々への嫌がらせはそれなりに効果があり、人間からすれば自分達の生存圏にいきなり闇の種族の勢力が湧き出てきたような状態だ。


 これに対処するためには兵士と神官を各地に派遣しなければならないのだが、《魔の草原》を綺麗にするために各地の兵と神官を結集させているはずだ。


 このまま地方を見捨てるのか、それとも《魔の草原》を放置してゾンビやゴーストが溢れる大惨事になるのを指を咥えて眺めるのか。


 どちらも正しくて、どちらも間違っている。

 正確には、どちらを選んでも犠牲者が増えるということなのだが、これまで人間側の被害が少なかったことが災いし、大胆な決断を早々に下せはしないだろう。


 そうして悩んでいる間にも犠牲者は増え続けているのだが、その場にいた人といない人では危機感に決定的な溝が出来ていることだろう。


 無論、感情や勢いだけで判断しては取り返しのつかないこともあるので、冷静に第三者からの視点として物事を見ることは必要なことだ。

だ が、それで傷ついた人達は納得するだろうか?


 今はまだ傷ついた人よりも傷ついていない人の方が多いので、彼らが何を言おうと簡単にその意見を封じ込められるだろう。

 けれども、これからも傷ついた人が増えていけばどうなるか?

 傷ついていない人の数を傷ついた人の方が上回ったらどうなるのか?


 まぁ、そんなことにはらないだろう。

 なにせ、国と社会が秩序を回復させて維持する機能を持っているのだから。

 逆に言うならば、それさえなければ人はどこまでも落ちていく。

 最悪の環境になったのならば、人はごく普通に最悪の行為をなせるのだから。




【魔王三十二日目】


 僕は今、再びインサさんのいる街に入ろうとしている。

 ちなみに門衛の人にはまた渋い顔をされている。


「お前……いつの間に外に出ていた?」


『え、勝手に外に出たらダメでした?』


「ダメというわけではないが、色々と物騒な話を聞いたからな」


『物騒? なにかあったんですか?』


「《魔の草原》って知ってるか? あそこで魔王の手下共を殲滅して根っこみたいなのを勇者様が潰したんだよ。だけど、結構な被害が出たせいでゾンビやらゴーストが湧いてな」


『あぁ、それなら知ってますよ。見てましたからね』


「見てたって……お前、何してんたんだ?」


『ちょっとお金に困っていたので、ゴミでも拾って日銭にしようかなぁと』


 そう言って僕は背中に担いだ荷物の中身を見せる。

 そこには沢山の硬貨以外にも、まだまだ使えそうな武器や防具……装飾品があった。

 それを遠目から見ていた人々は、驚きの声をもらしていた。


「お前……盗んできたのか!」


『盗んだとは人聞きの悪い、戦場から離れた場所で落ちてた物をちょっと拝借しただけですよ』


 実際には《魔の草原》に落ちていた物資はスケイブ達に回収してもらい、それを各地に分配させていたのだ。

 だから、僕がこの街の近くに《遍在》を使った後に彼らからそれを少しばかり分けてもらっただけなのだ。

 まぁ、それでもかなりの重量だったせいでかなり疲れたのだが。


『じゃあ、インサさんに今までお世話になったお礼を渡してきますので通りますね』


「お、おう……盗まれないようにしろよ」


 そんな感じで僕は衆目にさらされながらも、堂々とインサさんの家に向かった。



『どうも、インサさん。これお土産です』


 机の上で荷物をひっくり返すと、インサさんとその家族の人達は目を丸くしていた。


「ど、どうされたのですか魔王様?」


『いやぁ、日頃からお世話になっているお礼として差し上げる……というのは建前で、ちょっと預かってもらおうかと』


「預かる……ですか……?」


『ほら、僕ってこの体で死ぬと消滅するじゃないですか。これだけのお金とか物資があっても気軽に持ち運べないんですよ。だから各街のドッペルゲンガー達に分散して資産を預かってもらおうかなと』


「そ、そういうことでしたら……」


 そう言って彼らは机の上にある硬貨や装飾品を綺麗にまとめてくれている。

 ただ、彼の子供はどうにも暗い顔をしているのだが、何かあったのだろうか?


