こう見えても実は俺、生まれは異世界なんです。
若松利怜
第1話 同級生のお母さんが綺麗で若すぎる
ぐっすりと眠っていた筈の俺は、不意に強烈な眩しさを感じて顔を逸らした。
――っ‼
何事かと思いながら重い瞼をゆっくり開けると、明るい陽射しが射し込む窓が見える。そこには実に暖かそうな朝日が射しこんでいた。
少しの間それを何と無しに見ていると、寝ぼけていた頭も
もう朝かよ……。
直射日光をモロに顔に浴びた様だが、この様な目覚め方はこれまで余り経験が無い。
そう感じた瞬間、俺は物凄く嫌な感じがした。
あ……やべぇ!
カーテン閉め忘れてたっ!
急に不安になると、自分が昨夜ここで何をしていたか回想してみる。
窓の外が暗い場合、電気を点けた明るい部屋の中は勿論丸見えになる筈だ。
な、何か変な事してないよな……してない筈……。
うん、スマホに保存してある画像を見ていただけだ。
間違い無い、変な事はしていない。
まあ、朝からちょっと焦ってしまった訳だが、俺の名前は
この四月で十九歳になる。そして今日から大学生だ。
兄妹は高二の妹が二人居るが、家には居ない様だから恐らく既に学校へ行ったんだろう。
あ、二人と言っても双子とかじゃ無くてね、一人は実の妹でもう一人は裏に住んでいる……俺の母さんの親友の親戚の子。
まあハッキリ言うと他人だけど、今はちょっと複雑な家庭環境なんですよ。
その二人の妹は近くに居ないみたい。
俺はちょっと意識すれば、家族が近くに居るかどうかは分かる。
しかも、最近はその感覚は鋭くなっているから間違いない。
まあ、勘なんだけどね。他人より少し勘がいいらしい。
枕元のスマホを掴み取ると、画面を見ながら上半身に掛かった布団を剥ぐ。
家を出る時間にはまだ余裕があるけれど、もう少ししたら沙織さんが起こしに来るかも知れない。
沙織さんってのは、海外へ行っている両親に代わって、この家で色々とお世話をして貰っている人でね。
俺が生まれる前からの、母さんの大親友なんだよ。
その人が見た目若くてすっごい美人。
二年前、親戚の子を預かる迄は
悠菜には昔から父親は居ないが、詳しい事は知らない。特に気にもならなかったしね。
「ん――っ」
下半身はまだ布団に入ったまま、全身で伸びをしてからふっと力を抜き、陽の差し込んでいる窓を何気なく見る。
うん、いい天気だ。
でも、四月とは言え太陽が出ていないとまだ肌寒いかもな。
体温と室温との差は十五度程だが外気はどうだろう。
ゆっくりベッドから起き上がると、窓から外を眺めながら窓を開け、少し顔を出す……。
さむっ!
体温より二十二度も低いのかっ⁉
そして、毎朝感じるこの感覚。
寝起きにこれを感じる事が多い。
見た物の数値的な解析と言うか、例えば部屋の空気の成分が視界の端に出て来るのだ。
とは言っても、意識しなければ気にはならないのだが。
今の外気には主に窒素と変わりは無いが、浮遊粒子状物質の他に数種類の花粉も多い様だ。
花粉症対策はしっかりと。
あ、俺は花粉症じゃ無いので今はスルーしていい?
