08話.[もういなかった]

「匠さん、文さんが来たよ」


 え、と困惑している内に文が入ってきた。

 いや待て、連絡してこいとは言ったが来いとは言ってないぞ。


「さっき言っていたことはあのことだったんだね」

「どういうこと?」

「杉浦さんが家にいたくないみたいでさ、お兄ちゃんがそれを聞いて両親に相談しているところなんだ」


 あれから結局寝られなくて起きていたらこの結果だ。

 別に来るのは構わないが言ってからにしてほしい。

 もうこれぐらいの時間になると普通に暗いからな。


「雫、飲み物を持ってきたいから文といてくれ」

「分かった」


 まあいい、来てしまったものは仕方がない。

 帰るときになったら送っていけばいいだろうと片付けて飲み物の準備、そして帰還。


「はい」

「ありがとう」

「雫も」

「私もいていいの?」

「別にいいだろ、どんな季節だろうとちゃんと水分は摂取しておけ」


 さあ、なんのために来たのか。

 お兄ちゃんを取られるみたいで嫌だったのか?


「あ、雫ちゃんはもう宿題やった?」

「うん、後にするとよく寝ちゃうから」


 偉い、帰ったらすぐにやってしまうのがいい。

 だらだらとするときに引っかからなくて済むし、ぎりぎりになるとせっかくやったのに忘れてしまったなんてことにもなりかねないから、と、中学生時代の俺にしっかり言いつけたかった。


「そっかぁ、私はまだやってないんだよね、慌てて出てきたから」

「杉浦さんが来たのが嫌だったの?」

「ううん、そんなことはないよ、そんなことはないんだけどさぁ」


 こちらを見て複雑そうな表情を浮かべる。

 なんとなく言いたいことが分かって、ほいほい話されたくはないだろ? と言ってみたら手をつねられてしまった。


「だってさ、もしかしたら匠くんがそのように動いていたかもしれないってことでしょ?」

「言ったろ? 俺は無理だと決めつけて諦めてもらおうとしたって」

「……でもさ、たまに無理をしてでも他人を助けようとするところがある人だし」


 それは文とか健二の方だ。

 面倒くさいことになると分かったらあっさり切ってなかったことにするのが俺――とまでは言わないが、そこで揺れてしまうのが俺だった。

 最後まで貫き通すことができないんだ。


「文さんは匠さんのことが好きなの?」

「へっ!? な、なんで急にそうなるのっ?」

「だって他の女の人のために動こうとしていたことが気に入らないんだよね?」


 おぅ、雫も随分はっきり言うもんだな……。

 珠樹に守ってもらう必要なんかなかったのでは? と言いたくなるぐらいな感じだった。

 まあそれは珠樹が心配をして動いていただけなのかもしれないから言わなかったが。


「あ、なんかいけないことを聞いちゃった感じ……かな?」

「い、いやっ、別にいいよっ」

「お姉ちゃんのところに行ってくるね」


 うわぁ、最悪なことをしたぞ雫は。

 ぎぎぎと変な音が聞こえそうなぐらいぎこちない感じでこちらを文が見てくる。


「とりあえず、飲め」

「うんっ」


 いい飲みっぷりだった。

 少し食い気味に「美味しいねっ」と言ってきた。


「文、文にその気があるなら俺は向き合うぞ」

「え……」

「杉浦と関わることで分かったんだけどさ、文といるのが一番落ち着くっていうか――あ、もちろん無理なら無理って言ってくれればいいんだぞ? ただ俺がそう思っただけだからさ」


