第9話 新たな挑戦!

 銀行の用事が済むと耕介は本屋に行き、腕時計の本を探した。


 予想していた通り、耕介が探していた本は存在しなかった。


 店員に確認はしなかったが、おそらくその本自体が創刊されていないのだろうと思った。


 ブームが起きてから関連する雑誌が発売される。


 耕介はそのブームの前にいるのだから当然である。




 耕介は、リサイクルショップで4,500円で購入したマウンテンバイクに乗り、20分掛けてバイパス沿いの大型ショッピングモールへ行った。


 ショッピングモールには腕時計を扱う店が3店舗入っており、その一つはパシノ社の腕時計専門店だった。


 耕介が狙うブランドの一つである。




 耕介は腕時計が好きだった。


 高級腕時計も好きだったが、あまりに高価で手が出ないため、耕介がコレクションするのは、1~3万円で手に入るカジュアルウォッチだった。


 しかし、カジュアルウォッチの中にも『限定』、『レアもの』と呼ばれるものがあり、それらは定価の十倍以上の値段で取引され、高級腕時計と同程度の値が付くものもあった。


 耕介が狙うのはこれらレアもの腕時計だった。




 耕介は最初に入ったパシノ専門店のショーケースの前で、静かに震えた。


 「ニルソンだ!!」耕介は心の中で言ったつもりだったが、かすかに声が漏れていたようで、話しかけられたと思った店員が耕介に近寄ってきた。




 ニルソンは耕介が一番欲しかったが、全く手に入らなかったレアもの中のレアものだった。


 当時(つまり未来)、どんなに金がかかってもいつか手に入れようと思っていたが、結局新品はネット上にも出回っておらず、何度か購入仕掛けたものは損傷がひどく、泣く泣く諦めたものだった。


