第19話 メイドの秘密と友香の許婚


 部屋に戻った俺は、早速トイレとシャワーを確認しようと、窓側にある洗面台へ駆け寄った。


 お、おお……。


 愛美の言った通り、洗面台の横の大きなタペストリーを手で避けると、トイレとシャワールームがあった。


 とは言え扉などは無く、タペストリーが無ければ部屋の中からは丸見えだ。


 まあ、自分の部屋だから特に問題は無いが。



「何だよ、前におしっこ行きたくて、わざわざ上の風呂場まで走ったじゃん」



 独り言を言いながら洗面台まで来ると、ベランダに人影が見えてゾクッとした。



「――っ⁉」



 確かに西園寺さんの位置情報は近くにあるし、近くに夜露さんの存在も確認出来た。


 だが、この上の露天風呂だと思う。


 女の人⁉ しかも二人⁉


 音を立てない様にそっとベランダへ出るが、丁度その時にその影が振り向いた。



「あ、霧島君!」


「え⁉」



 友香さんだった。


 向うには夜露さんも立って居るじゃないか。


 温泉に入ったら数時間は出て来ないと思っていたが、やはり昨日の今日でそんなに長湯をする気はおきなかったのだろうか。


 やっぱり今夜来てくれたのは、温泉よりも俺達の寂しさを紛らそうと思ってくれていたんだ。



「びっくりした~友香さん、もうお風呂あがってたの?」


「私も戴きました~驚かすつもりは無かったのですが、お部屋のベランダがとても広くて、ついお散歩してました~」


「ああ、結構広いですよねベランダ。ぐるっと繋がってるみたいだし」


「そうなんですね~とても広くて素敵です。あ、もうご入浴は済まされました?」


「ええ。下の風呂に入りましたよ」


「でしたらご一緒しませんかぁ~? 夜風が気持ちいいですよ?」


「いいですね、行きましょう!」



 友香さんの風呂上がりのいい匂いが夜風に漂い、横を歩く俺の鼻腔を刺激する。


 はぁ~幸せだなぁ……。



「あ、友香さん。改めて今夜は来てくれてありがとう!」


「いえいえ、こちらこそです~」


「二人が帰って、急に寂しくなってたんだ」


「え? 帰った?」


「あ、いや、引っ越してね⁉」


「そうですか。厚かましいと思われても仕方ないと思いつつ、来てしまいました~」


「ホント、ありがとう」


「いえいえ、あんなに素敵なお二人が、昨日突然お引越しですもの……さぞかしお辛いのかと……私何かが来ても、お二人の代わりにはならないかと思いながらも、お手伝いさんに無理を言って来ちゃいました~」


「いえいえ! 本当にありがたいです! 実を言うと、今日の昼間も結構落ちてたんですよね、これでも……」


「あら……そうでしたか……あ、そこへ座りませんか?」



 友香さんはそう言って、ベランダのベンチを指差した。


 ほぅ……こっちにもベンチがあるんだ。



「ええ、少し座りましょうか」


「霧島様、何かお飲み物をお持ちしましょうか?」



 後ろから夜露さんがそう声を掛けた。



「あ、そうですね! 三人で何か飲みましょうか⁉ とは言え、俺はまだ未成年だからお酒はNGですけど……」


「それは私もですよ~でも、家では少し飲んじゃいますけどね~」


「友香様、それは……」


「あ、勿論、今はやめて置きますよ? 夜露さん、私は冷たいお茶がいいです。霧島くんは?」


「そうですね、俺も冷たいお茶をすみません」


「かしこまりました」



 そう言うと、夜露さんはベランダの暗闇へ消えた。



「俺、悠菜と沙織さんとは、産まれた時からずっと一緒に過ごして来たんです」


「そうなんですね~」


「ええ、ですから、今回の事は思った以上にきてるんですよね」


「ご両親も海外ですものね……」


「まあ、うちの場合、両親よりも沙織さんと悠菜の存在がかなり大きくて、愛美もかなり凹んでたんですよ」


「あら……」


「でも、あいつには蜜柑やイーリスが傍に居てくれるから、少しは気が紛れてるかも知れないけどね」


「イーリスちゃんはご一緒に行かなかったのですね~」


「あ、ええ。あの子はまだこっちに居るんです」



 ヤバい!


 あいつの親とか家とか訊かれても、俺には上手く交わせないぞ⁉



「だ、だから、今回は友香さんのご厚意に、俺達本当に感謝してる訳ですよ!」


「あら、そう言って頂けると少しは気が楽になります~」


「うんうん! もうね、ずっとここに住んで欲しいくらい!」


「ふふっ」


「ここに一緒に住んじゃう? あはっ、あはははっ!」


「あらあら~」



 動揺しながら言ってしまったが、何だか変だったか?


 友香さんが少し照れてる?



「あ、でも、友香さんのご両親は、泊りに来ていて心配は無いんですか?」


「ええ。あの二人が一緒であれば問題は無いのです」


「そうなんだ? でも友香さんも年頃だし……」


「え?」


「い、いや、結婚前のお嬢様ですし……ってね」


「ああ~その内、お父様が嫁ぎ先を言い渡すでしょうね……それまでは、自由です」


「え……」



 許嫁って事か?


 そんな事がこの時代にあるってのっ?


 友香さんは自分で結婚相手を見つけられないって事か?



「さっき、霧島くんが一緒に住んじゃう? とか言うから、私何だか変な事を話しちゃいましたね」


「え? あ……あーっ!」



 そうか!


