第17.5話 誓って離れない


「……」


「大丈夫か?」


「うん。それで、どうだった?」


「話してもいいなら、話すけど……」


 仕事帰りに家に来た悠斗がチラッと気まずそうに横目で見た先には、シェラミアがいる。栗色の髪を後ろで束ねて、悠斗と僕の前に黙ってお茶を二つ出してくれた。



「ありがとう。シェリル」


「どうも…」


僕と悠斗が揃ってお礼を言うと、シェリルは気まずそうに僕の横に立ってチラチラと目線をうろうろさせた。



「外した方がいいならそうする」


「いいよ、シェリルもいて」



 気を使って彼女の細い手を掴んで僕の膝に引き寄せたけど、目の前に悠斗がいる状況のせいか拒否されて、少し距離を開けて隣にぽすっと座る。


 シェリルのいる状況に、悠斗は気を使ってるみたいでソワソワしてる。キャバクラ行ったときに、かなり怒られてからはシェリルが苦手らしい。今回もまた怒られたりしないか、心配なんだろう。



「いいのか?俺、白田の事話に来たのに」


「シェリルにはもう話してあるし、隠し事したくないからさ」


「その事で喧嘩して出てったんじゃないの?」


「全部聞かずに怒って出ていっちゃったんだよ。優愛の子供が、僕の子だって本気で思って」


「私が悪いみたいな言い方だな!?そういう無責任なところに呆れて出ていったのだ!!」


「こんな調子で怒っちゃうから、シェリルにも聞かしてくれる?」


「そうか…けど、シェリルさんの言い分に一票な。縁切ったなら、誘われたからって一緒にカフェ入ったり口利くなよ。白田はしつこいって分かってただろ」


「そうだそうだ!この永瀬の言う通りだ!」



 悠斗には腕を組んで呆れたように言われ、シェリルまで同調して責め立ててくる。


だよねぇ…。


「だって…最初に現れた時、もう旦那と落ち着いてると思ったからさ…。けど、結婚まで行ってないし、あの子はあいつの子供じゃないからよりを戻そうって言われたんだよ。すぐ突っぱねたけど」


「俺そもそも思うんだけど、お前の、何処がいいのかね?」


「さぁ?」


 首をかしげて、これまで女性関係があったことや、女性側からごねられてトラブルになったケースがある理由が全くわからんとはっきり言われる。

 悠斗のそういうところが誤魔化しなくて好きだったりするけど聞いていたシェリルが、ムッとした表情で口を開いた。



「それ、いくつある?」


「え…うんと、こいつ昔は結構、女取っ替え引っ替えしてたんで。数えてねぇって言うか…」



 キッとシェリルがこっちを睨んでくる。今にも噛みついて来そうな勢いで、歯がチロッと麗しい唇から見えてる。

やめて、そこははっきりしなくていいです。



「随分と、女で遊んでたようだな??」


「いやぁ…シェリルちゃん。子供だったからそこは許して欲しいかなぁ…?」


「許す??別に気にしてもないが」



 フンッと絶対気にしてる癖にそっぽを向かれる彼女の機嫌を取ろうと、悠斗から見えないようにお尻に触れると、手をきつくつねられてはね除けられた。



「あのよ…まず、白田の旦那の事だけど。お前との一件の後は両家で話し合って、結局二人はくっついたって話は聞いたよな?」


「うん。だから、そう思ってたよ。誰に聞いたんだっけ?」


「俺だろ。まぁその後のことは、お前が泣きべそかいて連絡があった時に調べたけど」


「べ、別に泣きべそかいてないよ!!」


「このままじゃシェリルに出て行かれるぅ~助けてぇ~!!って泣きついて来ただろうが。んで、白田はあの浮気相手と婚約もして同棲してたらしいんだよ。でも、結局うまくいかなくなって、実家に戻ったんだと」



