第四十四話「いつの日か」

◇ ◆ ◇


 クロスレイドのダブルス大会が行われていた会場では、金太郎きんたろう桐生きりゅう三冠の対局が最終局面に差し掛かっていた。


「──小僧。名前は何という?」

御堂みどう……金太郎だ!」

「ふむ。覚えておいてやる」


 戦況については、桐生が有利であることに変わりはない。

 だが序盤では、桐生の一方的な勝ちだと思われていた対局だったのだが、会場中の予想を裏切って金太郎は何とか桐生の攻撃を凌ぎ続けていた。


 そこから数手先──

 必死で食らいついてきた金太郎の手が止まる。


 額から汗を垂れ流し、苦悶の表情を浮かべ、無言で将棋盤と睨み合いを続けている金太郎。

 しばらく沈黙が支配したのち、金太郎に向かって桐生が口を開いた。


「負けを認めるのも強さのひとつだぞ」

「──っ!」


 将棋盤に向けられていた金太郎の苦しそうな視線が、無意識に桐生のほうへと移る。

 金太郎は少し身を乗り出して何かを言いかけたが、その言葉は飲み込んで身体を元の位置へ戻し、ひと言だけ口にした。


「ま、負けました……」

「ありがとうございました」


 負けを認めた金太郎に対して、礼とともにお辞儀をする桐生。

 それを見て、金太郎も深々と頭を下げてから桐生に言葉で礼をした。


「ありがとう……ございました」


 その瞬間、会場は時が止まったかのように静まり返ったが、すぐに拍手とともに大歓声が巻き起こった。

 そして勝敗の結果と、大会の終了を知らせる旨のアナウンスが流れ始めた。


『御堂金太郎選手と桐生宗介そうすけ三冠のサプライズ将棋対局は、桐生三冠の勝利となりました。皆様。本日はクロスレイド・ダブルス大会決勝トーナメントにお越しいただきまして、誠にありがとうございました』


 観客席では、さっさと帰り支度をして会場をあとにする者もいれば、今日行われた壮絶な戦いの余韻に浸りながら、後片付けに入った会場の様子を眺めている者もいる。


 簡易対局場を出た金太郎と桐生は、出入り口に向け肩を並べて歩いていた。

 その途中、桐生が金太郎に声をかけた。


「おい、小僧」

「なんだよ……?」


 負けたせいか、やや元気がない様子の金太郎。

 桐生は少し言いにくそうに間を作ってから、改めて口を開いた。


「……いや。クロスレイドを馬鹿にしたこと──詫びを入れよう。すまなかったな」

「爺さん?」

「クロスレイド──。確かにエンターテイメント性においては、将棋とは比べ物にならぬほど優秀だ。それは認めよう」


 桐生は言葉を続ける。


「もしクロスレイドを始める者の中からも、おまえほど優秀な者が育つのであれば、それは将棋界にとっても決して無駄にはならん」

「何が言いたいんだよ?」

「通常──将棋のプロを目指すのであれば、それこそ年端もいかぬうちから必死で勉強に励まねば、プロ棋士などなれはしないのだ。まだ自我が形成せぬうちから将棋を叩き込まれ、それでもなお苦渋をなめ、去っていくものを大勢みてきた。──そういう世界なのだ」


 金太郎は無言のまま、真剣なまなざしで桐生の話を聞いている。

 桐生は金太郎と目を合わさずに、観客席のさらに遥か遠くを眺めながら語っていた。


「たとえば物心がついてから、自らの意思で将棋の道を進みたいと願った者がいたとしても──その時点で将棋の知識がなければ、もはや間に合わんのだ。もちろん例外もあるが、不利であることに変わりはない。だが──」


 ここまで語ってきた桐生の言葉を受け継ぐように、続きを金太郎が代弁した。


「クロスレイドをしていれば、ある程度の歳になってから『将棋の棋士を目指したい』っていう夢ができても間に合うかもしれない……ってことか」

「如何にも。さらにクロスレイドには将棋のルールが根底にあるだろう。それに触れていることによって、本来は将棋に興味を示すことがなかったはずの者が、もしかしたら将棋に興味を示してくれる結果になるやもしれぬ。才能がある者が埋もれずに済む可能性が生まれるのだ」


「だけどクロスレイドをやってるヤツが、必ずしも将棋に興味を持つとは限らないぜ?」

「無論。それはそれでよかろう。クロスレイド一筋。よいではないか。儂がこれまでクロスレイドを頑なに否定してきたのは、クロスレイドをやっておる者のこころざしを、この儂自身が見誤っていたからに過ぎん。勝手に思い込んでおったのだよ。その点について詫びを入れたのだ」


