第10話:平和の代償
【魔王三十日目】
僕は今、以前に薬の製造法を売りさばいた村の近くにいる。
遠くにいる僕にも、村に蔓延している陰鬱な空気がよく分かる。
それもそうだろう。
隙あらばスケイブ達が畑を荒らし、農作物を奪いに来たのかと思えば畑に死体をまいたりネズミを潜らせたりするのだ。
農作物が目当てで来ているのであれば毒餌でスケイブを駆除することもできただろうが、スケイブ達は僕の《権能》で命じられた通りに畑の破壊に専念していた。
「ならば、戦力を抽出して森のスケイブ共を駆逐してやれ!」と思うだろうが、《魔の草原》での戦闘のせいで余分な戦力はあちらに送られている状態だ。
じゃあ村人達で駆除できるかと言えば厳しいと言わざるを得ないだろう。
確かにスケイブ単体ならば武器をもった大人でも倒すことはできる。
だけど、スケイブの縄張りである森の中で、なおかつ複数から襲われることを考えたら先ず不可能だろう。
よしんば駆除できたとしても、村の働き手が一気にいなくなる可能性もあるため、そんなことはできないだろう。
なお、一部我慢できなかった人達がいた為、その人達はスケイブ達の巣穴にご招待させてもらった。
異種族による激しい異文化コミュニケーションで色々なことがあったことだろう。
村の人々は帰ってこない家族や若者を心配しているようだ。
人間の善性ゆえにこうやって苦しむことになるなんて、悲しいよね。
まぁ死にたい奴は勝手に死ねばいいと思う人もいるだろうけど、家族や友人を失って辛そうな人の方が多いのは良い事だ。
僕が手を鳴らして合図をすると、森に入って帰ってこなかった人々が続々と村に戻ってきた。
誰もが目を疑ったが、確かに彼らは戻ってきたのだ。
服もボロボロになり、いくつもの擦り傷を作りながらも、彼らは村へと戻ってきた。
それを見て村の女性が一人の男性に駆け寄った。
助かってよかったと、無事に戻ってきてくれてよかったと涙を流して喜びの言葉を投げかけていた。
なんて感動的な場面だろうか、人の善性とはこんなにも美しいものなのか。
僕には与えられなかったものがこんなにも尊いものだったなんて、本当に反吐が出そうである。
それでは、僕らに証明してほしい。
その素晴らしい人間的善性の価値を、どこまで保っていられるのかを。
駆け寄った女性を抱擁するかのように、男性は両手で女性を包み込む。
そして女性の言葉に応えるかのように、返事をするかのように口を開けて……そのまま女性の顔を噛み千切った。
女性の悲鳴が村中に響き渡り、それにつられて他の人達も叫び声をあげる。
帰って来た者達は、何も言わない。
「ぞ、ゾンビだ! どうしてゾンビになってるんだ!」
帰るはずのなかった帰還者達は行進し、村人達は逃げ惑う。
腰が抜けたり動けない人達に、帰還者達は別れの挨拶を告げる。
大きな悲鳴と共に、彼らも帰らぬ人となった。
こうして、一つの村は奈落の絶望へと落ちていったが、それでもまだ闇の種族の立場ほどではない。
なにせ、僕らはもう何もかもを失ったのだ。キミ達が味わった幸福の味も知らぬままに死んでいった者達がいたのだ。
天秤の量りは、まだ傾いたままである。
お次の村はとても賢明な村だった。
誰も森の中に入らず、無茶な行動もしない模範的で規律に忠実な人達であった。
スケイブによる被害も抑えられているのだが、どうやら猟師が多くいたようだ。
それならば森というアドバンテージが不利に働いてしまってもしかたがないことだろう。
というわけで、今回用意した人々はこちら。
ちょっと……かなり腐ってしまったけど、《魔の草原》で逃げ出した兵士達である。
戦争事態は各村々にも伝わっているだろうが、どういう状況であったかまでは知らないだろう。
そもそも、この世界の人間社会には電話のような連絡手段がないのだ。
たまたまどこかで聞いたとしても、人間側が勝ったという情報くらいしか知らないだろう。
情報を広める立場の人間が、わざわざ自分達が苦戦して、大きな被害を被ってしまったと喧伝する必要はない。
どれだけ事実が正しかろうと、どれだけ真実と違っていようとも、人々の安寧を守るはずの者達が不安の種を撒き散らすわけにはいかないのだから。
そして僕の予想通り、村の人達は無防備に兵士達に近づいていく。
ボロボロになった体を見て心配していることだろう、悪臭を漂わせる彼らはきっと大変な目に会ったのだと配慮するだろう、同じ人間なのだから助けようとするだろう。
だが、その優しさが人を死なせる。
不用意に近づいた村人達は兵士の冷たい歯によって食いちぎられ、自分達も同じものへと変貌していく。
異常に気付いた誰かが緊急事態を知らせる鐘を鳴らす。
武器をもった人々が集まってきたが、誰も戦えずにいる。
確かにあれは普通ではないだろう、きっとゾンビになっているのだろう、自分達には助けられないと思っているだろう。
それでもなお、彼らに武器を向けたくないという人の感情がそこに確かにあった。
合理性だけで人は動けず、感情だけで動けば周囲を巻き込んで自滅する。
人類史でよく見られる、珍しくともなんともない出来事だ。
例えば人間側がもっと追い詰められていれば話は違っただろう。
彼らの村がもっと危険で、何人もの人が殺されていることが当たり前であったなら、危機感が足りていたことだろう。
だが、人間側は生存戦争に勝利し続けていた。
前線から遠く、平和と幸福を享受していた彼らに、見知った顔の動く死体を殺せるだけの覚悟はなかった。
それでも兵士に立ち向かえる人がいた、恐らく猟師や勇気ある者達だろう。
このまま放っておいても、先ほどまで元気であった村人達のゾンビを相手に逡巡したり、兵士の鎧を破壊できずに殺されたりするだろうが、逃げられるのは困る。
いや……別に逃げられてもいいのだが、その時はもっと大きな恐怖を体験してから、その出来事を広めてもらいたい。
そのためにも、もう一手間かけることにしよう。
僕が再び合図をすると、畑から心が凍てつくかのような冷気が流れてくる。
村の畑からは生者を呪うゴーストが湧き出ていた。
スケイブ達にお願いして畑に色々な死体を撒いてもらっていたのはこういう時のためである。
浄化された死体はゾンビにもゴーストにもならない、死体が残っていても欠損がひどければゾンビにもなれない。
それでも、多くの死体を利用することで生み出した無数のゴーストというものはそれだけで脅威なのである。
直接的な被害を出せない?