 やべえ、なんか滅茶苦茶早口になってしまった。

 現状に満足しているから求める必要がないとか言っていた人間はもういなかった。

 文にその気があるのなら、俺なんかでいいのならちゃんと向き合うつもりでいる。

 なんにもしてやれない俺の近くにずっと居続けてくれた異性だからな、そりゃまあ違う。


「今日はどうするんだ? 帰るなら送るけど」

「……なんですぐに帰らせようとするの」

「いやだって文は中学生なわけだし」

「今日はこのまま泊まるよ、なんか顔を合わせづらいから」

「あいよ」


 じゃ、そろそろご飯でも食べるか。

 珠樹とも話せていないから丁度いい。


「あれ、母さんは?」

「お友達に呼ばれてさっき家を出たわ」

「そうなのか。あ、まあ珠樹はそこに座ってくれ」

「別にいいけれど」


 文はご飯を食べた後だったらしく下りてはこなかった。

 雫も先程お姉ちゃんのところに行ってくると言った割にはいない。


「一年違うだけでもどかしい感じになるんだよな」

「見えないからそうね」

「文や雫はともかくとして、珠樹がどう過ごしているのか気になるぞ」

「最近は誰かといることが多いわね、あ、女の子だけれど」

「そうか」


 決めていたことを変えて受け入れようとするのは俺だけじゃないと。

 それだけで安心できる、年上としては文に情けないところばかり見せているが。


「健二さんはどうなの?」

「健二か? あいつは基本的に男友達とハイテンションだな」

「あまり想像できないわね、私といるときはどこか落ち着かなさそうだから」

「あいつも少年だということさ」


 それが悪いことではない。

 あとは単純に上手くやられすぎても同じ男として気になるからだ。

 だから是非ともこれからもそんな感じでいてほしかった。

 残念ながらそうはならないだろうが、願っておいたのだった。




 残念ながら長期間泊まるということは不可能なようだった。

 そりゃまあそうだ、中々受け入れられることではない。

 ただ、俺の母と相談したらしく、交互に泊まるということになった。

 このことは杉浦の兄及び母にも話したらしく、それで杉浦が息苦しくならないのならということで認められてしまった形になる。


「悪いわね……」

「いや俺こそ悪かった、聞いておきながらもう無理だということで片付けようとしたしな」

「仕方がないでしょそれは、普通はそうなるものよ」


 でも、健二は違かった、ということになる。

 結果は残念なような良かったようなという中途半端なものではあるが、彼女の家族が納得してくれたことが大きい。

 あとは単純に健二の良さを分かっただろうし、これはなにかが起きるかもしれなかった。

 ただなあ、妹である珠樹と上手くいってほしいと考えてしまう自分がいるんだよなあと。


「……なんか凄く敵視されてない?」

「あーまあ多感な時期なんだ、許してやってくれ」


 その話は当然文にもいって「なんでそうなるの!?」となった。

 母と河合兄妹の両親が仲がいいのは知っているが、どうしてそうなるのかと俺も思ったよ。

 でももう決まってしまったことだから仕方がない、別に杉浦なら問題も起きないしな。


「杉浦さんはちゃんと客間で寝てくださいねっ」

「わ、分かっているわよ?」

「ふんっ、ならいいんですけどねっ」


 ……なんで当たり前のようにいるんだ。

 雫と珠樹を見習ってほしい、多少はしゃいでもいいけど落ち着くべきだろう。


「じゃ、ゆっくりしてくれ」

「ありがと」


 さて、俺はこのちょっち面倒くさい子の相手でもするか。

 とりあえずはいつものように飲み物を飲ませて落ち着かせる。

 暴走状態ではそれすら不可能だから必要なことだった。


「……変な感情を抱かないでよ?」

「ただ泊まるだけだよ、明日にはそっちなんだぜ?」

「もう私もこっちに住みたいっ」

「はい無理だな、相手をしてやるから冷たくするのはやめてやってくれ」


 文の弱点は頭だ、撫でておけば大抵は落ち着かせられる。

 でも今日は違ったのか胸に頭突きを繰り出してくるだけだった。


「危ないだろ」

「……絶対に浮かれてるもん」