他にも自分がいる場所の地表からの高低差や、緯度経度らしき数値等が表示される。
勿論意識しなければ視界を遮る事は無いので、日常生活に支障など無い。
それゆえ、今日までそのまま受け流している。
これは高校に上がった頃には毎日の事となり、今ではすっかり慣れてしまったが、感じない人も居るのだと理解した。
学校の同級生等には、こういう風に感じる人は居ないだからだ。
だが、沙織さんは俺と同じ様に感じるらしいし、これには特殊な個人差があるらしいと漠然に思っていた。
実は中学生に上がる頃、初めてその感覚があった時に、この事を両親に相談した事があった。
そりゃ最初は焦りましたよ。
自分がおかしくなったと思ってね。
その時の両親はただ心配そうに、本当に親身に俺の話を聴いてくれていた。
俺から二人に訊いておいて言うのも妙だが、そんな二人の不安そうな様子が何だか切なく感じたのを覚えている。
その時にもう訊いてはいけないと思った。
何だか二人を心配させたく無かったんだよね。
だから、あれ以来この話は両親にはしていない。
その事で両親に病院へ連れて行かれる事も無かった為、大した事は無いのだろうと自分の中で納得させた。
だがその後、すぐに沙織さんが家に来て、俺を優しく抱き寄せると『傍に居るから大丈夫ですよ~』と言ってくれた。
恐らく、俺の両親からその事を相談されたのだろう。
昔から俺の両親は、どんな些細な事でも沙織さんに話してるのだ。
あの時も沙織さんに抱かれて滅茶苦茶幸せな気持ちになったっけ。何かとすぐにハグしてくれるのよ。娘しか居ない母親って息子に憧れてるのかな。昔から俺にとってはご褒美でしかない。
そんな沙織さんがこんな感じで優しくて綺麗だから、俺は誰よりもこの人が好きになってしまっている。
そして今は、その沙織さんと一人娘の同級生、
あ、沙織さんが預かってる親戚の子も俺の妹として一緒にね。まあ、妹と同い年だし。
実を言うと、俺の両親は海外転勤の際、沙織さんに俺達兄妹の世話を丸投げしたのだ。
冷静に考えたらどうかと思うが、両親と沙織さんの付き合いは普通の友達関係のそれとは度合いが違っている。
妹は悠菜の事を昔からお姉ちゃんと呼んでいるし、もう随分前から家族の様なものだ。
勿論、俺も昔から沙織さんと悠菜とは一緒にいたから、特に別に変だとは思わない。
階下へ降りてリビングまで来ると、沙織さんがキッチンに居るのが見えた。
後ろ姿もやっぱり綺麗だ。
ボディーラインが黄金比に収まっているに違いない。とは言っても、黄金比の詳しい数値は分からないけどね。
改めて思うが、こんな綺麗な沙織さんと一緒に居るのが、子供の頃は当たり前だと思ってた。
だが、最近になってようやくこの境遇に無類の幸せを感じている。
しかも今は泊まり込みで母さんの代わりを沙織さんがしてくれている。
こんな人が我が家のキッチンに居る事の幸せに、俺は心から感謝しなければいけないのだろう。
ああ、主よ。祝福をありがとうございますっ!
しかし、めっちゃスタイル良いよ……。
これで同級生のお母さんとは……やはり信じられない。
芸能人がどんなに綺麗で可愛くても、更には際どい水着のグラビアアイドルであっても、全く興味が湧かないのはこの人が原因だ。
「沙織さん、おはよー」
「あ~悠斗くん、おはよ~。朝ご飯食べるでしょ?」
こちらを振り返りながら笑顔で答えてくれる。
その笑顔が俺にとってはありがたい
実の母親だったらまだ諦めも付くのであろうが、血縁の無い同級生の母親だ。
もしかしたらと、何かしらの期待を抱いているのも否めない。
「うーん、あまりお腹空いてないんだよね」
「あら、そーなのぉ?」
「支度してくれてたのに、ごめんね?」
「いえいえ~悠斗くん、昨日は早くから寝てたみたいね~」
「うん、中々寝付けなかったんだけど、いつの間に寝てたよ」
「そうなの~? はい、これ飲んで」
沙織さんは笑顔で俺に近づいて来ると、俺の顔を覗き込みながらマグカップを差し出して来た。
最近は朝の食欲が無くなっている為、こうして野菜ジュースを飲むのが習慣化して来た。
それよりも、沙織さんが近づいてくれる……これが俺にとってはご馳走でもあるが、そんなことは恥ずかしくて言える筈も無い。
「あ、ありがと」
俺はマグカップに注がれた野菜ジュースを口にして彼女を見た。
いつも沙織さんは朝一番の飲み物として、必ず常温にしたものを俺に飲ませる。
まあ、昔から母さんもそうだったから、俺には何も違和感は無い。
朝一番の冷たい飲み物は体に毒なのよと、母さんはそう言ってたっけな。
「どお?」
「あ、うん、美味しい」
「ふふっ」
なっ、ちょっと!