 普通にプロポーズにも聞こえちゃうじゃん!



「冗談だったのでしょ? でも、ドキッとしましたよ~」


「うわぁ……すみませんすみませんすみませんっ!」


「そこまで謝らないで下さいよ~」


「す、すみません……」



 そうだよな。


 プロポーズなどする気も無かったが、俺としては友香さんだったらここに住んで貰っても、そりゃ全然かまわないのは事実だ。


 寧ろ一緒に住みたいですっ!


 でも、俺の嫁さんとか恋人とか、まるでそんな気は無かった。


 そりゃ、こんな人が恋人とか嫁さんだったら幸せだろうけど……。



「でも、それまでは自由に出来ますから~」



 そう言って、ニコッと笑って見せた。



「でも……でもそれって、自由って言うのかな……」


「はい?」


「自分の結婚相手も選べないで、それって自由って言えるの?」


「霧島くん……」


「おかしいよ……親が決める結婚相手なんてさ!」


「あ、うん……」


「まるで、養豚場の豚ちゃんじゃん! 食べられる前までは自由って感じ!」


「ぶ、豚ちゃん……ですか?」


「あ、いや……」



 俺は思わず声を上げてしまった。


 この場で友香さんにどうこう言っても、まるで意味は無いのだろう。


 だが、急に切なくなって声が大きくなってしまった。


 だがこれは、友香さんを決して自分のモノに出来ないと言う、決定事項。


 ある種の嫉妬なのかも知れない。


 例えるのであれば、人気の芸能人が結婚した時の、何とかロスって奴だろう。


 でも、例え自分のお嫁さんになってくれなくても、俺には納得が出来なかった。



「霧島くん……」


「あ、はい」


「私、豚ちゃん?」


「ぎゃああーっ! いえいえいえ! すみませんすみませんすみませんっ!」


「あははは、うそうそ。分かってるよ」


「あ、ごめん」


「でもね、そう言われてこれまで育てて貰って来たから、そうしないと親孝行出来ないの」


「そ、そんな……」



 それが親孝行なのか?


 親の言う通りに結婚したら、本当に親は喜ぶものなの?


 それがあるべき親の姿なのか?



「お飲み物お持ちしました」



 そう言って突然、暗闇から夜露さんが現れた。



「あ、ありがとう……」


「夜露さん、どうもありがとうございます。あら? あなたは?」


「私は結構です」


「そうですか?」


「いや、夜露さんも飲んでくれ!」


「はい?」


「この家では、こういう時は皆と一緒に飲むんだよ?」



 その時の俺は妙に反発してしまった。


 友香さんがどれだけ金持ちか分からない。


 こんなお手伝いさんを何人従えているのかも、そんな事知ったこっちゃない。


 そんな上下関係は、今の俺の前では通用しない。


 どういう訳かそう感じてしまった。


 友香さんの許嫁の件に、無駄に反抗しているのかも知れない。


 何だか子供っぽいけどさ。



「かしこまりました。すぐに戻ってまいります」



 そう言うと、すぐにベランダの暗闇に消えた。


 その後、俺達は無言のまま夜露さんを待っていたが、やがて俺は少し冷静さを取り戻して来た。


 やっべー。


 ついこの家ではとか、何だか意地悪言っちゃったよ……き、気まずい。



「お待たせしました」



 すぐに夜露さんはペットボトルのお茶を手にして戻って来た。



「あ、お、お帰り」


「さあ、霧島くん一緒に飲みましょうか~」


「う、うん、夜露さんも座って!」


「え? はい……」


「さ、かんぱーい!」


「乾杯……ですか?」


「あ、やっぱ変?」



 友香さんは苦笑いで俺を見ている。



「いえ、乾杯」



 夜露さんはそう言って俺を見た。



「うん、乾杯っ!」


「はい、乾杯」



 やさしい夜風の中、ベランダのベンチで俺達は、横一列に座ってお茶を飲んだ。



「霧島様……」


「あ、はい?」


「先程の友香様とのお話……」



 あ、やっぱ聞こえちゃった?


 声デカかったしな……。



「ああ、聞こえちゃってた? ど、どの辺から?」


「友香様のご厚意に感謝していると……」



 って、殆ど最初からじゃん!



「あー、随分聞いちゃってたのね」


「すみません、つい立ち聞きを……」


「いや、良いんですよ。俺、間違ってるかも知れないけど、今の俺はそんな程度なのさ」


「私は西園寺家へ奉公に来てからまだ五年ですが、それでも友香様のお人柄は理解しているつもりです。そして、友香様のご友人である霧島様とは、今夜出会ったばかりです。ですが、霧島様の友香様へ対するそのお心遣いを、大変嬉しく思えます」



 そう言って、夜露さんは耳の髪をかき上げて見せた。


 そこにはインカムの様な物が耳に装着してある。



「それは?」


「インターカムです」


「だよね……? 見た事ある」



 遊園地の駐車場の警備員さんや、大手ファストフード店で店員さんがしてたな。



「メイド長との会話も、全て聞こえておりました。すみません」


「え……えーっ!」



 な、何か変な事言って無かったか⁉


 大丈夫? 俺……。



「友香様は豚ちゃんではありません」


「ぎゃああーっ! そ、そこーっ⁉ ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


「いえ、冗談です」


「え……よ、夜露さーん」


「ですが、やはり友香様のご友人です。貴方の人となりを、少しながらも知る事が出来ました」


「そ、そうですか……それは、まあ……」


「ごめんなさいね、霧島くん。夜露さん達の盗み聞きは許して下さい、私の為を思っての事なの」


「ああ、良いんですよ、友香さん。分かってますって~」


「ありがとう、霧島くん……」


「俺達、もう友達じゃんか。勿論、俺にとっては夜露さんも、朝比奈さんも友達だ。俺は二人のご主人様では無いし、上司でもない。あ、年下だけど……友達だと思っていいですか?」


