Hominum

 そうか、コロナウイルスだってこの地球上で生きているんだよね――。


 あの誕生日パーティのときに自分で口にした説明を、今一度、頭の中で反芻はんすうする。


 気付けば、真緒も義兄も、飾り付けられた誕生日のテーブルも、頭の中から消えていた。わたしの眼前には、ただただ無限の真っ暗闇がどこまでも広がっていた。


 わたしは今めぐってきたばかりのの正体と、書き込みの声の主たちが誰だったのか、その真相について、ここにきて辿り着きはじめていた。


 肌の色に悩む外国人に見えた書き込み――あれはおそらく文字通りの畜生、つまり屠殺されていく“肉牛”の嘆きだ。茶色い牛は、白いホルスタイン牛よりも、牛肉としての肉質に優れている。


 花開く前に摘まれたという書き込み――これはきっと、つぼみのままで食用にされる“ブロッコリー”の悔恨だ。わたしたちからすれば食感が瑞々みずみずしく、緑黄色野菜として栄養価の高い植物。


 わたしが彼らと交流したオンライン、あのインターネット空間とは、わたし自身の“体内ネットワーク”そのものだったのではないか。

 わたしの体内に入ってきた生き物たちと、わたしが交流できる場。それが、この身体の持ち主オーナーであるはずのわたしが知らず知らずのうちに中に入り込み、アクセスしたオンラインだった。


 人間の体にある細胞は大まかに約六十兆個だと長らく言われてきたけど、最新の研究では約三十七兆個であるとされているらしい。それにしたって膨大な数だ。

 もともとはたった一個の受精卵からはじまったものが、分裂を繰り返してここまで途方もない体内ネットワークを作り上げた。


 それぞれの細胞が密接につながり合っているところへさらに、体を維持するための食糧が途切れることなく日々、供給される。

 あまりに規模の大きいネットワーク。それが、どの人間の体でも運用されている。


 ただ、わたしの体内ネットワーク上には、ここ一年もの間、人類を恐怖にさいなんできた“コロナウイルス”がいた。

 わたしは、つい先ほどオンラインで見かけたばかりの、ほかを凌駕するほど精力的だった侵入者の足跡を思い返す。


 憎まれようとも仲間を増やすという書き込みは、ウイルスの生への雄叫びだったのだ。

 やつらだって、人間を宿主とする巧みな生存戦略で増殖を続け、地球上で長く生き延びてきた。


 かつて大学時代に履修した微生物学の講義が頭の中で再上映され、現在のパンデミックが放つ喧噪と重なり合って明滅するのを感じた。

 その外側からは、ぽっと赤い色を醸した熱源がじわじわ脳を溶かそうとしている。


 やつらの書き込みが、わたしの体内ネットワークのオンライン上にあったということ。それが何を意味するのかを、わたしはもうとっくに理解していた。

 どうやらわたしのこの体は、世間を騒がせているあのコロナウイルスに感染しているらしい。


 不思議と、焦りや憤りは湧いてこなかった。

 わたしが今、ウイルスに殺されようとしていることに対して理不尽さを叫ぼうものなら、人間社会より外側の各所から猛烈な反駁はんばくが聞こえてくるような気がした。


 万能感と共に生きてきたわたしたちに無情な死をちらつかせるウイルスは、人間にとって脅威でしかない。

 だけど逆に、人間に食べられるため命を奪われる動物や植物からすれば、人間こそが危険な存在だ。


 高等生物としての自負さえ当然のものとして、無意識の果てに沈めてしまったわたしたち人間だって、生態系の中に組み込まれた生き物の一種に過ぎないのだ。

 それぞれが生き延びるために、ほかの生き物の命を奪うこともあれば奪われることもある。それが、この地球で生きるということの本質にちがいない。


 それにしても、製薬会社MRという仕事を選んで、人間が生き延びるための医療に噛んだ立場であるはずのわたしが、自分の生命の危機を前にしてこのようなことを考えるなんて、おかしな話だ。

 わたしは自分が今繰り広げたばかりの思考に対して苦笑し、それから少し身震いをした。


 これも、大学の講義で学んだことだ。

 別の生き物に棲みつく寄生虫の中には、驚くことに、棲み処にした宿主の思考を操って、寄生虫自身が生き延びるのに都合がよい行動を起こさせるものもいる。


 まさか今のわたしは、体内に潜り込んだコロナウイルスに操られて……いや、まさかね。そんなのあまりに不気味すぎる。


 でも、それならば、やっぱりわたしはわたしの力の及ぶ限り、逆らってあらがって、生きねばならない。


 牛ステーキとブロッコリーを消化して体の一部にし、体に入り込んだウイルスは全力で排除する。

 そうやって、体のネットワークを駆使して生き延びる――。オンライン抗戦。


 この大きな地球の中で、ちっぽけな人間でしかないわたしが、わたしの裁量で唯一できることだから。


◇◆◇◆


 こうして、わたしは人類の医療が作り上げた最先端のICU(集中治療室)で今、意識を取り戻した。


「――青山さん、青山さん、わかりますか? ずっと意識不明だったんですよ」


 防護服に身を包んだ医師が呼びかけてくるのを聞きながら、わたしは酸素吸入器につながれ横たわったままゆっくりとまばたきをした。

 生まれてこの方、この広大な世界を映し出してきたふたつの眼は、まだわたしの意思に従ってくれるらしい。



投稿者:青山 @hominum

仕事ひとつ命ひとつ、ままならない。でも生きます。

もうしばらくよろしくね >>ネットワーク内 各位

2021-08-20 12:00:00



 ベッドサイドのモニターから流れてくる規則的な電子音だけが、生死の境の分岐点のうち生きる方を選び取った“わたし”を実感させた。


<了>

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