第3話 旅立ち

 それから、八年の時が流れ慈花は十五歳となった。


 五尺五寸程の身長にすらりとした四肢、大きく少しつり目な瞳、椿を思わせる赤い唇、厚く真っ直ぐな前髪、横は頬の辺りで切りそろえられ、腰あたりまで伸ばした髪は、太く紅い紐でいくつかに分け結ばれている。


 十五歳になった慈花は、とても綺麗な女の子へと成長していた。


 そして、月のない真っ暗な闇に包み込まれた夜の事だった。慈花が神主に社務所へ来るように言われていた。


 社務所へ行くと、そこには神主だけではなく、京華の姿もあった。十年という月日は二人の髪にたくさんの白髪と顔に皺を増やしている。


 また、神主が不在の時にしか姿を見せない京華が、神主と並んで座っている事に慈花が驚きを隠せず、入口付近で立ち尽くしていたのを、神主が慈花へ笑いながら、二人の前に座るように促した。






「なんでございますか、師父様」


 二人の前に座ると、すぐに慈花が口を開いた。この二人が並んで座っている事が不思議でならないのだ。


「うむ、月日のながれは早いもので、慈花がここに来て十年経った。お前ももう十五歳。そろそろ、この国を旅して周り、書物からだけではなく、自分の目で見て、触れて、色んな事を知る時が来た」


「……」


「あと二日で用意し、旅に出ろ。その間の社務や雑務は京華にしてもらう」


 神主はそう言うと、慈花へ紫の布に巻かれた二尺八寸ばかりの細くて長い包みを持ってきた。それを慈花の目の前でするすると開くと、包みの中から、濃ゆく深い真紅の鞘に納められた刀が一振出てきた。源氏の名刀、鬼切安綱である。


 それを手に取った神主は鞘からすらりと刀身を抜くと、自分の正面で真っ直ぐに構えた。そして、刀身を見つめながら言った。


「これを餞別にくれてやる。必ずお前を、慈花を守ってくれるだろう」


 刀身を鞘へ戻した神主は、慈花へ鬼切安綱を手渡した。慈花の両手に、刀の重み以上のものが伝わってくる。


「お前の武術、学問、どれをとっても一流であり、恥ずかしくない人間だ。しかし、実践経験が少ない。良いか、多くの事に触れて学べ、見て学べ。そして、何か起きた時、自分の、人の身を守る時は容赦はするな、全力で倒せ」


 いつになく真剣な眼差しの神主に、分かりましたと返事をし、深々と頭を下げる慈花を、京華は慈しみの目で見つめていた。







 そして、慈花か神社を離れ、旅立つ日がやってきた。神社入口の鳥居前に、神主と京華、慈花の三人が立っている。


「国中を周り、色んなものを見てこい。そして、大きくなれ、慈花」


 神主は、初めて出会った時に、井戸の側で慈花を高く上げてくれた時と同じ顔で微笑んでくれている。


「旅を終えた私は、また、ここに帰って来てもいいのでしょうか?」


 そんな神主へ、慈花が少し寂しそうに尋ねる。すると、神主は慈花の頭をわしわしっと撫でると、またにこりと優しく微笑んだ。


「当たり前だろうが。お前の帰ってくる場所はここしかなかろう。その時は早めに文を出せ。京華も馳せ参じるさ」


 慈花はありがとうございますと小さな声で返事をした。すると、ふわりと京華が慈花を優しく抱いた。それは、とてもとても優しく、暖かな気持ちになれた。


「こんなにも大きくなって……」


 京華の目から涙が零れ落ちていくのが分かる。そして、ふっと慈花から離れると、涙で濡れた顔をそのままに、慈しみ深い笑顔を見せた。


「どうぞ、ご無事で……」


 深々と頭を下げる京華へ、慈花も頭を下げると、行ってまいりますと元気に言い、くるりと、背を向け、石段をゆっくりと降りていった。






 慈花の姿が見えなくなるまで見送っていた京華は、神主の方へ顔を向けた。


「あの子を、立派に育てて頂き、ありがとうございます」


 そう言われた神主は頬をぼりぼりと掻きながら、ちらりと京華へ視線を向けると、


「なぁに、お前さんもよくやってたじゃねぇか」


 と言い、がははっと大きな声で笑った。


「母として、あの子をたくさん抱いてやりたかった、たくさんお話しをしてやりたかった、たくさん色んな事を教えてあげたかった……あの子と、こんなにも長い間触れ合えたのも貴方のお陰です」


 そう言うと京華は、もう一度、石段へ目を向けた。その胸の中で慈花の旅の無事を祈るのであった。

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