「霧島様……」


「何だか、霧島くんと知り合えて良かったな……私」


「え? そ、そう⁉」



 急に天にも昇る気分になった。


 今まで誰かからそんなこと言われた事無いからな。


 免疫が無いんですよ。


 これは尚更、友香さんを親の決めた奴と、け、結婚などさせてなるものか。



「霧島様、先ほどメイド長と話されていた件ですが……」


「ん? なに?」


「私達の身体の傷痕です……」


「あ……あれか……」



 この人にも朝比奈さんと同じように、大きな傷跡があると愛美が言っていた。


 まだ若いのに、そんな大きな傷跡があるとは思えなかった。


 身体の傷だけでは無く、その心の傷もだ。



「私もこちらのお湯を戴いていた時に、同じ感じを受けていました」


「え?」


「朝比奈が申した様に、私の傷も癒えた気がしたのです」


「うそん……マジ?」


「はい」



 あれって、愛美の戯言に朝比奈さんが大人の対応で付き合ってくれてたんじゃ無かったの?



「私もね、こちらのお湯には特別な効能か何か、絶対にある様に思えてなりませんよ?」


「そんな、西園寺さんまで?」


「本当です! 私はこう見えて、温泉には詳しいんです!」


「あ、まあ、そうですよね」



 思いもよらず友香さんが声を荒げたので、俺は少したじろいでしまう。


 確かにこの人の温泉フリークには定評がある。


 まあ、未来(談)だけど。



「私は幼い頃に両親と離れ、その顔も覚えていません」


「そ、そうなんだ……」



 夜露さんがベランダの外を見ながらそう言った。



「三歳の頃から特別施設で育ちました。そこではあらゆる分野の勉学と、戦闘訓練を受けて来ました」


「せ、戦闘訓練ーっ⁉」


「はい。ターゲットを確実に仕留める訓練です。そのカリキュラムは実に残酷で、極まりないものでした」


「も、もういいよ夜露さん! そんな過去を洗いざらい言う事無いって!」


「夜露さん……」


「いえ、今まではこの事をこの口にする事等、それは出来ませんでした。ですが、霧島様には話せる気がしたので……」


「良いんだってば、俺、夜露さんのそんな過去とか……あ、聞いちゃうかもだけど、答えて良い範囲で良いんだってば!」


「はい……今夜はどういう訳か、自然に言葉に出来ました」


「び、びっくりしたよ……」



 そう話していた夜露さんは、不思議そうな表情をしている。


 だが、そんな経験をしてきていた人だったとは驚きだった。


 普通の訓練じゃないとは、何と無く感じていたが、それって殺人兵器って事か?   


 映画の世界じゃん?



「そ、それよりもだ!」


「え?」


「友香さんの結婚相手は、友香さん自身が自分で選んで決めるんだ!」


「あ……」


「そこが、そもそもの話だったでしょ?」


「あ~そうでしたね」


「うん、そりゃさ、色々な家庭の事情とかあるだろうけどさ。西園寺さんが本当にそれで良いのであれば、俺は何も言えない事かも知れないけど……」


「うん……」


「でも、親孝行って、本当にそう言うのかな……分かんないや、俺には」



 本当は分からないけど、何だか違う気がした。



「霧島様……人にはそれぞれ違った生活環境があるのです。私にしてみれば、霧島様のこの環境は考えられない事なのです……」


「あ……」



 それは否めないですよ。



「確かにそうだよね……」


「人権とか……私の様なモノには与えられた任務しかありません」


「え……どういう事?」


「夜露さん……霧島くん、私が話すね」


「夜露さんと朝比奈さんは諜報部員なの。お父様の依頼で派遣されて来ているの」


「諜報部員⁉ スパイって事?」


「ええ。特殊な部員らしいけれど、ここだけの話、偽造された国籍なの……そもそも、二人には個人情報が無いの」


「え……」



 この人が?


 まだこんなに若くて、少しだけ俺よりも年上な、この人が? 