「その……《復活の根》が崩れ去ってしまったため、落ち込んでしまいまして……」


 不思議そうに見つめる僕の考えを察したのか、奥さんが説明してくれた。


 闇の種族にとって、どれだけ《復活の根》という希望が彼らを支えられていたかが分かる場面である。

 まだ五本残っているとはいえ、今まで人間を見下すかのようにそびえ立っていた象徴が崩れてしまったのだ、落ち込むのも仕方がないだろう。


 ただ、人間側でも大きな被害によって意気消沈している人達もいるので、この子もその内の一人だと判断されて不審には思われないことだろう。


『よーし、それじゃあ景気よくこのお金でパーっと気分転換しましょう! これだけあれば、どんなご馳走も食べられるでしょ?』


「あの、魔王様……いきなりこれだけのお金を使うと怪しまれてしまいます」


 それもそうか。

 僕は別に襲われようがどうなろうが痛くもかゆくもないのだが、この人達は変な奴に目をつけられたら日常生活に支障が出てしまう。

 そこまで考えて、頭にある考えがよぎった。


『ごめん、インサさん。ちょっとこのお金持ってっていい?』


「それはもちろん。魔王様の物なのですから、我々の承諾など必要ございません。それで……何をなさるおつもりですか?」


 口元を引きつらせるかのように、笑みを浮かべてこう言った。


『慈善活動だよ』



 日が暮れて、外に出ている人達の装いなども変化してきた。

 そして僕が何をしているかというと……。


『よーし、今日は僕の奢りだー!』


「イエー!」


「いよっ、太っ腹!」


 酒場でお金をばら撒いている、正確にはお酒を奢っているだけなのだが。

 みんなに暗い顔をしてほしくないからね、そういうのはもうちょっと後にしてほしいんだ。


「それにしても兄ちゃん、景気がいいじゃねぇか。何をやったらこんなに稼げんだ?」


『人よりも運がいいのが取り得なもんで。ちょっと草原まで遠出して落ちてる物を拾ってきただけですよ』


 それを聞いていた人達からどよめきがあがる。


「お前……よく生きて帰れたな」


「今、あそこはゾンビとかが蔓延ってて大変なことになってるんだぞ」


 そうだろうね、そして他にもゴーストやスケイブ達もいるから、僕以外の人間が行ったら殺されることだろう。


 だけど、彼らはそんなこと知らない。

 だからこういうウソにも説得力が出てくる。


『この薬を飲むと、幸運の女神様が僕にキスしてくれるんだよ』


 そう言って、僕は懐からブランチマンに作ってもらった小さな小瓶を取り出す。

 それを見て笑う者もいれば、ため息をつく者もいた。


「そんなんでどうにかなるんなら、今ごろ薬屋は大豪邸を建ててるぜ」


『僕だって最初は信じていませんでしたよ。しかも、この薬を副作用として飲むと、しばらく痛みや息苦しさを感じるようになるんです』


「おいおい、そんなものを飲んだのかお前!」


 あまりにも都合のいい話はウソだと思われやすい。だから、説得力を持たせるためにあえて悪い点も強調する。

 そうすれば「これだけのデメリットがあるのだから、相応のメリットもあるに違いない」と勝手に勘違いしてしまうのだから。


『ですが、その効果は確かでしたよ。なにせ草原に行っても無事に帰ってこれましたから』


 その証拠として、僕がこの酒場のお代を払っている。

 ただのホラにしては手が込みすぎていると思うことだろう。


「……っていう、触れ込みでその薬を売ろうってのか?」


 なるほど、ここで支払った代金は広告費であり、実際は何の効果も無い薬を売りさばこうとしているようにも見えるのか。

 別にそれでもいいのだが……。


『いいえ、こんな大事なものを人様にとられるわけにはいかないでしょう?』


 その後、僕は適当に酒場でワイワイと騒ぎつつ、自分の自慢話や与太話を大いに語って帰った。

 酒場という性質上、噂話をバラまくならあそこほど適している場所はない。

 なにせ、酒を飲んで酔っているのだ。

 判断が鈍った頭で聞いた情報について、正誤を調べようとする人はそういない。



 数日後、僕は再び沢山の荷物を街に持ち帰ってきた。

 門衛さんは再び唖然とした顔をしており、インサさん達も不思議そうな顔をしていた。


 そして僕はまた酒場に向かい、前と同じように僕のおごりとしてその場にいた人達にお酒を奢った。


「もしかして……前にいったアレは本当なのか?」


『だから言ったじゃないですか、これを飲めば幸運の女神様がキスしてくれるって』


 前まで半信半疑だった人達も、これでかなり信じたくなったはずだ。