 桐生の言葉には、クロスレイドに対する期待が込められているように感じられる。

 また金太郎も、そんな桐生と本気で言葉を交わし、桐生も金太郎の言葉に耳を傾けていた。


「だが、おまえと対局してわかった。クロスレイドをやっておるものも決して遊びではなく、それぞれに高みを目指して切磋琢磨しておるのだと。そうでなければ、いくら才能があろうとも、その域に達すること自体あり得んのだ」

「それって俺の将棋、そこそこ評価されたって思っていいの?」

「うむ。おまえは強い。将棋をほとんどやったことがない者の差し筋とは、到底思えんかった」


 金太郎が話題を脱線させかけたことをきっかけに、いったん語りを止める桐生。

 そして金太郎に背を向けて数歩離れたのち、ふたたび続きを語り始めた。


「……先ほども言ったが、エンターテイメントという意味ではクロスレイドのほうが確かに優れておる。だが戦術面においては、将棋ほうが遥かに奥が深いのだ。言っていることがわかるか、小僧?」

「ああ。クロスレイドにはスキルがある。だけど俺も、今回あんたと対局してみてハッキリとわかったことがある。将棋は奥が深い。一見スキルがあるクロスレイドのほうが将棋よりも難しいように感じる。でも実際には、何の小細工もなしに相手と戦わなければならない将棋こそ、個々の戦術性が試されるんだ」


 桐生は金太郎の言葉にニヤリと口角を持ち上げてから、少し物思いにふけるような表情になって淡々と話を続けた。


「その通りだ。スキル──。あれは人の判断を鈍らせる。スキルに頼りきった思考でいるうちは、神の領域に到達することなど到底できぬと思え」

「神の、領域……」


 金太郎は、桐生の言葉に喉をゴクリと鳴らす。

 桐生は遠くを眺めながら、金太郎に語りかけるというよりも、世界に語りかけるように言葉を口にした。


「人の命はひとりにひとつ。人の人生にやり直しなど利かぬように、将棋もまた真剣勝負なのだ。スキルなどに惑わされてはならん。儂に言わせればスキルというものは外からの力だ。自らの力のみで勝利するのが将棋。外からの力を借りて勝利を目指すのがクロスレイド。似て非なるものとは、まさにこのことか────」


 桐生は言葉を口にしながら、金太郎のほうへとゆっくり足を運んでいく。


「だが、それは将棋道においての話だ。クロスレイドという将棋の枠を超えた勝負ごとにおいて、儂はもうスキルを邪道だとは言わん。なぜならクロスレイドの本質が、将棋とは異なるところにあるのだと、おまえとの対局で気づいたからだ」

 桐生は鋭い眼光を金太郎に向けながら続きを口にした。

「エンターテイメントを追求した先にたどり着いた変則将棋の究極系────。それが〝クロスレイド〟」


 桐生は金太郎の前で立ち止まり、曇りのない視線を向けた。

 そして一言──


「……そうだろう?」

「ああ!」


 金太郎は満足気な笑みを浮かべて、桐生の言葉を受け止めた。

 同じように、桐生の顔にも笑みが生まれていた。


 そして桐生は目を閉じたまま空を仰ぎ、想いを込めるようにつぶやく。



「いつの日か────」



 一度そこで言葉を止めた桐生。

 空へ向けていた目をゆっくりと開いてから、その言葉の続きを金太郎へと届けた。


「──将棋とクロスレイド。双方が何のわだかまりもなく、心から笑いあえる日が来ることを願っておる」


 そう言い終えると、金太郎に向けてそっと手を差しだす桐生。

 金太郎は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔に変わって、桐生から差しだされた手を力強く握った。


「ああ──俺も、そう願ってるぜ!」


 金太郎と桐生が、お互いを認め笑顔で向かい合っている。

 対局前からは考えられなかった光景だ。


 少なくともこのふたりの握手は、人類の長い歴史における小さな小さな一歩ではあるが、それでも将棋界とクロスレイド界の未来に希望を願う者達にとっては大きな一歩だったのだと──

 そう期待するくらいの価値を世界の人々に与えたのだ。


「小僧。もし将棋棋士の道を歩む覚悟ができたのなら、儂のもとを訪れてこい。この儂が直々に教えてやる」

「爺さ……」

「ただし──!」


 金太郎の言葉を遮るように、桐生が言葉の続きを口にした。


「猶予は3年。おまえが20歳になるまでに決断しろ。クロスレイドのさらなる頂きを目指すために、将棋道に身を投じるのもよかろう。だが、やるからには棋士としても頂点を目指せ! それが出来ぬのなら、この話は白紙だ。よいな?」


 背を向けて、会場の出入り口へと足を運び始める桐生。

 会場中の人間が、その様子を固唾を飲んで見守っている。


 桐生は、ゆったりとした歩調で足を進めながら、金太郎に背を向けたまま一言だけ残して去っていった。



「待っておるぞ────

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