「私達は、その任務を遂行中に命を落としても、それは抹消されるだけ。その為の集まりなのです」


「そんな事があっていいのか……」



 この世に生を受けて、その存在が任務の為に生きるだけなんて。


 お茶を持つ手が震え、中のお茶が小さく音を立て始めた。


 シンと静まり返ったベランダに、その音が妙に聞こえる。



「さあ、霧島様。今夜はこの辺にしておきましょう」


「そうね、霧島くんあまり考えないでね? でも、秘密ですよ……夜露さん達の事。本来は素性も明かしてはいけない事なの」


「う、うん……。分かった」



 諜報部員はその素性を明かしてはいけない。


 その辺りは何と無くだが分かる気がする。



「じゃあ、お部屋に戻りましょう~」



 そう言って二人が席を立つと、俺も釣られて立ち上がるが、動揺して上手く歩けない。


 こんな事実があっていいのか……。


 いや、俺が知らないだけで、この世にはまだまだ色々な闇があるのだろうか。



「大丈夫? 霧島くん」


「ああ、ちょっと驚いただけ」



 そう言って笑って見せたが、上手に笑顔が出来ていたかは分からない。



「じゃあ、おやすみなさい」


「霧島様、おやすみなさいませ」


「うん、おやすみ……」



 俺は今までこれと言った不自由なく、ごく普通に生きて来たつもりだ。


 異世界で創られたハイブリッド人間であった訳だが、それでもごく普通の地球の人間とまるで変わりなく生きて来た。


 だが、夜露さんの話を聞いて強いショックを受けた。


 人権が無い……。


 当たり前の様な事が、夜露さんには無いと言う。


 任務だけ与えられ、ただそれだけをするために生きている。


 それを生きる目的として、命に代えて生きている。


 それを全うして当たり前。


 失敗したら抹消される。


 誰にも知られず存在して無かった事になる。


 友香さんが許嫁を言い渡されるとか言った事に対して、納得がいかずに反抗心だけが先走ってしまった。


 だが、夜露さんにしてみればそんな次元では無かった。

 

 夜露さん自身の存在理由が任務だけ……。


 俺は独りベランダの手すりにつかまって外を眺めていた。


 考えてもどうしようもなかった。


 俺はその後も暫く外をボーっと眺めていたが、何とも言えない気持ちのままそっと部屋に戻った。


 ♢


 それから数時間後の愛美の部屋――。


 イーリスが目覚めて横を見ると、隣で愛美がぐっすりと眠っていた。


 揺り起こそうと手を伸ばすが、ハッとしてその手を止めた。


(朝までは寝るって言ってたよな……)


 愛美のベッドをそっと出ると、イーリスは悠斗の部屋と繋がる大きな穴を眺めた。


(どうせハルトも寝てるんだよな~)


 そう思いながらも、悪戯っ子の様な表情になるとその穴へ近づき、そっと穴を通り抜けてゆっくり悠斗の部屋へ入って行く。


 そして、すぐに悠斗のベッドへ近寄る。


 そっと覗き込むと、やはり小さな寝息をたてて寝ていた。


(ちぇ……)


 少しがっかりした表情で振り返るが、噴水を見つけるとその目はパッと輝く。


(おっ! 魚泳いでるかな⁉)


 駆け寄った噴水の下を覗き込むと、数匹の金魚が見えた。


 だが、元気に泳いでいる様子では無い。


 部屋の明りが消えているからなのか、金魚たちは水溜りの下でジッとしていた。


(何だよ~こいつらも寝てるのか?)


 そう思いながらゆっくりと立ち上がると、窓から差し込む月の明かりに目をやる。


 と、そのままベランダへ出た。


(ここも案外変わらないのか……)


 イーリスは昨夜に見たテレビニュース画像を、何と無く思い起こしていたのだ。


 戦争を嗾けていると、ハルトは言っていた。


 無差別に他人が傷つけられ、それを嘆き悲しむのではなく、テレビの声は淡々とその出来事を読み上げていた。


 暴力を暴力で制止する事は、戦争と変わりが無い事をイーリスは知っている。


 妬みや恨みも同じ。


 本人が変わらないと永遠に続く。


(やっぱ、ちょっとだけ見てこよっかな~)


 イーリスの身体が薄っすらと光り輝くと、目の前の空間に突如、ぐわんと渦巻く靄が現れた。


 そして、イーリスはその中へスッと消えた。


 その後のベランダには静寂だけが残った。



  ♢



(この辺でいいかな?)


 ベランダから消えたイーリスがその姿を現した場所、そこは着物姿の人が目立つ古臭い様な街並みだった。


 行き交う人はイーリスの姿が見えないのか、ぶつかりそうになる。


 それを反射的に避けながら道の端へ行くと、彼女はその場にしゃがみ込んだ。


 今のイーリスが存在している次元波長がこの時代に生きる人とは違う為に、彼女のその姿が見えないのだ。



 道の端に座りながらイーリスは考えていた。


 この場所のこの時代では、この種族が他の種族を暴力で制圧しようとしている。


(こいつらも、マナミの先祖だよな? 戦争の真っただ中じゃん……)


 そう思っていた時だった。



「あの、ちょっとすみません!」



 急に声を掛けられて驚いたが、その人物にすぐに気づいて返事をしていた。



「あ……マナミの……。で、なに?」


(こいつ、ハルト……じゃない、マナミの血縁だ!)