ドキドキするんですけどっ!
思わず口に含んだ野菜ジュースを吹き出しそうになる。
「ちょっと大丈夫~?」
沙織さんが更に顔を近づけて来ると、その良い匂いが俺の鼻腔を刺激する。
既に俺の脳内は沙織さん一色になっていた。
ヤバい……悠菜のお母さんなのにっ!
目の前まで沙織さんが顔を近づけているが、この人は悠菜のお母さんだ。
しかも、母さんのマブダチだ。
冷静を保たなければいけない。
まあ、この人は普段からこうして俺を
年頃の男の子を
だがそれが、
ゆえに俺は他の女など考えられない状態になってる。
これが
こうして俺だけじゃなく、普段から妹の愛美も沙織さんの
しかし、同級生の母親だと言うのに本気で好きになるのは、やはり倫理的にもヤバいだろう。
万が一、俺と沙織さんが付き合ったりしたら、悠菜が娘になる訳だ。
それは駄目だろ……うん駄目だ!
「そ、そうだ! 悠菜は……」
出来るだけ冷静さを装いながらも、沙織さんから一歩二歩と後ずさる。
勿論俺には悠菜の居場所は分かっている。
このすぐ近くに居る筈だ。
「
沙織さんって娘の事をずっと前から、ゆーなって呼ぶんだよな。
そんな事を思いながら、リビングにある掃き出し窓へ目を向けると、やはりプランターに水をやっている悠菜が見えた。
俺の母親に水やりでも頼まれていたのだろう。
しっかり者だよなー悠菜って。
ホント、こいつこそ学級委員長とかやれば良いと昔から思っていたが、そう言う目立つ事は絶対にした事が無い。
結果的に二人共そのまま大学生となってしまった。
カラカラとサッシを開けると、悠菜はチラッとこちらを見たがすぐにプランターへ目を戻し、また水やりを続けた。
「おーい、ゆうなー! そろそろ大学行こうぜー?」
「わかった」
悠菜はこちらを見る事も無く、水をやりながらそう答えた。
「あらあら~? 相変わらずね~」
「え? 何が?」
「悠斗くんは、あれで寂しくないんだ~」
「あれ?」
「素っ気無いって言うのかな~?」
「ああ、そこは慣れてる」
まあ、昔から悠菜はこうだからな。
実にそっけないが、それは特に気にはならない。
寂しいとか思った事も無い。
本当にやせ我慢とかではない。
あいつは昔から口数は少なく、あまり表情も変えない。
動揺しないっていうか、無表情。
子供の頃からこんな感じだったしね。
愛想はないかも知れないが、これでこそいつもの悠菜だ。
しかし、あいつは他人に無関心って訳じゃない。
俺がどこに行くにも必ずついてきていたし、むしろあいつが単独行動をする事があまりなかった。
それに、ふと俺が悠菜を見た時だって、大抵はこっちを見ていたっけな。
悠菜と目が合う時が多かったのだ。
もしかしたら、俺の事好きだとか?