「なぁ、その薬の副作用は辛くないのか?」


『普通は辛いですよ? でも、僕にはこれがあるので』


 僕は懐からまた小瓶を取り出す。


「それは……《渇きの薔薇》か」


 その薬に見覚えがある人がいたようで、どういったものなのかを説明してくれた。


「痛みや苦しみを和らげてくれる薬なんだが、飲むと本当に気分が楽になるんだ」


「おいおい、そんな都合のいい薬があるのか?」


「あるさ。俺も飲んだことあるけど、本当に楽になったんだよ」


 これが僕の狙った薬の広め方である。

 人生で生きていく上で、痛みや苦しみからは逃れられない。

 だけど、この薬があればその苦難から逃れることができるのだ。

 実際に何人もの人が飲み、その効果を絶賛したとしたらどうなるか?

 「じゃあ自分も」「試しに一口だけでも」と思うのが人の性質というものだ。


 何か怪しい材料を使ってるんじゃないか、毒じゃないのかと疑う人もいるだろう。

 だからこそ、僕はこの薬の毒性を抑えるようにブランチマンにお願いしていたのだ。

 その代わりに少しばかり依存性があるのだが、この体は《遍在》で出来た体なので死ねばリセットされる。


 いずれは痛みや苦しみが無くとも、この《渇きの薔薇》がもたらす幸福感を求めるためだけに薬を飲む人が増えることだろう。


 そして、それを加速させるための薬が《女神のキス》としている薬だ。

 前にも酒場にいた人達に説明したが、少しの痛みと息苦しさを感じる薬なのだが、その対価として幸運を運んでくれるというものだ。


 もちろん、ウソである。

 実際は《腐肺の胞子》と呼ばれるものが混入されており、これを飲むことで体が胞子によって蝕まれてしまうのだ。

 この胞子を吸い込んだ者から他の人間に感染することもあるのだが、致死率は低いのでこれで人が死ぬことはない。

 それどころか、健康的に生活しているだけでこの胞子は排出されていってしまう。


 では、飲み続けた場合はどうなるか?

 胞子が出てくるよりも多くの数が入ってくるため、徐々に体が蝕まれていってしまう。

 それでもまだ死なない、死ねない。

 痛くとも、苦しくとも、薬のおかげでそこまで大変なものだとは思わなくなる。


 つまり……体の異常が常識となるのだ。

 常識と化した異常は、異常とは認識されなくなる。

 誰かに体調が悪いんじゃないかと言われても、その心当たりは見当もつかない。

 人は特別なものに理由を見出したくなるものだ。自分の日常に問題があるとは思わないし、思いたくないものだ。


 まぁ体調が悪化しすぎたことで死人が増え、この薬が原因だと分かれば飲む人は減るだろう。

 ただ、今まで飲んでいたものが実は悪いものだったと信じずに飲み続ける者もいるだろう。

 現代日本でだってオカルトに引っかかる人は多いのだ、本当に幸運が巡ってくると信じて飲む人も一定数いることだろう。

 というわけで、酒場で色々と話を盛ってホラを吹かせまくる。



 その後、酒場から出てからフラフラと街を歩き、わざと薬の小瓶を落とす。

 落し物だと思って拾って届けてくれる人がいるかもしれないが、今の時間帯は夜だ。

 大人は酒を飲んで判断を狂わせており、純真な子供はお家の中である。


 案の定、僕の後をつけてきた人達が薬を回収して人混みの中に紛れていった。

 あとはこれを他の場所でもやればいい、色々な人に胞子は感染することだろう。


 まぁそれでも念のために《女神のキス》薬の安定供給を目指すとしよう。

 偽物だと疑われるかもしれないが、この薬は痛みと息苦しさを与えるという珍しい効能があるので、簡単に本物だと証明できるのだ。


 肝心の幸運については大丈夫か?

 それについても問題ない。

 なにせ、《渇きの薔薇》薬と併用して使うのだ。勝手に自分で幸せを感じ、勝手に納得して勝手に使い続けることだろう。


 これを、他の街でも広める。

 誰も彼もが幸せを求めている、だから僕がその幸せをくばるのだ。

 命を削ってでも、人々は幸福を追い求めることだろう。

 何故なら、幸せを願うことが人間としての……生物としての本能なのだから。


 一方、闇の種族はその削る命すら喪っている。

 果たして、薬で快楽を得られる人間は幸福なのだろうか?

 それとも、薬に頼らずお手軽に快楽を味わわない闇の種族は不幸なのだろうか?


 その結論をくだすには、人類にはまだ歴史や倫理も足りていないことだろう。

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