「変な事訊きますが、今は何年でしょうか?」


「あーそれはよくわかんない。だいぶ昔? じゃない?」


「え? だいぶ昔?」



 何年かとかそんな概念は、残念ながらイーリスには持ち合わせてない。


 彼女はただ、ニホンが戦争をやめたきっかけの時代へ来ているだけだった。


 それよりも、声を掛けて来た彼が、自分の姿を見て声を掛けてきた方が異常だった。


 稀に次元波長が同調して、自分の姿を見たり感じたりする人も居た。


 だが、彼はそういう類とも違う気がした。


 明らかにこの彼は、ここに居る事に動揺している様子だったからだ。


 もしかして、自分の作った次元歪に、運悪く巻き込んでしまったと言う事も考えられる。


 そうなると、少し申し訳なく思えた。


 だが今はその彼に、他の人が話しかけている。


 困っている彼のその様子に見兼ねて、近くの人が声を掛けた様だ。


 暫くやり取りを眺めていたが、やはりその彼は迷い込んだ様だった。


 迷っているのであれば、やはり自分が巻き込んだのだろう。


 時空間移動をした際に、何らかの作用でこの人を巻き込んだのだろうと思った。



「おい、そこのお前。迷ってるんだろ?」


「え?」



 話しかけると、その彼は怪訝そうな表情をした様に見えた。


 だが、それは仕方ない。


 自分の作った次元歪に運悪く巻き込んでしまったのであれば、こっちに落ち度がある訳だ。



「あ、うん、困ってるよ……」


「困ってるとか、そんな事は聞いてない。迷ったんだろ? って聞いたんだけどな」


「あ、まあ、迷ってるか……」


「最初からそう言えばいいじゃん。まあ、あれだ。……悪かったよ」


「え?」



 彼にこうなった経緯を説明したとしても、それを理解出来る種族でもない。


 ただ、一言は謝っておかないと気が済まない。


 そんな気がした。


 そして、無事に戻すにはエランドールのあいつらに任せるしか無いと考えていた。


 時空管理局。


 そこにいる彼女達であれば、時空歪を作ってそこにこの彼を放置すればすぐに気づく筈だ。


 その為には、この彼をこの次元から出して置かなければいけない。

 


「まあ、ちょっと待ってなよ」


「え?」



 イーリスはその彼に近づくと、その手を握った。


 そして作り出した時空の歪に、その彼を連れて滑り込んだ。


 こうして歪の中に居れば彼女達が気づく筈だ。



「これから殺し合うんだってさ」


≪え? ≫



 イーリスがそう言っても、彼は何の事だか分からない様だ。


 こうやって手を握って居れば、彼の意識が流れて来る事もあるのだが、その思考は殆ど停止していた。


 まあ、彼はこの時代の人間では無いのだから、それを知らないのも無理はない。


 そこで質問を変えてみた。



「どうして人間同士で殺し合うんだ?」


≪そ、それは……≫



 だが、彼には何を言われているのか分からない様だ。


 それは、彼の時代のその国では、既に殺し合いなど在り得ない事となっているのかも知れない。


 だが、彼の生きる時代であっても、離れた土地では殺し合いがまだまだ起こっている事でもあるのだ。


 それは悠斗の家で、テレビニュースを見て知っている。



「あんたの時代でも殺し合いはあったよ」


≪え……? ≫



 そう言ってから、少し違っていると気づいた。



「あーもっと先か。あんたの子供の……子供がいる時代」


≪な、何をこの子は言ってる?! 未来から来ていると言うのか! ≫



 少しは現状を認識して来たのだろうか、冷静に思考が動き出して来たのが、手を握るイーリスには分かった。


 だが、この種族は多種多様の遺伝子を受け継いで来ている。


 色々な生命体の混合種なのだ。


 それ故に相まみえるのは難しいのかも知れない。



「ま、いつまで経ってもこんな事する奴らなのかな」


≪え……≫



 そう言うと、急に彼の思考が目まぐるしく動いた。



≪いや、絶対に殺し合いなどしてはいけない! ≫



 その彼の思考に、イーリスは少し安心感にも似た気持ちを感じた。


 悠斗の事を思い出したのだ。


 この種族は平気で殺し合いもすれば、平気で自身の命を掛けて誰かを護ろうとする。



「まあ、そういう奴らって事か」



 別の土地では肌の色で差別もしているし、その一方では分け隔たりなく助け合う。

 

 本当に不安定な種族だと思った。



「まあ、見た目が違うだけで仲間外れになるしなー」



 そう言ったイーリスは、自分の境遇を思い出していた。


 自分にも妹が居たが、自分とその姿が違う為に妬まれ、恨まれてしまったのだ。


 だが、悠斗が妹だと言った愛美は、出会ってすぐに自分に良くしてくれた。


 最初は妹だと聞いて動揺したが、それもすぐに払拭された。



「巻き込んじゃったみたいだし、ちょっとだけ先の事教えてあげる」



 そう言って彼を見つめた。

 


「あんたの、子供の子供ね、いい奴だよ」


≪え? 俺の……ま、孫の事か? ≫



 彼には理解も出来ないかも知れなかった。


 でも何と無く、この彼には何か大切な事がこの先に起こるのでは……と、そう思えた。


 それが何なのかは分からない。


 ただ、愛美と出会えたのは、イーリスにとってはかけがえのない事なのだ。


 その感謝も込めて、何かを伝えたかった。



「会わせる事は出来ないけどさ、何か言いたい事とかある?」


≪え……見た事も無い孫に……か? ≫



 そりゃそうだろう。


 子供なら未だしも、孫って言われても想像しづらいだろう。


 ただ、この人には無事に戻って欲しい。



「ま、特に無いか」



 そう言って、イーリスは彼の手をそっと放すと空を見上げた。


 正確には空では無い。


 時空歪の裂け目だった。


(スクルドか……あれ? あいつは……)