まさか……いや、無いな。
小さい時からずっと俺の世話して来た感じだったし、両親と同じ様にいつも一緒に居た。
いや、両親よりも一緒に居る時間は永い筈だ。
昔から面倒を見ている内に、今では俺を見るのが癖になってるのかも知れない。
いつまでも危なっかしい奴とでも思ってるんだろう。
あいつにしてみれば、俺の姉さん的な気分でいるんだろうな。
そう思いながら悠菜を眺めていると、不意に沙織さんが俺の袖を引っ張る。
「あ~あ、な~んか寂しくなったな~」
「え? どうしたんです?」
「もう、お弁当必要ないんでしょう?」
「ああ、そうですねー」
俺は沙織さんが作ってくれたお弁当を、毎日欠かさず持って行っていた。
前はずっと母さんが作ってくれたのだが、去年の三月から一年間は沙織さんが作ってくれていたのだ。
本当に有難い事だろうが、それすらも当たり前に感じてしまっていたのかも知れない。
それに今日も愛美のお弁当は沙織さんが作って持たせてくれた筈だ。
「沙織さん、いつもありがとうございます」
「あらあら~」
「俺のは今日から必要無いけど、今日も愛美の分、いつもありがとうございますっ!」
「みかんちゃんのもあるし、いいんですよ~」
あ、みかんちゃんてのは沙織さんが預かっている親戚の子ね。なし崩し的に俺の妹分になってるけど。
思えば、母さん達が海外へ行って一年が過ぎていた。早いものだ。
「そうやって親元を離れて行くものなのかな~」
「え? ああ、悠菜はしっかりしてるもんね」
「え~? 悠斗君のことよ~? ユーナちゃんは平気だもん」
「あ、ですよねーははは……」
確かに悠菜はしっかりしてる。俺が子供の頃からあいつは子供って感じがしなかったな。
まあ、両親に頼まれて俺達の面倒を見てくれているし、今では実の両親よりも俺達兄妹が頼っているのは事実だ。
そして、沙織さんは実の娘である悠菜よりも、俺達兄妹を大切にしてくれていると言っても、決して過言ではない。まあ、俺らの両親に頼まれていると言う責任感もあるのだろうけれど。
だからついつい俺達兄妹は気兼ね無く頼ってしまっている。
まあ、悠菜は子供の頃からしっかりしてたから手がかからないのだろう。
そんな悠菜に比べて、いつまでも頼りないこんな俺達の事を、案外可愛く思ってくれているのかも知れない。
そう言えば、手のかかる子供ほど可愛いもんだって聞いた事がある。
「もうここで十九年かぁ~」
「え? 」
ここで十九年ってどういう事? 引っ越して来て十九年って事か?
「もう十九歳になるし~今日から大学生でしょ~?」
「あ、うん!」
そうか、悠菜も今月が十九歳の誕生日だったな。
あいつは俺の誕生日より一週間早い。
「早いものね~」
「あ……うん」
悠菜が十九歳てことは、沙織さんて四十代、いやギリ三十代後半?
み、見えねーっ! てか、信じられないんだけどっ!
大学の下見はしてあるとはいえ、やっぱり少し緊張する。
俺は玄関へ向かいながら悠菜を見たがいつもの無表情だ。
「悠菜は緊張してないの?」
「していないけど……どうして?」
「あ、いや、何でもない」
ですよね~。
俺たちが玄関を出ると、沙織さんも一緒に家を出て来た。
「あれ? 沙織さんもどっかいくの?」
「そうなの~ちょっとお
沙織さんの家はここの真裏にあるのだが、これがまたかなり大きな敷地なのだ。
うちの数倍……そうだな、五倍はあろうかと思われる。
その広い敷地の周りは高い生垣に囲まれ、建物が見えない位に敷地の中には木々が遮っている。
よって、ここからはぐるっと回りこまなければならない。
回り込んで行くとなると、例え裏であっても数分はかかるのだ。
「悠斗くん、じゃあね~気を付けていってらっしゃ~い」
そう言うと、くるっと背を向けてるんるんと軽快に歩き出した。
娘の悠菜をチラッと見ただけで、俺にはこうして声を掛けてくれる。何だか悠菜に申し訳なく感じても良いのかも知れないが、これも昔からだからなあ。しかも、悠菜が母親の沙織さんに甘えたりしてる所、これまで無かったな。
「うん、行ってきまーす」
しっかし、沙織さんって本当に歳はいくつだよ。
遠ざかる沙織さんの後ろ姿を眺めながらふと考えた。
あのスタイルといい顔立ちといい、やっぱり絶対若すぎる。
母さんと同じ位だと漠然に思っていたが、絶対に俺の母さんよりも年下に見える。
しかも、生足だぞ……あれは。
それに、化粧してる感じじゃないんだよな。
うちの母さんがどっか行く時には、化粧にかなり時間かかってたぞ?
