アオイモノガタリ

ハッピーサンタ

アオイモノガタリ。

 いつもの満員電車とは違う、田舎を走る電車の中には、俺と彼女しか居ない。


「次の駅で降りようか」


 横からこちらに微笑みながら、囁いてくる彼女に、俺は正面を向いたまま頷く。


 普通、いつもとは違う光景が窓の外に映っているのなら、そちらに気を取られ、自分だけの世界に入り込んでいってしまうようなものだが、今は息をしているこの世界以外のことは考えられない。


「次は野森口~野森口~」


 駅員のアナウンスの音すらも、しっかりと頭に刻まれる程に、今は現実に居られる気がしていた。


「もう、着くと思うから」


 俺と彼女は、席を立って扉の方に向かう。満員電車ではないのだから、着くまで座っていても構わないのに。


 でも、今の俺は自分でもわからない、この心臓のドキドキという鼓動が感じ取れる程の感情に支配しつくされてしまったことを誤魔化すためには、こうやって立つしかなかった。


 彼女も俺と同時に、席を離れて一緒に隣同士のままで居てくれたのだから、何らかの感情で胸がいっぱいになっていたのであろう。


「…………」


「…………」


 俺と彼女は、必要最低限以上のことは、特に何も話さない。


 下手にしゃべるよりは、きっと俺も彼女も落ち着いていられるから。


 そうやって、無の音の世界否、電車が鳴らす音だけが続いた空間が幕を閉じ、扉は開いた。


 俺と彼女は、一緒に降りて無人駅の誰も居ない受付場所に、二枚の切符だけを置くと、そこから歩いて、先程の空間からは完全に抜け出したような感覚に陥っていた。


「お父さんとお母さんが、玄関でそわそわしながら待ってるって、今お姉ちゃんから届いたよ」


「うん……」


 俺は久しぶりに、声を発した気がした。

 声の体重計は、未だにダイエットに成功したことを指し占めてくれないみたいだ。


 電車の中で観た景色は、夕方だったが、辺りは既に真っ暗闇だ。


 また、二人は横になって歩き出す。


「家は、ずっと真っ直ぐ行くだけ。五分もかからないから、学生の時は結構ギリギリまで寝てたよ」


「そっか。俺は駅まで二十分ぐらいかかってしかも満員電車だったからな……」


 本当は、彼女のJK姿を一目見て崇めたかったと付け加えたかったが、心臓のドキドキが、ちょっとバクバクに変わって、それを言うことができなかった。


 でも、それは彼女も同じで──。


 緊張をほぐすためにしていた会話も、三十秒もかからないうちに、お開きとなってしまった。


 聞こえるのは、近くの家の窓から微かに飛び出てくる親子の会話だけ。


 それを、徐々に蝉が鳴いてかき消していく感じだった。


「あ、あそこの家だから……」


「お、おぅ……」


 しばらく歩いていると、もう彼女の生まれ育った場所には辿り着いていた。


 玄関には、明かりが照らされていて、二人の人影が見える。


 俺と彼女は、家の前に立つと、彼女は、そのまま扉に向かって進んで行った。

 俺は、その場から、それをただ見つめている。


 そして、彼女が合図をしてくれたのを見て、俺は明かりの灯りが示す方へと、地面を重く、でも何処か軽やかに進んで行った。



 ◆◇◆



 時計はもう既に、午前一時を回っていた。


「今日はとにかくありがとね」


 耳元に彼女がそう囁いてくる。


「こ、こちらこそ……」


 俺は彼女に、そう返すとガバッと布団を被った。


 俺は布団の中から、彼女を見た。豆球のオレンジの少し切ない──でも、心は何処からか落ち着いてくる光りに照らされた彼女の表情は、いつもと同じように微笑んでいた。


「ふふっ。まだ抜けてないんだ。その話し方。でも、私の両親、君の想像以上に優しかったでしょう」


「あ、ああ。そうですね……。優しすぎて、逆に心臓が壊れそうになったくらいだよ」


 この言葉は本当だ。彼女の両親と姉は、とても優しく接してくれた。特に、微笑む姿を見ると、本当に彼女が長い間、共に暮らしてきた人たちなんだと実感する。


「でも、君の他人行儀なところ見てると、なんだか初めて出逢った時を思い出すね」


「そうだな」


 初めて逢った時から、彼女の微笑みを特別なものとして見てた。

 絶対にこの微笑みは、自分が手にできるものではないと思っていた。

 今でも別に、彼女の微笑みは俺だけのものではないが。

 でも、手に入れることができて本当に良かった。夢のようだ。


「俺は絶対に君を幸せにするから」


「……それ、いつも聞いてる」


 彼女は、毎夜毎夜そう言うが、決して嫌がっている訳ではない。むしろ、少し顔を赤らめて喜んでいるようだ。

 彼女は、その表情をいつも俺に見せまいとしているが、隠している手の間からや、耳までほんのりピンクになってることから、どうしても否、俺がどうやってでも見てしまう。


 それぐらい『好き』なのだ。


 だから、本当に幸せにしなくてはならない。


(なにもかも、わからないけど、俺が幸せにできることだけはわかるよ)


 心の中で、自分自身にそう話し掛けると、俺はもう一度、彼女の方を向き直った。


 俺は先程と違って、じっくりと彼女を見つめている。


 彼女は、俺が見つめているのに気づくと、そっと目を閉じた。


 俺は、そっと彼女に顔を近づけていく。

 そして──、


 ──ゆっくりと、『幸せ』の誓いを彼女にしたのだった。


「お、おやすみ……」


「あ、ああ……」


 顔を赤らめた、まだ慣れない二人は、お互いに布団を被ると、目を閉じ、そのままぎゅっと距離を縮めた。


 俺と彼女は、お互いの体温を感じ取ると、ゆっくりと夢の中へと出掛けて行った。


 ──向かう場所は、俺と彼女の『幸せの微笑み』の方角へ。

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