ぼくのせかい

22世紀の精神異常者

ぼくのせかい

「春」と聞くと、僕は天にも昇るような高揚感を覚える。それと同時に、まるで深く地の底に落ちていくような絶望感も味わうんだ。


 僕にはメがない。メがないから、世界を見ることができない。僕は、ただ息をして、音を聞いて、匂いを嗅いで、世界を感じることしかできない。


 でも、そんな僕にメができる季節がある。それが春だ。春になると僕は頭から腕の先までたくさんのメができる。


 僕の兄弟も同じで、いる場所によってタイミングは違うけど、だいたいみんな春にメができるんだって、聞いたことがある。


 僕は毎年、メができる時期になると、深く封印されていた自意識がふわりと解き放たれるような、解放感で胸がいっぱいになる。冬の間真っ暗だった世界に、だんだんと白が混じってきて、僕はそれで春が来ることを実感するときも多い。

  メはたくさんできるけど、全部一斉にできる、なんてことはない。まずはせっかちなメがいくつかできて、それから一気にできて、最後にのろまないくつかが遅れてできる。


 最初のメができた瞬間、それまで白黒だった僕の世界に色が混ざる。きれいなピンク色、カッコいい茶色、そこに少しだけ混ざった緑色、薄めの白色と青色、そして、色とりどりの点と毒々しい青色。


 僕はその色を持っているのがなんなのか、ちゃんと理解することはできない。メが少ないうちは全部混ざってしまうぐらいぼんやりしか見えないし、メが増えてきても輪郭がぼやけてよくわからない。


 でも、その色がすごく綺麗なんだ、ということだけは理解できる。よく「綺麗だね」「すごいね」という声が聞こえてくるから、きっとそうなんだ。


 最初は、その色がどうして美しいのかなんて、さっぱりわからなかった。それどころか、美しいってなんだろう? すごいってなんだろう? なんてことを考えてばかりいた。


 でも、毎年毎年、近くで「綺麗だね」「すごいね」と言われるうちに、そうかこれが綺麗なのか、なんてわかったふりをして、そのうち本当に「綺麗だな」なんて思うようになっていた。


 僕はメで見えるこの色が、大好きだ。世界が白くなってくると、早くあの色が見たいとそわそわしてきて、パッ、と色があらわれた瞬間、僕は世界一の幸せ者なんじゃないか、って思うぐらい興奮する。


 毎年色は少しずつ変わるけど、ピンク色と茶色と緑色と、そして白色と青色だけはずっと変わらない。その色は僕の世界の大半を覆っていて、春になると僕を温かく出迎えてくれる。


 本当は世界がどうなっているのか、はっきりと見えたらいいな、なんて思うけど、僕は今のままでしかいられない。僕はメを良くするなんてできないから、見える色の位置と量で、勝手に世界を思い浮かべて楽しんでる。


 あれはこんな形をしていて、これはこんな匂いで、それはこんな感触で……そうやって、僕の世界は広がっていく。


 きっと、僕の兄弟もみんな同じようにしているんじゃないかな。前に聞いたことがあるけど、僕は兄弟と全く同じ、いわゆる『クローン』っていうものらしい。それがどういう意味なのかは分からないけど、話しぶりからして多分兄弟と僕は全く同じ存在なんだ。


 だから、僕に見えているこの景色は兄弟もみんな見ている。なんとなくだけど、そうだと言い切れる自信がある。こんな綺麗な世界、無視するわけもないから。


 メが全部できるころには、僕の世界の情報量はとんでもないことになる。とはいっても、ほとんど色は変わらないんだけど。


 でも、この時の世界はすごい。僕の周りをピンク色がばあっと覆うように広がって、時折ぽろっと下に落ちる。それが、なんだかとても綺麗だと感じて、いつまでも見ていられる。


 夜はいつも、少し青っぽい黒色と、白色と、たまに黄色だけの世界になる。音も、なんだか大きな動物が唸っているような声と、虫が飛ぶ音以外は基本的に聞こえない。


 明るい時のにぎやかな感じも好きだけど、僕はこの静かな世界もまた大好きだ。落ち着いて、昼の世界を思い出して、なんとなく寂しいような、それていて充実したような気分で過ごすのが、とても楽しいんだ。


 本当に時々だけど、夜の世界にも人が来ることもある。その時「早く寝たい」なんて言っていて、寝るって何だろう、なんて考えてみたことがあった。


 たまに聞こえてくる話をまとめると、どうやら人は毎夜に横になって、メを閉じて、体と心を休めるんだとか。そしてその時、意識は全くなくて世界は真っ黒になるらしい。


 一回試してみたけど、意識はぼんやり残っているし世界には白が混ざったままだった。僕は寝ることができないんだ。人はずっとメがついてるし、僕にできないことがたくさんできるし、羨ましいな、なんて思った。