「なあ、悠菜」
「なに?」
「沙織さんて何歳?」
「知らない」
「へ?」
俺は驚いて悠菜を見るが、相変わらずの無表情だ。
「知らないの? 何で?」
「前に聞いたら花の十七って言われたから、それからは聞いてない」
「はあっ⁉ はなのじゅうななっ⁉ って、それっていつ頃?」
「ん……中学へ行く頃だから六年前」
「はいぃぃぃ⁉ そりゃ嘘だろ、どう考えても!」
「嘘って言うより戯言」
「たわごとって……それからは聞いてないの?」
「うん。もう歳は訊かない事にした」
女親ってそんなものなんですか?
自分の子供にも歳を隠すのですか?
ま、まあ例え母子であっても、同性がゆえに何かと張り合うこともあるらしいし。
しかも、昔から
母子家庭ってこうなの?
あ……また沙織さんの旦那さんの事考えちゃったわ。
やっぱり嫉妬しちゃうな。
そう思いながら何気なく悠菜を見ると、彼女がじっと俺を見つめていた。
何だか……ドキッとするんだけど……。
「それより、悠斗」
「え⁉ な、なに⁉」
「そろそろ向かわないと遅れる」
「あ? ああ、ヤバいな! 行こうか!」
俺は慌てて歩き出した。
初の大学生活初日から遅刻はヤバいでしょ!
♢
大学生初日、その午前中は受講の仕方など細かな説明から始まり、その後も講義などは無く、殆どが説明会の様な時間が過ぎていた。
しかしまあ、盛んにサークル勧誘をしているのがあちらこちらで目立つ。
この大学では部活動では無く、同好会って言うのが多いらしい。
あ、どこでもこんな感じなの?
やはり高校とは大違いだった。
まあ、とりあえずは昼飯だな……学食を探すか。
大学のパンフにある案内図を開きながら、俺は自分の財布事情をふと思い出した。
すると、途端にちょっとウキウキしてくる。
実は、今日の俺はちょっとしたリッチマンなのだ。
いつもの俺と思ったら大間違いだぞ。
普段よりも大金を持っていると、何でも出来そうな気持になる。
これこそが現金な奴と言うものだろうか。
「なあ悠菜、お前何食べたい?」
「なんでもいい」
で、ですよね~。
うん、返事は想像できていた。
多少の我儘なら叶えてやれると自負していたが、悠菜が贅沢な我儘を言わないのは分かっている。
だが、この日の俺は珍しく突っ込んでみた。
「今日は新生活の初日だし、俺が奢るから何でも食べたいの言ってくれよ」
今月は俺の誕生日もあるという事で、特別に小遣いを三万円多く貰っていた。
去年は両親の海外生活が始まるとか何とかで、俺の誕生日はうやむやにされていたしな。
それに、今月から月の小遣いがアップしていたのだ。
大学生ってやっぱ凄いぞ。大人って感じだ。
それに先月、念願の自動車免許を取ったばかりで、車も欲しい所だがそれはまだ当然無理だ。
まあ小遣いが上がったと言っても、大学での昼飯代に充てないといけない訳だからな。
下手したら高校時代よりも貧困となる。
げ……小遣いが上がった訳じゃ無くて、昼飯代貰い始めただけじゃん?
急に現実味が湧いて来ると、一気に気分が滅入って来る。
やっぱり大学生ってバイトしなきゃ駄目なのかな。
だが、今月だけは三万円多い訳だ。
立ち直れ、俺。
「そうだな~今は何食べたい?」
「特にない」
「そ、そうかー?」
まあ、そうだろうな。
学食ってどこも同じ様なところだろうしな。
どうせならもっと良い店で奢ってやりたいけどさ。
暫くすると、俺達は食堂らしき拓けた場所を見つけた。
「お、ここだな!」
高校の学食を勝手に想像していたが、予想よりも遥かに広い。
広間の中央にテーブルが幾つもあり、それを三方から囲むように色々な店が並んでいた。しかも人が多くね?