「うまくいかなくなったって言うのは、何か聞いてる?」


「元々男の方も、お前に子供押し付けて自分は知らん顔だぞ?うまくいくわけねーだろ」



 そうか…やっぱり。

浮気相手の男には、何度か顔を合わせた事がある。というか、高校の先輩だし。


 あの頃は直接的な面識なかったけど、僕と違って顔も良くてスタイルもいい、人気がある人だった。

 優愛も学校では人気あったしお似合いって言われてたけど、先輩は遊び人気質で、執着心のある優愛とは合わない。と、色々知った後に思ったわけだけど…。



「終始、俺は関係ないしどうでもいいって態度でさ。あいつの父親と聖也の父親がぶちギレて、ボコボコにし始めたのを皆で止めるの、ヤバかったわ」


「あぁ…あれね…。皆怒ってたからか、止めるスタートライン遅かったよね」


「私なら、ボコボコ所かミンチにしてやったのに」


「さらりと怖いこと言わないで、シェリル…」


「なんだろ、シェリルさんが言うとマジでやりそうな感じがする」



 一見力の無さそうな拳をぎゅっと握って、本当に彼女が殴れば人間なんてミンチになりかねない。



「ま、結論言うと。離婚して実家に帰ったけど、そこでもうまく行かなくてこっちに出てきたんだろう。お前の家の近くに引っ越して、わざと目につくようにしてたとしか思えない」


「…優愛ならそうするだろうね。親とは確実に折り合い悪いだろうし」


「んでも、シェリルさんと付き合って同棲までしてるのは、想像してなかっただろうな」



想像もしてなかったと思う。僕が結婚も考えてる相手だとはっきり突っぱねた時も、動揺してたし。



「それでどうする?まだちらついて来るようなら、白田の実家に連絡して、俺も間に入って話するけど?」


「…いいよ、とりあえずそういうのは。もう関わらなければ良いだけだし」


「白田の実家には連絡した方がいいんじゃないか?がっつりストーカーみたいになったらどうするんだよ?」



 悠斗の言う通り、連絡ぐらいは…確かに入れるべきかもしれない。彼女が今どんな生活をしてるか分からないけど、あの子供には罪はない。

 もしまだ、僕にすがってくるつもりなら、あの子だって振り回されて可哀想だし。本当なら、先輩とよりを戻して暮らす方が一番いいのかもしれないけど。難しい、かな。



 ただ気になるのは、この近くの何処かに住んでて、たまたまとはいえどシェリルと鉢合わせたってことだ。

彼女は強いし、何の心配もいらないけれど、彼女が傷つくようなことがあると思うと怖い。



「…わかった。優愛の実家には、僕から電話してみるよ。何とかならないか聞いてみる」



 側にいた彼女の手をぎゅっと握ると、彼女も若干ながら握り返してくれた。僕が不安に思ってることもわかってるみたいに。



「そうしろよ。このまま放っておくのも、怖いしな。…優也、だっけ?その子の名前。明らかにお前意識してつけてんな」



 旦那何も言わなかったのかよってぐらいのネーミングセンスだと言いながら、気を抜けたようにお茶を飲んだ悠斗は、追加で一応先輩の近況も探ってみると言ってくれた。


何があったにしろ、子供に関しては二人が責任を負うべき事だからと。



「ところで、二人って本当は何処で会ったんだ??」


「え?」


お茶を口につけながら唐突に質問を入れてきた悠斗に言葉が詰まった。


なんで今さら?


「山で二人して遭難して出会ったなんて言ってたけど、お前がこんな美女を連れてくるのも変だと思って?」


「ひ、酷いな!ホントだって!!ね??」


ニヤニヤと冗談めかして言う悠斗に反論してシェリルを見ると、彼女は至って冷静に言い返した。



「本当だ。大雪に埋もれて死にかけてた所を運んで看病して…あげた。付き合いたい付き合いたいって煩いから、仕方なく付き合っただけ」


「…マジなの?じゃあ、コウモリの生態を外国から研究しに来てたってのも??」


「外国から来た訳じゃない、元々あの山に住んでた。先祖が、100年前ぐらいに土地を買って家、建てたから」



先祖がじゃなくて、君本人が。だろうけど実際には。



「そうなの!?…じゃあ在日なのか…。んでも、仕方なく付き合ったって言うけど、こんなやつの何処が好きになったわけ??」


「それは、私も知りたい」


「えぇ…そんな」


「お前が付き合いたい付き合いたい!!って、寝床にまで来てしつこいから!!」


確かにそうだけど、好きなところの一つくらい言ってくれたって…いいんじゃないかなぁ…?


