1回戦 Sランク冒険者ゲーム54 夏目理乃視点1

~夏目理乃視点~


「ライナちゃん、これ3番テーブルに運んで!」


 酒場でマスターに声をかけられた。


「はーい!」


 夏目理乃は元気よく返事をして、エールがなみなみに注がれた大ジョッキを2杯ずつ両手に取った。

 ライナというのは、理乃のリと夏目のナを繋げて、英語風に読んだ偽名だった。面接の際には冒険者登録していることも伏せていたし、この世界では身分証を持っている人の方が少ないから、偽名でも問題なく面接を通過することができた。職業は商人だと伝えると、大歓迎された。


 スプリングワッシャーに滞在していたとき、青山直也が2回もギルド内でアルバイトをしようとして失敗したことからも分かるように、冒険者ギルドというのは基本的にブラックな職場だった。常に人手が足りていないので、理乃も即日から働けることになった。

 これは、ギルドに臨時の職員として雇われた鈴本蓮も同じである。


 エール4杯を3番テーブルに運ぶと、次はレジで精算をして欲しいとマスターに頼まれた。


 伝票を見ながら暗算し、合計金額を請求する。客が出したコインと紙幣を見て、即座にお釣りを渡すと、客は少し驚いたような表情になった。


「いやー、商人はやっぱり計算が早いね!」


 マスターがそう言って理乃を褒めたが、理乃は苦笑するばかりだった。商人に〈計算〉のスキルツリーがあることはよく知られているが、理乃は〈計算〉には全くスキルポイントを振っていない。大袈裟に言えば、プレイヤースキルと呼ばれるものだった。


 鈴本には負けてしまうが、理乃もそれなりに暗算は得意な方だった。高校入試でも数学は満点を取った自信がある。暗算の中でも、特にお金の計算は得意だった。


 ――私は、人間よりもお金の方が好きだ。


 理乃は小学校低学年の頃からそう思っていた。思っていたのだが――。


 ウエイトレスをしている理乃と、職員として受付にいる鈴本の大きな違いは、酔客を相手にするかどうかだ。当然、理乃の方がキツい仕事だった。


 客の中にはお尻を触ってくるオジサンもいて、手にしたエールを頭からかけてやりたい衝動に駆られることもあった。立派なセクハラだが、この世界にはセクハラという概念はないのだろう。地球でも、人権意識の低い国や地域では今も女性差別がまかり通っている。


 ずっとこの世界に住むのなら、本気で女性差別と戦うところだが、どうせこの世界には最長でもあと50日くらいしかいないと思うと、まともに戦うのはバカらしかった。だから、爪でオジサンの首筋にひっかき傷を作るだけで許してあげた。オジサンは悲鳴を上げたが、一部始終を見ていた周囲の冒険者から笑われただけだった。


 お尻を触られることもあると気付いてからは、尻尾をスカートの中に仕舞い込んだ。この尻尾は、針金に染色した羊毛フェルトを巻き付けて作ったものなので、触られると偽物だとバレてしまうのだ。獣人の女性はスカートの中に尻尾を隠している人も珍しくないようなので、特に不審に思われることはないだろう。


 こうして酒場でウエイトレスとして働いていると、どうしても商店街の中にある実家の定食屋を手伝っていたときのことを思い出してしまう。


 ――お父さんとお祖母ちゃん、元気にしてるかな。


 そう思った。


 客に料理を出す際、銀色のスプーンに自分の顔が映り込んでいるのが見えた。


 妹尾有希は可愛いとか綺麗だとか言ってくれたが、理乃は、メイクをした自分の顔が嫌いだった。


 数日前に生まれて初めて有希にメイクをされて鏡を見た瞬間、お母さんにそっくりだ、と感じてしまったからだった。


 理乃の母親が、3軒離れた和菓子屋の次男坊と駆け落ちしたのは、理乃が6歳のときだった。


 しかも、母親はお店のお金を持ち逃げしていて、通帳も限界まで引き下ろされていた。これは後から祖母に聞かされた話だが、理乃の将来の学費にと積み立てていた定期預金も解約されていたそうだった。