「お! なんだか凄いぞ、悠菜!」
「そう?」
妙にテンションが上がってしまったが、悠菜は特に興味はなさそうだ。
だが、目の前の光景は俺の感性をビンビンと刺激して来る。
「いやいや! これは中々! めっちゃ凄く無いか⁉」
この大学の付属高校へ通っていたのだが、高校の校舎が隣の町にあった事もあり、今までここへは来た事が無かった。
最近の大型商業施設では、セルフサービス形式の屋台共有スペースがあったりするが、まさにそれだ。
これがフードコートってやつ?
手前にある店から順番に見て廻ろうと歩き出すと、何だか妙に浮き浮きして来た。
ここはカレー屋だな!
本格的なスパイスの香りが食欲をそそる。
どうやらライスの代わりにナンをチョイス出来る様だ。
更にウインナーやらゆで卵やら、色々とトッピングできるらしい。
まるで、カレー専門大型チェーン店のGOGO壱だな。
カレーには色々とこだわる人も多いが、一つにルウの硬さも好みが分かれません?
サラッとした水っぽいルウとか、トロリとした硬さのルウもあるが、一説には日本最初のルウはサラッとしていたらしい。
一般にカレーが普及されると、当時の軍隊食堂でも提供されるようになったのだが、海上の船上ではこぼれにくい、とろみの付いたルウにしたらしい。
それが海軍カレーの人気の発端とも言われている。
俺は少し硬めのルウが好みだ。
と言うより、むしろボソボソしたルウでも文句は無い。
ルウの程よい塊に、ご飯を絡めて戴く一口は、俺に最高の至福を
「俺、カレーにしよっかな!」
「ここ?」
「んーどうしようかー?」
悠菜が俺を見てそう聞くが、こんなあっけなく決めていいものかと、若干躊躇っていた。
空腹時にカレーの匂いは反則だよな。
その場で辺りを見廻して、目につく店舗に目を凝らすが、俺の思考能力を著しく下げてしまう。
ある蕎麦屋のランチタイムでは、店内の客がカレー南蛮を注文すると、後から来店して来た客の過半数が、そのカレー南蛮かカレーライスを注文すると言う。
店内に入った時のカレーのスパイスが、その香りによって脳に刺激を与えるらしい。
そして今の俺はこの場から離れられなくなった。
まだ他にも色々な店が並んでいると言うのに……。
既にもうここから離れる気など無かった。
「よし、カレーにする!」
「わかった」
俺がそう言った途端、悠菜は即答したかと思うと、店のカウンター内に立つ店員さんへ注文しだした。
「ビーフカレーの並をフラットブレッドで、卵サラダとアイスミルクティーのセットで下さい」
はえーな、おい!
しかもフラットブレッドって何っ⁉
悠菜のオーダーする声が聞こえてはいたが、その時の俺はまだトッピングで悩んでいた。
あれこれ頭の中で
悠菜はサラダセットか……飲み物も付いてるんだな。
でも、俺はトッピングもしたいな。
ウインナーにするか?
いや、ここはコロッケかメンチもいいな!
でも、悠菜の言ってたフラットブレッドって何だっ⁉
その時、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「きりしまぁー! お前、もう来てたのかよー! あちこち探してたよ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、高校が一緒だった友人が一人近寄ってきた。
こいつは
その存在を今日は忘れていた。
確かこいつは、俺とは別の学科を専攻していた筈だったからだ。
「ああ、見渡したけど見かけなかったぞ?」
すっかり存在を忘れていたが、そう答えておく。
こいつは何かと俺に
そう言えば――。
初めてこいつと出会った頃、日本中に自分と同姓同名が数多く居る事を、何故か目を輝かせて自慢げに話していた事があった。
しかしその翌年、今度はその事を嘆いてみたりと、何かと面倒な一面もある。
ま、嫌いな奴では無いが。
「あ! ゆうなたん、カレーにしたの? んじゃ、おれもー! 店員さん、俺もこちらの彼女と同じ奴ね! それから、代金はこっちの奴と同じで!」
鈴木は俺に背中を向けたまま親指でクイッと指す。
「ちょ、おまっ!」
ゆうなたんって何だよ!