「それほぼ告白じゃなくてお願いじゃね?んでも、聖也好みだもんな!シェリルさん」


「好み…?胸が大きい事ならもう聞いたっ!!」


ちょっ、ちょっとシェリル!!そんなはっきり言わなくていいから!!

それを聞いて笑う悠斗に、顔が熱くなって彼女にすがろうとするも、ふんっとそっぽを向かれる。


「確かにこいつ巨乳好き!!」


「やめろって!!別にそれだけが理由じゃないんだから!!」


「分かってる。美人で腰の骨盤がしっかりしてて、ちょっときついタイプがいいんだろ??」


「ちょっと…きつい…??」


「やめろって!!」


 またシェリルと喧嘩になりそうなことを言い始める悠斗の口を封じて、そんなんじゃないからね!!と彼女に言う。彼女は睨んでた。



「ま、仲良くやってるみたいで何よりだよ。……こいつ、シェリルさんが来る前は本当に病んでたからさ。女運がねぇから、今回はどうなるかと正直心配してたけど、良かったよ。しっかりした人でさ」


「!」


「毎日、僕はもう駄目かも死ぬかもなんて言葉しか言わねぇ人形みたいになってた。仕事してるときなんてよ、何度もトイレに行って吐いてたんだぜ?それに店長も皆も気づいてたけど、なんも言わなかった。

 一人で天体観察に行くとか言って有給取ったときは、死にに行くつもりかと思ってたんだぜ」



 あながち間違ってない。だって、本当に死のうとしてたから。

 …そっか。店長やみんなにもバレてたんだ。あんなに迷惑かけたのに、先輩も店長も、変わらない態度で、接してくれてたんだ。



「それがよぉ??行方不明になったってんだから、あぁやっぱりって思ってたら?女連れて帰ってきて」


「まぁ…あはは…」


「そっからは、枯れた植物が水得たようにみるみる元気になってくし?毎日シェリルシェリルうるせぇし、んだよそれって思ったわ。でも、元のぽやっとしたお前に戻ってくれて、安心した」


 悠斗……。


いつも、僕の事を気にかけてくれた友達の一人。僕の問題に巻き込んでも何一つ不満なんか言わなかった。シェリルが来る前には何度も家に泊まってくれて、支えてくれた。


 僕とは違って、交遊関係も広くて明るくて飄々としてるけど、本当は誰よりも苦労してるのに。


永瀬悠斗は両親を早くに事故で亡くしてから、妹と親戚の家で育てられた。それで随分苦労して来たみたいだけど、それを表に表すことはなかった。

 一度だけ、親戚の家族と揉めて、泣きながら僕の家に来たことはあったけど、それ以外は必死で、同居してる妹を養いながら頑張ってる。


それなのに、いつも支えてくれた友達だ。



「…色々とごめん。ありがとう、悠斗」


「は?礼なんか要らねーよ。俺にも可愛い女紹介しろ」


 改めてお礼を言うと、ぶっきらぼうに返されるもまんざらでもないことが分かる。

悠斗の言葉を黙って聞いてくれてたシェリルも、顔はムスッてしてたけど、怒ってる感じはしなかった。



「なんで、これからも、こいつの面倒見てもらったら助かりますわ。俺はもうやだし」


「…聖也は、職場ではいつも私の話するのか?」


「毎日しますよ。もううるせぇのなんの。前までの静けさが恋しいぐらい」


「えー?そんなにしてる?」


「してるわ!!最悪お客さんにも自慢言ってるだろ!!」


 気づいてないのかアホ!!と言われる。そんなに話してるかなぁ。悠斗の話に、シェリルは何か言うわけでもなく、そうかと一言呟く。


 …?なんか、さっきから思ってたけど元気ない?やっぱ、優愛の話は重かったかな…隠すよりいいと思ったんだけど。



「そんじゃ、俺帰るわ。妹が飯作って待ってるんで」


「あ、そう?ありがとね!!送ってくよ」


「いーよ、玄関で」


 立ち上がった悠斗はシェリルに会釈して、リビングから出ていくのを後ろからついていく。僕は玄関まで悠斗が自分の靴を履くのを見守るついでに、またありがとうとお礼を言った。



