第3話 山根先輩が若い・・・

 ヤマトク市は、耕介が学生時代を過ごした静かな田舎街である。


 耕介は、自分を知る人間にばったり出会う可能性も考えて、昼間からTシャツでうろうろするのはやめて、外回りの営業マンに見える格好に着替えた。


 最初に行ったのは、タイガーというパチンコ屋だった。




 耕介は「懐かしいなあ」と感慨に浸りながらホールを一周したが、お目当ての人物は見つけられなかった。


 諦めて一度タイガーを出て、駅前の福丸ホテルに宿を取った。


 外観も部屋の中もキレイとは言えなかったが、駅から7分の立地で、1泊3,700円なら文句はない。


 夜になって、2度タイガーを含めた近場のパチンコ屋を巡回したが、やはり空振りだった。


 明日は土曜日なので、明日に期待して今夜は大人しく眠ることにした。


 眠る前、何かを見落としているような気がしたが、ここ数日の心と体の疲労の蓄積は思いのほか大きく、深く考え込むより先に、深い眠りに落ちた。




 次の日は、タイガーではなく、駅裏のサンコーから捜索を開始することにした。


 駅裏には、学生の間で話題になっていたピザトーストの店があったからだ。


 身体と気力だけが資本となった今の耕介にとって、健康は何をおいても優先しなければならないもので、うまいもので空腹を満たすことは、健康維持の第一条件と祖母にも教わっていた。




 駅裏のピザトーストから始めたのは運が良かった。


 店の真ん中で、派手なアロハシャツを着てピザトーストに噛り付いていたのは、メンバー候補として最も会いたかった『山根先輩』だった。


 だが、おかしい・・・。


 格好も髪型も、間違いなく山根先輩なのだが、・・・若いっ!


 耕介の3つ上の先輩であるはずの彼は、どう見積もっても、今の耕介よりも5つは年下に見えた。明らかに若い!


 耕介が大学を卒業しているのであれば、山根先輩はとっくに就職しているだろうし、街を離れていてもおかしくないのに、山根先輩の姿は学生時代のままだった。


 直ぐに声を掛けようとしていた耕介は、上げかけた右手を一旦下げた。


 その時、山根先輩と目が合った。が、山根先輩は耕介の姿が見えなかったかのように、目の前のピザトーストに視線を戻した。




 その瞬間、耕介は確信した。


 「この山根先輩」は、自分の事を知らない。




 耕介は山根先輩に声を掛けるのを一旦やめて、山根先輩と背中合わせの席についてコーヒーを注文した。


 「なんで山根先輩は若いままなのか?なんで僕だと気付かないのか?」耕介は自問自答してみたが、元々訳の分からない状況に置かれているのだ、今更一つや二つ予想外の事が起きても大した問題ではないと自分に言い聞かせた。




 多くの学生がそうであるように、山根先輩にとっても、今の耕介は空気と同じ存在の「サラリーマン」であった。


 耕介は運ばれてきたコーヒーを飲みながら、一度計画の立て直しをしようか考えたが、ダメもとで面識の薄いメンバー候補に出会った時の計画を実行することにした。




 耕介は携帯の着信音を鳴らして電話に出るフリをすると、「はい。工藤です。おはようございます。・・・ああ、今ですか?大丈夫ですよ。」と一人芝居をしながら、正面の金属製のパネルに映りこんだ山根先輩をチラチラと伺った。


 山根先輩は、耕介がその席に座っていることにやっと気づいた様子だったが、特に興味も示さず直ぐに目の前のご馳走に意識を戻した。


 「ええ、シャックラーはまあまあでしたよ。開店前にサンコーの山本さんと会ってきましたけど、また『セット』の情報があったら回して欲しいって言ってました。・・・あはは、・・・そうなんですよ。・・・」耕介は、電話のフリを続けながら、ずっと山根先輩の様子を伺っていた。


 山根先輩は、パチンコ屋の名前とスロットの機種名(山根先輩が好きだった台)の話題が出てきたときから、明らかにピザトーストから、こちらの会話に興味が移ったようだった。


 「・・・はい。とりあえず新台の台数確保は問題なさそうなんで、新しいセット打法の情報提供の方、よろしくお願いします。・・・はい、・・・はい、よろしくお願いします。」


 山根先輩の興味は完全に釣れた。




 耕介の作戦はこうだった。


 耕介は、パチンコ屋へ新しいパチンコ台を販売する営業マンで、店側に少しでも多くの台を導入してもらうため、パチンコ屋の店長の小遣い稼ぎに使える『セット打法』の情報を流している。