大学生になったから、たん呼びにかえたのか?
おかしくね?
しかも、こいつにまで俺が昼飯を奢る訳?
やっぱり面倒な奴だなこいつ。
「しかしお前さ、いつも悠菜さんと一緒で羨ましいぞ!」
「はいはい」
「で、飯は頼んだのか?」
「まだ、これからだよ」
「早く頼みなさい! 昼休みは永遠じゃないのだよ?」
何言ってんだかな、こいつは。
「さ、注文が済んだ私達は、あそこの席へ行きましょう!」
そう言うと適当な席を指さした。
悠菜はチラッとこちらを見たが、俺が『ああ、分かったよ』と軽く手を上げたのを見ると、そのまま席へ向かっていった。
いつも俺の近くに居るからな悠菜って。
何だろう、別に付き合っている訳でもない。
幼馴染ってだけ。昔からずっと一緒だよな。
そんな事を思いながら、店員さんへ注文する。
「俺はポークカレーをライス二百で、メンチをトッピングして下さい。それとアイスコーヒーで」
「それでしたら、サラダの代わりにメンチをセットに出来ますが?」
「そうなんですか⁉ じゃあ、それでお願いします!」
「畏まりましたー」
おお! これは⁉
注文を終えたその時、レジ横にある告知ボードに目を奪われた。
学生証を提示すれば、提示価格の七割引きだと書いてあるでは無いか。
「お会計は三名様ご一緒で宜しいのですか?」
「あ、はい。一緒でお願いします」
七割引きって事は……おお!
三人分のスペシャルカレーランチセットが千円程度で済む。
この時こそ、この大学へ入学して本当に良かったと、そう心から思えた瞬間だった。
しかし、この割引率は有難い。
俺にとっては天国の様だ。
そして三人分の代金と引き換えに手渡された、四角いエアコンのリモコンみたいなもの。いや、もうちょい小さいか?
アルファベット表記と数字が書いてある他、特にボタンなどはない。
こいつがオーダーが出来上がると音を鳴らすらしい。
「お、来た来た! 霧島、こっちだー!」
「おお、ここって、結構人が居るんだな」
「ああ、そうだな~。よし、三人で記念の写真撮ろうぜ!」
「何の記念だよ」
「はー? お前なー、今日初日だろー? 今日と言う日は二度と来ないんだぞ?」
「は? ま、まあそうだけど」
「さ、さ、悠菜ちゃんも一緒に! いくよー?」
そう言って鈴木は、携帯を持つ手を精一杯伸ばしてシャッターを切る。
「あー失敗! もう一枚!」
「それより、どうして俺がお前に、飯奢らなきゃならないんだ?」
「よし、おっけー! 奢ってくれたお礼に、後でお前にも送ってやるから」
「あ、ああ、ありがと? ちげーよっ!」
席へ座りながら周りを見渡すと、かなりの人が食事をしていた。
中には小さな子供を連れた、母親集団もあちこちに居たりする。
これがママ友ランチ会と呼ばれるものなのか。
まだ若いお母さんも多いんだな。
あっちの子供を連れたお母さん、俺らと同じ年位じゃないか?
流石に沙織さんより若そうだが、
何故か勝った気分になり、自然と口元が緩んでしまう。
しかし、ここは学生じゃなくても、誰でも利用出来る様だな。
近所の人や、用事でこの近くまで来たついでに誰もがここで食事が出来る訳か。
店の種類も豊富だし、色々選べて最高じゃん!
あ、今更思ったが、何も同じ店で注文しなくても良かったな。
どこで注文しても、一緒のテーブルで食べる事が出来る訳だし……。
「ねえ、悠菜さん! この後の説明会、何処から行く予定?」
「無機化学」
「あ、そうなの⁉ じゃあ一緒に回ろうよ!」
目の前では、鈴木が悠菜のご機嫌をとっている。
今の鈴木に犬の尻尾でもあれば、きっとブンブン振ってるんだろうな。
「悠斗と共に」
「あ、そ、そうだよね……じゃあ、俺も一緒に行こうかな~」
「そこは関与しない」
「あ……はい……」
やっぱり今日も無駄だったな。
鈴木の尻尾が動きを止めて、下にだらーんと下がったかと思うと、今は後ろ足の間に捲きついている。
あ、いや、これは俺の想像ね。
だが鈴木は毎回、ああやって苦戦していた。
なんせ悠菜だよ?