 スクルドの傍に人が居る。


 ウルドでもヴェルでもない、イーリスの知らない誰かが居た。


 その人物が少し気にはなったが、この彼をそろそろ連れて帰って貰わないと、その体力も限界だろう。


 別次元で生きている彼にとって、この時空歪の中では、極端に精力を消耗してしまう事が分かっている。


 もうあんな思いをするのは嫌だった。



「んじゃ、行くよ。ここに居れば迎えに来るから」



 エランドールに居場所を特定されたら、イーリスにとっては色々と面倒である。


 早々に姿を消した方が良い。



「そうそう、あまり動くと眠くなるから、座ってなよ」



 そう言うと、イーリスはそっと歪の隙間に入り込んだ。


 この彼には時空歪に対する、身体的な対応力が欠如している。


 それ故に、脳がその状況を処理出来ずにシャットダウンしてしまうのでだろう。


 言わば、昏睡状態となる事が多いが、それは地球人であれば当然の事だった。


 そして、イーリスは誰も捉えることの出来ない、時空空間で独り考えていた。


 あそこへは、すぐに時空管理局が駆け付ける筈だ。


 彼女達、ウルドもヴェルも、これまで完璧に職務をこなして来ている。


 妙な話し方をするスクルドにしてもそうだ。


 彼女は特に時空に関してはエキスパートでもある。


 後は任せて置いても問題ないだろう。




 程なくして、愛美の部屋のベランダに音も無くフッと靄が現れた。


 そこに現れたピンク色の髪。


 イーリスは神妙な面持ちでそのままベランダに立っていた。


 スクルドの横に居た、見知らぬ男を思い出していたのだ。


(そう言えば……あいつ、どっかで会ったような……ま、いっか)


 少し気になったが、イーリスにとっては大した事ではない。


 すぐに彼女は鼻歌を歌いながら、上の大浴場へ向かって行った。



  ♢



 ここは噴水のある部屋。


 目を覚ましたばかりの俺は、ベッドに横になったままボーっと噴水を眺めている。


 ショロショロと水の音がしているのだが、これが一度気になると案外耳につくのだ。


 あれ、何とかならないか?


 まずは小さな箱庭の様にする。


 そして岩を置いて、その岩の上方から這わせる様に静かに水を落とせば、少しは水の音も小さくなるんじゃないか?


 イメージは岩清水だ。


 そしてふと、上の露天風呂を思い出した。


 あんな感じになっちゃうかも?



 しかし、こうやって眠りが浅くなるその度に、毎回尿意をもよおしては敵わん。


 そう考えながらトイレに向かうと、用を足してからシャワーを浴びる。


 とは言っても、この部屋での生活はかなり快適だった。


 部屋だけじゃない、この家は全てにおいて完璧じゃないか。


 ただこの広い屋敷には、俺の知らない部屋が多い。


 近い内に屋敷内の把握をしないとだな!



「おーい! 鈍感ハルトー! こんにゃろー!」



 そんな事を思いながらバスタオルで頭をコシコシと拭いていると、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、俺は頭を拭く手を止めた。



「お! やっと気づきやがった!」



 タオルの隙間から前を見ると、ピンク色の頭が見えた。



「ん? 何だ、イーリスか。おはよう」


「何だはないだろー⁉ ずっと話しかけてたのに!」


「は? そうだったのか? ごめんよ、頭拭いてたから聞こえなかったよ」


「あーお前、結構鈍感なんだな~」


「普通は聞こえないもんだぞ?」


「その耳で聞こうとするから聞こえないんだ! ここで聞くんだよ!」

 


 そう言ってイーリスは、自分自身のピンク色の頭をツンツンと突っついた。



「はぁ? お前、何言ってんだ?」



 こいつは何を言ってるんだか、時々理解が出来ない。


 呆れてバスタオルを首にかけたまま、噴水へ向かう。


 イーリスはその後をトコトコとついて来る。



「あ、餌ならやったぞ」


「あ、そっか?」


「ああ、見てたらパクパクしてたからな」


「ふーん」



 そう言われて金魚を見ると、確かに上を向いてパクパクしている。



「へーもう懐いてるみたいだな。餌貰えると思って強請ねだってるみたいだ」


「だろー? 中々可愛いんだな!」


「ああ、お前もチョコ貰って、すぐに愛美に懐いたしな」


「ば、ばっかじゃねーの⁉ な、懐いてねーし!」


「うわっ!」



 明らかに動揺しながら、ボスっと俺の脇腹に蹴りを入れた。



「つー、いてぇなー」


「しかしお前……こうやって見ると弱そうだな……大丈夫か?」


「は? 何が?」



 蹴られた脇腹を摩りながら聞き返すと、イーリスは呆れた表情で俺を見上げた。



「そんなんで略奪者を倒せるのかって聞いてんだよ」


「な、なにぃ⁉ 俺が倒すのか⁉」


「はぁ? お前この前の話もう忘れたのか? そこまで馬鹿なのか⁉」


「い、いや、だってお前、ピーンとやってバーンって……」


「うん」


「そう言ってたじゃんか!」


「ああ、言った」


「だろっ? 忘れて無いじゃんか!」



 そう言ってイーリスを見下ろすと、急に彼女がその目を見開いた。



「さてはっ! 忘れてたんじゃなくて、理解して無かったのか!」


「な、何が……」



 俺はそこまで言いかけて何も言えなかった。


 確かにこいつの言う通り、俺は何も理解して無かった。


 ただ単にイーリスが任せろと言うから、そのままこいつに丸投げしていた。


 どうやって解決するのかまるで認識してはいない。



「ご、ごめん。理解して無かった」


「はぁ……まあ、今気づいて良かったわ」


「あ、あぁ……ごめん」



 やれやれと頭を掻きながら、部屋のソファーへ向かうイーリスを目で追う。



「まあ加護は授かってるしな。守護もあるし恵与もある。そこは問題ないか……ああ、こいつ自体が不完全なのか……」



 ソファーに深く座ったイーリスはそう言うと、俺の全身を見定める様に足元から頭まで見廻している。



「加護?」


「ああ、受け継いだろ? あたし見てたぞ?」


「え?」



 こいつが見てた?