そんなものは二の次でいいのである。
そもそも、村人を相手にするのに大仰な仕掛けは必要ない。
神官でなければゴーストを《浄化》することができない、ゴーストは存在しているだけで彼らの脅威となるのだ。
合理的に判断するならば、ゾンビもゴーストも無視して逃げ出すか、ゴーストは無視してゾンビを仕留めるために罠などを仕掛ければいいだろう。
だが、突如日常から引き剥がされて命の危機に晒された人達が合理的になれるだろうか?
無理だ。
出来る人もいるだろうが、出来ない人のほうが多い、それが人間だ。
猟師も弓で応戦しているものの、刻一刻とゾンビとゴーストはその数を増していっている。
だが、突然ゾンビの兵士が倒れ伏して灰へと還っていった。
どうやらこの村に駐在していた神官の力によるものだ。
大規模な戦争があったというのに、そして《魔の平原》を《浄化》するために一人でも多くの神官が連れて行かれている状況だというのに、まだこんな村に残っている者がいるとは思わなかった。
これは人類に対する背信なのでは? と言いたいところだが、万が一にも僕が……というより、この顔の人物が闇の種族と繋がっているということを知られるわけにはいかない。
顔を変えられるのであればもっと直接的なこともできるのだが、僕の《遍在》はクソザコの僕を好きな場所(ただし周囲に人がいないことが条件)に自分の分身を作り出して操るだけなので、こういった遠まわしな嫌がらせしかできない。
神官はゾンビとゴーストに対して《浄化》を行っているものの、数が多すぎるためドンドンと消耗していっている。
もっと最初の段階で神官が来ていれば話は違っていただろうが、ここまで被害が広がってはどうしようもない。
数の暴力を前に勝てないことを悟ったのか、全員に逃げるよう指示を出す。
誰も彼もが我先にと逃げ出し、散り散りとなってしまった。
先生、スケイブは弱い人を狙って襲うって教えなかったっけ?
分かってないみたいなので、武器も持たずに一人で逃げていった人達はスケイブ達の巣穴で補習です。
できれば神官さんもお持ち帰りしてほしいのだが、村人に囲まれて逃げているので手出しできそうにない。
そう思っていたら、スケイブが近くの子供の足を掴んで引きずり込もうとしていた。それを見た神官さんは咄嗟に助けようと手を伸ばすけど、子供から手を離したスケイブが神官さんの足に折れたクワを突き刺した。
これでもう走って逃げることはできない。
村人は神官さんを見捨てるか、足を引きずる神官さんと一緒に逃げてまとめてお持ち帰りされるかを選択することになる。
それを理解してか、神官さんは自分を置いて逃げろと叫んでいる。
村人の皆は逡巡するけれど、ゾンビやゴーストが近づいてきているせいで子供が泣き出した。
合理的に考えるなら子供よりも神官さんのほうが人間的な価値は高いだろうが、彼らは人間だ。
神官さんに謝りながら、子供を抱えて全員が逃げ出した。
神官さんは尊い犠牲になっちゃったね、黙祷。
それじゃあ巣にお持ち帰りしてもらおうと思ったけれど、それよりも早くゾンビが近づいて食べてしまった。
まぁ誤差みたいなものだから別にいいか。
確かに多くの人が死んだ、そしていくつかの村は潰れた。
けれども、戦局を見れば誤差でしかない。
なにせ、魔王軍なんてものはもう存在しておらず、頼みの象徴である《復活の根》を守る者もいない。
この程度の苦難、人間側からすれば充分に挽回できる範疇である。
僕らは違う。
失いすぎてもう元には戻らないものばかりで、滅んでしまった種族もいる。
依然、闇の種族は滅びの道を歩み続けているのだ。
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