「優愛との事は今度こそ、話つけるから。巻き込んで、本当にごめん。あの時だって…」


「良いって言ってる。それにお前は危なっかしいんだよ!いつもぼやっとしてっから、ほっといたらろくなことにならねぇし!」


「…うん。悠斗、なんか困ったことがあったら言ってよ。力になるからさ」


「…ねーよ。昔、お前の家に何度か泊めて貰ったじゃねーか」



気にすんなって。そう言葉少なめに悠斗は靴を履き終えて、くるっと一度振り返った。



「なぁ…」


「うん」


「お前、シェリルさんと結婚とか考えてるか?」


「また突然だなぁ。うん…まぁ、やっぱり当分先にはなるけど」



結婚したいと僕は思ってると言うと、悠斗は「そうか」と一息置いた。



「俺、あの人良いと思うけど、どっかこう…浮世離れしてるのが気になって。だからさっき、何処で会ったんだって聞いたんだけど」



 その返答に一瞬何も返せなかった。

彼女が吸血鬼だってことは勿論言ってないし、ただ、何となくだけど彼女が普通とは違うと察しているっぽくて、複雑そうな表情をしてる。

悠斗って、時々勘が良いんだよね。

でもここで口を割るわけにいかず、咄嗟に嘘をついた。



「そりゃ、あんな山の中でずっと暮らしてたんだから世間とのズレはあると思うよ」


「なぁ、まさかとは思うけど、不法滞在とかそんな類いじゃないだろうな?…そうは、見えないけどよ」


「いやいやさすがにないって!住民票だって取れるんだからさ~」


「…そうか?」


「そうだよ!!それに彼女、あんまり外出なかったらしいし、僕らとはちょっと感覚が違うってだけさ」


そう言って誤魔化し、最終的にはそういう事かと納得してくれた。


「あんな美人の巨乳彼女が今後出来るかも分からねぇんだから、さっさと物にしちまえな?…大事にしろよ」


「分かってるよ。彼女は絶対に、大事にする。幸せにしてあげたい」


 これから先、僕が彼女よりも先に死ぬと分かっていても。彼女がその間もその先も、幸せでいられるようにしたい。


 それじゃあな。ってドアを閉めて出ていった悠斗を見送ると、僕は彼女のいるリビングの方に戻った。



「シェリル?」


 彼女は何故か天井に一人、背を向けて座ってた。暗くなったベランダの外を見つめているようで、声をかけても動かない。


回り込んで彼女の顔を見ると、ピンクの目が僕の方を見下ろした。



「どした?やっぱ、キツかったかな。優愛の話は…」


「そうじゃない。ちょっと、考えただけ」


「何を?」


「聖也が、しんどいぐらい辛そうな感じの様子が想像つかん」


え、そこ?

ちょっとやって見せろなんて言うけど、そんなに気になるところ??



「いやぁ…やれって言われてやれるものじゃないし…。えっと……死にたいなぁ~………?」



 あの時の気持ちを思い出してそれっぽく振る舞ってみるも、上手くいかない。するとシェリルは、「真面目にやろうとするな、バカ」と言って、天井から降りた。



「言っておくが…私はもう気にしてないからな。白田優愛の事はお前の好きにしたらいいと思うけど…。わざわざどうこう関わる必要もないだろう。好きにその辺を歩かせておいたっていい」


「でも…今は良くても、今後何してくるか分からないじゃないか。君がどんなに強くても、嫌な思いさせるのは嫌だし」


「別に嫌なことは一つもされてない。何か嫌みを言われたりもしてないし。子供が出来て、その辺は落ち着いたのかもしれないだろう。あまり警戒したって損だぞ」



 それは…確かにそうだけど。

偶然鉢合わせたってだけで、彼女はなにもされてないし…。でも、彼女の前で確実に僕の子供じゃない子を、子供だって言い張ったところは、全然、変わってなかったから警戒は緩められない。