 ……でも、すごくとげとげしい声で「あのクソ」とか「やってらんない」とか聞こえてくることも多いし、人も良いことばっかりじゃないんだろう。


 そうやって、僕は春を満喫する。いろんな音を聞いて、いろんな匂いを嗅いで、いろんな色を見て、毎年世界を思い浮かべて広げていく。いろんな、といっても劇的な変化があるわけでもないけど。


 生まれてすぐは人の言葉もわからなかったけど、最近では結構いろいろ覚えてきた。談笑しているのを盗み聞きして「そうだね」「いや違う」なんて勝手に参加してみたり、いろんな歌を聞いて楽しんだり、すごく楽しい。


 でも、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。いつまでも待ってくれることはない。


 メが一番良い状態で何回か昼と夜を繰り返すと、ある日、少しだけ、本当に少しだけ世界の解像度が悪くなった。これが、僕にとっての悪夢の始まり。


 初めて体験したときは、何が何だかわからなかった。どうして逆戻りしてるの、と取り乱して、パニックになって何も見る余裕がなかった。


 最近はパニックになることもない。これから僕自身がどうなるのか、ちゃんとわかってるから。でも、パニックにならない代わりに、僕は毎年死が迫っているような絶望感を味わう。


 僕のメは、ぼやけ始めたらたった数日でほとんどダメになってしまう。それに合わせて意識も次第に靄がかかってきて、むずかしいことを考えられなくなる。


 それまでたくさん想像して、広げていた僕の世界は、全部もやに隠されて消えてしまうんだ。来年の春になれば戻ってくるけど、それも全部じゃない。必ずどこか壊れて、わからなくなる。


 僕の一番の宝物が奪われて、壊されて、そんなの怖くないわけがないじゃないか。でも、僕はどうすることもできない。これは僕が僕であるが故の代償。いくら嘆いても変わることはないんだ。


 段々色の境目がなくなって、混ざって、不気味な世界に溶けてゆく。音もだんだんかすれて聞こえるようになって、近くにいる人がなんて言っているのか、全然わからない。


 毎年経験しているけど、いまだにこの感覚は嫌になる。僕から楽しみを奪わないで、と叫びたいけど、その思いは何の意味もなさないんだ。


 ……今年はいつもよりメがダメになるのが早かった。本当ならあと二日ぐらいは平気なはずなのに、今年は……。


 ……もしかして、僕はもうそろそろ死ぬんだろうか。


 ふとそんな考えがよぎって、僕は気が狂いそうになった。もっと世界を見たいのに、まだまだ見足りないのに、どうしてこんなところで死ななきゃいけないんだ。


 初めてメが悪くなるのを経験した時以上に取り乱した。嫌だ、怖い、助けて、なんて、助けを求める相手も方法もないのに自分一人で喚き散らして、そうして僕は夜を孤独に過ごした。


 これまでは独りが怖くなかったのに、どうしてか今はとにかく恐ろしい。もしかしたら僕は誰にも気付かれないまま死んで、二度と世界をみることもできないんじゃないか、なんて考えただけで悍ましいんだ。


 世界が濁る。音なのか、色なのか、それすらわからなくなって、ぼくの心もとけていく。ヴェールがかかったみたいに、いしきが遠いものになって、ふしぎとだるくなって……。


 これが、ひとが言ってた、ねむい、っていうことなのかな。いままでこんなことなかったのに。ほんとうに、僕はこれからしんじゃうんだって、ちょっかんでりかいした。




 ……いやだ、しにたくない。まだ見たりないよ、まだききたりないよ。どうしてかさいきんは人のこえもしないし、あんまりだ。






 たすけて、おねがい、だれか。





































 

 ──ガラガラッ




 ……なにかおとがきこえる。なんだろう。




 ──この木でいいんですかい?


 ──ええ




 ひとのこえだ。もしかして、ぼくのことをたすけてくれるの?




 ──ヴィイイイイイイイイイイイイイインッ!!!!

 ──ガッ!!




 いたい! いたいよ! なんで、どうして? どうしてぼくにひどいことするの?


 いままでなんども「きれい」っていってくれたのに。「すごい」っていってたのに。ぜんぶ、うそだったの?


 いたい、いたいよ、やめて、いやだ、しにたく、ない、あぁ、




 ──バキッ




 あっ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくのせかい 22世紀の精神異常者 @seag01500319

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