 山根先輩に耕介が何者であるかを分からせた上で、「上手い話があるから、人を集めて協力して欲しい」と持ち掛けるというものだった。


 少々強引な設定ではあるが、学生は社会人の仕事がどんなものかほとんど分かっていない。


 常にちょっと大きなことをやって、友人からの羨望を集めたがる。という性質を利用すれば、少々強引な設定でもごまかせると踏んでいた。




 山根先輩に、自分が何者かを知らせる部分はある程度成功したが、ここから自然に会話できる機会をどうやって作ったものか?と考えながら、耕介はコーヒーをすすった。


 ピザトーストを頼みたかったが、運ばれて来る前に山根先輩に店を出られても追跡に困るし、サラリーマンが朝9時にピザトーストを食べるのも、少しおかしな気もした。




 いくら考えても、喫茶店内でサラリーマンが男子学生に話しかける手段が思い浮かばないままコーヒーを飲み終えてしまったので、話しかけるのはまたの機会にして、先に店を出て山根先輩の尾行にそなえようと席を立とうとしたとき、山根先輩の座席の下にサイフが落ちているのを見つけた。


 耕介は瞬間的にある作戦を思いつき、今度は電話を掛けるフリをした。「あ、どうも、工藤です。今お時間大丈夫でしょうか?・・・ええ、出張の件で・・・」と今度は、山根先輩の注意を引かない話題と、絶妙なトーンで話すフリを続けた。


 正面の金属パネルに映り込む山根先輩と、店内の様子を注意深く観察しながら、持っていた鞄からキャンパスノートを取り出して、床に落ちている山根先輩のサイフの上に落した。


 ノートを落とすバサッという音で山根先輩が振返ったが、耕介は電話を肩に挟んだ方の手で「すまない」と合図を送り、もう一方の手で、素早くキャンパスノートと一緒にサイフを回収した。


 内心ヒヤヒヤしたが、電話をしているフリに集中することで、逆に落ち着けた。


 サイフはそのままノートと一緒に鞄にしまいこみ、電話を切ってコーヒーのお替りを注文した。




 耕介が待ってたタイミングは、5分後にやってきた。


 伝票を持ってレジに向かって歩く山根先輩を見て、店員はレジに先回りして笑顔を作って待っている。


 レジまであと3歩の所で、ズボンのポケットを押えてキョロキョロし始める山根先輩。


 その様子を確認して、耕介はゆっくりレジに向かって立ち上がった。


 山根先輩は、レジに向かう耕介の横をすり抜けて元いた席に戻り、テーブルの上や足元を探り始めた。


 耕介は、自分のコーヒー代の伝票を手に持ったまま、その様子を店員と一緒に眺めていたが、「君、もしかしてヤマトク高専の学生かい?」と声を掛けた。


 ヤマトク市には大学がないため、高校生でない学生風の男子は、高専の学生かと聞かれることが多かった。


 山根先輩は、明らかにそれどころではないという様子だったが、店内の床をキョロキョロと見渡しながら「はい、そうですが・・・、何でですか?」と答えた。


 「サイフを忘れたみたいだけど、僕もヤマトク高専の出身でね。良かったら助けてあげようかと思って。」と耕介が言うと、山根先輩は顔を上げて、「本当ですか?すいません、助かります。」と言って、安堵の表情を見せた。


 久々に正面から見る山根先輩は、とても幼く、頼りない青年に見えた。




 山根先輩は耕介より3学年上の学生で、とにかくパチンコが好きで、学生寮の中でも友人や後輩からいつも借金をしていて、月初めの親からの仕送りと、アルバイト代で返済するということを繰り返していた。


 平日は夕方から夜中までアルバイトをしていたため、寮ではほとんど顔を合わせることはなかったが、たまに土日のパチンコで大勝すると、大量に酒とつまみを買い込んで、回りの部屋の者を集めて酒盛りをした。


 また借金するんだから、貯金しておけば良いのにと思うのだが、「どうせ負けてなくなるんだから、みんなで飲んじまった方がいい」と言っていた。


 憎めない性格で、みんなからも好かれていた。


 耕介も好きな先輩の一人だった。




 喫茶店を出たあと、山根先輩は深々と頭を下げて礼を言った。


 耕介と山根先輩は、学校の先生の話や、寮の様子について少し話をした。


 耕介が、今からどこに行くのかと尋ねると、恥ずかしそうにパチンコ屋だと言った。


 サイフがないのにどうするのかと聞くと、きっと誰か知り合いが来るから、金を借りるとのことだった。


 あまりにも山根先輩らしい回答だったので、思わず吹き出してしまった。




 耕介は、2万円を差し出して「仕事で良くこの辺りにくるから、もし次会って、その時勝ってたら返してくれればいいよ。」と言った。


 耕介は、サイフを奪った事実からか、思わず大きな金額を提示してしまった。


 出身校が一緒というだけで、さっき会ったばかりの見知らぬサラリーマンが出す金額にしては大きすぎるため、さすがに怪しまれるかと思ったが、山根先輩の回答は「本当にいいんですか?」という確認だった。


 おそらく本当に返すつもりなのだろう。


 「いいよ。どうせズルして儲けた金だし。」と言うと、山根先輩は良く分からないが、そちらが良いのならお借りしますと言い、2万円を受け取った。




 耕介は、山根先輩のサイフの中身を見て驚いた。5万円も入っていたのだ。


 アルバイト代が入った直後か、最近大勝したのか。


 耕介は2万円しか渡さなかったことを後悔したが、どうせ全額返すことになるのだからと、しばらくは我慢してもらうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る