「浮かれてない、これは母さん達が決めたことだからな」


 ま、嫌な気持ちにならなくて済むならそれでいい。

 無理だと片付けて押し付けようとしたことが悪目立ちするわけではないからな。


「ごめん文ちゃん、そういう気持ちはないから安心……はできないか」

「杉浦さんが謝る必要はありません、悪いのはこの人ですから」

「でも、中田はこんな私にも優しくしてくれたわけだし、それなのに悪く言われているところを見るのは嫌だから……」

「杉浦さん……」


 どっちも不安そうな顔になってしまったから菓子でも食べさせることにした。

 そして甘くて温かい飲み物でも飲ませておけば大抵はなんとかなる。


「大体な、杉浦は健二に興味があるんだぞ」

「「え」」

「そういうものなんだ」


 好きになってくれるのはひとりでいい。

 ……こんな思考をしておきながら文が実は違かった、なんてことになったらそれはもう恥ずかしいことこのうえないが。


「そうだよな?」

「優しくしてくれたけど別に好意を向けているわけではないわ」

「匠くんにはどうなんですか?」

「どちらかと言えば中田の方が好きね」

「ほらあ!」


 どちらかと言えば、だぞ文よ。

 ほとんど関わっていなかった健二と比べてそれなんだからたかが知れてる。


「安心して、中田は文ちゃんをちゃんと見ているから」

「そう……ですかね?」

「うん」


 なんだろうな、すっげえ気恥ずかしい。

 気恥ずかしいから思わずリビングから逃げたぐらいだ。


「よかったわね、好きだといってもらえて」

「どちらかと言えば、な」

「それでも嫌われているというわけではないのだからいいじゃない」


 いやでも本当に親子なんじゃないかってぐらい似ているもんだ。

 涼しいというか冷たそうな顔もそうだし、伸ばしている髪もそうだし。

 実は俺と雫が義理で彼女が実の娘だったのかもしれない。


「珠樹、ライバル出現だぞ」

「ライバルがいようと関係ないじゃない」

「おお、積極的だな」

「違うわ、仮に私が健二さんをそういうつもりで意識したとしてもよ。ライバルがいようと結局は相手との一対一なんだから相手以外を意識する必要がないのよ」


 凄え、そう思っていても中々できることじゃねえぞ。

 それこそ文にはいないのか? 告白したりする奴とか。

 もしいたとしたら普通に応援するが、……なんか面白くない。

 だせえ、あれからすっかり変わってしまっていることが本当に。


「杉浦さんに着てもらう服、お姉ちゃんの服の方がいいかな?」

「どちらでもいいわ、杉浦さんなら信用できるわけだし」

「じゃあ交代交代で貸そう、あ、匠さんも貸したい?」

「いやいいよ、頼むわ」

「うん、任せて」


 とにかく、文との時間を増やそうと決めた。




 あれから一ヶ月が経過した。

 その間も特に変わらな――いや、文との時間が意識するまでもなく増えた。

 珠樹は気に入ったのか健二といようとしているし、雫からは杉浦と仲良くしようという気持ちが伝わってくるぐらいだし、杉浦とはいる時間が増えて仲良くできているし。


「いま他の女の子のことを考えているでしょ」

「なあ、いい加減俺がするのはやめないか?」

「なんで? 匠くんは使われておけばいいんだよ」


 俺もしてもらいたいんだ。

 頭を撫でてもらう行為が気恥ずかしいながらも、心地がいいということが分かったから。


「……久しぶりにふたりきりになれたんだからさ」

「そうだな、大抵は放課後に会うだけだから誰かがいたもんな」

「あ、だけどそれなら甘えてもらった方がいいのかな?」

「甘えたいなら甘えてくれればいいけどな」


 何度も言うがこれならクッションでも枕にしてしまった方が快適だと思う。

 でも、この行為そのものにあまり意味があるわけではないんだろう。

 自惚れているが、まあつまり俺といられればいいわけだ。

 そして足に体重を預けておけばすぐに動くこともできないから逃げられなくて済むと。


「優先してほしい」

「優先してるだろ、十分以上一緒にいるのは最近で言えば文だけだ」

「じゃあ……受け入れてくれる?」

「って、いまさらだけど俺でいいのか?」

