ドライブ

ぱち

第1話

 見渡せば、辺りは何にもない真っ暗闇。そんな夜も更けに更けたこの時間に、僕は車のハンドルを握っている。たまに建物の明りが見えたりもするが、ほとんど前照灯の光とそれに照らされた木くらいしか見えないような山道を走っている。スピードメーターの針は時速五十キロと五十五キロを行ったり来たり。急ぐ気はあまりない。もともと急ぐような用事もないのだ。

 同乗者は二人。とはいっても、人間ではない。ゴールデンレトリーバーのマルコと、キジトラのタロー。二人とも、とてもおとなしくていい子達だ。マルコは後部座席でごろんと横になり、タローは丸くなって寝ている。

この二人が眠っているので車内は本当に静かだ。曲などは何もかけない。そもそもCDは一つもないし、携帯電話にもただの一曲も入れてはいない。音楽は聴くより歌う方が好きだった。だからといって歌が上手いわけでもないが、どうにも聴く方には興味を持てなかった。最近は、歌うどころか口ずさむことすらしなくなってきている。

 時刻は午前一時ごろ。目の前にかなりきついカーブが迫ってくる。そのカーブを抜けると、ライトに照らされた竹林が目に映る。天気のいい日にこういうところを散歩すれば、日の光がほどよく降り注ぎ、爽やかで心地よい気分になれるだろう。ただ、今は前照灯の味気ない明りに照らされているだけで、特に感じるものはない。少しだけアクセルを強く踏む。

 しばらく進んで竹林を抜けると、視界の右側に、谷間に大きな川があるのが見えた。中流、といったところだろうか。やや遠めに目をやると、橋がかかっている。少しアクセルを離してブレーキを踏み、スピードを緩めて右折し橋を渡る。

 一瞬だけ、ちらと川をみてみると、大きな岩がいくつも顔を出している。力強く川の流れを遮るさまは、どこか頼りがいがありそうな気もする。

 橋を渡り切って左折。再び林の中に入っていく。そのまま幾分か直進すると、森を抜けて開けた道に出た。道の両側には藁が敷き詰められた田んぼが広がっている。今は二月。時期によく合う光景が見られて、ほんのり嬉しく感じる。

 ここもしばらく進んでいくと、民家がちらほら見えてきて、片側一車線の道路も近づいてきた。ここを左に曲がると、制限速度五十キロの標識が立っている。もともとその位のスピードで走っていたので、速度はそれほど変わらない。何なら、四十キロで走ってもいいくらいだ。

 踏切が前方に見える。この時間に運行する列車はないだろうが、一応止まって安全確認。この時、マルコが急に一声「ワン!」と吠える。驚いて後ろを振り返ってみたが、仰向けになってぐっすり寝ている。寝言だったようだ。助手席を見ると、タローが迷惑そうに目を半分開けてこちらを睨む。僕があんな声を出すとでも思っているのだろうか。

 ひとまず安心したところで、踏切を渡る。そこから二百メートルほど先の歯医者がある角を左折する。そろそろ道を忘れてしまい始めている。歯医者の三つほど先にあるコンビニで車を停め、持ってきた地図を開く。しかし、この先は道が入り組んでいて、どうにもわかり辛い。コンビニの店員さんに話を聞こうか。そう思い立ち、ドアを開けて車を降りる。外は肌寒いが、ずっと車の中にいたため空気が新鮮で涼しげに感じる。ひとつ伸びをしてから店内に入る。

 店に入ると、店員さんの「いらっしゃいませー」というやる気がないけれどもなんとか丁寧な態度にしようとしているような声がかかる。店員さんは若そうで髪は短い黒髪の男性だ。僕は地図を手に店員さんに話しかける。

「すみません、この先のインターチェンジにはどうやって行くのが一番近いですか?」

 あくびをしかけていた店員さんは、急に目が覚めたようで顔を小さく横に振ってから返答した。

「ここなら、このまま左に出て一つ目の交差点を右、それでそこから二つ目の交差点点を右に曲がると本屋の看板が出てるんで、そこを左に曲がってまっすぐ行って左に曲がるとありますよ。複雑なもんですから、地図わかりやすいの書きますんで、ちょっと待ってて下さい」

 そう言うと店員さんはカウンターの下から大きめのメモ帳を取り出して胸元のペンを手に取り、さっさっと地図を描き始めた。なかなか手際が良く、一分かかるかかからないか程で仕上げてしまった。