 ああ、悠菜から貰ったこの指輪と、セレスの腕輪か?



「あ、これか?」



 俺は腕輪を手で触りながらイーリスに訊いた。



「ああ、それは加護って言うより、守護だけどな」


「え? じゃあ、加護って?」


「その首輪んとこだよ」


「あ……」



 思わずゾクッとした感覚が全身を駆け巡る。


 この首輪は沙織さんがくれたものだ。


 その時の感覚が一気に蘇ると、急に懐かしさにも似た充実感に包まれる。



「それは間違いなくルーナの加護だ」


「これが加護……」


「ああ、あたしもこの目で見たのは初めてだけどな。間違いない」



 そう言ってイーリスは腕を組むと、改めて俺をまじまじと見つめた。



「おい、その首輪じゃないぞ?」


「え? これじゃ無いの⁉」


「そんなのをただ首から下げてるだけじゃ駄目だよ」


「そうなのか……」


「お前、皆を護りたいとか言ってたよな?」


「あ、ああ!」


「それに必要なのは何だ? 今、足りないものは何だ?」


「そ、それは……」



 俺に足りないもの……。


 てか、何にも無いじゃん!


 いや待て。


 放り投げるな、俺。


 首輪はある。


 これが実際何なのかは分からないけど。


 指輪もある。


 腕輪だってある。


 確か、守護だとかイーリスは言っていた。


 だが、加護と守護のその違いが分からん!


 俺に足りないものってか、必要な物って考えた方が良いか……。



「理解する事だよ、馬鹿ハルト……」


「あ……そうか……」


「まあ、あたしを引きずり込んだのは感服するよ。あの時は、こいつ一体何者なんだと思ったしな」


「そ、そうなんだ……ははは」


「だけど、まるで産まれたばかりのお子様で参ったよ」


「え……」



 お前が言うか⁉


 あ、だけど、悠菜の生れる前から生きてたんだよな、こいつ。


 そしたら、俺なんてまだまだ子供なのか。


 だけど、見た目はこいつの方が子供じゃん!



「なあ、イーリスはどうしてまだ子供なんだ?」


「あ? ああ、これか? 色々とあるんだ。お前みたいなお子様には分かんないの!」


「はぁ?」



 イーリスはソファーにふんぞり返ると、小ハエでも払うかの様にしっしっと手を払う。


 どうも納得はいかない。



「そんなことより特訓だ! あたしは戦いなんて御免だからな?」


「えー? だって、ピーンとやってバーンとか……」


「そうだよ? あたし、ピーンとやるよ?」


「な、なら……」


「だーかーらー! そしたらハルトが、バーンだよ!」


「えええーっ! おれーっ⁉」


「前からそう言ってんじゃん! ピーンとやってバーンだって」



 そう言うと、イーリスは呆れた表情で俺を眺めた。



「バーンって……。俺がやるの⁉」


「そーだよー? あたしにバーン何て無理っしょ~こんなに可愛いのに~」



 呆れて反論できない。



「あたしの役目はあくまでもピーンだよ? そしたら、すかさずハルトがバーン! 分かったー?」


「はいはい。でも、どうやってバーンするんだ?」


「あーまあ、ハルトはお子様だからな。しゃーなしだな」



 お前が俺をお子様言うな!


 だが、口に出せない俺が居る。



「でもさ、それって戦うって事だよな?」


「まあ、そうだな」


「相手を倒すんだよな?」


「又は、ハルトが倒れるかだな」


「えっ?」


「まあ、そうはならない様に、あたしがピーンってするじゃん」


「そ、そうなのか?」


「だよ? どちらかが倒される。それが戦いってものだろ? やっぱ馬鹿なの?」


「ぐっ……」



 そうか。


 戦いをするんだよな。


 この前、車ごと放り投げた、ラリってた奴らとは訳が違う。


 略奪しに来る異星人と戦うんだよな、こいつと。


 そう思いなおしてイーリスを見る。


 大丈夫なのか……俺。


 だが、同時に何かが引っかかる。


 前にセレスが話していたが、異星人たちは俺達を下等生物だと認識していると……。


 で、そんな奴らと話し合いなど出来ないと……。

 

 本当にそうなのか?


 話し合いは出来ないのか?

 

 例え今回その異星人達を倒せても、その後その仕返しに来ないだろうか。


 そうやって、争いの連鎖が起きるのではないだろうか。


 確かにこの広い世界において、地球人はまだまだ未熟な種族かも知れない。


 でも、未熟だから、下等だからと存続を途絶えさせていいのだろうか。


 俺がこちらの立場だから贔屓目ひいきめである事は間違い無いが、例えエランドールで産まれたとしても、俺は地球育ちのれっきとした地球人だ。


 愛美や父さん、母さん、それに友香さんや未来と変わりはない。


 むしろエランドールでは、俺なんて地球人とのハーフ扱いの出来損ないだろう。


 ある意味こっちに居た方が、半分異世界人として少しは優越感に浸れるのかも知れない。


 ああ、俺って情けない奴ですよね。



「なあ、イーリス」


「んー?」


「俺に戦い方教えてくれないか?」


「はー? あたしにそれ聞いちゃうのー?」


「だって、他に誰に聞くんだよ……。あ、空手道場とか!」



 やはり基礎的な戦闘技術を身につけたら良いのかも知れないな。


 あっ!