「私のことを気にして関わろうとしてるならしなくていい。そんなの、やるだけ損だ」


「…うん。でも、彼女の実家には連絡するよ。どんな生活してるか知らないけど、子供は振り回されてるようで、心配だしさ」


「だから!そんなことお前が気にする必要ないだろといってるんだ!!」


 背を向けていた彼女が振り返って、僕の胸元のシャツをキュッと掴んだ。


「辛いことに首突っ込んで、また病む気か!!そうなってまた生活に支障が出ても知らないぞ!!お前が薬付けになってぽやけても、面倒なんか見ないからな!!」



 きつい言い方でも、心配して言ってくれてるのが分かる。さっき反対も何もしなかったのも、一応僕に配慮してくれてたんだろう。



「……ありがとう。心配してくれて」


「フンッ。第一、あの小娘が何かしてきたとして、タダでくれてやるものか。お前は私の所有物だ!!下僕だ!!忘れるな!!」


「あぁ……そういう所が尊い。好きだよ、可愛いよ、シェリルちゃん」


「気持ち悪い」



 嫌そうな顔をしてこっちを見ても、ぎゅっとさせてくれるのもキスも拒まない。

君は人一倍、とろけた顔で僕を見る。大好きだと毎日伝えても足りないぐらい、君は可愛い反応を返してくれるんだ。



「僕を離さないでいてくれる?」


「け…契約日まではだ!その先は知らん!!」


「さっき言えてなかった僕の好きなところ、言って?」


「絶対嫌だ」


「僕はいっぱい言えるよ??言い合いっこしよーよ?」


「やだ!!」


 拒むくせに、君は受け入れてくれる。言葉にはしなくても、態度でちゃんと示してくれる君が好きだ。君は何だかんだ言って、最初から優しかった。



「気分転換にさ、時間あったら渋谷でも散歩する?」


「渋谷?どうして」


「僕の職場近いし、仕事終わったらすぐデートできるもん?いいでしょ?」


「別に…夜だったら良いけど…。だったら、映画連れてけ」


「いいよ?映画の後は、歩いて家まで帰ろうか。夜の街も、結構良いよね」


「…うん。夜は…静かだしな…」



 光の下に出られない彼女の負担にならないよう、こうして夜の計画を練るのも楽しみだ。


僕も夜の散歩は好き。だって人もいない時間帯を静かに過ごせて、空気も少し、澄んでる気がするから。


「屋敷に居たときも、散歩したね」


「運動不足で血行が滞っては良くなかったからな…」


「雪が収まってた少しの間だけ…君と雪道を歩くのが楽しかったよ。覚えてる?雪だるま作ろうとして丸めてたらさー滑って転げ落ちそうになったところを抱き止めてくれたの」


「あの状況で雪だるま作る余裕もそうだが、あんな斜面で雪だま転がすバカいるか!本当に…楽観的でどんくさい。…実はそこまで悩んでなかったんじゃないのか」


「悩んでたけど、離れてみたら大したことなかったな~って思えた。人間社会から離れて、自然に還るって、大事かもね」



 何もかもが不安で切羽詰まってた日々に一度さよならしてみたら、ラクになった。それもこれも、君のおかげだと言ったら、感謝される謂れはないと言うけど。



「人間ってさ、社会から簡単に抜け出せないもん。それを君が誘拐してくれたことで一度はっきり抜け出せて、ラクになれたんだ」


「お前を、殺そうとしてたのにか?そのようなことで感謝するのは、お前ぐらいだぞ」


「そうだね。…でも、それぐらいじゃないと抜けられないんだよ、今の、社会はさ」



 腕に抱いた彼女の髪も肩や首の匂いや感触も、それを忘れさせてくれる。

どうしたって、僕ら人間は生きていくために、どんなに辛くても犠牲にしなきゃいけないもん。心も体も…。


 ラクになることはないまま、安定を求めて生きていく人が多い中で、僕みたいに一度全てを捨ててみた人は少ない。


 でもそれで、ラクになることは沢山あるんだと知った。少しは違う生き方でもいいんだって、思えた。あの人里離れた場所で、人間ではない人たちと暮らして、そう思えた。


 いつか本当に…家を買って、君と暮らせたらいい。二人で他とは違う暮らしをして、生きていきたい。



 僕は頑張るよ。君と一緒に人生を歩めるように、頑張るからね。シェリル…。



体温のあまりない冷たい体を抱き締め、君に誓った。

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