Virales

 言われたことをいつまでもうじうじ悩み続けるのは、わたしの悪い癖だ。

 思い出した嫌な記憶をかき消すように、さらにオンラインの世界に没入して、見知らぬ人の声を求めた。



投稿者:俺たちの時代 @virales

ずっと以前から活動してきたのに、今になって関係先から手酷く文句を言われています。こっちだって毎日生きていくので必死なのに。でも、何を言われようと背に腹は代えられない! 強い心で仲間をどんどん増やします。

2021-08-19 23:59:00



 こっちの人はずいぶん強いなぁ。

 目についたその書き込みを読んで、わたしは思わず感心のため息を漏らした。


 仲間を増やすっていう文面から考えると、何らかの社会的運動をしている人かなにかだろうか。

 いまいち状況は理解できないけれど、心動かされたままに返信することにする。



投稿者:名無し @ip3bkh

羨ましいです。わたしもそんな人間でありたいです。

2021-08-20 11:03:56



 一行だけ書き込んで、それ以上は言葉にできなかった。


 わたしもこんなふうに人の顔色をうかがうことなく、自我を通すことができれば、どんなに生きやすいだろう。

 幼い子どものときみたいに、自分のやりたいことをやりたいように、ただ貫くことができたら……。



 幼い子どもの自由さを思い描いていたら、姪の真緒まおの姿が頭に浮かんできた。

 近くに住んでいることもあって、独身のわたしは毎週のように姉一家を訪ね、家族同然の時を過ごしてきた。


 先週は、真緒八歳の誕生日パーティにお呼ばれして、真緒といっしょに料理の手伝いをした。


 あの日のメインディッシュは真緒の大好物のステーキだった。常温に戻した平たい牛肉にふたりで、岩塩と胡椒をミルでいていく。


「ねぇ真緒ちゃん。ステーキって牛のお肉なんだよ」


「えっ、これが牛さんなの? 牛さんはあんなに白いのに、なんでこのお肉は白くないの?」


「うーん……動物の外側の色と、お肉になってからの色は違うんだよ。それに、牛さんにも白いのと茶色いのと二種類いるの」


「茶色い牛さん? 変なのー!」


 隣ではコーンポタージュの仕上げをしている姉が「また小難しいこと、教わってるのね」と笑っていた。

「私たち夫婦はそろって文系だから、代わりにときどき、真緒に理科の話をしてあげてほしいの」って言うときもあるのに、勝手なものだと呆れてしまう。


「茶色い牛がお肉になって、白い牛は牛乳をしぼるために育てられることが多いかな。例外もあるけどね」


 あっ、でも白黒模様のホルスタインでも、オスだったら肉牛になるのだろうか。

 自分が牛の種類にあまり詳しくないことに気が付いて、それ以上姪が突っ込んで聞いてこないことを祈りつつ、「ステーキの付け合わせは、このブロッコリーかな?」と話をそらした。


「えー、まお、ブロッコリーきらい。もしゃもしゃしててまずいよね。同じ緑のお野菜でも、ほうれん草とかネギとかとなんでこんなに違うのかなあ」


 おっ、これなら牛の種類よりは知識があるから説明できそうだ。

 さっき誤魔化した後ろめたさもあって、わたしは張り切って蘊蓄うんちくを披露した。


「ブロッコリーはね、なんと、つぼみの部分を食べているんだよ」


「つぼみ?」


「そう、花が開く前の部分だね。普通はそこで収穫しちゃうけど、そのまま育てたら黄色いお花が咲くんだよ」


「ふーん」


 嫌いなブロッコリーの豆知識には興味が湧かないのか、姪の反応は素っ気なくて叔母としては少し残念だった。


「ふたりともお手伝いありがとう。あとはステーキを焼くだけだから、向こうでパパと座って待っててね」


 姉がわたしたちをキッチンから追い出した。

 冷蔵庫から乾杯用の瓶ジュースを取り出して、真緒とふたりで綺麗に飾り付けられた食卓を前に座った。


「まおの誕生日パーティなのに、じいじとばあば呼べないなんてさいあく! コロナなんて、急にどこから来たの?」


「コロナウイルスはねぇ、急に出てきたわけじゃないんだよ。地球上にずーっと前からいたの。姿を変えながら、人間と同じ世界を生きてきたんだよ」


 新聞を読んでいた義兄が、

「ウイルスって生きてるって言っていいの? 自分だけで増えないから、生物じゃないって聞いたけど?」と口を挟んできた。


 大手企業でクレーム対応をしている義兄は、消費者に揚げ足を取られないよう日々注意しているからか、言葉の厳密な定義にうるさいタイプだ。


「まぁウイルスが生物かどうかっていうのはいろんな考え方がありますけど、体内ではあたかも生物のように振る舞いますし……生存戦略を考えてもわたしは、コロナは賢い生き物のようなものだと思っています」


「コロナが、かしこいの?」


 義兄への説明の最後の部分だけを拾った真緒が、聞いてきた。


「うん。体に入ったらすぐに人間を殺すウイルスも世界にはたくさんあるんだけど、そうしたら中にいるウイルスもいっしょに死んじゃうの。でも、コロナウイルスの場合は……真緒ちゃん、無症状って聞いたことある?」


「このまえパパに聞いたよ! ウイルスが入ったのに病気になってない人、でしょ?」


「そう。コロナウイルスはしばらく病気を起こさずに、人間の体の中に隠れ潜んでることが多いの。にした人間を気付かないうちにあちこち歩かせて、他に侵入できる人間を探してるんだよ。だから、ソーシャルディスタンスが必要なの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る