 そのせいでお店の資金繰りが一気に悪化した。まだ銀行から借りていた初期投資の分も返し終わっていない段階で、このままだと食材の仕入れもできなかった。


 窮地に陥った父親は、親戚や友人知人にお金を借りて回った。その際には、理乃も同伴させられた。小さい子どもがいた方が、同情されてお金を借りやすい、と父親が思ったからだろう。そのことについて、理乃は全く父親を恨んでいなかった。悪いのはお母さんだし、私がお父さんの立場だったらお父さんと同じことをしていただろうから、と考えていた。


 ただ――知り合いからお金を借りるのに同席するは、やっぱり辛かった。自分が圧倒的に弱い立場に置かれているのを実感してしまうからだ。

 ネチネチと嫌味を言い、説教をした挙げ句、1円も貸してくれない人もいた。


 理乃は演技をすることを覚え、母親がもう家には帰って来ないと理解したときのことを思い出して、借金をする相手の前で涙ぐんでみせた。


 理乃の父親がお金を借りた相手の中には、理乃と保育園で仲の良かった朝倉夜桜の、父親も含まれていた。大事な話があるから夜桜は向こうで遊んでいなさい、と夜桜は自分の父親に言われていたのに、理乃の父親が応接室のテーブルに額をこすりつけて懇願しているタイミングで、夜桜がドアを開けてしまった。


「夜桜ちゃんは……。理乃ちゃんと遊ぼうと思って……」


 キツネのヌイグルミを手にした夜桜は、幼心にも悪いタイミングでドアを開けてしまったと思ったのか、動揺した様子でそう言った。


 怖い顔をした夜桜の父親に促されて、理乃と夜桜は応接室から追い出された。2人はヌイグルミでおままごとをして遊んだが、どちらも上の空だった。


 帰りに、無事に夜桜の父親から借金できたと教えられたときは、理乃は泣いてしまった。自分でも、なぜ泣いたのか分からなかった。その後、夜桜とはこの日の出来事について一切話をしなかった。夜桜ちゃんは忘れてしまったのかもしれないし、忘れたふりをしてくれているのかもしれない、と思った。


 私は、人間よりもお金の方が好きだ。


 理乃がそう考えるようになったのは、確実にこういった幼少期の出来事が関係していた。


 定食屋で出された料理の余りや、賞味期限切れの食材を食べることができるから、飢えたことはなかったが、文房具を買うのにすら躊躇ちゅうちょするような生活が何年も続いた。

 小学校の修学旅行に参加できなかったのは、学年で理乃1人だけだった。教師の計らいで、クラスメート達には当日になって体調不良で不参加になったということにしてもらえたが、本当は旅費を払うことができなかったのだ。


 お金に興味がないなんて豪語する奴は、お金に困ったことがないだけだ。


 みんなが修学旅行を楽しんでいる間、理乃は家で宿題をやりながらそう思っていた。


 人間は、お金のためなら平気で嘘をつく。人間は、お金のためなら平気で他人を裏切る。だから、人間よりもお金の方が信用できる――そう思った。


 出会ったばかりのウサギ獣人の女の子の目を治すために、1000コールト貸して欲しいということを米崎陽人に頼まれたときは、米崎くんの嘘を暴くチャンスだ、と理乃は思った。


 米崎が本当のことを話している可能性など、初めから除外していた。だって、米崎くんは嘘つきなんだから、と思っていた。


 しかし、米崎を尾行して、彼が本当のことを話していたと知ったとき、理乃は思い知ってしまった。


 私は、人間よりもお金が好きなわけじゃない。人間よりもお金の方を信用しているわけじゃない。本当は、ただ単に他人が嫌いで、他人を信用していないだけなんだ、と。

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