「どうぞ」

「わざわざありがとうございます。かなり見やすくて綺麗な地図ですね」

「いやあ、地図描くのだけは昔から得意で。それじゃあ、この辺暗いんで、気を付けていって下さいね。」

「本当にありがとうございました」

 そう言って店を出ると、店員からありがとうございました、とまた声がかかる。かなりいい人だ。やる気がないのかと思っていたけど、本当に眠かっただけなのかもしれない。

そんなことを考えながら車に乗り込み、エンジンをかける。マルコやタローは熟睡中だ。車を動かし、店の敷地から出ていく。しまった、折角コンビニに行ったのに何も買わなかったな。軽い後悔を感じながら、教えてもらった通りの道を進む。


***


 午前二時半。貰った地図に載っている最後の角を曲がり終え、後はしばらく直進するだけ。なのだが、進んでいくと道の真ん中に車が止まっている。車の周りで二人くらいが立って何かを話している。近くに車を停め、エンジンを切ってよく確かめると、二人が中年あたりの男女であることがわかる。エンジンをかけている間はわからなかったが、すごい剣幕で怒鳴り合っているようだ。さすがに気になる。

 「どうかしましたか?」

 僕が二人に向かって尋ねると、男性の方が荒々しい口調で返事をした。

「何だテメエ! 今こっちは大事な話してんだよ! とっととどっか行きやがれこのバカヤロウ!」

 スキンヘッドの中年男性はかなり怒り心頭のようだ。女性の方はそんな男性を咎めるように、

「アンタ、他人様に向かってなんて口利いてるんだ! バカはあんたの方じゃないか、この大バカ!」

 こんな事を言った後、女性は僕に向かって「ごめんなさいねえ、頭の悪い旦那で」と詫びてくれた。長い黒髪の中年女性だが、こちらはまだ冷静なようだ。

「これから天体観測に行こうって話だったのに、このバカ旦那ったら、言い出しっぺのくせに望遠鏡忘れてきたのよ! ホンット抜けてるったら……」

「オメエが準備を人任せにしないでおけばよかっただろうが! せめて確認くらいはそっちでしとけってんだよ!」

 まずい。これは延々続くやつだ。どうにかしないとずっと足止めを食らってしまう。予定は特にないとはいえ、さすがにこんなことで時間を持っていかれるのは嫌だ。何かいい感じになだめられる言葉はないものか……。そう悩んでいるとあることに気付いた。

「そちらの車のトランクから見える、細長いものは何ですか……?」

 リアガラスから、トランクの中にある筒状の何かが立っているのが見える。もしや、あれが……と期待を掛けて尋ねてみた。すると、男性の口がポカンと広がって固まる。女性も同じ顔をしている。そして、僕は確かに聞いた。

「あっ」という声が、二方から同時に発せられたのを。


***


 どうやら二人は、実際に望遠鏡があるかないかを確認しないまま口論していたようだ。例の細長い物体は、まさしく望遠鏡であった。あれほど高圧的だった男性もかなり腰を低くして謝り倒してきたが、なんとかなだめて落ち着かせる。

女性の方はというと、未だにアッハッハと大笑いをしている。どこか腑に落ちないが、とりあえず揉め事が簡単に片付いて良かった。

 二人は僕に礼を言った後、道をすぐ右に曲がっていった。この辺りは天体観測の穴場スポットらしい。僕は曲がらずそのまま直進し、インターチェンジに入る。


***


 午前三時半。高速道路を走行中。マルコとタローは依然熟睡中。さっきの苦労をこの子達にも分けてやりたい。

それにしても、何もない。高速道路なのだから当たり前なのだが、しばらくは今までよりも何もない、ただの道路が続く。しかし、たまに道路の上から星の明りに照らされた田舎町が見えるのはなかなかいい。趣がある、というのだろうか。その光景は、あたかも夜の静けさに彩られているかのようである。そんな光景をちらと眺めては道路に目を戻す、というのを十五分に一度ほど繰り返していると、自分のことに考えがいく。

 実力の評価されない職場。それによる自分の実力への不信。優しいが厳しく言えば八方美人な上司。カリスマ性はあるが他の能力に恵まれず、結局信頼してもらえない同僚であり、友人。そんな彼を高めてあげられない無力感。返せていないままの親への恩。浮気をされて離縁した元妻……。