 だが、ここには新品がショーケースの中にあり、しかも定価で売られている。


 しかも赤・黄・青の全色が鎮座している。


 耕介はこの時代に来て、直ぐに時計屋を訪れなかった自分の行動を悔いた。


 そばで耕介の様子を見ていた店員に、「これ見せてもらえますか?」と尋ねた。


 声が上ずっていた。


 店員は笑顔で「どの色ですか?」と聞いてきたので、耕介は全部と答えた。


 店員は丁寧に対応してくれたが、ニルソンをショーケースの上に置く際に、一つをパタンと倒したことに耕介は驚いた。


 店員がこの時計の価値を知るのはまだ先の事なので、ただのカジュアルウォッチの扱いはその程度のものである。


 耕介としては、手袋をして取り扱って欲しいくらいだった。




 耕介は黄色のニルソンを手に取り、親指の腹でそのなめらかなベゼルの感触を確かめた。


 「全部ください。」と耕介が言うと、「全部」と言う言葉に驚いたのか、耕介のニヤついた顔に驚いたのか、店員は怪訝な表情で頷いた。


 会計を済ませる際に、在庫はあるかと聞くと、赤色がもう一つあるが、他は取り寄せになるとの回答だった。


 耕介にとっては信じられない状況だった。


 ダイヤモンドの転がっている公園を、皆が素通りしているような感覚だった。


 耕介のサイフは空になっていたが、帰り際に他の時計屋も覗いてみると、ニルソンはなかったが、数個の別のレアものを発見できた。




 耕介はニルソンを大事に抱えて一旦アパートに戻り、また20分掛けてショッピングモールまで行き、残ったニルソンの赤色と他のレアもの4点を購入した。




 その後、駅前の時計店でもニルソンの赤色を発見して追加購入した。


 ノーリスクの宝探しをしている気分だった。




 夜になって、卓袱台の上に購入したレアもの腕時計を並べて、冷静になって考えた。


 これらの価値が出てくるのは何年後だろう?それまで闇雲に買い続けたのでは、さすがに資金が持たないと考えた。


 買うものはレアものの中でも、特に価値が出るものに限定することにした。


 今回はニルソンだけにターゲットを絞り、今日勢いで購入した他のレアもの4点は、戒めの意味も込めて明日返品しに行くことにした。




 次の日返品する際に、間違えて購入したと伝え、代わりにニルソンの品番を伝えると「来週には取り寄せられる」と言うので、全色1個ずつを頼んだ。


 パシノ専門店と駅前の時計屋でも、更に取り寄せを依頼した。


 耕介は、自分のこの行動がブームの切っ掛けになるのではないか?と不安になった。




 ☆☆☆




 耕介がカラオケボックスの店員に「ひとり」だと告げると、店員の男は、後から連れが来るのかと尋ねた。


 平日の昼間なら、一人の客も多いのかと思っていたがそうでもないらしい。




 耕介が通された部屋は、L字型のソファーと32インチのモニターが向い合せになった、小さ目の部屋だった。


 悪くないと耕介は思った。


 耕介はバッグからお茶の入った水筒と、キャンパスノート、そして先日リサイクルショップで2,200円で購入したボイスレコーダーを取り出してテーブルに並べた。




 耕介は歌本の最新曲のページをペラペラとめくると、何曲か続けてリモコンで番号を入力した。


 暫くすると男性4人組バンドの懐かしい曲が流れてきた。


 ドラマの主題歌で、軽い知的障害を持ったヒロインと会社社長が恋に落ちる様子が、幅広い層に人気を集め、それに合わせてこの曲とバンドも一気に大ブレークした記憶が蘇ってきた。


 耕介は感触を確かめるようにAメロだけ歌うと、今度はキャンパスノートに、そのバンドのその後のヒット曲を5曲ほど書いた。


 同様に、違うジャンルの曲を歌っては、そのミュージシャンのヒット曲をノートに書いていった。




 耕介は思いつく限りの曲名を書き終えると、水筒のお茶を飲んで一息ついた後、今度はボイスレコーダーの準備をして、ノートに書いた中から数曲をアカペラで自ら歌って録音した。




 耕介は、友人の中ではカラオケが上手な方だと言われていた気がするが、録音された自分の歌声を後から聞いてみると、一般人の上手いとはこの程度のものなのだろうと、妙な諦めに似た感情を覚えた。




 その夜から、耕介は無料のものを中心に、ライブハウスや路上で歌っている人の声と音を聞いて回った。


 昼夜を問わず、2週間ほどその作業を続けたが、耕介の求める声には出会えなかった。


 時間が勿体なく思えてきたので、3週目からは有料のライブや、バンドの生演奏をやっているバーにも行動範囲を広げたが、やはり成果がないまま時間だけが過ぎていった。




 『声』を探すのは困難を極めたが、腕時計の方は順調にストックが増えて行った。


 ニルソンの他にも、ボタンを押すとバックライトに虹のマークが浮かび上がるレインボーシリーズの初代バージョンも発売され、購入リストに増やしていた。




 ☆☆☆




 いつものように公園のジョギングを終えてアパートに戻ると、いつかの黒いTシャツの女が黒いラブラドールと駐車場で遊んでいた。


 耕介が横を取り過ぎようとすると、犬が耕介にじゃれ付いて来た。


 犬が苦手な耕介はアパートに戻れず、勢いで駐車場の外まで追いやられてしまった。


 その様子を見ていた黒いTシャツの女はクスクスと笑っていたが、途中で何かに気付いたように、「君、昨日『グーズ』に来てたよね?」と言った。


 耕介は昨晩行ったバーの名前がグーズだったことを思い出した。「ああ、行きましたね。あなたもいたんですか?」と、犬に注意を払いながら聞いた。


 女はそこで働いていると言いながら、首輪をつかんで犬を落ち着かせてくれた。




 「ここに住んでんだ?また来てよ。同じアパートのよしみで一杯くらいおごってあげるよ。」と女は言った。


 耕介よりも年下に見えたが、女はそんなことは気にしないタイプのようだった。




 「ありがとう。・・・ねぇ、このアパートって犬 、大丈夫なんだっけ?」と耕介が尋ねると、「バレなきゃいーんじゃん?」と女は答えた。


 よく見ると、女の黒いTシャツには黒いプリントで『Good!s』(多分グーズと読ませるのだろう)と書かれていた。




 耕介がシャワーを浴びてコーヒーを片手にベランダに出ると、黒いTシャツの女と犬は、まだ駐車場で遊んでいた。


 耕介はその光景をぼんやり眺めていたが、ある事を思いついて急いで駐車場に降りた。




 「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど・・・」と犬を警戒しながら、女に話かけた。


 「グーズに来るバンドで、『向井和弘』みたいな声の人っていない?」


 「向井ってマイポロのボーカルの? いるよ。」と女は事もなげに答えた。


 「じゃあさ、『椎木マキ』みたいな声の人は?」と耕介が聞くと、女は犬にボールを投げながら、「いるかもね・・・」と、こちらは曖昧な回答だった。




 耕介は正直怪しいなと思いながら、向井和弘に声が似た人が演奏する日を聞いて、ありがとうとお礼を言った。

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