「うん、それに匠くんには私がいないと駄目だからね」


 それは本当にそうだ、健二にもいてもらわないと困る。

 いまとなっては大切だから珠樹や雫にもそう、杉浦にもそう。

 一度出会ってしまったからには別れるなんて耐えられない。


「んー!」

「頭を撫でればいいのか?」

「違うよ、付き合いたいからキスをして」

「付き合いたいからキスっておかしいだろ……」


 たまに文の考えていることについていけないことがある。

 恋している異性だからなのか、それとも文が独特なだけなのか。


「じゃあ匠くんが早速勇気を出して、……してくれたら受け入れる」

「そんなに急がなくてもいいだろ?」


 そんな簡単にキスなんかできたら苦労してねえんだよ。

 経験値は微塵もないからしたいなら慣れていそうな文がしてほしい。

 寧ろ好きになって告白してきているのはそちらなんだから文がするべきだよな。


「……分かったよ、するから目を閉じておけ」

「うん……」


 結局は表情に負けてすることにした。

 なんで未経験の俺が頑張らなければならないんだという気持ちが強かった。

 ただ、妹的存在だった文にしてしまった瞬間、なにもかもが吹き飛んだ。

 やべえわ、なんか早速独占しようとし始めていてやべえ。


「……受け入れてくれよ」

「……うん、いまからね」


 ああ、どうして専業主婦なのに母は家にいないのか。

 どうして今日に限って姉妹も出かけているのか。

 しかも今日に限って杉浦が泊まる日ではないと。


「恥ずかしいっ」

「そ、それはこっちもそうだよっ」

「じゃあ……似た者同士ということでいいか」

「そうだね、そういうことにしておこう」


 とりあえずは自分を落ち着かせるために頭を撫でておいた。

 一応いい方向に働いてくれて、いつも通りを取り戻すことができた。


「ご飯でも作って食べるか」

「手伝うよ」

「おう、頼むわ」


 こうなってくると文になにかしてやりたいという気持ちが大きくなってくる。

 が、これまでずっと一緒にいても微塵も返せてこなかったからどうするべきかと悩んだ。


「してほしいことってないか?」

「抱きしめてほしい」

「いま手を洗ったばかりだからなし、あとはなにか残る物をあげたりしたいんだ」

「えぇ、残る物かぁ……」


 俺レベルの財力となるとシャーペンとかそういうのだろうか。

 これから戦わなければならないわけだから役に立たないというわけではない。


「シャーペンとかでいいか?」

「ピアスがいいっ」

「駄目だろ、そんなのなくても十分魅力的だよ」

「じゃあ……ブレスレットとか?」

「だからいらねえって、もっと実用的な物だな」


 化粧とかだっていらない。

 文がそれにはまりだしたら絶対に止める。

 化粧なんてしても肌が劣化するだけだしな、それに教師からも怒られるだろうし。


「あっ、じゃあ匠くんの服かなっ」

「それなら新品を買ってやるよ」

「嫌だっ、だってまた離れることになるし……」


 もう変える気はないらしくリビングを出ていってしまった。

 とりあえず急いで調理を終えて二階に向かうと、


「これっ」

「おいおい、それは滅茶苦茶着てるやつだぞ?」

「だからいいんだよ、会えないときもこれを着ていれば寂しくないし……」

「な、なにをするつもりだよ」

「だから寂しさをなんとかするためにも匠くんの服が必要なんだよ、それにこうして済ませておけば無駄にお金を使わなくて済むでしょ?」


 やれやれ、これはもう聞いてくれる感じはしなかった。

 ベッドの端に座って彼女を招く。


「やるから服ばかりじゃなくて俺の相手もしてくれよ?」

「当たり前だよっ」

「じゃ、ご飯を食べよう」

「そうだねっ」


 一応ふたりで作っていたのもあって(最初は)美味しかった。

 でも、まず間違いなく彼女がいてくれているのが影響しているのだと思う。

 だから、それからは何度も礼を言ってしまった。

 彼女は、


「もう、お礼を言いたいのはこっちだよ、ありがとっ」


 と、言ってくれたのだった。

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