 ありふれた悩みばかりだが、気の滅入る色々なことを抱え、三日間の有給をとってやってきているこの旅路。薄暗い明りに包まれた速度計を視界の端に感じながら、ただまっすぐな道路を時速百キロで駆け抜ける。

 

***


 目的地近くのサービスエリアで車を停め、休憩をとる。辺りはまだ暗い。時計を確認すると、午前五時。同乗者たちの寝顔を確認し、外に出る。

 運転で疲れた後に吸う空気の美味いこと。何度味わっても飽きない。精一杯体を伸ばした後。サービスエリアで眠気覚ましのガムを買う。戻り際、自販機を見つけたので温かいブラックコーヒーも買ってジャンバーのポケットに入れておく。あまり長くはいたくない。車に戻り、エンジンをかける。なんとなくルームミラーを見てみると、後部座席のマルコが目を覚ましている。うつぶせのまま落ち着いてはいるが、旅の道連れがようやく出来た気分。目的地まで、もうすぐ。

 

***


 午前五時半。目的地近くの高速道路出口に到着。高速道路を降り、一般道路に入る。タローはまだ爆睡中。朝になっても起きないかもしれない。マルコは相変わらずうつ伏せになってじっとしており、時たまこちらを見つめる。

 高速道路を降りて三十分ほどすると、中ぐらいの高さの木が生い茂る山道に、左に向かう小さな道が現れた。速度を落とし、ゆっくりと左折。そのまま小さな未舗装の道を進むと、切り立った丘に辿り着いた。前方は崖になっており、白くて小さな柵が立っている。ここだ。ついた。柵より遠めの場所に車を停め、エンジンを切る。シートベルトを外し、シートを後ろに戻す。それからドアを開け、ひとつ伸び。後部座席のドアを開け、起きているマルコを外に出してやる。なかなかテンションが高く、軽やかに飛び跳ねている。マルコにリードをつけた後、一応助手席も確認するが、やはりタローは寝ている。タローはそっとしておき、柵の近くまで歩く。

まだ暗いが、丘からの景色は素晴らしいものだった。どこまでも広がる緑の山々。遠近による様々な緑系色のグラデーション。なんとも雄大。少しだけ崖の下を覗いてみると、小さな川がさらさらと流れているのが見える。これは上流とみて間違いないだろう。

 柵の前に持ってきた椅子を用意し、腰かける。マルコはきちんとおすわりの状態で待つ。一分、二分、三分。五分経った頃から寒くなってきたので、車に戻り猫用リードを探す。

 タローはまだ寝ているが、構わずリードをつけて車から抱いたまま出てもらう。それはそれは迷惑そうな表情をするタローと一緒にまた椅子へ戻る。

 それから五分。だんだん空が明るくなり始める。もう少し。マルコが右手をなめてきてくすぐったい。

 それからだんだんと空に光が漏れ始めていき、僕の期待も膨らんでくる。もうすぐ、もうすぐ。

 だんだん、だんだんと空に赤みがさしてきて雲が燃える炎のように色づいた頃。

 ようやく、待ちに待った朝日が昇り始めた。僕はそれをじっと見つめる。太陽が昇っていくにつれ、空からは赤みが消えて青く染まっていく。朝日は黄金に輝いて、とうとう僕たちの斜め四十五度、に鎮座した。

 眩しい―――。陽の光を浴び、またひとつ大きな伸びをする。マルコの毛並みもタローのキジトラも、金色の光を反射してキラキラと光る。幸せを凝縮したかのような朝の光。それは久しぶりに感じた、とても、とても充実した時間なのであった。


***


 しばらく経って、ポケットに入れていた缶コーヒーに気付く。

ポケットから取り出してプルタブを引き、一気に飲み干す。

缶をポケットに戻し、二人を連れて車に戻る。

 車に二人を入れると、丁度腹が鳴り出した。二人のご飯は持ってきたが、自分のは忘れていた、近くのコンビニで何か買って、この辺りで散歩をしながら食べるとしよう。

 そう思い立ち、私は車に乗り込み、シートを合わせ、シートベルトを締め、キーを差し込んでエンジンをかけた。

 エンジンは、元気のいい音を上げて目を覚ます。







おわり

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ドライブ ぱち @orangemarch

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