 メイドさんは?


 あの人たち、凄そうだぞ!



「あのさぁ~ハルト」


「ん?」



 やれやれと頭を掻きながらイーリスは立ち上がった。



「あたしだって空手がどういうものか知ってるよ? この前テレビでみたし」


「そ、そうか?」


「素手で熊と戦うのと訳が違うんだぞ?」


「お前、どんなテレビ見たんだよ」


「ハルトさぁ~略奪者相手に正拳突きしよーっての?」


「あ……」


「やっぱ馬鹿ちんかーおまぃは」



 何も言い返せない。


 どでかい宇宙船で来るってのに、空手道場で今から空手教わってどうしようってんだ。

 


「どうしよう……」


「ハルト、お前さ、今までアトラスの姉ちゃんやら剣の人やらと、ずっと一緒に居たんじゃないの? それなのにお前、どーして……」


「うっ……そんな人達だって知らなかったし……」



 そうだよな。


 悠菜はフォークで垣根消しちゃうし、セレスは守護の剣とか持ってるし……。


 でも、戦ってるところなんて見た事無いし。


 あれ?


 守護の剣?


 あれ?


 盾だっけ?


 ふと、指輪をしている左手を見ながら、右手のブレスレットに触れる。


 二つとも鈍い光を放ちながら、変わりなく俺の身体に納まっている。



「わっ! ちょっとタンマ、タンマー!」



 突然声を上げたイーリスが俺の足に飛びつくと、頭の中にビシッっと音がした感覚があった。


 え?


 声にならないままびっくりしてイーリスを見ると、辺りは見覚えのある状態に変わっていた。


 セピア色の世界に変わっていたのだ。



「行き成り試すなよな! 焦ったじゃんかー!」


「え? 何を?」


「それだよ、それ!」



 イーリスにそう言われて、指を刺された所を見ても分からない。


 イーリスは俺の身体を確かに指差しているのだが……。



「俺がどうかしたのか?」


「あ、お前分からないの? やっぱ鈍感だー!」



 そう言いながら、ピンクの頭を抱えた。



「へ?」



 俺は自分の身体をまじまじと見てみるが、良く分からない。


 って、言うか、まるで変化はない。



「あーもうちょっと意識してみ?」


「意識ったって、何を?」


「その盾と剣だよ! それも分からないのかー?」


「盾と剣? 何処の?」


「げっ……こいつ、マジで真正なのか⁉ 指輪が盾! 腕輪は剣! どっかに書いとけ!」


「は、はい? 指輪が盾? これが?」



 そう言われて指輪を見るが、どう見てもただの指輪だ。


 そうとしか見えない。


 こっちの腕輪だって、厚めだけど普通のブレスレットだろ?


 そう思いながら腕輪に触れると、ちょっとした違和感がある。


 あれ?


 何だか腕に……見えないけど長い何かが……。


 そう思いながら、その感触を左手で追う様になぞっていく。


 すると、音も無くうっすらとその姿を現した。 



「こ、これはっ! 剣なのか⁉」



 明らかに、俺の右腕から長剣が現れた。


 だが、まるで現実味を感じない。


 しかも、空中で静止しているでは無いか!


 その剣の柄をそっと握って掴んでみる。


 と、その瞬間、腕輪に感触が伝わって来る。


 しかし、その重量感はまるで感じない。



「それは、お前らの知っている素材じゃないんだよ」


「な、なるほど……」


「そもそも、剣というのは……まあ、今はいいや。次はそっちの盾」


「え? 盾?」



 指輪か?


 そう言われても、指輪にしか見えないが……これが盾?



「ど、どうやって……」



 そう言いながら、剣を持った右腕で指輪を触ろうとした。


 その時だった。


 何かに剣が当たった感じがした。


 目に見えない何かを、握った剣でそっと探ってみる。



「な、何かある!」


「だから、盾って言ってんじゃん! 鈍感!」


「ぐっ……」



 イーリスに怒鳴られても、まだ俺には見えない。


 しかし、確かに左側に何かある。


 先程の剣同様に空中に静止している。


 これか?


 そう思いながら、今度は左手でそれを探る。


 すると突然、盾がその姿を現した。



「うわっ! 出た!」


「だーかーらー、さっきからそこにあった、つーの!」



 俺は左手でその盾を掴んで見た。


 やはり、全く重量感が無い。


 と、言うより、重さそのものが無いのだ。



「どうして重さが無いんだ?」



 盾と剣を両手に持った俺は、イーリスに訊いてみた。



「あのな、そもそも重さって、ここに引っ張られてんだろ?」



 そう言ってイーリスは、部屋の床を片足でどんどんと踏みつけた。



「あ、ああ。重力って事か?」


「ま、まあな。でも、その盾と剣にはそんなの関係ないのさ」


「そ、そうなんだ?」


「だから、守護なんだよ」



 そう言われても、よく分からん。


 イーリスの話はどうも理解に苦しむ。


 その時だった。



『あー! イーリス⁉』


「あ……し、しまった! 面倒な奴に見つかった!」


「ぬぉ⁉」



 急に聞き覚えの無い声が聞こえた。


 俺の脳内レーダーにもその存在は確認出来たが、名称はアンノウン。


 初見のモノであると判断出来た。


 その声の方をよく見た瞬間、突如グニャッとした空間がそこに現れた。

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