あの無関心、無表情な悠菜だよ?
悠菜が鈴木に、笑顔で合わせる事は決してないだろう。
社交辞令など悠菜の行動パターンには無いのだ。
案の定、鈴木の心が折れかけた頃、テーブルの上に置かれた機械がピーピーと鳴り出した。
「お、鳴ったな」
「よ、よし、俺も一緒に取りに行くよ霧島!」
鈴木の引きつっていた苦笑が、瞬時にホッとした様な救われた表情に変わる。
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
少しにやけてしまったが、そう答えて立ち上がった、その時だった。
俺の目の前に座って居た悠菜が、素早く俺の背後へ移動したと同時に、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
え?
目に追えない程の悠菜の動きにも驚いたが、慌てて振り返って見るとそこにはトレイを持った女性が居た。
そして手にしていたトレイを、何とかひっくり返さずに済んだ様だ。
悠菜がその子のトレイを両手でしっかりと支えていたのだ。
どうやら俺が立ち上がった時に、後ろに居た人にぶつかりそうだったのだ。
それにしても今、
「あ! ごめん、大丈夫⁉」
悠菜の素早さには驚いたが、ぶつかりそうになった人に俺は慌てて謝っていた。
「あ、はい、大丈夫です」
「本当にすみません!」
「いえいえ。でも、びっくりした~」
「そうですよねっ」
「ひっくり返さなくて良かった~あの、どうもありがとうございます」
そう言って彼女は、トレイを支えてくれていた悠菜に頭を下げたが、悠菜は無言のまま頷くとその場を離れ、無表情のまま元の席に座った。
全く
こんな時ぐらい相手の人に……ってまあ無理か。
どうやら俺は、彼女の持っていたトレイに乗ったスープやら飲み物を、危うく頭から被る所だった様だ。
そして、それを悠菜が助けてくれたわけだ。
その彼女は笑顔を見せてくれているが、改めて見ると綺麗な顔立ちをした女の人だ。
スタイルもいいし、凄くいい匂いがした。
その時だった。
突然、俺の脳裏に彼女の情報が入って来た。
簡単に言うと、PCにダウンロードしてインストールされた様な感じ。
ぬぉっ⁉
今は視界の横にその人の名前は無いが、シリアルコードの様なモノと染色体やDNA情報等が羅列されている。
一瞬焦ったが、特に俺の身体には問題無い様だ。
だが、こんな事は今まで経験した事が無いと思う。
内心は動揺しながらもその人を見た。
妹達とも違う、大人の女性って感じか?
もしかしたら、この大学の先輩かも知れない。
そこに、すかさず鈴木が割って入って来る。
「お嬢さん、うちの霧島が失礼しました! 是非、お詫びしたいのでお名前だけでも!」
おいおい!
俺はお前の部下か下部か?
「え? 別にいいですよぉ、何でもなかったし……」
「いえいえいえ、そうおっしゃらずに、せめてお名前をおおおおお――」
その女性は苦笑いしながらも、トレイを持ったまま一歩二歩と
うん、今のうちに逃げた方がいい。
あ、目を合わせたら駄目だよ。
「さあ、カレーが待ってるよ、鈴木」
彼女に迫る鈴木の後ろ襟を掴み、もう片手でその女性に手を振る。
もう行った方が良い、そして振り返ったら駄目だ。
俺の意を察したその女性は、軽く会釈をして離れて行った。
ああ、本当にめんどくさい。
これから毎日こんなのが続くのか……。
それよりも、さっきの人に会った時のあの感じは何だったんだろう。
新感覚というか、経験した事も無い感覚を思い起こしていた。
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